2016年9月27日火曜日

ルディ・ヴァン・ゲルダーの録音技術

Sometimes I sit here and think of all the great artists who came through and all the music that was made here. The musicians are still alive in my mind, just like the last time I saw them here. 
Rudy Van Gelder(1924-2016)

最近、知り合いの立ち飲みバーで隣り合った席の50歳ぐらいのサラリーマン(オーヲタらしい)と、音楽の話をしていたら「僕はね、オーディオの音チェックにサキコロを使うんですよ」と言われた。

どうしてサキコロことソニー・ロリンズのサキソフォン・コロッサスを使うのかは、酔っ払ってて思い出せないが(そもそもヴァン・ゲルダーの極端な音作りってチェックに向いてるだろうか?)、ヴァン・ゲルダーのレコーディングの話になり、違和感を覚えることをいくつか言われた。

  • 当時はレコーダーが4トラックしかないからマイクも4本だけ
  • ドラムの音を他の楽器に向けたマイクが拾ってしまうから音が篭る

などなど。

ヴァン・ゲルダーの録音機材やマイキングなどについて情報を見たことがなかったので、これを機に調べてみた。するとわかったのだが、ヴァン・ゲルダーは秘密主義で自分の録音方法やマイキングについて話さなかったという。なるほど、ヴァン・ゲルダーの録音手法という、誰もが知りたがることの情報がこんなに少ないのはそれが原因か。

ともあれ、一般的なレコーディングの常識なども調べつつ、収集した情報をまとめてみることにしよう(ちなみにヴァン・ゲルダーとはブルーノートを始めとする数々のジャズの有名レーベルの録音を担当し、ジャズの音を方向付けたレコーディングエンジニアである)。なお、多くの情報をJazzWax - Interview with Rudy Van Gelder(2012)によっている。

ヴァン・ゲルダー(左)とプロデューサーのアルフレッド・ライオン

スタジオ

ヴァン・ゲルダーの最初の”スタジオ”は、46年にニュージャージー州のHackensackに両親が建てた家の居間とその横に備えられたミキシングルームだった。ミキシングルームはルディが両親にお願いして備え付けられたものだそうで、元々はアマチュアの録音マニアだった彼の熱意が両親に伝わったのだろう。
Hackensackで録音中のマックス・ローチ
背後にブラインドが見える

ルディは当時は検眼技師として昼は働いており、録音は余暇にローカルミュージシャン相手に行われていた。彼が本格的にプロフェッショナルレコーディングの世界に足を踏み入れたのは、アルフレッド・ライオンと出会い、ブルーノートのレコーディングを行うようになってからのことである。

両親が住んでいる家に見知らぬミュージシャンたちがやってきて、何時間も演奏している、そんな奇妙な風景を特に文句を言うこともなく、両親や近所は受け入れていたようだ(双方から1回だけ苦情が来たことがあるらしい)。ヴァン・ゲルダーは神経質で知られ、スタジオは完全禁煙、機材は手袋をして扱っていたというから、ミュージシャンもその独特な雰囲気にのまれて大人しくしていたのかもしれない。

59年にEnglewood Cliffsに新スタジオを建設、高い天井を持った広い部屋を手に入れることができた。以降はこちらにてより一層の録音技術の追求が行われることになる。時代はレコード文化の隆盛期。録音装置に次々と変革が行われ、ヴァン・ゲルダーも様々な機器を試したことだろう。

マイク

ノイマンU-47とフランク・シナトラ
ヴァン・ゲルダーとは関係ない写真
ヴァン・ゲルダーはマイクフェチだったらしい。インタビューによると、アーティストの写真見てもマイクばかり見てしまうのだという。そんなヴァン・ゲルダーが使っていたマイクが、ノイマンのコンデンサーマイクU-47の改造品。

Miles Davis, Rudy Van Gelder, and a living room recording studio (Part 1 of 2)

このマイクは47年に発売され、ヴァン・ゲルダーはアメリカでいち早く手に入れた人間の一人だったようだ。彼によると当時はほとんど皆RCAかウェスタン・エレクトロニックのマイクを使っていたらしい。このノイマンのU-47は今となっては大変ポピュラーなマイクで、ビートルズの録音でも使われているが、当時はまだ新しいものだった。

重要な点は改造の理由で、微妙なニュアンスを捉えるために楽器の近くにマイクを置いたところ、音が割れやすいので悩んでいたら、Rein Narmaなる友人が近くに設置できるように改造してくれたらしい。この話には信憑性がある。ヴァン・ゲルダーのサウンドは迫力のある低音が特徴の一つだが、マイクを楽器の近くに設置すると近接効果で低音が強調される。時に批判されるピアノの音もオンマイク(マイクを近づけてセッティングすること)の賜物だ。

レコーディングにおいては用途に合わせて異なるマイクを使い分けるのが常識であるが、ヴァン・ゲルダーもそうしていた可能性が高い。だが、その他に具体的に何のマイクを使っているかわかる情報は見つからなかった。

ルー・ドナルドソンのセッションより。これもサスペンションホルダーから察するにノイマン?
やたらでかい玉状のものはポップガードか?知識がなくてわかりません…

テープレコーダー

ヴァン・ゲルダーはデジタル録音の前の人だから、彼の録音はテープ録音に決まっている、そう思われるかもしれないが、実はヴァン・ゲルダーが録音にハマりだした40年代半ばはまだテープは初期導入の時期だった。

磁気テープに録音するという技術自体は19世紀末には開発されていたが、実用レベルに達するまでには、エジソン蓄音機のような直接ディスクに溝を刻む録音装置が一般的だった。第2次対戦中にナチスドイツでテープ録音が主流となり、フルトヴェングラーの録音がテープ録音されて残っていたりするが、その技術がドイツ外にも普及するのは戦後のこと。それまでアメリカではウェスタン・エレクトリックのディスク装置で録音していたのだ。

ヴァン・ゲルダーは最初にテープ装置に目をつけた商業エンジニアの一人だった。彼が手に入れた最初の機材は何か。彼のインタビューによるとAmpexのモデル300だったという。まだ不完全なところもあり、新しいヘッドができるとタダで送ってもらえたりしたらしい。しかし当時はマニュアルもサポートも貧弱で、試行錯誤して使い方を学んだという。

ヴァン・ゲルダーとAmpex Model 300
使用したテープは3M社のスコッチというブランド。昭和の人ならご存知の粘着テープのスコッチと同じ会社のブランドである。スコッチとは当時、安物という意味があったが、これはディスク装置よりもテープの方がはるかに安価に録音できるということをアピールする意図があったのだろう。カメラ用フィルムで有名なアグファのテープも質が良かったが、スコッチの方を気に入り、アナログレコーディング末期まで使い続けたという。

また、テープの使用によって切り貼り編集も可能になった。ヴァン・ゲルダーは、アルフレッド・ライオンとミュージシャンが、編集が終わるまで固唾を飲んで見守っているので、カミソリでオリジナルのテープを切り張りするのは緊張した、と語っている(ダビングはテープ代が嵩むので気軽にできなかった、と語っているが、別のインタビューではそもそもヴァン・ゲルダーはテープダビングによる音質劣化を激しく嫌っていたそうだ)。

この話から、編集はかなり初期から行われていたことを伺わせるが、普段ブルーノートの録音を聴いていても全く気づかないので、編集はかなり限定的、あるいはよほど周到に行われたのであろう。

ミキシングコンソール

ルディが録音を始めた当時、ミキサーは自分でチャネルなどのパーツを入手して組み立てるものだった。アマチュアのルディはラジオ局向けに卸している業者のところに行って、組み上がったミキサーを買ったのが彼の最初のミキサーだという。このミキサーで録音した作品はRVGリマスターシリーズにも含まれているそうなので、それなりに長く使ったのだろう(当時の値段を考えると相当な金額になるだろう)。

その後、友人のRein Narma(当時、Gotham Audioで働いていたエンジニア)がコンソールを作ってくれたという。ちなみに彼は3台コンソールを作り、1台はヴァン・ゲルダーの元へ、もう1台はGotham Audioへ、そしてもう1台はレス・ポールのところへ行ったという。Rein NarmaはのちにAmpexへ、そしてFairchaildへ移籍する。

果たしてこのミキシングコンソール、当時は一体何チャネルあったのだろう? 興味深い写真を見つけた。
まだ皆がネクタイをつけていた時代のヴァン・ゲルダーと彼のコンソール。さて、何チャネルあるだろう?

マルチトラック録音?

結論から言うと、初期のヴァン・ゲルダー録音はマルチトラック録音ではない。

マルチトラック録音自体は20年代から発明としてはあったらしい。しかし、ヴァン・ゲルダーが最初に購入したテープレコーダーのAmpex Model 300は1トラックである。

マルチトラックの可能性はブルーノートのリリースからも否定できる。ブルーノートは58年までステレオでのリリースを行わず、キャノンボール・アダレイのSomethin' Elseが初のステレオリリースとなったのだが、モノラル時代のアルバムも70年代に疑似ステレオ効果を与えられて”ステレオ”としてリリースされた。いわゆる「偽ステ」である。もし、マルチトラック録音ができているなら、トラックごとにパン(音を左右のスピーカーに振ること)を施してステレオとしてリリースできるはずであるが、それはのちのヴァン・ゲルダー自身によるリマスターCDシリーズ、RVGリマスターでも行われていない。

では、冒頭の「4トラックだからマイクは4つ」という話は「モノラルだからマイクは1本」ということになるかというなら、さにあらず。というより、もともと、マルチトラックの数だけしかマイクが使えないというのが間違いなのである。ミキサーでマイク入力をまとめてレコーダーで1トラックで録音したのである(それが本来のミキサーの用途である)。

なお、60年代には4トラックや8トラックのレコーダーが出てくるわけだが、ヴァン・ゲルダーがそれをいつ導入したかどうかはどうも定かな情報は見つからない。ただ、CTIのクリード・テイラーの勧めで70年代にスタジオに録音ブースを増設したらしいので、この時点で4ないしは8トラックは導入しているのではないだろうか。

50/50システム

ステレオ録音初期にはモノラルも同時に録音していたらしいが、この方法ではテープ費用が2倍かかることに気がついた。そこで編み出した方法が、50/50システムというもの。

これは、セッションはステレオで録音しておいて、切り貼りで編集後、モノラルをマスタリングするときは両チャネルを50/50でミックスするという、種を明かせばなんということもない技である。ステレオのテープからモノラル用のテープマスターを作るのではなく、同じステレオのマスターテープからファイナルマスターをウェスタン・エレクトリックのLatheという装置でカッティングするのが肝。

なお、Hackensackではモニターやプレイバックはステレオで録音されてもすべてモノラルで行われていた。これは、ヴァン・ゲルダーによると当時は誰もステレオを聞いたことがなかったからだという。

マスタリングとVAN GELDERスタンプ

テープで録音しても、実は最終的なマスターはディスク装置で製作され、それを元にスタンパーが作られレコードが生産される。いわゆるマスタリングというプロセスである。ヴァン・ゲルダーはマスタリングまでを担当したLPには下のようなスタンプを溝とラベルの間のスペース(英語でDeadWaxというらしい)に入れる。スタンプの代わりに手書きのサインや、謎の耳マークと呼ばれるものが書き込まれているものまである。
音の品質保証のようなもの? VAN GELDERスタンプ
これらスタンプとラベル、ジャケットの住所表記などを見て、そのレコードがファーストプレス(いわゆるオリジナル)かどうかを見分られるとされる。長らくその知識はマニアが占有し、レコ屋のオヤジと客の騙しあいが繰り広げられてきたが、5年ほど前にアメリカ人の研究家があっさりとブルーノートの全オリジナル盤を研究した本を出版してしまい、戦いに一応の休止符が打たれた。この本にもヴァン・ゲルダーの録音について書かれているそうだ。人間長生きすると良いこともあるものである。


参考リンク




2016年9月24日土曜日

Betty Davis - Columbia Years 1968-1969



ベティ・デイヴィス(旧姓・ベティ・メイブリー)はマイルスの2人目の妻であり、シンガー。彼女はマイルスとの離婚後にデビューして、ソウル・ファンクシンガーとして活動するわけだが、マイルスのプロデュースで製作した音源が存在すると長らく噂になっていた。その噂が本当だった、という音源がとうとう発表された。それもCDだけでなくアナログLPまでも(まぁ流行りだからね)。

「彼女は最初の”マドンナ”だった」とはサンタナの弁。もちろん、彼が言いたいのはあのマドンナを先駆けたセックスシンボルたる女性アーティストがベティ・デイヴィスだった、ということだ。ベティ・デイヴィスは単にマイルスの妻であっただけでなく、彼の音楽性やファッションにも強い影響を与えた。「マイルスは女が変わると音楽性が変わる」(By.菊地成孔)との言葉通り、マイルスがサイケデリックロックに接近したのはベティの影響である。ファッションの手ほどきも、ジミ・ヘンドリックスの音楽をマイルスに教えたのもベティだった(そしてベティはジミと不倫していた)。

そんなにすごい人なの?と思う方、次のジャケットを見てもらいたい。何だか凄くないですか?どうなっちゃってるの?その格好は何なの?



その彼女がマイルスとテオ・マセロのプロデュースによって音源を製作、しかもBitches Brew録音直前の製作、ショーター、ハンコック、ラリー・ヤング、ジョン・マクラフリンも参加の上、リズムセクションはジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスのミッチ・ミッチェル(d)、ハーヴィー・ブルックス(b)、バンド・オブ・ジプシーズのビル・コックス(b)、トラック7-9の3曲にはヒュー・マサケラとジャズクルセイダーズのメンバーが参加ときたら期待しないわけにはいかない。
  1.  Hangin' Out
  2.  Politician Man
  3.  Down Home Girl
  4.  Born On The Bayou
  5.  I'm Ready, Willing & Able -Take 1
  6.  I'm Ready, Willing & Able -Take 9
  7.  It's My Life -Alternate Take
  8.  Live, Love, Learn
  9.  My Soul Is Tired
5、8曲目は既発の音源だが、それ以外は未発表。4はクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルのカバー。クリームのカバーもあるらしいのだが、私がクリームに興味ないのでどの曲か分からない(笑・ベティはクラプトンのプロデュースの申し出を断っている)。

のちのアルバムでは素人臭も目立ったベティのボーカルだが、ここではかなり立派な歌いぶりを披露している。何よりファンキーでありながらロックフィーリングも感じるモータウン風のリズムが素晴らしい(マクラフリンが意外にファンキー!こんなこともできたのか)。曲数が足らないとはいえ、なぜこれがお蔵入りになったのか不思議な話である。

しかしそれにしても、コロンビアのスタジオで録音した音源のマスターをなぜベティ・デイヴィスが持っていたのか、今までなぜ発表されなかったのか、謎である。なお、ベティの半生を描いたドキュメンタリーが準備中とのことで、2017年公開予定でクラウドファンディングを行っているそう。


2016年9月2日金曜日

Miles Davis Quintet: Freedom Jazz Dance: The Bootleg Series, Vol. 5



しばらく当ブログを書いていなかったが、気になる新譜が出たため、更新を再開する気になった。マイルスのBootleg SeriesのVol.5である。これまでこのシリーズはライブ録音ばかりをリリースしてきたが、今回はスタジオのアウトテイク集である。

個人的には、70年代のライブをもっと出して欲しいという気持ちがあるが、今回のアウトテイクはかなり興味深い。というのも、60年代黄金クインテットのものだからである。この時期の録音に関しては、数々の「伝説」に彩られてきた。曰く、スタジオに入ってリハだと思ってたら録音だったということがあったらしい、とか。しかし実際にこうしてリハーサルテイクが出てきた以上は、それなりの下準備があったようだ。以下が、トラックリストである。

Disc: 1
  1. Freedom Jazz Dance (Session Reel)
  2. Freedom Jazz Dance (Master Take)
  3. Circle (Session Reel)
  4. Circle (Take 5)
  5. Circle (Take 6)
  6. Dolores (Session Reel)
  7. Dolores (Master Take)

Disc: 2
  1. Orbits (Session Reel)
  2. Orbits (Master Take)
  3. Footprints (Session Reel)
  4. Footprints (Master Take)
  5. Gingerbread Boy (Session Reel)
  6. Gingerbread Boy (Master Take)
  7. Nefertiti (Session Reel)
  8. Nefertiti (Master Take)

Disc: 3
  1. Fall (Session Reel)
  2. Fall (Master Take)
  3. Water Babies (Session Reel)
  4. Water Babies (Master Take)
  5. Masqualero (Alt. Take 3)
  6. Country Son (Trio Rehearsal)
  7. Blues in F (My Ding)
  8. Play Us Your Eight (Miles Speaks)

こうしてみてみると、セッショントラックとマスターテイクを順番に並べる構成になっている。故・中山康樹が常々言ってたように、ジャズのCDでマスターテイクの後にアウトテイクを並べる構成はアルバム構成が乱れるからやめてほしいという意見があるが、その点では本作もややアルバムとして聴くには冗長な感じはする。故にマニア向けの一品ということだろう。

なお、"Country Son"はマイルスとショーターを除くリズムセクションのみのリハーサル、"Blues in F"はマイルスの自宅でピアノを弾きながらショーターに新曲のアイディアを説明しているところらしい(どうしてそんな録音が残っているのか?)。

9月2日時点でアマゾンはまだ輸入盤の注文受付をしていない様子である(日本版は受付中で10月26日発売予定となっている)。アメリカでは10月21日の発売のようだ。


クリムゾンのニューアルバム?「The Reconstrukction of Light」

クリムゾンが現行ラインナップでスタジオアルバムを作る予定はないと発言していることは有名だが、クリムゾンの最新スタジオアルバムと言えるかもしれない作品が登場した。それが6月発売されたばかりの「The Reconstrucktion of Light」だ。これは「The Constr...