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ベースを始めるまでは、子供の頃はクラシックピアノを弾いていたそうですね。
当時を思い出してみると、本当に音楽に興味があったんだと思う。他の子達がピアノを弾いてるのを見て僕もやりたくなったんだ。それがたまたまクラシックだったというだけなんだけど、ある時、ラジオや両親のレコードコレクションを聞いて一変しちゃってね。
それがクラシックロックだったんですね?
そう。ジャズはそんなになかった。クラシックがいっぱい、そして60年代末〜70年代頭のポップスも。10代はテキサスで育ったんだけれど、70年代末までFMラジオの電波が届いてなかったんだ。たくさんビートルズを聴いて、そしてツェッペリンに行った。72年か73年のことだよ。それでロックの世界が開けてきたんだ。
ベースを弾くことになったのはポール・マッカートニーの影響?
悲しい話なんだけれど、あるバンドにギターが2人いて、ベースが必要だっていうから、じゃあやるよって言ったんだ。自分のを買う前に借りたベースを使ってた。フェンダーの3/4スケールのMusicmasterだった(注:学生向けの廉価モデルでスケールが通常よりも短い)。運がいいことに、ドラマーが本当にうまいやつで、いろんな曲を弾いたり即興したりしたよ。
ギターを手にした時、それが弾きたい楽器だって思った?
ギターを手にした時はそんなに違いを感じなかった。好きな点もあるけれど、リードギターを弾くことにそんなに興味は感じなかったね。でもベースよりも弦がいっぱいあるしね。機能性やグルーヴのことを除けば、両方に惹かれたし、両方弾きたかった。
今はチャップマン・スティックとウォーギターがあるわけですよね。いわば、ベースとギターにキーボートとストリングスが合わさったようなものですよね。
そしてパーカッションだね。チャップマン・スティックを手にした時、これこそが自分の求めていた楽器、自分のプレイスタイルだと思ったよ。今まで間違った楽器を弾いてたんだって。キーボードやギターでやろうとしたこと、ベースでやってたことが全てここにあって、同じテクニックで演奏できるわけだから。
ロバート・フリップと演奏したのは元々Fripp Frippという名で、のちにSunday All Over the Worldとなるバンドでしたね。『Kneeling at the Shrine』というアルバムを録音しましたが、フリップとのレコーディングはどういうものでした?
それまでにたくさん一緒に演奏してきたけれど、それはギター・クラフト関連だったんだよね。ロバートはトーヤのために曲を作ろうとしてて、彼はソロを弾きたくなかったんだ。ギターでハーモニーやコードを展開してて。素材ができたら演奏して…それは大概僕とロバートとで、たまにドラマーが入って、トーヤが来て歌うこともあった。
1992年にはフリップとデヴィッド・シルヴィアンとで『The First Day』と『Damage』を録音してますね。
『Damage』はライブだった(注:限定発売で日本盤は未発売。後にシルヴィアンによるリマスタリングと曲順変更が行われ再リリース)。グループは最初トリオ編成で、ドラムなしでいくつかのツアーをした(注:日本でも公演を行った)。とても変わったプロジェクトで、オーディエンスにとっても音楽的に驚きだったと思う。僕らは20分ほどアンビエントな音を出すことから始めて、そこからデヴィッドが歌い出して。彼はそんなに歌わなくって、一晩で3〜4曲ぐらいだったかな。でもあの声が乗っかるんだよ、本当に素晴らしかったね。
『The First Day』の前にもショーで演奏していたんですか?
そうだよ。レコーディングまでには、曲はバンド向きのものになってた。『Damage』はロイヤル・アルバート・ホールでやったツアー最後の2公演から収録した。これまでで最も強烈なレコーディングだった。
フリップと演奏したのがそんなに初期からだったと聞いて面白いと思いました。
バンドは生きてるんだと実感できてとても驚いたよ。うまく演奏できなかった夜のことを覚えてる。リバーブとディレイが多すぎてお互いをよく聞くことができなかったんだ。演奏はADATに録音されてて、Pro Toolsもない頃だから、細かい編集もできない。このテイクを使うか使わないかだけだった。でもそういうやり方が好きだったよ。
その頃レコーディングした『One Thousand Years』が最初のソロアルバムですか?
それ以前にも自分では色々レコーディングしてたよ。カセットでいくつか学生の頃リリースしてたし、チャップマン・スティックとパーカッションにボーカルで色々実験してみたものもあるし。どれぐらいのことができるか知りたかったんだ。
『Vrooom』のレコーディングはどうでした?
あれは最高だったね。ウッドストックのAppleheadという小さなスタジオで、みんな同じ部屋に入って録音した。デヴィッド・ボットリル(David Bottrill)がエンジニアで、『Thrak』にも参加してくれた。
彼はレコーディングでは重要な役割だったんでしょうか? その後、彼はミューズ、ドリームシアター、Toolをプロデュースしてますね。
そう思うよ。シルヴィアンが見つけてきたんだ。彼は『最後の誘惑』のサウンドトラック(ピーター・ガブリエル)を担当した。僕にとってはあれはワールドミュージックの最初にして最後だね。でもビル・ブルーフォードは彼は若すぎると言って懐疑的だったけど。
ビル・ブルーフォードはいろんな人とぶつかる傾向があるようですね。
でも、彼は僕に「こいつ、2つのドラムにマイクをセッティングしてるけど、位相とマイクの扱い方をわかってるじゃないか」と言ってたよ。デヴィッドはスタジオでどう振る舞えばいいか、クリムゾンが曲を磨き上げていくプロセスにおいて、どうやったら僕らがやりやすいかをわかってたんだ。彼は完璧だったと思うよ。
セッションはうまく行ったんですね。
なんて言えばいいのかな、うまい方向になだらかに転がり込んだというか。こういう感じだったんだよ。1週間でEPを作らなきゃいけないけれど、曲は2〜3曲しかない。もうちょっと曲を作らないといけないから、ドラマーに1時間ほど演奏させて、その周りで他の楽器が演奏して、いくつか音をかぶせて、それで出来上がり。という感じ。
ロバート・フリップからはミュージシャンとしても求められたことは?
なんというか、彼はできるだけ何も要求しないんだ。こう演奏しろとか誰にも言わないからね。でも、ある意味では非常に要求が厳しい。「クールにやれよ、ここがお前のスペースだ。他の奴がやらないようなことをやってみろよ、そうでないなら何も弾くな」と言ってるようなものだからね。要求が厳しいのは、一緒にいて録音させていること自体なのかもしれないね。
どうやって“Dinasaur”ができたんですか?
長年ロバートがフラストレーションだって言っていることがあって、それは、クリムゾンではどの曲もそれぞれが新しいジャンルの曲で猛烈に難しいから、雛形みたいなものが存在しないんだって。“Dinasaur”でいうと、確かエイドリアンがオープニングのリフを弾いて、僕らがその周りで演奏し始めたかな。エイドリアンが一旦曲を掴むとそれが大きな飛躍で、全体像がわかるようになると、僕らがどう音を足していけばいいか分かるようになるんだ。
エイドリアンがメロディーと歌詞を思いつくかどうかが鍵だと?
“Dinasaur”に関しては、彼が最初、弦楽四重奏を書こうとしてたのか(注:イントロのギターシンセによるストリングフレーズのことと思われる)、それが発想の元になったのかは分からないけれど、ドラムのない中間部を彼が持ってきて、僕らでアレンジしていくつか付け足した。『Thrak』の曲は1曲もスタジオで書かれたものはないんだ。音楽的にうまくいった理由は、レコーディングの前にアルゼンチンで曲を演奏してたからじゃないかと思う。
1曲も? 本当ですか?
『Vrooom』から大きく変わった曲はそんなにないんだよ。ある曲はテンポが速くなり、ある曲は遅くなったり、少しアレンジが変わったり。アルゼンチンでの12〜16公演から全てを凝縮したと言える。そして『Thrak』をレコーディングした。“Dinasaur"の元となる部分もたくさん演奏してた。もちろん持っていたアイディアはレコーディングに反映されたけれど、全てはステージで出来上がってたし、これ以上足すものもなかったしね。皆、欠けてる部分を正しい方法で埋めたから、何回か演奏してテイクを選べさえすればよかったんだよ。
1999年にはジョン・ポール・ジョーンズと『Zooma』をレコーディングしてますね。
彼は僕のヒーローだし、ツェッペリンの曲はたくさん弾いてたんだけど、彼と会って一緒に演奏して、彼の音楽の中に入ってみるまでは、彼こそがツェッペリンの秘密兵器だったなんて気がつかなかったんだよ。
ジョン・ポール・ジョーンズはバンドへの貢献を正しく評価されていないと思います。
信じられないほど素晴らしい音楽家だし、ジミー・ペイジの名声をあげるのに貢献したのに、まるで蚊帳の外だよね。彼と演奏するのは楽しかったよ。のちにロバートがキング・クリムゾン・プロジェクトとか“fraKctalisation”と呼ぶものを始めるようになったのも、彼に導かれてのものだからね。
それはどういうことですか?
ジョンは僕とトリオをやりたかったんだけど、僕はベースとベースじゃない部分を弾いて、彼はソロとベースを弾けるようにしたかったんだ。彼は僕にもっと抽象的で、パンクで、コルトレーンみたいなソロを弾くように導いてくれた。これが『Zooma』のレコーディングであったことだね。彼はギターアンプを用意して、「俺はソロをやるから、一緒にやってみよう」と言って始めて。そうしたら、色々と面白いやり方が見つかって、それがクリムゾン・プロジェクトにも反映されているんだ。
プロジェクトの結果が2000年の『The Construkction of Light』ですね。このアルバムは4人でレコーディングされています。
ダブルトリオはよかったんだけれど、みんなにとってきつかったんだ。一番きつかったのは僕だと思う。
それはなぜ?
ちょっと大げさかもしれないし、単に僕の苦労話をしてるだけかもしれないけど、たくさん音がある中でどんな音が合うか見つけるのは本当に大変だったんだよ。だから僕らは4人になった。それで「よし隙間ができたね」となったわけだ。僕は他のミュージシャンよりも隙間がある方が好きだからね。クリムゾンで一番いいレコードだったかは分からないけれど、いい曲があると思う。レコーディングするまでライブで演奏できなかったアルバムだね。
多分、もう一度違う風にやり直せるなら、ああいう風にはやらなかったと思う。それまでステージで素材を発展させてきたからね。でも僕らはああいうやり方でやったわけで、それでライブで演奏できるようになったわけだからね。ライブレコーディングの方が強烈だと思うけれども、あのレコードはああいうものだったんだよ。
その頃、Toolとツアーに出てますね。
僕とパットはずっとToolが気になってたんだよ。それで僕らのエージェントを急かして、「彼らと演奏できないかい? なぜいつも僕らだけでツアーするんだ? 他の誰かとやれないの?」と言ったんだよ。
エージェントの反応は?
こんな感じだった。「Crash Test Dummysとツアーしてみないか?」「ダメだ」「ドリームシアターはどうだ?」「ダメだ!Toolとできないの?」っていう。僕らとToolのチームとでいくつかコミュニケーションの行き違いがあったみたいでね。
何があったんですか?
僕らのエージェントは単にToolとやって欲しくないと思ってたみたいで、早々に話がポシャったらしくてね。でも、『The Power to Believe』を作った時にアダム・ジョーンズ(Toolのギタリスト)にコンタクトを取ってみたら「僕たちは常にあなたたちと一緒にやってみたいと思ってました」って言ってくれて。それでようやくやれるようになって。彼らがいつもやってるようなアリーナじゃなくて、僕らがやってるようなもっと小さな会場で演奏してくれたんだよ。
何公演ぐらい一緒にやったんですか?
11公演で、本当に素晴らしかった。彼らが本当に好きだよ。僕は彼らの曲を熟知しているというわけじゃなかったんだけれど。最初聞いた時、少しヴェールのかかった感じがしててね。
それはどういう意味ですか?
理解するのにちょっと努力が必要だけれど、一度理解できるようになるととてもよくなるっていうことだよ。僕はレディオヘッドやXTCにも同じものを感じるね。11公演を一緒にして「よし、これでもう彼らの音楽が心から理解できる」となったんだ。今でも彼らとは連絡を取っているよ。
Machineが『The Power to Believe』をプロデュースしましたが、彼が入ったことで違うフィーリングになりましたか?
彼がいつ入ってきたか覚えていないんだけれど、多分パットの紹介からかな。これまでと全く違う制作過程だったね。初めてデジタルで作業したんだ。『The Construkction of Light』がADATで録音した最後のアルバムになった。『The Power to Believe』はRadarシステムを使ってLogicでレコーディングした。
みんなデジタルに戸惑いませんでしたか?
ロバートはMachineがやりたいようにさせてたよ。ロバートの一番の関心ごとは、どの音をどこに振るか(注:左右に定位を振ること)なんだと思う。ミックスにやってきては、「これはそっちじゃなくて、そっちに振ってくれ」とよく言ってたよ。彼はMachineのことをとてもリスペクトしてて、彼はいい耳を持っててよく聞いている、と何回も言ってた。
そのあとあなたはクリムゾンを脱退して、ソロを始めますね。どういう気持ちでしたか?
ちょうどいい頃だと思ったんだ。ロバートと18年もやってきて、本当にやりたいことに気づいて、これ以上は続けられないと思ったんだよ。クリムゾンがどうなるかは明確じゃなくて、ロバートはいろんなプランを考えてたんだけれど、そのどれも僕がいるべきじゃないと思ったんだ。
2003年にクリムゾン脱退後初のソロアルバム、『Untune the Sky』をリリースしましたね
記憶が正しいなら、これも同じ時期で、もう十分だと思って自分のソロバンドを解散したんだ。バンドでやることに興味をなくしたんだと思う。
なぜですか?
だんだんとドラムをあちこちに運ぶのが面倒になってしまったんだ。この時期は何もしてないように見えるかもしれないけれど、実際にはQuodia(注:トレイ・ガンのプロジェクト名)にパートナーのジョー・メンデルソンと取り組んでたんだけれど、結局、バンドではやらないことにしたんだ。Quodiaはマルチメディアのプロジェクトで、ストーリーテリングやフィルムなども使ったライブ音楽なんだ。
どういうことがあったんですか?
Quodiaがうまくスタートしなかったんだよ。クリムゾンでやってたようなことを期待してみんな見にくるだろうし。それにまだマルチメディアに向いた会場がそんなになかったからね。その頃、他に何か録音したかも覚えてない。もしかしたら何も作ってないかも。君の方が詳しいかもね。
ウォーギターはいつから使い始めたんですか?
かなり早い頃だね。Thrakツアーに1本持って行ったけれど、スタジオでは使わなかった。マーク・ウォーが1本くれて、それでツアーに持って行ったんだ。だから、95年ぐらいから使い始めて、それから今までウォーギターだけを使ってる。
レスポールを持ち出してぶっ壊してやろうとか思ったりしないんですか?
思わないな。7弦エレキギターを持ってて、アームがあるからスタジオでは使ってるけれど、それもたまにだね。アコースティックギターもあるけれど……ウォーギターはレスポールよりもクールだよ。
あなたは他のギタープレーヤーと全然違う世界で生きてますね。
2つ理由がある。他の人と同じことをしても僕には意味がないということ。それに、スティックを弾き始めただいぶ初期に気づいたんだけれど、これは演奏するのが相当難しくて、習得するのにかなり時間がかかるんだ。
始めたなら最後までやるしかないと思ったんですね。
いろんなところに身を置いてみて、この楽器はどういうものなのかがわかったんだ。実際、僕はニューヨークで100くらいのオーディションに行ってるんだよ。誰かがベースプレイヤーを……時にはギタープレイヤーの時もあったけれど……探してて、いけそうだと思った時にね。合うかどうかわからなかったし、ギグに出たいかどうかも意識してなかったけれど、チャップマン・スティックを持って行って合わせてみた。ロックバンドやカントリーバンド、アイリッシュバンドも2つほどオーディションを受けた。そこで、本当に素晴らしい人たちと一緒に演奏できた。
自分がどれほどのものか試してみようという感じだったんですか?
本気で取り組んでもないのに「これが自分の楽器だ、さあ行くぞ」なんて言っても、上手くはならないんだよ。これが僕の取り組み方で、今もそうしてる。執着してるわけじゃないんだ。ソロをやる時もあるし、ウクレレを使う時もある。あれは全然違う楽器だからね。ギターかベースを持ってても意味がないんだ。ベースが適切な楽器の時もあるし、そういう音をスティックから出そうとしたこともあるけれど、こう言うだけだね。「君らが本当に必要なのはベースプレイヤーだよ。スティックは別物なんだ」ってね。
2015年に、ソロ作の『The Waters, They Are Rising』を出しましたが、ヴォーカルにDylan Nichole Bandyを迎えて、ボブ・ディランの“Not Dark Yet”をカバーしてますね。あなたはこれまで、インストゥルメンタルも歌モノもやってますが、この2つで演奏のアプローチは違うものでしょうか。
全然違うね。インストゥルメンタルをやるのはチャレンジなんだ。いつも「とにかくインストがやりたい」というわけじゃないんだ。一般的なものから離れて新しい「声」を出そうというチャレンジなんだ。トレイ・ガン・バンドでやったことや、『One Thousand Years』と『The Third Star』の後のいくつかのソロはそういう試みだったんだよ。
普通はどのバンドでもヴォーカルが中心ですよね。
声というのは人を引き寄せるものだし、偉大なシンガーは実に魅力的だから、後ろの音楽が特別に何かをする必要はないんだけど、声なしでやろうとした時、「どうすればいいんだ? どうやったら正しいやり方になるんだろう?」と思ったよ。
あなたのインストゥルメンタルへのアプローチの仕方は?
ジャズのようなソロを弾くわけでも、クラシックみたいにやるわけでもないんだ。僕がやっているのは、声を取り除いて、どうやって焦点になるようなものを生み出すか、ということなんだ。僕はその答えをいくつか見つけたから、声を入れたらいろいろなことができるよ。
新アルバムの『Security Project Live』で、シンガーのブライアン・カミンズ(Brian Cummins)と一緒にピーター・ガブリエルの音楽を再解釈していますが、特にどの曲が大変でしたか?
Intruderをやると決めた時、単調なドラムのビートがずっと続いてて、構成も単調だなと思ったけれど、そうじゃなかった。普通とは違う拍のまとまりがあったのに、そのことに気づいてなかったんだ。1音1音追うのは挑戦だったけれど、そこから少し離れて、コンセプトを守りつつ、上手くいく音を使ってみた。
アルバムを作るのに色々やることがあったようですね。
素晴らしかったよ。あれらの曲を探求するのはとてつもない研究プロジェクトだったね。僕にとって、ディシプリンやマハヴィシュヌとはまた違った、プレイヤーの世界からのコインだった。あれは本当に素晴らしい成功で、芸術的な発露だよ。特にピーター・ガブリエルの3枚目は未だに心揺さぶられるね。
ピーター・ガブリエルに会ったことは?
あるよ。リアルワールドスタジオで『Thrak』をレコーディングした時にね。でもちょっとだけだった。代わりにトニーを介して連絡をするようになった。
ジェリー・マロッタがドラムをやっていますが、ピーターとやっていただけあって、曲をよく理解してますね。
実は僕はジェリーとはずっと前から仕事をしてたんだよ。シルヴィアン・フリップの時に最初会って、演奏して。ガブリエルの3枚目と4枚目でジェリーとトニーがやってるフィーリングには驚いたね。“The Rhythm of the Heat”を演奏するまでは、それが本当のところで理解できてなかった。ドラムがダ、ドン、ダ、ドンとやってて、ちょっとばかりフィルが入るわけだけれど、同じ部屋で一緒にやったら「なんてこった、ジェリー・マロッタだよ、このフィーリングだよ」という感じになったよ。
ジェリーは注目すべきドラマーですよね。
このフィルを叩ける信じられないくらい素晴らしいドラマーを10人知ってる。フィルというよりは、ヒットだけれど。でも、叩き方や間の取り方、進み方はジェリーならではだよ。ピーターの作品はジェリーの貢献が大きいね。で、僕らのバンドに彼がいるわけだ(笑)。
最近のプログレは聴きますか? ドリームシアターやOpethとか。
僕はあまり興味を惹かれないんだ。きっとクリムゾンとやっても彼らとやらないのはそのせいじゃないかな(笑)。僕は新しいクラシックや西アフリカの音楽の方にハマってる。うるさい音楽はあまり聴きたくないんだ。うるさいギターも好きじゃない。自分でいくらでもやれるから、似たようなものを聴きたいとは思わないんだ。たとえそれが良いものでもね。
わかります。
Toolですら聞かないんだ。聞いたことはあるし、皆聴きたいなら聞けばいいと思うし。
ちょうどいいところなので終わりましょう。いい音を弾いてください。
どうもありがとう。
ちなみに、ウォーギターのルシアー、マーク・ウォーは現在大腸ガンの治療で療養中だとのこと。トニー、パット、エイドリアンの3人で毎年やっているサマーキャンプでは、ウォーギターと思しき楽器を持った参加者が多数いるが、回復を祈りたい。