2011年8月28日日曜日

【映画】 黄色い星の子供たち [原題:Le Rafle]

もう1ヶ月ほど前に見た映画だが、改めてレビューを書こう。

題名だけ見ると、まるでSF映画のように感じられるが、舞台は第2次世界大戦中のナチスドイツ占領下のフランス。そこで起こったユダヤ人の大量検挙が主題である。

1940年、ヒトラーの電撃作戦の前にもろくも敗れ去ったフランスは、第1次世界大戦の英雄であるフィリップ・ペタンを首相に据えた傀儡政権をヴィシーに樹立させられ、4年にわたるドイツ占領を経験した。占領はたったの4年だったが、この間のドイツによる占領政策は、実質的な略奪行為と言っても過言ではなく、町という町からありとあらゆる物資が戦時徴収され、食料は言うに及ばず、ガソリンや鉄鋼などの資源、ひいては軍靴に使う皮革までもが不足し、庶民は木靴をはかなければならなかったという。このあたり、『ナチ占領下のパリ』という本に詳しい。

そして、占領政策の悲惨を極めたのが、ユダヤ人政策である。ユダヤ人はすべて胸に黄色いダビデの星を縫い付けた服を着用することを義務づけられ、少しでも星を隠そうものなら、容赦なく検挙された。ユダヤ人商店にもダビデの星が描かれ、フランス人達は隣人にこれほどまでユダヤ人がいたことに驚いたという。やがてユダヤ人への仕打ちは公民権の停止へと至り、「ユダヤ人問題の最終解決(=民族浄化)」が決定されると、フランスでもユダヤ人の検挙が始まった。その頂点が、映画で描かれる1942年7月16日の早朝に行われたヴェル・ディヴの大量検挙である。

ユダヤ人達は胸に黄色いダビデの星を付けさせられ、公共施設への
入場を制限された。しかし、それでも検挙まではまだ無邪気でいられた。
この際、検挙に当たったのはなんとフランス憲兵だった。ユダヤ人1万3000人は老若男女の区別無く、冬期競輪場(ヴェル・ディヴ)に押し込まれ、食物も水も与えられることなく、やがて強制収容所へと送られ、最後にはアウシュビッツやダッハウのガス室へと送られるのだった。

この映画は、その顛末を子供達の視点から描いている。戦時下の厳しい状況にあっても、家族や友人との幸せな毎日を送る子供達に、なぜ自分たちが差別されなくてはならないのか、家族はどうなるのかという辛苦が押し寄せる。幼い子供達から見る差別の理不尽と対置されるのは、フランスの政治家達の打算である。ドイツ側が当初、子供は強制収容の対象としないと言ってきたにもかかわらず、孤児の面倒を見ることは不可能という政治的判断のため、子供までもがガス室送りになった。しかも、政治家達は東欧難民のユダヤ人を減らす好機としてこの機会を利用し、さらにフランス警察の権益確保の交換条件まで交わしたのだ。

命令を破りヴェル・ディヴで放水を行い、水を供給する消防団たち。
この事実は、大量検挙事件と合わせて、フランスの最大のタブーとされ、1995年までその責任を認めず、世間一般からも覆い隠されたという。事実、私は別の占領下フランスを描いた映画『パリの灯は遠く』(主演:アラン・ドロン)のラストで、ユダヤ人達が競技場のようなところに押し込められた末に、列車に乗せられるシーンを見て、その場所は一体何なのか、説明が一切無く分からなかったが、この『黄色い星の子供たち』を見て、それがヴェル・ディヴのことだったとを知った。つまり、当時の人間は知っている歴史的事実であるにもかかわらず、それを積極的に語ることをフランス人達は避けていたのだ。事実、1995年のジャック・シラクによる声明で初めて事件を知り、ショックを受けたフランス人も多かったという。

子供たちも大人と同様の強制収容の対象となった。真ん中が
主人公のジョセフ・ヴァイスマン。
同時期に『サラの鍵』[原題:Elle s'appelait Sarah]という映画も製作されている(こちらは原作付き)ように、この映画はそういうフランスのタブーをようやく克服しようとする過程で生まれた映画なのだろう。上に描いたような政治家達の打算的な駆け引きは、きわめて淡々と描かれ、ユダヤ人の子供とその家族に降りかかる不幸は隠すことなく描かれる。衝撃だったのは、追い詰められ窓から飛び降りて死ぬ妊婦と、その残された幼い子供が母親の死を知らずにいるところだ。追い詰められ死を選んだユダヤ人は少なくないと言われ、かのヴァルター・ベンヤミンも亡命目前に追い詰められて自殺をしている。また、強制収容所で金品をすべて提出するように強制され、隠し持っていた品を見つけられた少女が、ドイツ人将校に殴る蹴るの容赦ない暴行を受けるシーンも衝撃的だった。我々日本人から見たら、容貌のさほど変わらない西洋人同志が、どうしてそれほどまでに冷酷になれるのだろう?

一方で、ユダヤ人差別に抗するがごとく、強制収容所にまで付き添ってユダヤ人医師(ジャン・レノ)と共に病人の看護に当たる、非ユダヤ人看護婦アネット(メラニー・ロラン)も描かれる。ヴェル・ディヴで命令を破ってまで放水で水を与える消防隊員や、検挙の前に警告を発する女性など、人間の尊厳を軽んじなかった人々も、少ないながら登場する。しかし、私たちの視点は彼らと同じだとしても、同じ境遇にいて、同じ事が出来るだろうか? 映画を見ながら、組織的の命令が個人の良心に何ら抵触することなく、暴力を実行させることの恐ろしさを考えた。

強制収容所に送られたはずのノノと再会する看護婦アネット。
あれほど無邪気だったノノの顔にはもはや笑顔はない。
映画のラストは、戦後に数少ない生存者と看護婦が再会するシーンで終わる。子供達の顔には、以前のような屈託のない笑顔はない。彼らの胸から黄色い星は無くなっても、戦争は彼らの心に二度と消えることのない烙印を押したのだ。他の地域のホロコーストに比べても極めて生存者が少なかったため、ヴェル・ディヴの強制収容に関する証言は少ないという。主人公の少年ジョセフ・ヴァイスマンは実在の人物で、この事実を風化してはならないととある政治家に言われ、思い出したくない記憶に向かい合い、その体験を話すべく日本にも来日したという。

映画では非ユダヤ人にもかかわらず献身的な介護活動を続ける看護婦アネット役が光る。彼女はこの歴史的事実のあまりの重さに倒れてしまったこともあったそうだが、この歴史的事実を後世に伝えなければならないと、必死で演じきったという。

実を言うと、このサイトの名称、Les Zazousもこの占領下のフランスと関係があるのだが、その話はまた別の機会に。




2011年8月23日火曜日

【翻訳】ビリー・シャーウッド インタビュー 2000.2

恥ずかしながら、実を言うと訳者はビリー・シャーウッドの存在を最近に至るまで知らなかった。アルバム「Talk」時の来日公演で、もう一人のギタリストの存在を知りつつも、単なるエキストラ程度にしか思っていなかった。しかし実際には、彼はジョンがABWHへ行ってしまった頃の90125イエスの共作者であり、「海洋地形学」の編成に戻った後、「Keys to the ascention 2」のリリースが進まず、リックが脱退し活動が停止した際には、かつてのトレヴァー・ラビンのようにバンドの舵取り役までを務めることになる存在だったのだ。

下記に掲載するインタビュー翻訳原稿は、2000年の2月に行われたもので、すでにビリー・シャーウッドがイエスを去ることを決意していたときのものだと思われる(脱退は同年3月)。裏方として10年をイエスと共に過ごしてきた彼が、どのような働きをしていたのかが分かる。

なお、訳出に当たり、適宜見出しを付けた。また、画像はネットで拾ってきたものなので、著作権的にはアウトかもしれないが、非営利でやっているのでお目こぼしいただけるとありがたい(アフィリエイトは一銭にもなっていないので……)。

(原文へのリンク:http://www.bondegezou.co.uk/iv/bsinterview.htm)



ビリー・シャーウッドは、イエスに参加する1997年以前から、メンバーである期間よりも長い間、様々な形でバンドに関わり続けてきた。彼はラダー・ツアーの後半を先導していたが、これがきっと彼がバンドを去る前の最後のインタビューだろう。

次のインタビューは2000年の2月28日にパリにて、エメリック・ルロワ(Aymeric Leroy)によって行われた。フランスのBig Bangマガジン(34号、2000年3月)でこのインタビューの短縮バージョンが刊行された。エメリックにはフルバージョンを提供していただいたことに感謝したい。[Henry Potts]

**

クリスと作っていたアルバムがようやくリリースされましたね。Conspiracyという名前でリリースされましたが、以前はChris Squire ExperimentやChemistryといった名前でしたよね。

ビリー・シャーウッド(以下BS):7つは名前があったと思うよ!

最初から話を聞かせてください。クリス・スクワイアと知り合ったのは、89年のことですよね?

BS:知っての通り、僕のバンド、World Tradeのアルバムをクリスがとても聴いて気に入ってくれたんだ。その時点で、イエスはシンガーがいなかった。ABWHをやっていたからね。元ジェントル・ジャイアントで、その時点ではレーベルのマネージャーだったデレク・シュルマン(Derek Shulman)が、僕をクリスに紹介してくれたんだ。そして僕たちは"The More We Live"を書いたんだ。これが最初に一緒に書いた曲だったよ。そしてこれが両方にとって、音楽的にとっても充実した体験だったんだ。ソングライターがいて、誰かがひらめきをもたらしてくれたら、その相手と曲を書き続けるだろう? だから、僕とクリスは一緒に曲を書いた。そして、二人の関係が始まったんだ。これがことのきっかけさ。

見た目上はあまりよいパートナーシップに見えませんよね。なぜなら、あなたはベーシストでヴォーカリストですから。でも、あなたなら一緒に曲を書くのはたやすいように見えます。

BS:クリスと曲を書いているとき、僕は自分のバンドではベーシストだったんだけど、僕はいろんな楽器を演奏するからね。だから、うまくいったよ。「クリスはベース弾いてよ、僕はギターを弾くからさ」という感じで。問題はなかったよ。そして、僕はキーボードも弾いた。だから全く問題なかったんだ。いくつかの部分では、クリスがやってきて「このベースサウンドはすごいよ、変えちゃだめだ!」と言ったことがあって、僕は「待ってよ、でも君はベースプレーヤーだろう?」というと、「このサウンドは本当にいい。だから変えたくないんだ」と言ってきたので、そのままにしたこともあったよ。でも、それはとても稀なケースだね。確か1~2曲あったんだけれど。"The More We Live"ともう1曲あったと思うんだけれど、今は思い出せないな。

その時は、クリスはイエスを復活させようとか、それらの曲をイエスで使おうと考えていたかわかりますか?

BS:わからないな。単にソングライターとしてやっていただけだったしね。僕はロサンゼルスに住んでいて、彼もロサンゼルスだった……僕は沢山の人と曲を書いていたし、傾向も様々だった。デヴィッド・ペイチとTOTOのアルバム「Kingdom of Desire」の為に1曲書いたこともあった。エア・サプライのメンバーと彼らのアルバムのために曲を書いたこともあったし……だから、僕は単に曲を書いていただけなんだ。だから、彼はそれでアプローチしてきたと思ってる。誰も、「やあ、これはイエスに合いそうだね、イエスの曲にしよう」とは言わなかった。でも、「結晶」が出ることになって、ジョンが戻ってきて、僕は後ろに引いて、貯めていた曲が「結晶」に収録されることになり、ジョンが歌った。とても良かったよ……

あなたがほとんどすべてを弾いているのに、クレジットされていませんでしたよね。ショックだったんじゃないですか……


Conspiracy再発盤は初回盤と
別のボーナストラックを収録。
BS:僕はいいやつだからさ(笑)

プライドを飲み込んだと。

BS:僕が持っていた曲のあるべきイメージでは、僕が全部やるべきではないと思っていたからね。

もし彼らがあなたをクレジットしたくないなら、彼らはあなたのボーカルパートを消すべきだったと思います。目立ちますからね。

BS:そうだね。少なくともConspiracyのアルバムでは、元々の形を聴くことができるよ。それほど大きくは変わってない。でも、僕が全部演奏している……トレヴァーは居ないし、もちろんジョンもいない。どちらのバージョンにもトニー・ケイはいない……だから、オリジナルはどこからやってきたのかがもっと分かるんじゃないかと思うよ。真実を。


クリスとの作業は自由だよ、曲の長さを制限しないこと以外は

どれぐらいの期間でアルバムは作られたんですか? 仕上げるのに2~3年はかかったんじゃないでしょうか?

BS:たぶんその通りだね。だいたい90年から96年の末か97年の頭ぐらいまでだ。

ちょうど、あなたがイエスに係わる前ですね。

BS:そうだね。ちょうど、「Open Your Eyes」の前だ。全部の素材が出来上がり、そして「Open Your Eyes」の録音を始めたんだ。

クリスと曲を書くときに決まったやり方はありますか? それぞれが独自にやって、それを混ぜたりしているのでしょうか?

BS:混ぜているね、すごい混ざっているよ。たとえば、クリスが"The More We Live"をやったときがそうだった。元々の素材は彼のアイディアだったんだ。彼が僕のところに来て、「こういうコード進行があるんだけど。ディーダダ、ディーダダって[原注:イントロのモチーフ]」と言ったんだ。そんなかんじだった。それで、僕は「え!……これで僕らは何をしたらいいんだ?」と思った。そして、スタジオに座ってしばらくしたんだが、なにも思いつかなかった。でも、"The More We Live"の歌詞のアイディアを思いついたら、急に形になりだした。そして、彼の弾いたこのシンプルなコードから、急に全体が見えてきて、全く違う意味を持つものになったんだ。

また逆に、僕が曲を持っていくと、彼が詞を付けてくれると言うこともあった。僕らはとってもオープンなんだ。こうしなければならないと押しつけたりしないんだ。幸運にも、僕らは好きなものが同じであることが多い。素早く曲が完成するときは、二人とも同じものが好きだったときなんだ。

アルバムには複数の人が、特にドラマーが沢山、参加していますが、バンドとして完成させようとは思わなかったんですか?

BS:それが、僕らが最終的にConspiracyという名前を選んだ理由なんだ。僕はクリスにこう言ったんだ、「これはあなたのソロアルバムでもないし、僕のソロアルバムでもないけれど、でも、2人が一番多く演奏していますよね……」って。僕らは一心同体なんだ。アラン・ホワイトが素晴らしいドラムを叩いてくれたし、マイケル・ブランド(Michael Bland)も良い演奏をしてくれた。ジェイ・シェレン(Jay Schellen)や、マーク・ウィリアムスも。そして、打ち込みもいくつかやった。だから、バンドというよりむしろ乗り物だったんだ。「僕らが曲を書いて、誰かを連れてきてこの部分を演奏してもらったら、この曲はかっこよくなりそうだぞ」という感じで、やっていったんだ。

しかし、あなたたちは、92年にツアーをやっていますよね。

BS:僕らはツアーをやったけれど、その時点ではChris Squire Experimentだったんだ。

すでにあなたはリードヴォーカルをいくつかの曲でやっていましたよね。

BS:僕は歌ってたよ。そして、僕のバンドはそのツアー中にChris Squire Experimentになっていったんだ。

World Tradeがですか?

BS:いいや、The Keyというバンドだよ。もう一つやっていたバンドで、強力なトリオだったんだ。The KeyがChris Squire Experimentになったんだ。ジミー・ホーン(Jimmy Haun)がギターで、僕もギターを弾き、マーク・ウィリアムスがパーカッションだった。そして、アラン・ホワイトがドラムで入ってきて、スティーブ・ポーカロがキーボードをやってくれた。そして何年か経って、僕らがConspiracy(共謀)を名乗れば、誰かを呼べるぞと言うアイディアに行き着いて、この名前を名乗ることになったんだ。このプロジェクトにぴったりの名前だよ。

あなたたちは音楽の方向性を決めていましたか? もっとラジオでかかるような音楽を選ぼうとか。

BS:僕らは自由だよ。でも、一つだけ僕とクリスで合意したことがある。それは、良い音楽というのは長さで括られるものじゃないということだよ。ビートルズの曲が2時間半だったとしても、彼らの曲は素晴らしいはずだろう。イエスでは、曲が長くなる傾向があるけれど、それは沢山の人間がアイディアを持ってくるからなんだ。彼らと一緒に製作していた過程で、僕はなぜ曲が長くなるのかを見ることができた。それは、「ねえ、1つアイディアがあるんだけど」「いいよ、じゃあこれを入れてみよう」「僕も思いついた」「じゃあそれをその次のところに入れてみよう」という感じだったんだ。そして最後には全部のアイディアが入れられて、曲が長くなっているというわけさ。一方、クリスと僕は、普通に曲を書いた。終わるべきだと思うところで終わらせたんだ。「ああ、あと5分は長くしないと」とはしなかったんだ。

あなたたちに共通して影響を受けたポップミュージックはありますか? ポップミュージックの職人、ブライアン・ウィルソンが思い浮かびますが。

BS:ああ、まちがいないね。僕が参考にしているのはたぶん彼とは全然違うものだよ。でも、類似点があることは間違いない。僕らは二人とも同じ種類のポップミュージックが好きなんだ。僕らが音楽について話すと、彼は常にポップミュージックが好きだし、僕もそうだ。僕らは二人ともガービッジが出てきたらすぐに好きになったよ。バンドの他のメンバーがポップミュージックを聴いているか知らないけれど、彼は聴いているし、僕も聴いている。そうして、交流が生まれるんだ。そういう風に考えながら、僕らは一緒に作曲をやってきたんだと思う。僕らはマーケット向きの音楽かどうかと言うことは気にしないんだ。

あなたのソロプロジェクトは、もっとポップとプログレのバランスが取れているように見えます。たとえば、あなたのソロアルバム「The Big Peace」のように。

BS:そうだね。ソロだから上手くやれたね。あれは本当はWorld Tradeのサードアルバムするつもりだったんだ。でも、僕とドラマー以外はみんな忙しかったんだ。キーボードプレーヤーは忙しいし……彼はいまドゥービー・ブラザーズにいるよ。ブルース・ゴウディ(Bruce Gowdy)は他のプロジェクトに集中していた。僕がみんなに電話して、「World Tradeをやる気ある?」と聞くと、みんな「もちろん。でも、僕らやれるの?」と言うんだ。「僕は時間有るけれど、君は?」と聞くと、「いや、今はないな」「わかったよ……」となってしまったんだ。僕は曲を作りたかったから、先に作業を開始して、どんどん進めていき、アルバムができた時、気がついたらジェイ・シェレンがドラムを叩いている以外は、すべて僕が演奏していたんだ。だから、ジェイに「これをWorld Tradeのアルバムというのは他のみんなに対してフェアじゃないよね。だって、彼らは係わってないし、聞く人を誤解させてしまうから。これは僕のソロアルバムにすべきだろうね」と言ったんだ。ジェイは同意してくれたよ。

Euphoriaでは全曲が共作ですが、このアルバムではあなたが全曲を書いていますよね。違いは何でしょうか。

BS:そうだね……僕は他人と曲を書くのは好きだよ。もし誰も他にいないのなら、僕だけで曲を作り続けるだろうね。なぜなら、僕はワーカホリックだし、音楽を愛しているからね。もし、何年もの間そうしてきたように、様々なプロジェクトに関わっているのでなかったらの話だけれど――僕にはイエスの仕事があったし、他のメンバーに余裕があればWorld Tradeもできた。The Keyもあったし、今はConspiracyをやっている……音楽を発表する道がいくつもあるんだよ。それらが全部イヤになったのなら、音楽から離れるだけさ……。


僕は病気だと言われるほど音楽の仕事ばかりしてるよ

あなたのスタジオについて聞かせて下さい。大部分のプロジェクトがあなたのスタジオで行われていますよね。

BS:うん、大部分のプロジェクトはね。「The Ladder」を除く、イエスの2枚のアルバムもミックス前にそこでプロデュースしたよ。

僕のスタジオは……バンドに入ってから、そこは貸していて、今は使えないんだ! だからツアーの合間に家に帰り、曲を書きたいと思っても、場所がないんだ! だから、今は僕の家に設えたもう一つのスタジオで作業をしている。

以前は、自分のスタジオとして使っていたんですよね。

BS:イエスに入る前は、スタジオは製作の場で、バンドと作業したりプロデュースしたり、友人と作業したいときは、「やあ、高い金を使ってマイクの前で歌うようなでかいスタジオのことは忘れて、ウチに来なよ。ここは僕らのスタジオだぜ」ということができたんだよ。アシスタントはいないし、全部僕が一人でやって、秘書もいない。なぜそうするのかというと、スタジオで作業していて、他の人たちが外にて意見も言わないでいると、何かアイディアを出せと圧力を受けているように感じるのが大きいかな。自分のスタジオを建てたとき、これで何でも作れると思ったんだ。バンドのみんなも同じように感じていた。だって、僕と彼らだけで、他になにも雑音はないからね。あのスタジオはとても役に立ったし、今も他の人たちの役に立っているよ。

技術的な話でいうと、デジタルテクノロジーの発展によって、今でもまだホームスタジオとプロフェッショナルなスタジオとで大きな差があるものでしょうか? ちょうど、イエスの最新アルバムで使ったカナダのスタジオのような。

BS:どう説明すればいいか分からないけれど、こういう感じかな。ポルシェかジャガーに乗って運転していて、同じ方向を目指していて、どのように運転するかは自分次第。僕のスタジオだと、テクニシャンが一緒にいて、彼がエフェクターやパワーアンプに良い仕事をしてくれて、その音をスタジオから持って行ける。これは本当に本当なんだ。もし外のスタジオに、たとえば今回のバンクーバーのようなところに行くとして、そこではすべてがプロフェッショナルにセッティングされていて、それは違う雰囲気の、違うサウンドのものとなるんだ。両方とも、それぞれの居場所があるんだ。僕は24チャンネルのアナログと48チャンネルのデジタルのレコーダーがあって、使い放題のエフェクトと使い放題のいろんな機材がある豪華なスタジオを持っていた。スタジオを人に貸す必要は無いし、料金も気にしなくていい。すべて自分のものなんだ。バンドが僕と仕事をすると、夜10時になると大抵のスタジオだと出て行かなくちゃならなくなるけれど、午前2時まで使う事ができる。自分のスタジオだからね! すべての要素を合わせたとき、クリエイティビティを終日、同じにできる。だから、こういう環境を使えたことはとても幸せだよ。

Conspiracyの話に戻ります。作業は、たとえば6ヶ月に1日という風に行っていたのか、それとも何ヶ月か空いて何ヶ月か作業して、という感じだったのでしょうか。

BS:作業は何年もかかったよ。理由の大部分は、クリスがイエスで忙しかったからね。それに、僕も他のバンドのプロデュースで忙しかった。ずっと会えないときもあって、お互い余裕ができたら、一緒に作業して……でも、僕が「Keys to Ascension 1」に取りかかったとき、急速に作業が進んだね。クリスが町にいて、僕もいるから、「やるなら今だ、残りの曲をやってしまおう」って考えたんだ。それでギアが入った感じだね。"Violet Purple Rose"や"No Rhyme"や"Red Light"などの曲を作り上げたよ。

面白い作業だったな、とっても長くに渡っていて。一部はクリス・スクワイアのもので、僕はどうやって付け加えたら良いんだ?って。彼は僕ほど作業は早くないんだ。僕はワーカホリックだからね。みんな僕の作業ペースを見ると病気何じゃないかと思うぐらい。でも、僕にとってはスローなんだ。彼にとっては自然なペースだった。でも9年もかかったから、もうちょっと早くできないものかと思ったよ。だから、イエスと作業をしている時に、僕らは曲を書き続けて、次のアルバムのための曲を7曲書いたんだ。1年以内には出すつもりで。今は僕らは密接に仕事をしているし、いっぱい作業をしたよ。次のConspiracyのアルバムはすぐに出せると思うよ。

イエスやWorld Tradeのアウトテイクを使おうというのは誰のアイディアだったんでしょうか? 我慢しきれなくなったと言うことでしょうか?

Conpiracy初回盤。インタビュー
に出てくる
隠しトラックがある。
BS:僕は"Say Goodbye"を他の誰かが歌うのを待つのに疲れたんだよ。なぜなら、これは僕にとって特別な曲だからね。彼にこれをやりたいと言って、問題なかったので、彼はこう言った。「僕らのプロジェクトをやるときは、オリジナルバージョンを入れて良いんだ」って。似ているけれど、違いが有るんだ……オリジナルのアイディアがどういうものだったかをファンに聞かせようというのは、クリスのアイディアだったんだ。このレコードはまさに僕らが一緒に曲を書いて、演奏してきたものの、年代記そのものだね。アルバムで聴けるオリジナルバージョンは、ソロでやったものとも、イエスのボックスセットに入っている"Love Conquers All"とも違うんだ。ボックスのほうのバージョンは、トレヴァー・ラビンが歌って、ギターソロを弾いていて、曲も少しだけ変えているんだ。さて、ここで曲のオリジナルバージョンのことについて、一番の秘密の話になるんだけどね。

実は、厚い黒のカーテンに覆われているけれど、3曲の"隠しトラック"があるんだ。すごい奥の方にあるんだよ。クリスはそれらを入れたがってたんだけれど、「Open Your Eyes」が出た時期ととても近かったから、隠しトラックにすることにしたんだ。

"The Evolution Song"についてはどうでしょうか?

BS:"The Evolution Song"はWorld Tradeの時とは違うBセクションがあって、ちょっと手を加えてある。ある時、クリスが言ったんだ。「これをアルバムに入れないか?」ってね。それで、僕はオリジナルテープを持ってきた。それがオリジナルバージョンで、曲がどういう風に書かれたか分かるだろう。クリスがBセクションを歌っていて……少しばかり変更を加えてあるけれども、大きな違いになってるんだ。


「The Ladder」のために、6ヶ月間一緒に曲を書き続けた

「The Ladder」でのあなたの作曲した部分について聞かせて下さい。最初の印象では、皆がそれぞれアイディアをテーブルに持ってきて、みんなで曲を書いたように感じられました。

BS:僕らは6ヶ月間、一緒にカナダにいて、アルバムの曲を書いたんだ。だから、そういう印象を受けるんだろうね。君の言う通り、全員が曲に貢献している。有る部分の素材が、他の人間から出てきたりしている。たとえば、"Homeworld"は僕がヴァースのギターパートのアイディアを出し、コーラスのコードはイゴールが出した。ジョンが詞と上声部を書いて、スティーヴが中間部の‘ディン、ゲディン、ゲディン’というシャッフルの部分を考えた。僕らはそれらをまとめ上げたんだ。

クリスとアランは、"The Messenger"のグルーヴを作った。これは、レゲエっぽいフィーリングがあるね。彼らは一緒に演奏し始めて、僕らはそれに乗っていった。"If Only..."はイゴールとスティーヴ、それにジョンがほとんどを書いた。"Finally"は、僕のソロアルバムの「The Big Thing」の"I"という曲にある、‘I can be...’、‘I can change...’という部分を、ジョンが取ってきて、手を加えたものが、"Finally"になった。実際にはエンディングはスティーヴの手によるものだけど、その時点ではオリジナルのコード進行のままだったんだけれど、バンドがイエスらしさを加えたというわけさ。

「The Ladder」制作時のメンバーで一番左がビリー
"To be Alive"は、ハーモニックサウンドから始まる。12弦ギターのタッピングで、僕がよくリハーサルで弾いていたものなんだけれど、上手く収まらなかった。そして、僕らがスタジオに入った時、ブルース・フェアバーンに「この曲なんだけれど、イエスらしい曲から外れて、こういう催眠的な音が続く曲はどうかと思ってやってるんだけれど、どうしても次のセクションにいけないんだ。どうやってもうまくできないんだ」と言ったんだ。ちょっとばかり苦労したね。でも、その日の最後には、ジョンが素晴らしい詞とメロディを書いて、クリスとアランが良いアイディアを出してくれて、アイディアを思いついたんだ。そして、アルバムに入ることになった。とっても嬉しかったよ。"Good Day"も面白かったね。イゴールとジョンが‘ティン ティン ティン ティン’というイントロのメロディーを作っていた。僕が14歳の時に書いた曲に、‘ダン、ダダ、ダダ、ダダダ、ダン’というチェンジがあって、それをリハーサルで演奏していたら、ジョンが作っていたメロディを‘ディン ディン ディン ディン’と歌い出して、2つのアイディアが一緒になってあの曲になったんだ。

"New Language"はそもそもはジャムセッションだったんだ。これは、クリスと僕とアランとで、「Open Your Eyes」の為に作ったイントロ部分だったけれど、結局収録されなかった。「The Ladder」の時に、スタジオで3人がジャムセッションしていたら、スティーヴが上声部を弾いて、それからさらに彼が少し書き足した。それが、"New Language"のイントロになったんだ。最終的に有るべきところを見つけたんだ。イントロが終わると、ローズが入ってくる。これは、もちろんイゴールによるもので、彼も沢山係わった。ジョンと同じぐらいね。

"Face to Face"は、‘ド ディ ダ ダ ダ ディ ド...’という部分は、もちろんスティーヴだ。これは全編に出てくるけれど、面白いことに誰も曲がどうなるか制御していなかったんだ。これはまさに、「みんな演奏してる? イエー? オーケー、行こう!」というものだった。僕らはこのアルバムに収録されなかった曲も沢山作った。ブルースに善し悪しを選んでもらったんだ。だからアルバム収録曲は彼の選択によるものなんだ。

そのようにしたのはとてもいいことだと思います。イエスのアルバムを作る上で、最も賢いやり方だったんじゃないでしょうか。

BS:それがまさにバンドの力関係上正しかったんだ。君の言う通りだよ!

結果がそれを語っていますね。

BS:そうだね。沢山の人がアルバムを気に入ってくれている。実に良いよ。

あなたは、こういう風に作業することを、結果がどうなるか意識して皆が決めたと思っていますか?

BS:僕らがこんな事を話すのもおかしなものだよね……イエスは、初期のいくつかのアルバム以外はそういうやり方では曲を書いていないと思うんだ。実際のところどうしていたかは僕は知らない。でも、僕は「The Yes Album」が彼らが全員部屋に入って一緒に作業した最後のアルバムだと思うんだ。それ以降は、ジョンとスティーブがアイディアを持ってて、そこから始めて、形を変えていったんだと思う。そして、クリスやアラン、リックなどがいろいろ付け加えたんだろうね。「90125」「Big Generator」「Talk」は、トレヴァー・ラビンがコントロールしていたと思う。他とは違う曲調だからね。「Keys to Ascension」は、全員が一緒に作業をしたけれど、実際には、リックは作曲には係わっていない。ジョンは山ほどアイディアを持っていた。この時、初めて全員で「見ろよ、誰もテーブルに荷物を持ってきていない。誰も良いアイディアを持ってない。あくまで絶対に自分の意見を曲げないというのなら、自分のソロアルバムでやれよ。ギブ・アンド・テイクで作業していこうよ」と言い合う事ができた時だと思うよ。それは簡単な仕事じゃなかったけれど、大抵は大変さよりも楽しさがあったよ。

その結果、あなたがツアー部分で沢山、演奏することになったわけですね。

BS:全員が係わっていたから、みんな気分は良かったと思うよ。それは大事なことだよ。


トレヴァー・ラビンと一緒にやらないかといつも話してるよ

次はどこに出演するのですか?

BS:2000年の3月25日には、ルーマニアのブカレストでのコンサートが決まっている。その後は、6月にツアーをやるかもしれない。でも、ツアーをやらずに別のことをやるアイディアもあって、ボストン・ポップス・シンフォニーと一緒にオーケストラのアルバムをやるかもしれない。彼らとイエスでアメリカのテレビに話もあるんだ。

何か特別に用意した曲を演奏するのですか? それとも……

BS:ええと、昔の曲と、ラダーの曲に、新しい曲もやるかもしれない。まだ分からないけれどね。でも、僕らはずっと一生懸命仕事しているよ。僕が入る前、彼らは「Keys to Ascention」の時も、忙しかった。でも、彼らはツアーをしなかった。なぜなら、リックがしていたからね。でも、僕が入ってからはノンストップで仕事し続けているよ……「Keys to Ascention 1」の曲が出来上がり、リックが脱退すると、僕はクリスに言ったんだ。「もしその気があるなら、手助けしたいんだけれど」って。そして、僕らは「Open Your Eyes」の曲を書き始めた。集中力はずっと続いて、アルバムは出来上がった。で、3年半から4年経った今でも、僕らはノンストップでツアーをして、曲を書いて、ツアーをして……

私は、どのイエスのラインナップも長続きしたことはないと思っているのですが?

BS:(笑)彼らは長らく一緒にやってきたからね。それは確かだ。「90125」は強い生命力を持ってた。あれはビッグアルバムだったからね。だから、ツアーを大々的にやらないといけなかった。今でもいっぱいやることがあると僕には思えるんだよ。彼らのやったこととは比べられないかもしれないけど、僕はこの部署は初めてだからね、いっぱい仕事があるのさ!

自分自身のプロジェクトは考えていないんですか?

BS:次のソロアルバムをやっているよ。知っての通り、僕は音楽に執着しているんだ。更に、クリスと僕とで、さっきも言ったように、次のConspiracyのアルバムをやっているよ。

7曲できたと言っていましたよね。

BS:7曲はできてるよ。

何曲必要なんですか?

BS:3曲欲しいね。すぐに曲になりそうなネタは有るんだ。それが今の状態で、もう少ししたら何か生まれると思うよ。

あと、トレヴァー・ラビンとは、一緒にやろうといつも言ってるよ。彼は本当に映画の仕事で忙しいんだけど、いつも会ってるんだ。一緒に車に乗るときはいつも、お互いの音楽を聴き合って、アイディアを歌ったりとかしているんだ……とっても良い感じだよ。

彼は沢山の曲をレコーディングし続けていますが、自身の曲は歌ってないですよね。

BS:そうだね。まだ分からないけど、将来、トレヴァーと作業するかもしれないんだ。僕はぜひやりたいね。彼は常に僕の大好きな音楽家の一人だからね。

Conspiracyのプロジェクトとしてですか?

BS:そうなるかもしれないし、別のものになるかもしれない。まだわからないよ……でも、付け足すと、僕は自分のスタジオを建てて、早くそこで作業をしたいね。次は何をやろうかな?

次のソロアルバムを作るとしたら、同じメンツでいきますか? ジェイ・シェレンとか。

BS:ジェイには参加してもらうだろうね。

それはWorld Tradeに似たようなものになるのでしょうか?

2011年にトニー・ケイと来日した時のビリー
BS:そういうスタイルになるよ。なぜなら、沢山やるポップミュージックをやる機会があるので、ソロでは完全にアーティスティックな目的の為にやれるからね。シングルを出すことを気にせず、ただ作ればいいからね……。ジェイは僕にとって重要で、彼はとても才能あるドラマーなんだ。「The Big Peace」のときに会った出来事なんだけれど、ドラムマシーンで音の密度が濃い演奏をプログラミングしておいて、彼がスタジオに来たら「ジェイ、こういうのできるよね」と言ったら、「おい、こんなの物理的に無理だぜ」と言うから、「やってみなよ」と言ったら、ドラムの前に座って試し始めたんだ。ブースのガラスの向こうから彼の満面の笑みが見えたよ。彼はそれを演奏できたんだ。素晴らしいサウンドだったね! 一緒にやりたいと思う、一緒にやりやすいミュージシャンを見つけられるのは本当に稀だよ。ジェイは本当に本当に、仕事がしやすいんだ。それに彼はスイートガイだから、一緒に仕事をするのが楽しいんだ。だから、次のソロアルバムでも絶対一緒にやると思うよ。

Conspiracyのツアーはありそうでしょうか?

BS:僕らはそれについて話し合っているところなんだ。イエスのスケジュールがどうなるか次第なんだ。ギグをやる余裕があるかどうかにね。Conspiracyはもっと小さい規模になるから。でも、前回ツアーをしたときは、観客は本当に楽しんでくれていたし、どこでもソールドアウトになった。小さい会場でやったしね。

ツアーはどこで行われたんでしたっけ。カルフォルニアとハワイでやったという記事を読んだ記憶があります。

BS:そうだよ。あとアリゾナと……たぶんシアトルでもやったと思う。思い出せないな。どれも本当にいいギグだった。どうなるか分からないけれど、もしやれそうなら、ツアーをやるかもしれないよ。







2011年8月17日水曜日

Bjork - Clistalline Video Clip

ビョークの4年ぶりの新作となるBiophiliaよりClistallineの公式ビデオクリップが公開されていたので見てみたが(約1ヶ月前だけど)、かなり激しい音になっている。時として、え? という作品もあるビョークだが、今度のアルバムはストレートに音がカッコイイので期待できそう。



ライブもなんだかものすごいことになってる……。



眠れぬ夜のピチカートファイヴ、あるいは失われたレトロフューチャー

おはよう、フェルプス君。寝苦しい夜だったね。今日はプログレではなく、以下のエントリーを読んでもらおう。という冗談はさておき。

熱帯夜が続きただでさえ寝苦しいところに、家人が高熱を出しその看病をしていたら、なんとも寝られなくなってしまった。ということで、こんな真夜中に自室でCDのリッピングに精を出しているところなのだが(PowerMac G4のけたたましい騒音と熱で更に疲労困憊)、たまたまあったピチカートファイヴのベストを聴いてみたら、ものすごく複雑な気分になった。20代のころに90年代を過ごした身として、今これを聞くと、「これって忘れたい過去じゃないか?」と自問自答してしまうのだ。

上手いんだか下手なんだかよく分からん渡辺美里の声によく似たヴォーカルが、「ハッピー」とか「キャッチー」とか「グルーヴィー」とか歌ってて、穴があったら入りたくなりませんか? これどこかのお店でかかったら、今の20代は爆笑するんじゃないだろうか。オケも、もうなんて言うか今では元ネタが透けて見えるような、古いレコードで聴けるようなサウンドの焼き直し。幻の名盤が散々発掘し尽くされた今から見ると、この音この歌でまさかクラブで踊らせてみせますなんて冗談ですよね? と言いたくなってしまう(筆者はリアルタイムのファンではなかったので、本当にクラブでかかっていたかどうかは知らない*1)。

しかし、90年代でこういうことをやっていたんだ、と考えると、やはり時代の先端を行っていた音だったんだなとも思う。

レアグルーヴやフリーソウルが、ロンドンから輸入され始めたのが80年代末。めざとい人たちが盤漁りをし始め、そんな中の一人が小西康陽だった*2。80年代にCD普及で絶滅するはずだったレコードが、90年代ではカッコいい音のネタになり、最新のテクノロジーで置き換えられたはずの60~70年代の楽器たちが、ローファイという言葉と共に復権をした。80年代的な煌びやかさから、70年代的な荒々しさへ先祖返りを試みたのが90年代の新しさだ。

それは、どこまでもテクノロジーが発展すると思っていた80年代から、何か変わると思っていたのに何も変わらないことがわかってしまったゼロ年代の狭間に立って、90年代は、手塚治虫やハインラインが考えてる様な未来がまだ有効だった、レトロフューチャーの時代だった。過去の人々が描いた未来が、どうも実現しそうにないことをどこかで気がつきつつも、それを楽しむ懐古的な視線が新しい価値を生んだ時代。ピチカートファイヴも確実にその流れの中にいたんだと思う。

しかしいまや、破産しそうなアメリカより一企業であるアップルのほうが金があったり、形だけのアリバイはあっても動機がない暴動が簡単に起きてしまったり、国家が文字通りメルトダウンしつつあるテン年代において、レトロフューチャーは本当に終わってしまった。小西康陽は「2000年代は楽しいことなさそう」と言いながらピチカートファイヴを解散したけれど、彼は時代を見る目があったんだなと思う。

世の中が荒れた時代ほど面白い音楽が生まれるというが、それが今どこかで起きているのかな、と思いつつ、リアルタイムに体験することなく過ぎ去った90年代の音をひととき楽しんだので寝ることとしよう。

なお、このエントリーは自動的に投稿される*3

*1 先日バーにいたら、友人達がこんな会話をしていた。男「俺、クラブって行ったことないんすよ。どんなとこなんですか?」 女「ん~立ち飲み屋!」 男「(笑)なるほど、爆音立ち飲み屋ですか」 女「そ~(笑)」
*2 故・大里俊晴が2000年にパリに行ったら、どこのレコード屋でも「ピチカートとかいうやつがめぼしい盤を全部買っていった」と言われたとぼやいてた。
*3 ただ今、朝の4時半。


2011年8月16日火曜日

【リリース情報】 John Coltrane - Original Impulse Albums Vol.4




解説も何も無い無愛想なシリーズだが、価格は安いコルトレーンのインパルスボックスセットのVol.4が出るようだ。正直、4はでないんじゃないかなと思っていた。なぜなら、最晩年のアルバムは超弩級のフリージャズなので売れないでしょ、フツーには。アルバムと収録曲等は次の通り。元が蔵出し音源なので、ボーナストラックのたぐいはないようだ。

DISC 1: EXPRESSION:
  1. Ogunde
  2. To Be
  3. Offering
  4. Expression
DISC 2: LIVE AT THE VILLAGE VANGUARD AGAIN!
  1. Naima
  2. Introduction To My Favorite Things
  3. My Favorite Things
DISC 3: OM:
  1. Om
DISC 4: COSMIC MUSIC:
  1. Manifestation
  2. Lord, Help Me To Be
  3. Reverend King
  4. Sun, The
DISC 5: SELFLESSNESS:
  1. My Favorite Things
  2. I Want To Talk About You
  3. Selflessness
いずれも死後に発表された作品ばかりであり、 インパルスのアルバムはまだあるので、Vol.5を期待したいところだが……さすがに難易度が高すぎるか? ちなみに、「First Meditations」「Transition」「Live in Seattle」「Live in Japan」「Sun Ship」「Living Space」「Stellar Regions」「Interstellar Space」「Jupiter Variation」「The Oratunji Concert」がそれにあたるが、これらは8月後半にすべてSHM-CDにて日本盤が出る予定である。筆者のお薦めはLive In Japanである。これは本当に感動的な名演だ。4枚組のくせして、CD1枚につき1~2曲だけど。だがしかし、う~ん、出るかどうか分からない本家の廉価版ボックスを待つのが良いのか、悩ましいところである。






2011年8月15日月曜日

硬水とビールの関係

最近、会社で沢山ボトルをため込んでいる人がいて、まぁ放射能対策なんだろうけれども、聞いてみたら自販機で買うよりもかなり安いらしい。なるほど、通販で水を買う発想はなかったと言うことで、いろいろ調べてみると、一時期、ナチュラルローソンで売っていた、クールマイヨールがアマゾンであったので早速購入してみた。

この水、いわゆる硬水で、源泉はイタリアとフランスの国境付近。味の系統はコントレックスに近いのだが、より飲みやすい。気のせいか、やや塩味が感じられる。しばらく飲んでいるうちに、薬を飲むために水道水を飲んだら、余りに味と臭いがひどいこと愕然とした。寝る前に冷やした水を飲むのを日課にしているのだが、水道水を飲んでもこれまで何も思っていなかったのに。一度分かってしまうと、とにかくすべてが気になりだした。


そんな折、アマゾンVineプログラムで水をもらえるらしいので、注文してみた。こちらフィジー・ウォーターと言い、は源泉はフィジーの地下水で、水圧を利用することで開封まで一切外気に触れていないという。クールマイヨール以上に根が張る高級水だ。味の系統は軟水に近い。最初飲んだときは「甘っ!」と感じたが、それはクセが全くないせいのようだ。ほのかな風味も感じられた。飲み続けるにつれ、すっきりとした味がとても気に入った。クールマイヨールとは全く違うが、これも美味しい水だ。

さて、前置きが長くなったが、ここからが本番。あるクラフトビール専門店にて、お客さんと会話下内容を紹介したい。ビールと水の関係についてだ。

クラフトビールというのは、いわゆる大メーカーによる大量生産品ではなく、職人による手作りビールのことだが、実は日本のクラフトビールのレベルは結構高い。香りが芳醇で、味も素晴らしい。ただし、生ビールのため鮮度が命と言うことで、複数種類を置いている店は少ない。自分の行きつけは、クラフトビール専門店の走りだった店で、常時10種類ぐらいのビールを置いているのだが、味にうるさいお客は「~の味、最近変わったね」ということを言っていたりする。そんな発言の中で気になったのが、水とビールの関係だ。

ヨーロッパの水は硬水が多いのに対し、基本的に日本の水は軟水である。というよりも、日本人の好みが軟水向きというか。軟水で造るビールは、基本的に甘くなるのだという。硬水で作ると逆に、きりっとした輪郭のハッキリした味になると言う。ここら辺記憶が曖昧だが(酔っていたので)、試しにと言うことで硬水で割った酒か、あるいは硬水で作ったビールか何かをごちそうになり、たしかに味のベースが全く違うことに気づいた。こういうのは一度気づいてしまうと、とにかく味が気になり出すのだ。あるビールを飲んでは、うーん味が柔らかい、とか、こっちは締まってるな、とかそういう風になってしまった。おそらく、水割り(トワイスアップも含む)も硬水と軟水で相当違ってくるのでは無かろうか。きっと氷も統一しないと……などなど。

自分は、広まってしまった放射能をことさら気にしていても、もはやどうしようもないと半ばあきらめ気味なのだが、一連の問題で水の味や質に目が向くようになったのは怪我の功名というか、一つの収穫だったと思う。



2011年8月13日土曜日

John Funkhauser Trio - Time



これまたピアノトリオものの紹介なのだが、おそらく日本でこのアーティストの名前を知っている人はほとんどいないと思う。自分も知らなかった。某南博氏に、バークリー時代の友人としてCDを聴かせてもらって知ったのだが、何とも言えないドリーミングな音が気になり、買って聴いてみたら、これが大当たり!

このアルバムタイトル、ジャズに詳しい人ならピンと来ると思う。そう、デイブ・ブルーベックの「Time Out」と同じく、変拍子ものの曲が多くを占めているのだ。

たとえば1曲目。"On Green Dolphine Street"はジャズ好きなら誰でも知っているスタンダード。これを5拍子でやっている。といっても、いわゆるプログレ的な(=クラシック的な)3/4+2/4*1を余り感じさせないように、ピアノのメロディーがルバートっぽくフレーズを奏で、ドラムはビートをかっちり刻むのでなく、優しく寄り添うようにアクセントを付けている。一聴してこれを5/4と分かる人はなかなかいないんじゃないかな。

同じ事は8曲目の"Come Rain Or Come Shine"にも言えて、こちらは3拍子。サスティンペダルを多用して、流れるようなサウンドを実現させている。ECM的にエコーを深くかけたものはあっても、こういうサスティンペダルを多用した演奏って、有りそうでなかなか無い。

そのほか、自作曲の2曲目"Ellipse"は、ピアノの左手が5/8で右手が7/8で、35小節ごとに周期が合うという、まるでキング・クリムゾンの"Discipline"のようなことをやっているのだ。ちなみにベースは6/8×5+5/8で35小節目で一周、ドラムは35ビート。さすがにソロの部分は5/8になるが、これもまたジャズでは珍しい試み。

などなど、複雑な変拍子を多用した作品なのだが、プログレにありがちなガチガチなキメがなく、どの楽器もアクセントの置き場所を自由自在に操り、隙間を作ることで、聴き手に変拍子を意識させず、たゆたうようなサウンドを実現させているのだ。私も散々ジャズは聴いたけれど、類似の作品を知らない。

しかも、ググって知ったのだが、この人、なんとベーシストでもあるそう。世の中才能のある人というのはいるものだ。

これだけ良いのに、なんと販売はCD Baby(アメリカの自主製作ものの流通業者)。う~~~ん、惜しい。日本のジャズ関係者はもっとこの人に注目して、CDを作らせてはどうか。こういうピアノトリオこそ、世に知られるべきだ。

*1 たとえば"Lark's Tangue In Aspic Part2"は3/8+2/8で5拍子




2011年8月12日金曜日

【翻訳】 ジョン・アンダーソン インタビュー 2011.6.29

このインタビューはGeek of DoomObi-Danによって行われ、2011年6月29日に公開されたものである。クリエイティブ・コモンズライセンスによって公開されているので、ライセンスを継承しつつ、翻訳をここに掲載する。インタビュー内容は、イエス脱退の話よりも最新ソロアルバムの話が中心となっている。



60年代末、ジョン・アンダーソンは世界で最も注目されたロック・ミュージシャンの一人となった。彼の印象的な声によって、革新的なプログレッシヴ・ロック・バンド、イエスのリードシンガーとなり、彼らは30年以上にわたって何百万枚ものセールスを上げている。


現在、アンダーソンはイエスを脱退し、世界中の人々とコラボレートしてソロアルバムを作ることに力を入れている。彼は今なお健康で、幸せで、ファンタスティックな音楽を作り続けている。「Geeks of Doom? 大好きだよ!」




ジョン、調子はどうですか?

ジョン・アンダーソン(以下、JA):とても良いよ。今はとてもエキサイティングな時を過ごしている。今日、ソロアルバムが発売されたからね! 昨晩、3フィートもあるようなキングスネークが僕の家の玄関に居たんだけれど、これは再生を意味する。キングスネークを見るのは珍しいことだし、それが玄関の前にいたんだからね。これはネイティブ・アメリカンのトーテムで、再生を意味するんだ。だから、僕はいま順調なんだよ。

新しいジョンになったんですね!

JA:そう、新しい僕だよ!(笑)

「Survival & Other stories」がどういうアルバムになったのか教えて下さい。

JA:いいとも。君はもう聴いたかい?

ええ、"New New World"と"Understanding Truth"を聴きました。

JA:"Understanding Truth"は、オランダの北に住んでる若い男性から送られてきたものなんだ。彼は美しいギター曲を送ってきてくれてね、僕はすぐ歌ってみたんだ。歌というものは時にしてすぐにやってくるものなんだ。分かるかい? ヴァンゲリスとやっているときのような感じだった。ジョン&ヴァンゲリスの音楽は聴いたことあるかい?

もちろんです。

JA:僕たちは曲を即席で作ったんだ。3日間、毎日曲を書いて最後には「やあ、これはクールだね!」となったもんさ。最近、どういう事が起きているかというと、誰かがMP3で音楽を送ってきてくれて、僕がメロディと詞を書いて曲に当てはめるのさ。そして1ヶ月後、12個ばかりの全然異なったシチュエーションのアイディアが手元にあるわけだよ。ある曲はミュージカルみたいだし、ある曲は土着の音楽だったりする。わかるかい? どの曲も、全く違う人たちから送られてきたもので、みんなとても才能がある人たちだから、今とてもエキサイティングなんだ。知ってるかもしれないけれど、僕はウェブサイトに広告を出してて、毎週、沢山の人たちからアイディアが送られてくるんだ。今でも送られてきているよ。音楽のパンドラの箱を開けたんだ。このアルバムはその中から選んだ一部に過ぎないんだよ。僕が世界中のいろいろな人と作業をして作ろうとしている3部作の1作目になるんだ。

ウェブサイトの募集に反応があったので、驚きませんでしたか?

JA:もちろん、驚いたよ。みんなが誰だか知っている人に連絡できるようなものがウェブサイトに上がっていたから、あんなに反響があったんだろうと思うよ。彼らは僕と仕事をすることに興味があって、送られてきたものは僕が本当に欲しいものだった(笑)。1曲目の"New New World"はサウスパークの音楽をいくつかやったことがある人から送られてきたんだよ。

本当ですか?

JA:そうだよ。ジェイミー・ダンラップが僕に音楽を送ってきてくれたんだ。彼は去年の夏、パリにいて、アメリカとヨーロッパでいくつかショーをやってて、僕に曲を送ってきて、彼のアパートで僕が歌ってみたんだ。素晴らしい贈り物だよ。今でも素晴らしい歌が送られてきてるんだ。わかるかい?

もちろん。2つとも素晴らしい曲ですが、全然違う曲調ですね。

JA:そりゃそうさ、2人とも違う人だからね(笑)どの曲も、新しいエネルギーのようなものなんだ。

ところで、さっきも言っていたように、あと2枚のアルバムが出るんですか?

JA:そのとおり。たぶん、1年ごとに出すことになると思うよ。実際どうなるかは分からないけれど、どれぐらいみんなが曲を送ってきてくれるかによるね。今朝ちょうど、傷痍軍人会のための曲を書いて、歌ってたんだ。2週間後にケネディセンターで歌うことになるよ。これはフルオーケストラみたいな曲なんだ。

彼らは、ケネディセンターで歌ってもらえませんか?と聞いてきたんだ。僕は「チケットをお願い!」って言ったんだ(笑)「ロイヤルアルバートホールで歌いませんか?」「よろしくお願いします!」というようなものさ。

そうですね! あなたはソロアーティストとして楽しくやっていますが、バンドであるよりも合っていると感じていますか?

JA:ええとね、僕は今年で67歳になるんだ。だから、僕には全然違う世界なんだよ。ソロショーをやると2時間はステージにいることになるから、前よりも大変なんだ。イエスよりも沢山歌ったり、しゃべったりしないといけないんだ。だから、バンドをやる余裕はないし、バンドとマネージメントの問題もあるからね。そういうわけさ。僕は自分の国によく仕えていると思うよ(笑)

まさにそうですね!(笑)

JA:音楽に興味がない人たちとつきあわなければならない、でも、彼らはバンドをやることを強制してくる。だから、だから僕は病気になったんだと思ってる。病気になって、拍手に疲れたんだ。わかるかい? 音楽は簡単なんだけれど、ビジネスは大変と言うことなんだ。

過去はすべて捨てたと言うことなんですか?

JA:ええと、僕と妻のジェーン、2本のギターにウクレレ、そしてステージで弾くピアノだけ。ある意味、休暇中のようなものなんだ。旅行は少しきつかったりするけど、それも僕と妻だけだし、僕たちは愛し合ってる。他に何が必要なんだい? 僕は今でもイエスのファンが好きなものを出し続けていると信じているし、彼らだけを狙って作っているのでもないんだ。僕は沢山のオーディエンスに届けたいと思っている。僕も昨日知ったんだけれど、アルバムのある曲がポーランドでなんとナンバーワンになったんだよ。

ええ!?どの曲ですか

JA:"Unbroken Spirit"という曲だよ。

すごいですね!

JA:曲はポーランドの作曲家が書いたんだよ。僕がメロディと詞を書いて……書いたのは2年前で、ちょうど僕が病気だった2008年だよ。正しくは、2年半前だね。とにかく、それを書いたのは僕が本当に病気だったときだ。みんな本当に信じられないくらいいい音楽を送ってくれたんだ。いやきっと、音楽の神が僕に癒しを送ってくれたんだ。あと、僕の歌が入った「Prayer Cycle 2: Path To Zero」というジョナサン・エライアスのアルバムがもうすぐ出るんだ。スティングも歌ってて、他にも2人ほど有名なシンガーが参加してるんだけれど、僕はラハト・アリ・ハーンと一緒に歌ってるよ。彼はパキスタンの美しい声のシンガーなんだ。この曲は、僕が最初の手術を受けた後に送られてきたんだ……ちょうど新しい癒しの力のようなものだった。アルバムは今週出るよ。


「フライ・フロム・ヒア」はイエスじゃない

あなたが言ったように2008年は具合が良くなったそうですが、そのためあなたはイエスとツアーができませんでしたね。彼らと仕事が続けられなくて残念ではなかったんですか?

JA:それはドラッグだったんだよ。僕はバカじゃない!(笑) それはドラッグだ。いったい彼らは何をやってるんだい? もしそれが友情からしたことだとしたら、忘れるよ。人は病気になったときに、自分の友達が誰か分かるものだよ。彼らは面倒でも僕に連絡してこなかったんだ。アランは僕に1回電話をくれたよ。でも、リックはずっと連絡してきてくれたんだ。だから僕らは今でも友達なんだ。今年の後半、僕たちはデュエットでツアーをやるんだ。

いいですね。あなたは、あなたが歌っていない2つのイエスのアルバム、「ドラマ」と「フライ・フロム・ヒア」についてどう思いますか?

JA:僕がイエスのアルバムと呼んでいるものじゃないよ。つまり、僕はイエスのアルバムとは考えてない。とても才能のある奴らがやりたいことををやって、たまたまイエスという名前を使えたというだけのことだよ。でもそれも人生さ。みんな、「オーケー、やらせておこう」というだけさ。

もちろん、みんなあなたがいた頃のイエスが一番で、本当にプログレッシヴ・ロックと呼べる数少ないバンドの一つだったと知っていますよ。当時、このジャンルができあがっていくことに自覚はありましたか?

JA:僕はフランク・ザッパがプログレッシヴ・ロックを始めたんだと思ってる。他にも、ヴァニラ・ファッジ、バッファロー・スプリングフィールドなど、いろんなバンドがあった。ビートルズも、プログレッシヴミュージックをやっていたんだ。信じられないくらい商業的に成り立ってたんだ。「リボルバー」や、もちろん「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」を聴いてごらんよ。とても美しくて、プログレッシヴだ。でも、70年代頭には誰がそんなことをやっていると分かっただろう? ピンク・フロイドはずいぶん先に行っていた。だから僕は、始めたのは僕らじゃなくって、他の多くのミュージシャンがやっていたことのあとを追っていっただけだと思うんだ。それは、クリフ・リチャードよりもインスパイアされるものだったからね!

こうして僕たちは成長していったんだ。クリフやアルマ・コーガンといった人たちのことはたぶんあまり知らないだろうね。彼らはみんなポップだった。皆がポップと呼んでいるもので、着飾ってヘアクリームを塗って、テレビに出るようなポップスターだったんだ。ところが、ビートルズが登場したら、「あれ? 君たちはいつもの連中で、まだ有名だったの?」という感じになったんだ。だからみんな、60年代にビートルズやローリング・ストーンズになりたかったんだ。

70年代が来ると、僕はもう音楽をやるしかないと思った。だって、僕は26歳でイエスを始めたから、もうポップスターになるには歳を取りすぎているからね。僕がポップスターに見えたとは思わない。だから、僕がしたかったことは、みんなとは違う音楽をすることだったんだ。僕はあらゆる種類のクラシックを聴いていた。もちろんストラヴィンスキーとかね。『ロード・オブ・ザ・リング』を読んでいたし、ジャズやフランク・ザッパやウェザー・リポートといった音楽を聴いていた。こういった体験が、新しい音楽へのエネルギーへとつながっていったんだ。だから、みんなが「君はプログ・ロックだね」と言うと、僕はふざけるなって思うんだ。わかるかい? 本当にそう思ってるんだ。プログレッシヴな音楽は常に存在するし、今も聴くことができる。君はNeroとDubstep Symphonyを聴いたことある?

いいえ、知らないです。

JA:そうだろうね。BBC Radio1 Xtraでチェックしてみると良いよ。ちょうど先週サルフォードでやったばかりだし、インターネットで見ることもできる。これがまったく驚かされるんだ。とても冒険的なことをやっている。素晴らしいミュージシャンが冒険的なことをやっていても、レコード会社はいつも興味を持とうとしないんだ。でも、インターネットのおかげで、ミュージシャンは自分で発表ができるようになって、音楽で金を稼ぐこともできるようになった。神の祝福だよ。


僕らはみんな、ビートルズになりたかった

あなたはもともとアクリントン(Accrington)の……

JA:アクリントン・スタンリー[訳注:地元のフットボールクラブの名前]だね!僕らはファースト・ディビジョンまで行きそうだったんだ。

よく知っていますよ。ファイナル・スポットで落ちてしまったんですよね。

JA:いつも流血騒ぎがあったもんさ(笑)。9歳の時には僕はマスコットだったものさ。ショーツに赤いシャツを着てボールを蹴って、レフリーからハーフ・クラウン[原注:1970年に廃止されたイギリスのコイン]を得ていたんだ。僕はサッカー少年だったんだ。なにしろ、競技場が家から200ヤードも離れてなかったからね。本当にサッカー少年で、よく靴を磨いていたよ。

当時、何人か良いプレイヤーが周りにいたに違いないですね。

JA:そうさ、でもリーグを抜けると、僕らは文無しだったんだ! 僕の人生話だね!(笑)

アクリントンで育ったときの音楽の想い出は? 私は、町の最初の12弦ギターはあなたが持っていると聞きました。

JA:いいや? だれがそんなこと言ってたんだい?

実を言いますと、私とあなたはアクリントンでつながりがあるんですよ。同じ学校に行ってて、ブルコ旋盤工場で曾祖父のレスと働いていたんです。

JA:(笑)その名前を覚えてる! なんてこったい! こりゃすごい。そうだよ、僕はセント・クリストファーズ・スクールに行ってたんだ。旅行の神様よ(笑)それは僕だよ!

僕は20歳までギターを弾けなかったんだ。僕は弾けるようになるまでやらなきゃと思っていたんだ。弾いても血だらけになるから、24歳か25歳になるまで再びギターを手にしようとは思わなかった。そして、ロンドンに行って、ギターを手にいれて、また練習を始めたんだ。曲も書き始めたんだけれど、どれもひどいものだった。でも、突然、僕は"Time And A Word"や"Starship Trooper"や"Long Distance Run Around"を書いた。僕はうまくスタートできたよ。

あなたの姉弟のトニーとThe Warriorsに所属していた頃のことですか?

JA:いや、1969のころで、クリスとイエスをスタートした時のことだよ。63年にThe Worriorsにいて、僕らはCabernで演奏した。僕らはみんな有名になる前のビートルズを見に行ったよ。あれは素晴らしい時間だった。彼らは本当に素晴らしくて、僕らはみんなビートルズになりたかった。リバプールのアクセントで話したりしてたんだ! 母から頭をはたかれたよ。ランカシャーのアクセントで話すのを止めたんだ。スコース(Scouse)に戻るとビートルズになりたくて、ランカシャーに戻るとつまみ出されるんだ(笑)

(笑)あなたがThe Worriorsにいたころ、あなたは初期のビートルズに似た格好をしていました。

JA:そうだね。みんなビートルズになりたかったからね。僕は髪を黒く染めて、すごい格好だったよ! でもそれも人生さ。何かを試して、進み続けるんだよ。いま、僕は新しい音楽を作り続けている。今朝もいくつか曲を書いてる。自分のしていることに興奮しているよ。自分のしたことに感謝しているし、祝福を受けている。僕は健康だし、妻のジェーンを愛している。

あなたとお話しできて嬉しかったです。

JA:どうも、ありがとう。

時間を取っていただきありがとうございます。

JA:こちらこそ。


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クリムゾンのニューアルバム?「The Reconstrukction of Light」

クリムゾンが現行ラインナップでスタジオアルバムを作る予定はないと発言していることは有名だが、クリムゾンの最新スタジオアルバムと言えるかもしれない作品が登場した。それが6月発売されたばかりの「The Reconstrucktion of Light」だ。これは「The Constr...