2008年5月6日火曜日

「M/D」その1



 本来、人の生涯というものは善悪の評価が簡単に付けられないことの連続だというのに、「肯定的に書いた伝記」「否定的に書いた伝記」というものがあるのは、伝記の著者はその人物の生涯から何かを取り出さずにはいられないということの証拠といえるのではないだろうか。そして、大にしてそれは著者自身の顔を写す鏡だったりするのだ。……というのは、菊地成孔・大谷能生著の「M/D マイルス・デューイ・デイヴィスIII世研究」のことである。



 この本は、マイルスの生涯を年を追って見ていく形式であるが、あくまでタイトルが著すとおり「研究」であって「伝記」ではない。「研究」と言うタイトルになったのは、そもそも東京大学で行われた講義録を出版するはずが、菊地成孔氏の追記によって施された、この言い回しを実際の講義でやっていたとしたら天才もしくはキチガイの所行にちがいない、というほどの装飾過多な文体によって増えすぎた内容のためだろう。その文体故に多少の読みにくさを感じざるを得ない部分もあったが、それでもなおこの本は「研究」というには「面白すぎ」だ。


 カッコ書きにしたのはアイロニーではない。「研究」という言葉がまとう、学術的な書式を遙かに踏み越えて、ある意味で主観が横溢する内容になっているからだ。そのために、厳密な学者肌の人から見たら幾分客観性を欠いた内容に見えるかも知れないが、客観性はこの本の意図するところではないだろう。そもそもマイルスの自叙伝や他の伝記を底本として、その生涯の功績を検討するというこの本の態度は、オルタナティブな方向性を提示するという行為に他ならないからである。その内容が事実かどうかをフィールドワークによって検討することは最初からテーマではなかった。いわば、古典的な意味での博物学と言っていいかも知れない。


 さて、最初に書いたように、伝記を書く人間がその題材とする人間から何を見出すか。それはそのままその著者の鏡像といえるのではないだろうか。菊地氏(と言い切ってしまう)がマイルスに見出した、アンビバレンス性や、生まれながらに持っていた品の良さ、革命ではなくモードチェンジを続けていただけ、というテーゼ。それらは全て菊地氏にも見いだせるような気がしなくもないのだ……。



 という些末な感想は、この本を読んで思ったことの一部でしかない。啓発性に富んだこの本の感想を、何日かにわけて書いていこうかと思う。





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