2011年10月14日金曜日

【リリース情報】DVD Box - Definitive Miles Davis at Montreux Dvd Collection (ザ・コンプリート・マイルス・デイヴィス・アット・モントルー 1973-1991) & CD Box - 1986-1991: the Warner Years



マイルスのモントルージャズフェスティバル出演時(1973-1991)の映像が、まとめて10枚組DVDボックスセットとしてリリースされるようだ。音源自体は2002年に、20枚組のCDボックスセット「Complete at Montreux 1973-1991」として発売されていた。どうせ聴くならば、映像付きのほうが良いに決まっているので、CDボックスとDVDボックスの収録曲が同一なら、こちらのほうが内容的にも、コストパフォーマンス的にも良いだろう(一応、日本版はコンプリートと謳ってある)。

なおアマゾンの情報では、輸入盤はリージョン1とのことだが、Blu-rayが徐々に普及しかかっている現在、DVDはリージョンフリーで売られていることも多いので、実際にはフリーの可能性もある。ただ、国内盤との価格差は、アマゾンの先行予約ならばさほど大きくなく(記事執筆時2000円程度の差)、国内盤で買うのが吉かもしれない。アマゾンでは輸入盤が10月24日の発売、国内盤が11月2日の発売となっている。

詳しい情報は、後に追加する予定だ。



また、このDVDに合わせてか、ワーナー時代のマイルスのCDボックスセット「1986-1991: the Warner Years」も発売されるようだ。こちらの収録アルバムは、「TUTU」「Amandra」「Doo-Bop」「Dingo」「Siesta」にクインシー・ジョーンズらとの再会ライブで構成されるとのこと。3500円程度なのでかなり格安だろう。こちらの日本盤発売は今のところ情報がないようだ。こちらはアマゾンでは10月25日の発売と書かれている。



2011年10月8日土曜日

【映画】パリ20区、僕たちのクラス[現代:entre les murs]

ミニシアター系で少しばかり話題になっていた、『パリ20区、僕たちのクラス』をDVDで見た。日本人からすればフランス=白人社会というステレオタイプで見がちだが、パリ20区というのはそんなイメージと真逆の、移民を中心とした多民族地域である。というより、すでにパリはニューヨーク並みに多種多様な人種が集う町となっている。この映画は、そんな20区のある中学校の国語(フランス語)のクラスの1年の話である。

国語、と言う時点で、我々日本人はめんどくさい読解やら文法やら、と言った内容を想像するが、授業の内容は我々の想像を遙かに下回るレベル。なんと、14歳にもなって初歩の単語(思う:croire)の活用さえ出来ない奴らばかり! 発音も文法も怪しい奴らが大勢。日本で言うなら小学校1~2年レベルとしか思えない有様だ。しかも、どいつもこいつも授業中に内職したり、関係ない質問をしたりとやりたい放題。学級崩壊なんて言葉がだいぶ前から日本でも言われていたけれど、ちょっとこれはレベルが違いすぎる。完全にカオスだ。

主人公はこの映画の原作者であり、実際に1年間の中学教師を務めた人物。こんなことが本当に起きていたのだという。ある教師はあまりの現状の酷さに教員室でヒステリーを巻き散らかす。しかし、皆がその理由を分かっているから、何も言えない。それぞれがいろいろなことを考えて、様々な手を打とうとしているが、誰一人として上手くやれて居る教師はいない。

世に言う「子供が酷いのは親のせい」というのも教師達にも気づいているのだろう、生徒の親たちを呼び出し生徒の現状を告げる。ところが、ある親はフランス語が全く分からず、通信簿に書いている内容を何一つ理解していない。ただ、この子はよい子です、を繰り返すばかりで、息子の問題行動に目を向けようとせず、学校との解決に向けた対話もままならない。またある親は、不法滞在で捕まり、強制送還が見込まれている。

それでもやらなくてはならないんだと、怒りを抑えながら授業を繰り返していても、向こうは子供とは言え、もう1人前の自我も芽生え始める年頃。教師の言葉尻を捕まえては、文句を言ったり、へりくつをこねたり、素直に言うことを聞こうとしない。どうしてそこまで協調性がないのか? いろいろな原因もあるのだろうが、見ていた自分に思ったことは、どうしようもなく精神年齢が低いと言うことだ。自分はやりたいようにやる、ただそれだけという行動規範を占めるのが子供達がほとんどだったように見受けられる。ある意味、規範でがんじがらめにする日本からすると自由にも見受けられるが、正直、日本ならば幼稚園児レベルだろう。

結局、教師は、年頃のセンシティブな子供の気持ちを捉えきれなくて、一部の生徒に「自分は目の敵にされている」という意識を持たれてしまう。そんなわだかまりを解こうと悪戦苦闘するが、結局、教師は怒りを抑えきれなくて、生徒を侮辱的に扱う言葉を使ってしまう。それを鬼の首を取ったように言い振り回る生徒達。子供は禽獣と言うがまさに、である。最後には、気に掛けつつもわだかまりを解くことが出来ず、ある生徒を退学に追いやってしまう。

そして1年。1年を通して彼らが何を身につけたか、それは驚くほど低レベルな物でしかなかった。ある生徒は学期末に、それまで従順に見えたけれど、実は言葉も分からなかったので、ほとんど何も学んでなかったと言い出す。バカンスにはしゃいで教室を飛び出す子供達。教室には、散乱する椅子。誰も直そうとしないその様子が、フランスの教育現場の崩壊を物語っていた。

ロンドン暴動で、移民2世の就労環境の酷さが、暴動を密かに準備していたことが語られているが、同じ事はフランスでも数年前に起こっていた。フランスは当時パリ市長だったサルコジによる強権的な制圧で暴動は拡大しなかったが、已然としてパリ郊外の治安悪化は問題となっていて、それが極右の台頭の原動力となっている。そうした就労環境に悪さの原因の一つとして、教育が問題となっているが、その現場がこれなのだから、一体どこから何を手を付けて良いのだろうか? と考えさせる映画だった。

なお、この映画はドキュメンタリーの体裁を取っているように見えるが、全て演技である。生徒達の演技が余りに自然なので、完全にドキュメンタリーと思い込んでいた。その点は評価に値するが、ここに生徒と教師の心のふれあい、というようなありきたりな感動のドラマはなく(タイトルやジャケットはそれらしく見えるように作ってあるが)、ただすれ違いと問題だけが後に残った。近年の日本人の堕落ぶりを見ると、日本の学校でもおそらくは同じような現状が有るのではないだろうか。





2011年9月21日水曜日

【TV放映】葉山ジャズフェスティバル

昨日(2011/09/20)、J-COM湘南にて、たまたま葉山ジャズフェスティバルを放映していたので、これを見てみた。

葉山ジャズフェスティバルなるものの存在自体を知らなかったので、マイナーな人たちが出ているのかと思いきや、ハクエイ・キム、大西順子、アマンダ・ブレッカー、山中千尋、小曽根真&No name horses*1と国内でもメジャーで出ている人たちや、外タレが出ているので驚いた。客は分かって見に来ているのだろうか?

演奏自体は、小曽根真以外は皆1曲ずつの放映。フェスティバルはトリビュート・トゥ・ビル・エヴァンスとなってるのに、小曽根真が最後に「Waltz for Debby」をソロで弾いた以外はビル・エヴァンスと関係ない曲しか放映されていなかった(笑)。ハクエイ・キムは「Billy Jean」、大西順子は「Dr.Jackle」、アマンダ・ブレッカーは「It's too late」(もちろんキャロル・キング)、山中千尋は「八木節」だったので、視聴者に聴きやすい曲を選んだような気がする。いずれも素晴らしいプレイヤー達なのだが、ピアノを弾く人間から見て、どうしてもそれぞれの弾き方のタッチに注意が行く。

たとえば、山中千尋は桐朋音大~バークリー卒でクラシックのトレーニングを受けてきた人なのだが、いかんせん大変小柄な方なので、弾き方に相当な無理があるように見えた。手が小さいため、どうしても幅広いパッセージや和音では、手が平べったく伸びてしまい、力んでしまっているように見える。むろんピアニストは手だけで音を出すわけでなく、肘や肩、さらには背中まで使って音を出しているので(山中さんの背中は非常に筋肉が付いていた)、小柄でも正しい訓練を受ければしっかりした音を出すことは可能である。実際、山中さんの売りの一つは、小柄なのにダイナミックな演奏をすることにある。しかし、音の一つ一つがなめらかなビロードのようなパッセージを弾くには、やはり手が小さすぎるのだろう。しかも、小指を丸めてしまうと言う、クラシックであれば先生に絶対矯正される変なクセもあった。これもまた、手の小ささに起因するように思う。まぁ、だからこそ、ダイナミックなスタイルを選んだとも言える。逆に小曽根真は、手が彼女に比べて大きいので、あのようなオスカー・ピーターソン系の演奏に非常に向いているわけである(ただし、私はオスカー・ピーターソンも小曽根真も苦手であるが)。

ただ、上で書いたのは、あくまで自分の理想とするプレイスタイルが、脱力にあることから見た感想である。モンクなどは叩きつけるようなたどたどしいプレイをするし、どのようなスタイルもジャズでは許容されうる。この脱力と言うのは、弾いている指以外は力を込めていない、弾いている指も不要な力を込めない、と言うことを指す。完全な脱力を身につけることで、音が美しくなる。音量ではなく、音自体が美しくなるのだ。というと、何となくオカルトじみて聞こえるが、パッセージにしてみると明らかな違いが素人でも分かると思う。今のところ、完全な脱力をもって演奏するジャズピアニストは、南博さん以外に見たことがない(クラシックでは多数存在する)。脱力に関しては、クラシックでは多数本も出ているし、メソッドもいくつかあるので、いずれきちんと書いてみたい。

*1 1stトランペットはエリック宮代だったと思う。

2011年9月13日火曜日

【映画】 ゲンスブールと女たち [原題:Gainsbourg Vie Héroïque]

春先に公開しているのは知っていたが、いろいろ余裕が無くて見られないでいた映画『ゲンスブールと女たち(原題:Gainsbourg Vie Héroïque)』をセンター北まで行って見てきた。



上の予告編では普通の伝記映画のように見えるが、監督がバンド・デシネ(日本でいうマンガ)の作家出身と言うこともあり、実際にはゲンスブールをデフォルメしたような奇妙な人形が登場してきて、合間合間でいろいろと茶々を入れてくる演出がある。最初は、何を余計な演出してるんだ、と思ったが、歳の割にませてながらもどこかはにかみ屋のリュシヤン(ゲンスブールの本名だ)と、挑発者であり女たらしであるセルジュの間に立ち、このマンガ的なキャラクターが表向きの彼の言動では表現しきれない複雑な内面を代弁しており、演出として成功しているように思った。おそらく、予告編はこうしたマンガ的な演出を見て観客が敬遠しないように、意図的に普通の伝記映画のようにしたのだろう(欧米でははマンガやアニメは子供のものという意識がまだ強いのだ)。

ストーリーは年代順に彼の足跡を追るもので、ボリス・ヴィアンとの出会いや、ブリジット・バルドーやジェーン・バーキンらとの恋愛遍歴、ナチスネタのナチロックのリリース(ゲンスブールはユダヤ人)、フランス国歌のレゲエ化にまつわる国粋主義者からの反発とその歌詞の手稿のオークションでの落札など、有名なエピソードはだいたい散りばめられている。おそらく、その多くは伝記か何かをベースにしたものであろう。しかし、それらのエピソードを知っている人でないと、展開が分かりにくい部分もある(たとえば、ブリジット・バルドーのために作曲したはずの「Je t'aime...moi, non plus」が、特に説明がないままジェーン・バーキンとリリースするに至っている、など)。その意味では、展開のテンポの良さを確保するために、細部の描写が端折られている感じはあった。

さて、ゲンスブールと言えば、その歌詞が強烈な個性であるわけだが、一点、その翻訳に疑問を抱いた部分が有った。件の「Je t'aime...moi, non plus」での"moi, non plus"という言い回しなのだが、これは否定疑問文に対する同意なので、本来は「愛してる」という呼びかけに対して「俺も愛してないぜ」と言っているように訳されるべきであるにも係わらず、「そうかもね」みたいな風に(実際になんと翻訳しているか忘れた)辻褄を合わせようとした訳になっていた。フランス語としても変な言い回しなのは事実なのだが、この唐突さが逆に詞に強烈なインパクトを与え、肉体的な愛を歌った詞の中にどこか精神的な齟齬を感じさせる、ゲンスブールの天才業だというのに、それが上手く訳出されていないことが残念だった。

歌詞と言えば、もう一つ。前述した、ゲンスブールの分身たる人形が、あれやこれやと語りを入れるのだが、これがものすごく良い具合にテンポ良く曲に合っている。それはジャズ的なオブリガードとも、ラップ的なライムの入れ方とも違う、シャンソン独自のリズムなのだ。南博氏はアメリカで、黒人の会話が自然にスイングしていることに驚いたと書いていたが、この映画では会話がシャンソンのリズムを作っているのである。日本ではシャンソンはほとんど一部のマニアに限られた人気しかないが、ここから発展させた新しい音楽もありうるのではないか、と思わせられた。

キャストであるが、ゲンスブールを始め、バルドーやバーキンなど、よく見てみればそんなににて無いのにもかかわらず、彼らの持つ特徴をよく捉えた俳優を使っており、実際のゲンスブールの映像(DVDでリリースされているが、マスターテープの保管状態が悪いのか画質はそれなり)よりもこの映画で見た方が、臨場感を持って見ることができた。それにしても、ゲンスブール役は声もよく似ていたが、これは地声なのだろうか? R15指定だけあり、おっぱい満載(大抵巨乳だ)な上に、ゲンスブール役のペニスまでチラ見できるお得(?)さ満点。この作品をモザイクをかけずに上映したことに拍手したい。

関東地方での上映は9月16日まで。10月にはDVDとBlu-rayも発売される。だが、音楽も重要な要素なので、劇場で見ることをオススメしたい。
http://www.gainsbourg-movie.jp/theaters.html









2011年9月11日日曜日

【リリース情報】 John Coltrane - Original Impulse Albums Vol.5




約1ヶ月前にVol.4の発売を書いたばかりだが、なんとすぐにVol.5も出るという。あわわ、Impulse!でのコルトレーン流ドフリーが満載……で、どのアルバムが収録されるのかという情報を早くも入手したので、ここに記そう。

内容であるが、まず5枚目がLive In Japanというのが気になる(4枚組のはずなので)ため、ひょっとしたら日本でのSHM-CDに合わせたリマスターが一挙に進められていて、それに合わせてVol.6も出てくる……なんて言うこともあるかもしれない。また、Disc 1のLive In Seattleであるが、元々は2枚組で出ていたはずなので、1枚のみと言うのは?(追記:2011/09/12 Live In Seattleはオリジナルリリース時には1枚組だった。2曲の追加トラックを聞きたい場合は、再発のSHM-CDを買いましょう)


Disc 1: Live in Seattle feat. Pharoah Sanders
  1. Cosmos 10:49
  2. Out of This World 24:20
  3. Evolution 36:10
  4. Tapestry In Sound 6:07

Disc 2: Sun Ship
  1. Sun Ship 6:12
  2. Dearly Beloved 6:27
  3. Amen 8:16
  4. Attaining 11:26
  5. Ascent 10:10

Disc 3: Transition
  1. Transition 15:29
  2. Dear Lord 5:34
  3. Suite: A. Prayer and Meditiation: Day B. Peace and After C. Prayer and 21:19

Disc 4: Infinity
  1. Peace On Earth 9:03
  2. Living Space 10:40
  3. Joy 8:01
  4. Leo 10:08

Disc 5: Coltrane In Japan
  1. Spoken Introduction (Japanese) 1:39
  2. Meditations / Leo 45:31
  3. Peace On Earth 18:06
Live in Seattle」「Live in Japan」に関しては、日本版のSHM-CDが完全版である(ただし、Live In Japanに関しては、CD化に際し収録時間の制限から、日本人解説者による紹介のイントロが省かれている、はず)。なお、残りのインパルスのコルトレーンのアルバムは次の通り。「First Meditations」「Living Space」「Stellar Regions」「Interstellar Space」「Jupiter Variation」「The Oratunji Concert」。2000年代になってからのリリースも数点あるので、Vol.6以降にも期待したい。



2011年8月28日日曜日

【映画】 黄色い星の子供たち [原題:Le Rafle]

もう1ヶ月ほど前に見た映画だが、改めてレビューを書こう。

題名だけ見ると、まるでSF映画のように感じられるが、舞台は第2次世界大戦中のナチスドイツ占領下のフランス。そこで起こったユダヤ人の大量検挙が主題である。

1940年、ヒトラーの電撃作戦の前にもろくも敗れ去ったフランスは、第1次世界大戦の英雄であるフィリップ・ペタンを首相に据えた傀儡政権をヴィシーに樹立させられ、4年にわたるドイツ占領を経験した。占領はたったの4年だったが、この間のドイツによる占領政策は、実質的な略奪行為と言っても過言ではなく、町という町からありとあらゆる物資が戦時徴収され、食料は言うに及ばず、ガソリンや鉄鋼などの資源、ひいては軍靴に使う皮革までもが不足し、庶民は木靴をはかなければならなかったという。このあたり、『ナチ占領下のパリ』という本に詳しい。

そして、占領政策の悲惨を極めたのが、ユダヤ人政策である。ユダヤ人はすべて胸に黄色いダビデの星を縫い付けた服を着用することを義務づけられ、少しでも星を隠そうものなら、容赦なく検挙された。ユダヤ人商店にもダビデの星が描かれ、フランス人達は隣人にこれほどまでユダヤ人がいたことに驚いたという。やがてユダヤ人への仕打ちは公民権の停止へと至り、「ユダヤ人問題の最終解決(=民族浄化)」が決定されると、フランスでもユダヤ人の検挙が始まった。その頂点が、映画で描かれる1942年7月16日の早朝に行われたヴェル・ディヴの大量検挙である。

ユダヤ人達は胸に黄色いダビデの星を付けさせられ、公共施設への
入場を制限された。しかし、それでも検挙まではまだ無邪気でいられた。
この際、検挙に当たったのはなんとフランス憲兵だった。ユダヤ人1万3000人は老若男女の区別無く、冬期競輪場(ヴェル・ディヴ)に押し込まれ、食物も水も与えられることなく、やがて強制収容所へと送られ、最後にはアウシュビッツやダッハウのガス室へと送られるのだった。

この映画は、その顛末を子供達の視点から描いている。戦時下の厳しい状況にあっても、家族や友人との幸せな毎日を送る子供達に、なぜ自分たちが差別されなくてはならないのか、家族はどうなるのかという辛苦が押し寄せる。幼い子供達から見る差別の理不尽と対置されるのは、フランスの政治家達の打算である。ドイツ側が当初、子供は強制収容の対象としないと言ってきたにもかかわらず、孤児の面倒を見ることは不可能という政治的判断のため、子供までもがガス室送りになった。しかも、政治家達は東欧難民のユダヤ人を減らす好機としてこの機会を利用し、さらにフランス警察の権益確保の交換条件まで交わしたのだ。

命令を破りヴェル・ディヴで放水を行い、水を供給する消防団たち。
この事実は、大量検挙事件と合わせて、フランスの最大のタブーとされ、1995年までその責任を認めず、世間一般からも覆い隠されたという。事実、私は別の占領下フランスを描いた映画『パリの灯は遠く』(主演:アラン・ドロン)のラストで、ユダヤ人達が競技場のようなところに押し込められた末に、列車に乗せられるシーンを見て、その場所は一体何なのか、説明が一切無く分からなかったが、この『黄色い星の子供たち』を見て、それがヴェル・ディヴのことだったとを知った。つまり、当時の人間は知っている歴史的事実であるにもかかわらず、それを積極的に語ることをフランス人達は避けていたのだ。事実、1995年のジャック・シラクによる声明で初めて事件を知り、ショックを受けたフランス人も多かったという。

子供たちも大人と同様の強制収容の対象となった。真ん中が
主人公のジョセフ・ヴァイスマン。
同時期に『サラの鍵』[原題:Elle s'appelait Sarah]という映画も製作されている(こちらは原作付き)ように、この映画はそういうフランスのタブーをようやく克服しようとする過程で生まれた映画なのだろう。上に描いたような政治家達の打算的な駆け引きは、きわめて淡々と描かれ、ユダヤ人の子供とその家族に降りかかる不幸は隠すことなく描かれる。衝撃だったのは、追い詰められ窓から飛び降りて死ぬ妊婦と、その残された幼い子供が母親の死を知らずにいるところだ。追い詰められ死を選んだユダヤ人は少なくないと言われ、かのヴァルター・ベンヤミンも亡命目前に追い詰められて自殺をしている。また、強制収容所で金品をすべて提出するように強制され、隠し持っていた品を見つけられた少女が、ドイツ人将校に殴る蹴るの容赦ない暴行を受けるシーンも衝撃的だった。我々日本人から見たら、容貌のさほど変わらない西洋人同志が、どうしてそれほどまでに冷酷になれるのだろう?

一方で、ユダヤ人差別に抗するがごとく、強制収容所にまで付き添ってユダヤ人医師(ジャン・レノ)と共に病人の看護に当たる、非ユダヤ人看護婦アネット(メラニー・ロラン)も描かれる。ヴェル・ディヴで命令を破ってまで放水で水を与える消防隊員や、検挙の前に警告を発する女性など、人間の尊厳を軽んじなかった人々も、少ないながら登場する。しかし、私たちの視点は彼らと同じだとしても、同じ境遇にいて、同じ事が出来るだろうか? 映画を見ながら、組織的の命令が個人の良心に何ら抵触することなく、暴力を実行させることの恐ろしさを考えた。

強制収容所に送られたはずのノノと再会する看護婦アネット。
あれほど無邪気だったノノの顔にはもはや笑顔はない。
映画のラストは、戦後に数少ない生存者と看護婦が再会するシーンで終わる。子供達の顔には、以前のような屈託のない笑顔はない。彼らの胸から黄色い星は無くなっても、戦争は彼らの心に二度と消えることのない烙印を押したのだ。他の地域のホロコーストに比べても極めて生存者が少なかったため、ヴェル・ディヴの強制収容に関する証言は少ないという。主人公の少年ジョセフ・ヴァイスマンは実在の人物で、この事実を風化してはならないととある政治家に言われ、思い出したくない記憶に向かい合い、その体験を話すべく日本にも来日したという。

映画では非ユダヤ人にもかかわらず献身的な介護活動を続ける看護婦アネット役が光る。彼女はこの歴史的事実のあまりの重さに倒れてしまったこともあったそうだが、この歴史的事実を後世に伝えなければならないと、必死で演じきったという。

実を言うと、このサイトの名称、Les Zazousもこの占領下のフランスと関係があるのだが、その話はまた別の機会に。




2011年8月23日火曜日

【翻訳】ビリー・シャーウッド インタビュー 2000.2

恥ずかしながら、実を言うと訳者はビリー・シャーウッドの存在を最近に至るまで知らなかった。アルバム「Talk」時の来日公演で、もう一人のギタリストの存在を知りつつも、単なるエキストラ程度にしか思っていなかった。しかし実際には、彼はジョンがABWHへ行ってしまった頃の90125イエスの共作者であり、「海洋地形学」の編成に戻った後、「Keys to the ascention 2」のリリースが進まず、リックが脱退し活動が停止した際には、かつてのトレヴァー・ラビンのようにバンドの舵取り役までを務めることになる存在だったのだ。

下記に掲載するインタビュー翻訳原稿は、2000年の2月に行われたもので、すでにビリー・シャーウッドがイエスを去ることを決意していたときのものだと思われる(脱退は同年3月)。裏方として10年をイエスと共に過ごしてきた彼が、どのような働きをしていたのかが分かる。

なお、訳出に当たり、適宜見出しを付けた。また、画像はネットで拾ってきたものなので、著作権的にはアウトかもしれないが、非営利でやっているのでお目こぼしいただけるとありがたい(アフィリエイトは一銭にもなっていないので……)。

(原文へのリンク:http://www.bondegezou.co.uk/iv/bsinterview.htm)



ビリー・シャーウッドは、イエスに参加する1997年以前から、メンバーである期間よりも長い間、様々な形でバンドに関わり続けてきた。彼はラダー・ツアーの後半を先導していたが、これがきっと彼がバンドを去る前の最後のインタビューだろう。

次のインタビューは2000年の2月28日にパリにて、エメリック・ルロワ(Aymeric Leroy)によって行われた。フランスのBig Bangマガジン(34号、2000年3月)でこのインタビューの短縮バージョンが刊行された。エメリックにはフルバージョンを提供していただいたことに感謝したい。[Henry Potts]

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クリスと作っていたアルバムがようやくリリースされましたね。Conspiracyという名前でリリースされましたが、以前はChris Squire ExperimentやChemistryといった名前でしたよね。

ビリー・シャーウッド(以下BS):7つは名前があったと思うよ!

最初から話を聞かせてください。クリス・スクワイアと知り合ったのは、89年のことですよね?

BS:知っての通り、僕のバンド、World Tradeのアルバムをクリスがとても聴いて気に入ってくれたんだ。その時点で、イエスはシンガーがいなかった。ABWHをやっていたからね。元ジェントル・ジャイアントで、その時点ではレーベルのマネージャーだったデレク・シュルマン(Derek Shulman)が、僕をクリスに紹介してくれたんだ。そして僕たちは"The More We Live"を書いたんだ。これが最初に一緒に書いた曲だったよ。そしてこれが両方にとって、音楽的にとっても充実した体験だったんだ。ソングライターがいて、誰かがひらめきをもたらしてくれたら、その相手と曲を書き続けるだろう? だから、僕とクリスは一緒に曲を書いた。そして、二人の関係が始まったんだ。これがことのきっかけさ。

見た目上はあまりよいパートナーシップに見えませんよね。なぜなら、あなたはベーシストでヴォーカリストですから。でも、あなたなら一緒に曲を書くのはたやすいように見えます。

BS:クリスと曲を書いているとき、僕は自分のバンドではベーシストだったんだけど、僕はいろんな楽器を演奏するからね。だから、うまくいったよ。「クリスはベース弾いてよ、僕はギターを弾くからさ」という感じで。問題はなかったよ。そして、僕はキーボードも弾いた。だから全く問題なかったんだ。いくつかの部分では、クリスがやってきて「このベースサウンドはすごいよ、変えちゃだめだ!」と言ったことがあって、僕は「待ってよ、でも君はベースプレーヤーだろう?」というと、「このサウンドは本当にいい。だから変えたくないんだ」と言ってきたので、そのままにしたこともあったよ。でも、それはとても稀なケースだね。確か1~2曲あったんだけれど。"The More We Live"ともう1曲あったと思うんだけれど、今は思い出せないな。

その時は、クリスはイエスを復活させようとか、それらの曲をイエスで使おうと考えていたかわかりますか?

BS:わからないな。単にソングライターとしてやっていただけだったしね。僕はロサンゼルスに住んでいて、彼もロサンゼルスだった……僕は沢山の人と曲を書いていたし、傾向も様々だった。デヴィッド・ペイチとTOTOのアルバム「Kingdom of Desire」の為に1曲書いたこともあった。エア・サプライのメンバーと彼らのアルバムのために曲を書いたこともあったし……だから、僕は単に曲を書いていただけなんだ。だから、彼はそれでアプローチしてきたと思ってる。誰も、「やあ、これはイエスに合いそうだね、イエスの曲にしよう」とは言わなかった。でも、「結晶」が出ることになって、ジョンが戻ってきて、僕は後ろに引いて、貯めていた曲が「結晶」に収録されることになり、ジョンが歌った。とても良かったよ……

あなたがほとんどすべてを弾いているのに、クレジットされていませんでしたよね。ショックだったんじゃないですか……


Conspiracy再発盤は初回盤と
別のボーナストラックを収録。
BS:僕はいいやつだからさ(笑)

プライドを飲み込んだと。

BS:僕が持っていた曲のあるべきイメージでは、僕が全部やるべきではないと思っていたからね。

もし彼らがあなたをクレジットしたくないなら、彼らはあなたのボーカルパートを消すべきだったと思います。目立ちますからね。

BS:そうだね。少なくともConspiracyのアルバムでは、元々の形を聴くことができるよ。それほど大きくは変わってない。でも、僕が全部演奏している……トレヴァーは居ないし、もちろんジョンもいない。どちらのバージョンにもトニー・ケイはいない……だから、オリジナルはどこからやってきたのかがもっと分かるんじゃないかと思うよ。真実を。


クリスとの作業は自由だよ、曲の長さを制限しないこと以外は

どれぐらいの期間でアルバムは作られたんですか? 仕上げるのに2~3年はかかったんじゃないでしょうか?

BS:たぶんその通りだね。だいたい90年から96年の末か97年の頭ぐらいまでだ。

ちょうど、あなたがイエスに係わる前ですね。

BS:そうだね。ちょうど、「Open Your Eyes」の前だ。全部の素材が出来上がり、そして「Open Your Eyes」の録音を始めたんだ。

クリスと曲を書くときに決まったやり方はありますか? それぞれが独自にやって、それを混ぜたりしているのでしょうか?

BS:混ぜているね、すごい混ざっているよ。たとえば、クリスが"The More We Live"をやったときがそうだった。元々の素材は彼のアイディアだったんだ。彼が僕のところに来て、「こういうコード進行があるんだけど。ディーダダ、ディーダダって[原注:イントロのモチーフ]」と言ったんだ。そんなかんじだった。それで、僕は「え!……これで僕らは何をしたらいいんだ?」と思った。そして、スタジオに座ってしばらくしたんだが、なにも思いつかなかった。でも、"The More We Live"の歌詞のアイディアを思いついたら、急に形になりだした。そして、彼の弾いたこのシンプルなコードから、急に全体が見えてきて、全く違う意味を持つものになったんだ。

また逆に、僕が曲を持っていくと、彼が詞を付けてくれると言うこともあった。僕らはとってもオープンなんだ。こうしなければならないと押しつけたりしないんだ。幸運にも、僕らは好きなものが同じであることが多い。素早く曲が完成するときは、二人とも同じものが好きだったときなんだ。

アルバムには複数の人が、特にドラマーが沢山、参加していますが、バンドとして完成させようとは思わなかったんですか?

BS:それが、僕らが最終的にConspiracyという名前を選んだ理由なんだ。僕はクリスにこう言ったんだ、「これはあなたのソロアルバムでもないし、僕のソロアルバムでもないけれど、でも、2人が一番多く演奏していますよね……」って。僕らは一心同体なんだ。アラン・ホワイトが素晴らしいドラムを叩いてくれたし、マイケル・ブランド(Michael Bland)も良い演奏をしてくれた。ジェイ・シェレン(Jay Schellen)や、マーク・ウィリアムスも。そして、打ち込みもいくつかやった。だから、バンドというよりむしろ乗り物だったんだ。「僕らが曲を書いて、誰かを連れてきてこの部分を演奏してもらったら、この曲はかっこよくなりそうだぞ」という感じで、やっていったんだ。

しかし、あなたたちは、92年にツアーをやっていますよね。

BS:僕らはツアーをやったけれど、その時点ではChris Squire Experimentだったんだ。

すでにあなたはリードヴォーカルをいくつかの曲でやっていましたよね。

BS:僕は歌ってたよ。そして、僕のバンドはそのツアー中にChris Squire Experimentになっていったんだ。

World Tradeがですか?

BS:いいや、The Keyというバンドだよ。もう一つやっていたバンドで、強力なトリオだったんだ。The KeyがChris Squire Experimentになったんだ。ジミー・ホーン(Jimmy Haun)がギターで、僕もギターを弾き、マーク・ウィリアムスがパーカッションだった。そして、アラン・ホワイトがドラムで入ってきて、スティーブ・ポーカロがキーボードをやってくれた。そして何年か経って、僕らがConspiracy(共謀)を名乗れば、誰かを呼べるぞと言うアイディアに行き着いて、この名前を名乗ることになったんだ。このプロジェクトにぴったりの名前だよ。

あなたたちは音楽の方向性を決めていましたか? もっとラジオでかかるような音楽を選ぼうとか。

BS:僕らは自由だよ。でも、一つだけ僕とクリスで合意したことがある。それは、良い音楽というのは長さで括られるものじゃないということだよ。ビートルズの曲が2時間半だったとしても、彼らの曲は素晴らしいはずだろう。イエスでは、曲が長くなる傾向があるけれど、それは沢山の人間がアイディアを持ってくるからなんだ。彼らと一緒に製作していた過程で、僕はなぜ曲が長くなるのかを見ることができた。それは、「ねえ、1つアイディアがあるんだけど」「いいよ、じゃあこれを入れてみよう」「僕も思いついた」「じゃあそれをその次のところに入れてみよう」という感じだったんだ。そして最後には全部のアイディアが入れられて、曲が長くなっているというわけさ。一方、クリスと僕は、普通に曲を書いた。終わるべきだと思うところで終わらせたんだ。「ああ、あと5分は長くしないと」とはしなかったんだ。

あなたたちに共通して影響を受けたポップミュージックはありますか? ポップミュージックの職人、ブライアン・ウィルソンが思い浮かびますが。

BS:ああ、まちがいないね。僕が参考にしているのはたぶん彼とは全然違うものだよ。でも、類似点があることは間違いない。僕らは二人とも同じ種類のポップミュージックが好きなんだ。僕らが音楽について話すと、彼は常にポップミュージックが好きだし、僕もそうだ。僕らは二人ともガービッジが出てきたらすぐに好きになったよ。バンドの他のメンバーがポップミュージックを聴いているか知らないけれど、彼は聴いているし、僕も聴いている。そうして、交流が生まれるんだ。そういう風に考えながら、僕らは一緒に作曲をやってきたんだと思う。僕らはマーケット向きの音楽かどうかと言うことは気にしないんだ。

あなたのソロプロジェクトは、もっとポップとプログレのバランスが取れているように見えます。たとえば、あなたのソロアルバム「The Big Peace」のように。

BS:そうだね。ソロだから上手くやれたね。あれは本当はWorld Tradeのサードアルバムするつもりだったんだ。でも、僕とドラマー以外はみんな忙しかったんだ。キーボードプレーヤーは忙しいし……彼はいまドゥービー・ブラザーズにいるよ。ブルース・ゴウディ(Bruce Gowdy)は他のプロジェクトに集中していた。僕がみんなに電話して、「World Tradeをやる気ある?」と聞くと、みんな「もちろん。でも、僕らやれるの?」と言うんだ。「僕は時間有るけれど、君は?」と聞くと、「いや、今はないな」「わかったよ……」となってしまったんだ。僕は曲を作りたかったから、先に作業を開始して、どんどん進めていき、アルバムができた時、気がついたらジェイ・シェレンがドラムを叩いている以外は、すべて僕が演奏していたんだ。だから、ジェイに「これをWorld Tradeのアルバムというのは他のみんなに対してフェアじゃないよね。だって、彼らは係わってないし、聞く人を誤解させてしまうから。これは僕のソロアルバムにすべきだろうね」と言ったんだ。ジェイは同意してくれたよ。

Euphoriaでは全曲が共作ですが、このアルバムではあなたが全曲を書いていますよね。違いは何でしょうか。

BS:そうだね……僕は他人と曲を書くのは好きだよ。もし誰も他にいないのなら、僕だけで曲を作り続けるだろうね。なぜなら、僕はワーカホリックだし、音楽を愛しているからね。もし、何年もの間そうしてきたように、様々なプロジェクトに関わっているのでなかったらの話だけれど――僕にはイエスの仕事があったし、他のメンバーに余裕があればWorld Tradeもできた。The Keyもあったし、今はConspiracyをやっている……音楽を発表する道がいくつもあるんだよ。それらが全部イヤになったのなら、音楽から離れるだけさ……。


僕は病気だと言われるほど音楽の仕事ばかりしてるよ

あなたのスタジオについて聞かせて下さい。大部分のプロジェクトがあなたのスタジオで行われていますよね。

BS:うん、大部分のプロジェクトはね。「The Ladder」を除く、イエスの2枚のアルバムもミックス前にそこでプロデュースしたよ。

僕のスタジオは……バンドに入ってから、そこは貸していて、今は使えないんだ! だからツアーの合間に家に帰り、曲を書きたいと思っても、場所がないんだ! だから、今は僕の家に設えたもう一つのスタジオで作業をしている。

以前は、自分のスタジオとして使っていたんですよね。

BS:イエスに入る前は、スタジオは製作の場で、バンドと作業したりプロデュースしたり、友人と作業したいときは、「やあ、高い金を使ってマイクの前で歌うようなでかいスタジオのことは忘れて、ウチに来なよ。ここは僕らのスタジオだぜ」ということができたんだよ。アシスタントはいないし、全部僕が一人でやって、秘書もいない。なぜそうするのかというと、スタジオで作業していて、他の人たちが外にて意見も言わないでいると、何かアイディアを出せと圧力を受けているように感じるのが大きいかな。自分のスタジオを建てたとき、これで何でも作れると思ったんだ。バンドのみんなも同じように感じていた。だって、僕と彼らだけで、他になにも雑音はないからね。あのスタジオはとても役に立ったし、今も他の人たちの役に立っているよ。

技術的な話でいうと、デジタルテクノロジーの発展によって、今でもまだホームスタジオとプロフェッショナルなスタジオとで大きな差があるものでしょうか? ちょうど、イエスの最新アルバムで使ったカナダのスタジオのような。

BS:どう説明すればいいか分からないけれど、こういう感じかな。ポルシェかジャガーに乗って運転していて、同じ方向を目指していて、どのように運転するかは自分次第。僕のスタジオだと、テクニシャンが一緒にいて、彼がエフェクターやパワーアンプに良い仕事をしてくれて、その音をスタジオから持って行ける。これは本当に本当なんだ。もし外のスタジオに、たとえば今回のバンクーバーのようなところに行くとして、そこではすべてがプロフェッショナルにセッティングされていて、それは違う雰囲気の、違うサウンドのものとなるんだ。両方とも、それぞれの居場所があるんだ。僕は24チャンネルのアナログと48チャンネルのデジタルのレコーダーがあって、使い放題のエフェクトと使い放題のいろんな機材がある豪華なスタジオを持っていた。スタジオを人に貸す必要は無いし、料金も気にしなくていい。すべて自分のものなんだ。バンドが僕と仕事をすると、夜10時になると大抵のスタジオだと出て行かなくちゃならなくなるけれど、午前2時まで使う事ができる。自分のスタジオだからね! すべての要素を合わせたとき、クリエイティビティを終日、同じにできる。だから、こういう環境を使えたことはとても幸せだよ。

Conspiracyの話に戻ります。作業は、たとえば6ヶ月に1日という風に行っていたのか、それとも何ヶ月か空いて何ヶ月か作業して、という感じだったのでしょうか。

BS:作業は何年もかかったよ。理由の大部分は、クリスがイエスで忙しかったからね。それに、僕も他のバンドのプロデュースで忙しかった。ずっと会えないときもあって、お互い余裕ができたら、一緒に作業して……でも、僕が「Keys to Ascension 1」に取りかかったとき、急速に作業が進んだね。クリスが町にいて、僕もいるから、「やるなら今だ、残りの曲をやってしまおう」って考えたんだ。それでギアが入った感じだね。"Violet Purple Rose"や"No Rhyme"や"Red Light"などの曲を作り上げたよ。

面白い作業だったな、とっても長くに渡っていて。一部はクリス・スクワイアのもので、僕はどうやって付け加えたら良いんだ?って。彼は僕ほど作業は早くないんだ。僕はワーカホリックだからね。みんな僕の作業ペースを見ると病気何じゃないかと思うぐらい。でも、僕にとってはスローなんだ。彼にとっては自然なペースだった。でも9年もかかったから、もうちょっと早くできないものかと思ったよ。だから、イエスと作業をしている時に、僕らは曲を書き続けて、次のアルバムのための曲を7曲書いたんだ。1年以内には出すつもりで。今は僕らは密接に仕事をしているし、いっぱい作業をしたよ。次のConspiracyのアルバムはすぐに出せると思うよ。

イエスやWorld Tradeのアウトテイクを使おうというのは誰のアイディアだったんでしょうか? 我慢しきれなくなったと言うことでしょうか?

Conpiracy初回盤。インタビュー
に出てくる
隠しトラックがある。
BS:僕は"Say Goodbye"を他の誰かが歌うのを待つのに疲れたんだよ。なぜなら、これは僕にとって特別な曲だからね。彼にこれをやりたいと言って、問題なかったので、彼はこう言った。「僕らのプロジェクトをやるときは、オリジナルバージョンを入れて良いんだ」って。似ているけれど、違いが有るんだ……オリジナルのアイディアがどういうものだったかをファンに聞かせようというのは、クリスのアイディアだったんだ。このレコードはまさに僕らが一緒に曲を書いて、演奏してきたものの、年代記そのものだね。アルバムで聴けるオリジナルバージョンは、ソロでやったものとも、イエスのボックスセットに入っている"Love Conquers All"とも違うんだ。ボックスのほうのバージョンは、トレヴァー・ラビンが歌って、ギターソロを弾いていて、曲も少しだけ変えているんだ。さて、ここで曲のオリジナルバージョンのことについて、一番の秘密の話になるんだけどね。

実は、厚い黒のカーテンに覆われているけれど、3曲の"隠しトラック"があるんだ。すごい奥の方にあるんだよ。クリスはそれらを入れたがってたんだけれど、「Open Your Eyes」が出た時期ととても近かったから、隠しトラックにすることにしたんだ。

"The Evolution Song"についてはどうでしょうか?

BS:"The Evolution Song"はWorld Tradeの時とは違うBセクションがあって、ちょっと手を加えてある。ある時、クリスが言ったんだ。「これをアルバムに入れないか?」ってね。それで、僕はオリジナルテープを持ってきた。それがオリジナルバージョンで、曲がどういう風に書かれたか分かるだろう。クリスがBセクションを歌っていて……少しばかり変更を加えてあるけれども、大きな違いになってるんだ。


「The Ladder」のために、6ヶ月間一緒に曲を書き続けた

「The Ladder」でのあなたの作曲した部分について聞かせて下さい。最初の印象では、皆がそれぞれアイディアをテーブルに持ってきて、みんなで曲を書いたように感じられました。

BS:僕らは6ヶ月間、一緒にカナダにいて、アルバムの曲を書いたんだ。だから、そういう印象を受けるんだろうね。君の言う通り、全員が曲に貢献している。有る部分の素材が、他の人間から出てきたりしている。たとえば、"Homeworld"は僕がヴァースのギターパートのアイディアを出し、コーラスのコードはイゴールが出した。ジョンが詞と上声部を書いて、スティーヴが中間部の‘ディン、ゲディン、ゲディン’というシャッフルの部分を考えた。僕らはそれらをまとめ上げたんだ。

クリスとアランは、"The Messenger"のグルーヴを作った。これは、レゲエっぽいフィーリングがあるね。彼らは一緒に演奏し始めて、僕らはそれに乗っていった。"If Only..."はイゴールとスティーヴ、それにジョンがほとんどを書いた。"Finally"は、僕のソロアルバムの「The Big Thing」の"I"という曲にある、‘I can be...’、‘I can change...’という部分を、ジョンが取ってきて、手を加えたものが、"Finally"になった。実際にはエンディングはスティーヴの手によるものだけど、その時点ではオリジナルのコード進行のままだったんだけれど、バンドがイエスらしさを加えたというわけさ。

「The Ladder」制作時のメンバーで一番左がビリー
"To be Alive"は、ハーモニックサウンドから始まる。12弦ギターのタッピングで、僕がよくリハーサルで弾いていたものなんだけれど、上手く収まらなかった。そして、僕らがスタジオに入った時、ブルース・フェアバーンに「この曲なんだけれど、イエスらしい曲から外れて、こういう催眠的な音が続く曲はどうかと思ってやってるんだけれど、どうしても次のセクションにいけないんだ。どうやってもうまくできないんだ」と言ったんだ。ちょっとばかり苦労したね。でも、その日の最後には、ジョンが素晴らしい詞とメロディを書いて、クリスとアランが良いアイディアを出してくれて、アイディアを思いついたんだ。そして、アルバムに入ることになった。とっても嬉しかったよ。"Good Day"も面白かったね。イゴールとジョンが‘ティン ティン ティン ティン’というイントロのメロディーを作っていた。僕が14歳の時に書いた曲に、‘ダン、ダダ、ダダ、ダダダ、ダン’というチェンジがあって、それをリハーサルで演奏していたら、ジョンが作っていたメロディを‘ディン ディン ディン ディン’と歌い出して、2つのアイディアが一緒になってあの曲になったんだ。

"New Language"はそもそもはジャムセッションだったんだ。これは、クリスと僕とアランとで、「Open Your Eyes」の為に作ったイントロ部分だったけれど、結局収録されなかった。「The Ladder」の時に、スタジオで3人がジャムセッションしていたら、スティーヴが上声部を弾いて、それからさらに彼が少し書き足した。それが、"New Language"のイントロになったんだ。最終的に有るべきところを見つけたんだ。イントロが終わると、ローズが入ってくる。これは、もちろんイゴールによるもので、彼も沢山係わった。ジョンと同じぐらいね。

"Face to Face"は、‘ド ディ ダ ダ ダ ディ ド...’という部分は、もちろんスティーヴだ。これは全編に出てくるけれど、面白いことに誰も曲がどうなるか制御していなかったんだ。これはまさに、「みんな演奏してる? イエー? オーケー、行こう!」というものだった。僕らはこのアルバムに収録されなかった曲も沢山作った。ブルースに善し悪しを選んでもらったんだ。だからアルバム収録曲は彼の選択によるものなんだ。

そのようにしたのはとてもいいことだと思います。イエスのアルバムを作る上で、最も賢いやり方だったんじゃないでしょうか。

BS:それがまさにバンドの力関係上正しかったんだ。君の言う通りだよ!

結果がそれを語っていますね。

BS:そうだね。沢山の人がアルバムを気に入ってくれている。実に良いよ。

あなたは、こういう風に作業することを、結果がどうなるか意識して皆が決めたと思っていますか?

BS:僕らがこんな事を話すのもおかしなものだよね……イエスは、初期のいくつかのアルバム以外はそういうやり方では曲を書いていないと思うんだ。実際のところどうしていたかは僕は知らない。でも、僕は「The Yes Album」が彼らが全員部屋に入って一緒に作業した最後のアルバムだと思うんだ。それ以降は、ジョンとスティーブがアイディアを持ってて、そこから始めて、形を変えていったんだと思う。そして、クリスやアラン、リックなどがいろいろ付け加えたんだろうね。「90125」「Big Generator」「Talk」は、トレヴァー・ラビンがコントロールしていたと思う。他とは違う曲調だからね。「Keys to Ascension」は、全員が一緒に作業をしたけれど、実際には、リックは作曲には係わっていない。ジョンは山ほどアイディアを持っていた。この時、初めて全員で「見ろよ、誰もテーブルに荷物を持ってきていない。誰も良いアイディアを持ってない。あくまで絶対に自分の意見を曲げないというのなら、自分のソロアルバムでやれよ。ギブ・アンド・テイクで作業していこうよ」と言い合う事ができた時だと思うよ。それは簡単な仕事じゃなかったけれど、大抵は大変さよりも楽しさがあったよ。

その結果、あなたがツアー部分で沢山、演奏することになったわけですね。

BS:全員が係わっていたから、みんな気分は良かったと思うよ。それは大事なことだよ。


トレヴァー・ラビンと一緒にやらないかといつも話してるよ

次はどこに出演するのですか?

BS:2000年の3月25日には、ルーマニアのブカレストでのコンサートが決まっている。その後は、6月にツアーをやるかもしれない。でも、ツアーをやらずに別のことをやるアイディアもあって、ボストン・ポップス・シンフォニーと一緒にオーケストラのアルバムをやるかもしれない。彼らとイエスでアメリカのテレビに話もあるんだ。

何か特別に用意した曲を演奏するのですか? それとも……

BS:ええと、昔の曲と、ラダーの曲に、新しい曲もやるかもしれない。まだ分からないけれどね。でも、僕らはずっと一生懸命仕事しているよ。僕が入る前、彼らは「Keys to Ascention」の時も、忙しかった。でも、彼らはツアーをしなかった。なぜなら、リックがしていたからね。でも、僕が入ってからはノンストップで仕事し続けているよ……「Keys to Ascention 1」の曲が出来上がり、リックが脱退すると、僕はクリスに言ったんだ。「もしその気があるなら、手助けしたいんだけれど」って。そして、僕らは「Open Your Eyes」の曲を書き始めた。集中力はずっと続いて、アルバムは出来上がった。で、3年半から4年経った今でも、僕らはノンストップでツアーをして、曲を書いて、ツアーをして……

私は、どのイエスのラインナップも長続きしたことはないと思っているのですが?

BS:(笑)彼らは長らく一緒にやってきたからね。それは確かだ。「90125」は強い生命力を持ってた。あれはビッグアルバムだったからね。だから、ツアーを大々的にやらないといけなかった。今でもいっぱいやることがあると僕には思えるんだよ。彼らのやったこととは比べられないかもしれないけど、僕はこの部署は初めてだからね、いっぱい仕事があるのさ!

自分自身のプロジェクトは考えていないんですか?

BS:次のソロアルバムをやっているよ。知っての通り、僕は音楽に執着しているんだ。更に、クリスと僕とで、さっきも言ったように、次のConspiracyのアルバムをやっているよ。

7曲できたと言っていましたよね。

BS:7曲はできてるよ。

何曲必要なんですか?

BS:3曲欲しいね。すぐに曲になりそうなネタは有るんだ。それが今の状態で、もう少ししたら何か生まれると思うよ。

あと、トレヴァー・ラビンとは、一緒にやろうといつも言ってるよ。彼は本当に映画の仕事で忙しいんだけど、いつも会ってるんだ。一緒に車に乗るときはいつも、お互いの音楽を聴き合って、アイディアを歌ったりとかしているんだ……とっても良い感じだよ。

彼は沢山の曲をレコーディングし続けていますが、自身の曲は歌ってないですよね。

BS:そうだね。まだ分からないけど、将来、トレヴァーと作業するかもしれないんだ。僕はぜひやりたいね。彼は常に僕の大好きな音楽家の一人だからね。

Conspiracyのプロジェクトとしてですか?

BS:そうなるかもしれないし、別のものになるかもしれない。まだわからないよ……でも、付け足すと、僕は自分のスタジオを建てて、早くそこで作業をしたいね。次は何をやろうかな?

次のソロアルバムを作るとしたら、同じメンツでいきますか? ジェイ・シェレンとか。

BS:ジェイには参加してもらうだろうね。

それはWorld Tradeに似たようなものになるのでしょうか?

2011年にトニー・ケイと来日した時のビリー
BS:そういうスタイルになるよ。なぜなら、沢山やるポップミュージックをやる機会があるので、ソロでは完全にアーティスティックな目的の為にやれるからね。シングルを出すことを気にせず、ただ作ればいいからね……。ジェイは僕にとって重要で、彼はとても才能あるドラマーなんだ。「The Big Peace」のときに会った出来事なんだけれど、ドラムマシーンで音の密度が濃い演奏をプログラミングしておいて、彼がスタジオに来たら「ジェイ、こういうのできるよね」と言ったら、「おい、こんなの物理的に無理だぜ」と言うから、「やってみなよ」と言ったら、ドラムの前に座って試し始めたんだ。ブースのガラスの向こうから彼の満面の笑みが見えたよ。彼はそれを演奏できたんだ。素晴らしいサウンドだったね! 一緒にやりたいと思う、一緒にやりやすいミュージシャンを見つけられるのは本当に稀だよ。ジェイは本当に本当に、仕事がしやすいんだ。それに彼はスイートガイだから、一緒に仕事をするのが楽しいんだ。だから、次のソロアルバムでも絶対一緒にやると思うよ。

Conspiracyのツアーはありそうでしょうか?

BS:僕らはそれについて話し合っているところなんだ。イエスのスケジュールがどうなるか次第なんだ。ギグをやる余裕があるかどうかにね。Conspiracyはもっと小さい規模になるから。でも、前回ツアーをしたときは、観客は本当に楽しんでくれていたし、どこでもソールドアウトになった。小さい会場でやったしね。

ツアーはどこで行われたんでしたっけ。カルフォルニアとハワイでやったという記事を読んだ記憶があります。

BS:そうだよ。あとアリゾナと……たぶんシアトルでもやったと思う。思い出せないな。どれも本当にいいギグだった。どうなるか分からないけれど、もしやれそうなら、ツアーをやるかもしれないよ。







2011年8月17日水曜日

Bjork - Clistalline Video Clip

ビョークの4年ぶりの新作となるBiophiliaよりClistallineの公式ビデオクリップが公開されていたので見てみたが(約1ヶ月前だけど)、かなり激しい音になっている。時として、え? という作品もあるビョークだが、今度のアルバムはストレートに音がカッコイイので期待できそう。



ライブもなんだかものすごいことになってる……。



眠れぬ夜のピチカートファイヴ、あるいは失われたレトロフューチャー

おはよう、フェルプス君。寝苦しい夜だったね。今日はプログレではなく、以下のエントリーを読んでもらおう。という冗談はさておき。

熱帯夜が続きただでさえ寝苦しいところに、家人が高熱を出しその看病をしていたら、なんとも寝られなくなってしまった。ということで、こんな真夜中に自室でCDのリッピングに精を出しているところなのだが(PowerMac G4のけたたましい騒音と熱で更に疲労困憊)、たまたまあったピチカートファイヴのベストを聴いてみたら、ものすごく複雑な気分になった。20代のころに90年代を過ごした身として、今これを聞くと、「これって忘れたい過去じゃないか?」と自問自答してしまうのだ。

上手いんだか下手なんだかよく分からん渡辺美里の声によく似たヴォーカルが、「ハッピー」とか「キャッチー」とか「グルーヴィー」とか歌ってて、穴があったら入りたくなりませんか? これどこかのお店でかかったら、今の20代は爆笑するんじゃないだろうか。オケも、もうなんて言うか今では元ネタが透けて見えるような、古いレコードで聴けるようなサウンドの焼き直し。幻の名盤が散々発掘し尽くされた今から見ると、この音この歌でまさかクラブで踊らせてみせますなんて冗談ですよね? と言いたくなってしまう(筆者はリアルタイムのファンではなかったので、本当にクラブでかかっていたかどうかは知らない*1)。

しかし、90年代でこういうことをやっていたんだ、と考えると、やはり時代の先端を行っていた音だったんだなとも思う。

レアグルーヴやフリーソウルが、ロンドンから輸入され始めたのが80年代末。めざとい人たちが盤漁りをし始め、そんな中の一人が小西康陽だった*2。80年代にCD普及で絶滅するはずだったレコードが、90年代ではカッコいい音のネタになり、最新のテクノロジーで置き換えられたはずの60~70年代の楽器たちが、ローファイという言葉と共に復権をした。80年代的な煌びやかさから、70年代的な荒々しさへ先祖返りを試みたのが90年代の新しさだ。

それは、どこまでもテクノロジーが発展すると思っていた80年代から、何か変わると思っていたのに何も変わらないことがわかってしまったゼロ年代の狭間に立って、90年代は、手塚治虫やハインラインが考えてる様な未来がまだ有効だった、レトロフューチャーの時代だった。過去の人々が描いた未来が、どうも実現しそうにないことをどこかで気がつきつつも、それを楽しむ懐古的な視線が新しい価値を生んだ時代。ピチカートファイヴも確実にその流れの中にいたんだと思う。

しかしいまや、破産しそうなアメリカより一企業であるアップルのほうが金があったり、形だけのアリバイはあっても動機がない暴動が簡単に起きてしまったり、国家が文字通りメルトダウンしつつあるテン年代において、レトロフューチャーは本当に終わってしまった。小西康陽は「2000年代は楽しいことなさそう」と言いながらピチカートファイヴを解散したけれど、彼は時代を見る目があったんだなと思う。

世の中が荒れた時代ほど面白い音楽が生まれるというが、それが今どこかで起きているのかな、と思いつつ、リアルタイムに体験することなく過ぎ去った90年代の音をひととき楽しんだので寝ることとしよう。

なお、このエントリーは自動的に投稿される*3

*1 先日バーにいたら、友人達がこんな会話をしていた。男「俺、クラブって行ったことないんすよ。どんなとこなんですか?」 女「ん~立ち飲み屋!」 男「(笑)なるほど、爆音立ち飲み屋ですか」 女「そ~(笑)」
*2 故・大里俊晴が2000年にパリに行ったら、どこのレコード屋でも「ピチカートとかいうやつがめぼしい盤を全部買っていった」と言われたとぼやいてた。
*3 ただ今、朝の4時半。


2011年8月16日火曜日

【リリース情報】 John Coltrane - Original Impulse Albums Vol.4




解説も何も無い無愛想なシリーズだが、価格は安いコルトレーンのインパルスボックスセットのVol.4が出るようだ。正直、4はでないんじゃないかなと思っていた。なぜなら、最晩年のアルバムは超弩級のフリージャズなので売れないでしょ、フツーには。アルバムと収録曲等は次の通り。元が蔵出し音源なので、ボーナストラックのたぐいはないようだ。

DISC 1: EXPRESSION:
  1. Ogunde
  2. To Be
  3. Offering
  4. Expression
DISC 2: LIVE AT THE VILLAGE VANGUARD AGAIN!
  1. Naima
  2. Introduction To My Favorite Things
  3. My Favorite Things
DISC 3: OM:
  1. Om
DISC 4: COSMIC MUSIC:
  1. Manifestation
  2. Lord, Help Me To Be
  3. Reverend King
  4. Sun, The
DISC 5: SELFLESSNESS:
  1. My Favorite Things
  2. I Want To Talk About You
  3. Selflessness
いずれも死後に発表された作品ばかりであり、 インパルスのアルバムはまだあるので、Vol.5を期待したいところだが……さすがに難易度が高すぎるか? ちなみに、「First Meditations」「Transition」「Live in Seattle」「Live in Japan」「Sun Ship」「Living Space」「Stellar Regions」「Interstellar Space」「Jupiter Variation」「The Oratunji Concert」がそれにあたるが、これらは8月後半にすべてSHM-CDにて日本盤が出る予定である。筆者のお薦めはLive In Japanである。これは本当に感動的な名演だ。4枚組のくせして、CD1枚につき1~2曲だけど。だがしかし、う~ん、出るかどうか分からない本家の廉価版ボックスを待つのが良いのか、悩ましいところである。






クリムゾンのニューアルバム?「The Reconstrukction of Light」

クリムゾンが現行ラインナップでスタジオアルバムを作る予定はないと発言していることは有名だが、クリムゾンの最新スタジオアルバムと言えるかもしれない作品が登場した。それが6月発売されたばかりの「The Reconstrucktion of Light」だ。これは「The Constr...