2011年8月17日水曜日

眠れぬ夜のピチカートファイヴ、あるいは失われたレトロフューチャー

おはよう、フェルプス君。寝苦しい夜だったね。今日はプログレではなく、以下のエントリーを読んでもらおう。という冗談はさておき。

熱帯夜が続きただでさえ寝苦しいところに、家人が高熱を出しその看病をしていたら、なんとも寝られなくなってしまった。ということで、こんな真夜中に自室でCDのリッピングに精を出しているところなのだが(PowerMac G4のけたたましい騒音と熱で更に疲労困憊)、たまたまあったピチカートファイヴのベストを聴いてみたら、ものすごく複雑な気分になった。20代のころに90年代を過ごした身として、今これを聞くと、「これって忘れたい過去じゃないか?」と自問自答してしまうのだ。

上手いんだか下手なんだかよく分からん渡辺美里の声によく似たヴォーカルが、「ハッピー」とか「キャッチー」とか「グルーヴィー」とか歌ってて、穴があったら入りたくなりませんか? これどこかのお店でかかったら、今の20代は爆笑するんじゃないだろうか。オケも、もうなんて言うか今では元ネタが透けて見えるような、古いレコードで聴けるようなサウンドの焼き直し。幻の名盤が散々発掘し尽くされた今から見ると、この音この歌でまさかクラブで踊らせてみせますなんて冗談ですよね? と言いたくなってしまう(筆者はリアルタイムのファンではなかったので、本当にクラブでかかっていたかどうかは知らない*1)。

しかし、90年代でこういうことをやっていたんだ、と考えると、やはり時代の先端を行っていた音だったんだなとも思う。

レアグルーヴやフリーソウルが、ロンドンから輸入され始めたのが80年代末。めざとい人たちが盤漁りをし始め、そんな中の一人が小西康陽だった*2。80年代にCD普及で絶滅するはずだったレコードが、90年代ではカッコいい音のネタになり、最新のテクノロジーで置き換えられたはずの60~70年代の楽器たちが、ローファイという言葉と共に復権をした。80年代的な煌びやかさから、70年代的な荒々しさへ先祖返りを試みたのが90年代の新しさだ。

それは、どこまでもテクノロジーが発展すると思っていた80年代から、何か変わると思っていたのに何も変わらないことがわかってしまったゼロ年代の狭間に立って、90年代は、手塚治虫やハインラインが考えてる様な未来がまだ有効だった、レトロフューチャーの時代だった。過去の人々が描いた未来が、どうも実現しそうにないことをどこかで気がつきつつも、それを楽しむ懐古的な視線が新しい価値を生んだ時代。ピチカートファイヴも確実にその流れの中にいたんだと思う。

しかしいまや、破産しそうなアメリカより一企業であるアップルのほうが金があったり、形だけのアリバイはあっても動機がない暴動が簡単に起きてしまったり、国家が文字通りメルトダウンしつつあるテン年代において、レトロフューチャーは本当に終わってしまった。小西康陽は「2000年代は楽しいことなさそう」と言いながらピチカートファイヴを解散したけれど、彼は時代を見る目があったんだなと思う。

世の中が荒れた時代ほど面白い音楽が生まれるというが、それが今どこかで起きているのかな、と思いつつ、リアルタイムに体験することなく過ぎ去った90年代の音をひととき楽しんだので寝ることとしよう。

なお、このエントリーは自動的に投稿される*3

*1 先日バーにいたら、友人達がこんな会話をしていた。男「俺、クラブって行ったことないんすよ。どんなとこなんですか?」 女「ん~立ち飲み屋!」 男「(笑)なるほど、爆音立ち飲み屋ですか」 女「そ~(笑)」
*2 故・大里俊晴が2000年にパリに行ったら、どこのレコード屋でも「ピチカートとかいうやつがめぼしい盤を全部買っていった」と言われたとぼやいてた。
*3 ただ今、朝の4時半。


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