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2019年6月18日火曜日

クリムゾンのニューアルバム?「The Reconstrukction of Light」

クリムゾンが現行ラインナップでスタジオアルバムを作る予定はないと発言していることは有名だが、クリムゾンの最新スタジオアルバムと言えるかもしれない作品が登場した。それが6月発売されたばかりの「The Reconstrucktion of Light」だ。これは「The Construkction of Light」のドラムを新録しなおしたものだ。そのいきさつはちょっと興味深い。



2000年発表の「The Construkction of Light」はADATというS-VHSテープ(家庭でテレビ番組を録画するのに使ってたVHSのちょっと豪華版とでもいえば良いか)を使ったデジタルレコーディングによって制作された。当時はS-VHSは放送用途でも多用されており、普及したメディアを転用して安価にデジタルレコーディングができるということで、ADATは90年代を通して大変使われた。現在テープを使うことはないが、ADATは規格としてのみ残っておりプロオーディオ機器もサポートを継続している。

オリジナルの「The Construkction of Light」
問題はこのADATという過渡期のデジタルレコーディングシステムだ。現在のようなクラウド保存なんてない時代。パット・マステロットのドラムはエイドリアン・ブリューの知人のエンジニアによって録音されたのだが、近年亡くなり彼が持っているはずのマスターテープは所在不明となってしまったという。普通のビデオテープにしか見えないなら、うっかり捨ててしまってる可能性も否定できないから恐ろしい。かくしてパットのドラムを録音したオリジナルのマルチトラックマスターは失われてしまった(これまでのクリムゾンのライブマテリアルと同様、将来的に出てくる可能性もあるのだろうか?)。

クリムゾンの40周年記念シリーズはオリジナルのハイレゾ版とサラウンド版を作ることが売りの一つであったのだが、このままでは2ミックスしか残っていないのでさてどうしよう?という話になったときに、パットが新しくドラムを録音しなおす、という解決になった。この結果、作品は新しい命を吹き込まれた。

一聴してわかるのが、パットのドラムがヘヴィネスを増していることだ。現在3人ドラムでやっているレパートリーを1人でやってみるというのも面白い試みだが(とはいえ録音時期からするとリハに上がる前かもしれない)、明らかにオリジナルドラマーとして、またクリムゾンの常とう手段としてレコーディング前のライブという手順を踏まなかったアルバムだったことから、アルバム発表後のライブで練り上げられたドラミングがここに結実しているとみることもできるだろう。

ドラムの音やプレイが変われば当然ミックスも変わるとばかりに、一聴してわかる程ミックスが変わっている。ギターもよりヘヴィさを増し、音像としては自作「The Power to Believe」に近くなっている。それもそのはず、一部でMachineも参加しているのだ。また、各曲間をサウンドスケープでつなぐなどして、オリジナル発表当時はProjecktでできた素材を寄せ集めた感があったものを、よりアルバムとしての統一性を増している。はっきりいって、オリジナルよりも良くなった。

かつてトレイ・ガンは最良のアルバムではないがベストは尽くした、と語っていたこのアルバム、今回のドラムパート差し替え&ニューミックスで新しい評価を手にすることができるかもしれない。

余談だが、ユニバーサルミュージックが、ニルヴァーナもエイジアもサッチモもビリーホリディもコルトレーンもテープを焼失してしまったという話が最近大きな話題になったが、過渡期のデジタルレコーディングの保存は今後の課題だろう。


2017年8月10日木曜日

トレイ・ガン、インタビュー 2016/10/29

キング・クリムゾンを脱退して以降、活動が地味だったトレイ・ガン。最近はピーター・ガブリエルの4枚目のアルバム収録曲を再現するプロジェクト“The Security Project”で表に出る活動を再開した。インタビューがultimate-guitar.comに載っていたので、抜粋を翻訳・掲載する。



ベースを始めるまでは、子供の頃はクラシックピアノを弾いていたそうですね。

当時を思い出してみると、本当に音楽に興味があったんだと思う。他の子達がピアノを弾いてるのを見て僕もやりたくなったんだ。それがたまたまクラシックだったというだけなんだけど、ある時、ラジオや両親のレコードコレクションを聞いて一変しちゃってね。

それがクラシックロックだったんですね?

そう。ジャズはそんなになかった。クラシックがいっぱい、そして60年代末〜70年代頭のポップスも。10代はテキサスで育ったんだけれど、70年代末までFMラジオの電波が届いてなかったんだ。たくさんビートルズを聴いて、そしてツェッペリンに行った。72年か73年のことだよ。それでロックの世界が開けてきたんだ。

ベースを弾くことになったのはポール・マッカートニーの影響?

悲しい話なんだけれど、あるバンドにギターが2人いて、ベースが必要だっていうから、じゃあやるよって言ったんだ。自分のを買う前に借りたベースを使ってた。フェンダーの3/4スケールのMusicmasterだった(注:学生向けの廉価モデルでスケールが通常よりも短い)。運がいいことに、ドラマーが本当にうまいやつで、いろんな曲を弾いたり即興したりしたよ。

ギターを手にした時、それが弾きたい楽器だって思った?

ギターを手にした時はそんなに違いを感じなかった。好きな点もあるけれど、リードギターを弾くことにそんなに興味は感じなかったね。でもベースよりも弦がいっぱいあるしね。機能性やグルーヴのことを除けば、両方に惹かれたし、両方弾きたかった。

今はチャップマン・スティックとウォーギターがあるわけですよね。いわば、ベースとギターにキーボートとストリングスが合わさったようなものですよね。

そしてパーカッションだね。チャップマン・スティックを手にした時、これこそが自分の求めていた楽器、自分のプレイスタイルだと思ったよ。今まで間違った楽器を弾いてたんだって。キーボードやギターでやろうとしたこと、ベースでやってたことが全てここにあって、同じテクニックで演奏できるわけだから。

ロバート・フリップと演奏したのは元々Fripp Frippという名で、のちにSunday All Over the Worldとなるバンドでしたね。『Kneeling at the Shrine』というアルバムを録音しましたが、フリップとのレコーディングはどういうものでした?

それまでにたくさん一緒に演奏してきたけれど、それはギター・クラフト関連だったんだよね。ロバートはトーヤのために曲を作ろうとしてて、彼はソロを弾きたくなかったんだ。ギターでハーモニーやコードを展開してて。素材ができたら演奏して…それは大概僕とロバートとで、たまにドラマーが入って、トーヤが来て歌うこともあった。

1992年にはフリップとデヴィッド・シルヴィアンとで『The First Day』と『Damage』を録音してますね。

『Damage』はライブだった(注:限定発売で日本盤は未発売。後にシルヴィアンによるリマスタリングと曲順変更が行われ再リリース)。グループは最初トリオ編成で、ドラムなしでいくつかのツアーをした(注:日本でも公演を行った)。とても変わったプロジェクトで、オーディエンスにとっても音楽的に驚きだったと思う。僕らは20分ほどアンビエントな音を出すことから始めて、そこからデヴィッドが歌い出して。彼はそんなに歌わなくって、一晩で3〜4曲ぐらいだったかな。でもあの声が乗っかるんだよ、本当に素晴らしかったね。

『The First Day』の前にもショーで演奏していたんですか?

そうだよ。レコーディングまでには、曲はバンド向きのものになってた。『Damage』はロイヤル・アルバート・ホールでやったツアー最後の2公演から収録した。これまでで最も強烈なレコーディングだった。

フリップと演奏したのがそんなに初期からだったと聞いて面白いと思いました。

バンドは生きてるんだと実感できてとても驚いたよ。うまく演奏できなかった夜のことを覚えてる。リバーブとディレイが多すぎてお互いをよく聞くことができなかったんだ。演奏はADATに録音されてて、Pro Toolsもない頃だから、細かい編集もできない。このテイクを使うか使わないかだけだった。でもそういうやり方が好きだったよ。

その頃レコーディングした『One Thousand Years』が最初のソロアルバムですか?

それ以前にも自分では色々レコーディングしてたよ。カセットでいくつか学生の頃リリースしてたし、チャップマン・スティックとパーカッションにボーカルで色々実験してみたものもあるし。どれぐらいのことができるか知りたかったんだ。

Vrooom』のレコーディングはどうでした?

あれは最高だったね。ウッドストックのAppleheadという小さなスタジオで、みんな同じ部屋に入って録音した。デヴィッド・ボットリル(David Bottrill)がエンジニアで、『Thrak』にも参加してくれた。

彼はレコーディングでは重要な役割だったんでしょうか? その後、彼はミューズ、ドリームシアター、Toolをプロデュースしてますね。

そう思うよ。シルヴィアンが見つけてきたんだ。彼は『最後の誘惑』のサウンドトラック(ピーター・ガブリエル)を担当した。僕にとってはあれはワールドミュージックの最初にして最後だね。でもビル・ブルーフォードは彼は若すぎると言って懐疑的だったけど。

ビル・ブルーフォードはいろんな人とぶつかる傾向があるようですね。

でも、彼は僕に「こいつ、2つのドラムにマイクをセッティングしてるけど、位相とマイクの扱い方をわかってるじゃないか」と言ってたよ。デヴィッドはスタジオでどう振る舞えばいいか、クリムゾンが曲を磨き上げていくプロセスにおいて、どうやったら僕らがやりやすいかをわかってたんだ。彼は完璧だったと思うよ。

セッションはうまく行ったんですね。

なんて言えばいいのかな、うまい方向になだらかに転がり込んだというか。こういう感じだったんだよ。1週間でEPを作らなきゃいけないけれど、曲は2〜3曲しかない。もうちょっと曲を作らないといけないから、ドラマーに1時間ほど演奏させて、その周りで他の楽器が演奏して、いくつか音をかぶせて、それで出来上がり。という感じ。

ロバート・フリップからはミュージシャンとしても求められたことは?

なんというか、彼はできるだけ何も要求しないんだ。こう演奏しろとか誰にも言わないからね。でも、ある意味では非常に要求が厳しい。「クールにやれよ、ここがお前のスペースだ。他の奴がやらないようなことをやってみろよ、そうでないなら何も弾くな」と言ってるようなものだからね。要求が厳しいのは、一緒にいて録音させていること自体なのかもしれないね。

どうやって“Dinasaur”ができたんですか?

長年ロバートがフラストレーションだって言っていることがあって、それは、クリムゾンではどの曲もそれぞれが新しいジャンルの曲で猛烈に難しいから、雛形みたいなものが存在しないんだって。“Dinasaur”でいうと、確かエイドリアンがオープニングのリフを弾いて、僕らがその周りで演奏し始めたかな。エイドリアンが一旦曲を掴むとそれが大きな飛躍で、全体像がわかるようになると、僕らがどう音を足していけばいいか分かるようになるんだ。

エイドリアンがメロディーと歌詞を思いつくかどうかが鍵だと?

“Dinasaur”に関しては、彼が最初、弦楽四重奏を書こうとしてたのか(注:イントロのギターシンセによるストリングフレーズのことと思われる)、それが発想の元になったのかは分からないけれど、ドラムのない中間部を彼が持ってきて、僕らでアレンジしていくつか付け足した。『Thrak』の曲は1曲もスタジオで書かれたものはないんだ。音楽的にうまくいった理由は、レコーディングの前にアルゼンチンで曲を演奏してたからじゃないかと思う。

1曲も? 本当ですか?

『Vrooom』から大きく変わった曲はそんなにないんだよ。ある曲はテンポが速くなり、ある曲は遅くなったり、少しアレンジが変わったり。アルゼンチンでの12〜16公演から全てを凝縮したと言える。そして『Thrak』をレコーディングした。“Dinasaur"の元となる部分もたくさん演奏してた。もちろん持っていたアイディアはレコーディングに反映されたけれど、全てはステージで出来上がってたし、これ以上足すものもなかったしね。皆、欠けてる部分を正しい方法で埋めたから、何回か演奏してテイクを選べさえすればよかったんだよ。

1999年にはジョン・ポール・ジョーンズと『Zooma』をレコーディングしてますね。

彼は僕のヒーローだし、ツェッペリンの曲はたくさん弾いてたんだけど、彼と会って一緒に演奏して、彼の音楽の中に入ってみるまでは、彼こそがツェッペリンの秘密兵器だったなんて気がつかなかったんだよ。

ジョン・ポール・ジョーンズはバンドへの貢献を正しく評価されていないと思います。

信じられないほど素晴らしい音楽家だし、ジミー・ペイジの名声をあげるのに貢献したのに、まるで蚊帳の外だよね。彼と演奏するのは楽しかったよ。のちにロバートがキング・クリムゾン・プロジェクトとか“fraKctalisation”と呼ぶものを始めるようになったのも、彼に導かれてのものだからね。

それはどういうことですか?

ジョンは僕とトリオをやりたかったんだけど、僕はベースとベースじゃない部分を弾いて、彼はソロとベースを弾けるようにしたかったんだ。彼は僕にもっと抽象的で、パンクで、コルトレーンみたいなソロを弾くように導いてくれた。これが『Zooma』のレコーディングであったことだね。彼はギターアンプを用意して、「俺はソロをやるから、一緒にやってみよう」と言って始めて。そうしたら、色々と面白いやり方が見つかって、それがクリムゾン・プロジェクトにも反映されているんだ。

プロジェクトの結果が2000年の『The Construkction of Light』ですね。このアルバムは4人でレコーディングされています。

ダブルトリオはよかったんだけれど、みんなにとってきつかったんだ。一番きつかったのは僕だと思う。

それはなぜ?

ちょっと大げさかもしれないし、単に僕の苦労話をしてるだけかもしれないけど、たくさん音がある中でどんな音が合うか見つけるのは本当に大変だったんだよ。だから僕らは4人になった。それで「よし隙間ができたね」となったわけだ。僕は他のミュージシャンよりも隙間がある方が好きだからね。クリムゾンで一番いいレコードだったかは分からないけれど、いい曲があると思う。レコーディングするまでライブで演奏できなかったアルバムだね。

多分、もう一度違う風にやり直せるなら、ああいう風にはやらなかったと思う。それまでステージで素材を発展させてきたからね。でも僕らはああいうやり方でやったわけで、それでライブで演奏できるようになったわけだからね。ライブレコーディングの方が強烈だと思うけれども、あのレコードはああいうものだったんだよ。

その頃、Toolとツアーに出てますね。

僕とパットはずっとToolが気になってたんだよ。それで僕らのエージェントを急かして、「彼らと演奏できないかい? なぜいつも僕らだけでツアーするんだ? 他の誰かとやれないの?」と言ったんだよ。

エージェントの反応は?

こんな感じだった。「Crash Test Dummysとツアーしてみないか?」「ダメだ」「ドリームシアターはどうだ?」「ダメだ!Toolとできないの?」っていう。僕らとToolのチームとでいくつかコミュニケーションの行き違いがあったみたいでね。

何があったんですか?

僕らのエージェントは単にToolとやって欲しくないと思ってたみたいで、早々に話がポシャったらしくてね。でも、『The Power to Believe』を作った時にアダム・ジョーンズ(Toolのギタリスト)にコンタクトを取ってみたら「僕たちは常にあなたたちと一緒にやってみたいと思ってました」って言ってくれて。それでようやくやれるようになって。彼らがいつもやってるようなアリーナじゃなくて、僕らがやってるようなもっと小さな会場で演奏してくれたんだよ。

何公演ぐらい一緒にやったんですか?

11公演で、本当に素晴らしかった。彼らが本当に好きだよ。僕は彼らの曲を熟知しているというわけじゃなかったんだけれど。最初聞いた時、少しヴェールのかかった感じがしててね。

それはどういう意味ですか?

理解するのにちょっと努力が必要だけれど、一度理解できるようになるととてもよくなるっていうことだよ。僕はレディオヘッドやXTCにも同じものを感じるね。11公演を一緒にして「よし、これでもう彼らの音楽が心から理解できる」となったんだ。今でも彼らとは連絡を取っているよ。

Machineが『The Power to Believe』をプロデュースしましたが、彼が入ったことで違うフィーリングになりましたか?

彼がいつ入ってきたか覚えていないんだけれど、多分パットの紹介からかな。これまでと全く違う制作過程だったね。初めてデジタルで作業したんだ。『The Construkction of Light』がADATで録音した最後のアルバムになった。『The Power to Believe』はRadarシステムを使ってLogicでレコーディングした。

みんなデジタルに戸惑いませんでしたか?

ロバートはMachineがやりたいようにさせてたよ。ロバートの一番の関心ごとは、どの音をどこに振るか(注:左右に定位を振ること)なんだと思う。ミックスにやってきては、「これはそっちじゃなくて、そっちに振ってくれ」とよく言ってたよ。彼はMachineのことをとてもリスペクトしてて、彼はいい耳を持っててよく聞いている、と何回も言ってた。

そのあとあなたはクリムゾンを脱退して、ソロを始めますね。どういう気持ちでしたか?

ちょうどいい頃だと思ったんだ。ロバートと18年もやってきて、本当にやりたいことに気づいて、これ以上は続けられないと思ったんだよ。クリムゾンがどうなるかは明確じゃなくて、ロバートはいろんなプランを考えてたんだけれど、そのどれも僕がいるべきじゃないと思ったんだ。

2003年にクリムゾン脱退後初のソロアルバム、『Untune the Sky』をリリースしましたね

記憶が正しいなら、これも同じ時期で、もう十分だと思って自分のソロバンドを解散したんだ。バンドでやることに興味をなくしたんだと思う。

なぜですか?

だんだんとドラムをあちこちに運ぶのが面倒になってしまったんだ。この時期は何もしてないように見えるかもしれないけれど、実際にはQuodia(注:トレイ・ガンのプロジェクト名)にパートナーのジョー・メンデルソンと取り組んでたんだけれど、結局、バンドではやらないことにしたんだ。Quodiaはマルチメディアのプロジェクトで、ストーリーテリングやフィルムなども使ったライブ音楽なんだ。


どういうことがあったんですか?

Quodiaがうまくスタートしなかったんだよ。クリムゾンでやってたようなことを期待してみんな見にくるだろうし。それにまだマルチメディアに向いた会場がそんなになかったからね。その頃、他に何か録音したかも覚えてない。もしかしたら何も作ってないかも。君の方が詳しいかもね。

ウォーギターはいつから使い始めたんですか?

かなり早い頃だね。Thrakツアーに1本持って行ったけれど、スタジオでは使わなかった。マーク・ウォーが1本くれて、それでツアーに持って行ったんだ。だから、95年ぐらいから使い始めて、それから今までウォーギターだけを使ってる。

レスポールを持ち出してぶっ壊してやろうとか思ったりしないんですか?

思わないな。7弦エレキギターを持ってて、アームがあるからスタジオでは使ってるけれど、それもたまにだね。アコースティックギターもあるけれど……ウォーギターはレスポールよりもクールだよ。

あなたは他のギタープレーヤーと全然違う世界で生きてますね。

2つ理由がある。他の人と同じことをしても僕には意味がないということ。それに、スティックを弾き始めただいぶ初期に気づいたんだけれど、これは演奏するのが相当難しくて、習得するのにかなり時間がかかるんだ。

始めたなら最後までやるしかないと思ったんですね。

いろんなところに身を置いてみて、この楽器はどういうものなのかがわかったんだ。実際、僕はニューヨークで100くらいのオーディションに行ってるんだよ。誰かがベースプレイヤーを……時にはギタープレイヤーの時もあったけれど……探してて、いけそうだと思った時にね。合うかどうかわからなかったし、ギグに出たいかどうかも意識してなかったけれど、チャップマン・スティックを持って行って合わせてみた。ロックバンドやカントリーバンド、アイリッシュバンドも2つほどオーディションを受けた。そこで、本当に素晴らしい人たちと一緒に演奏できた。

自分がどれほどのものか試してみようという感じだったんですか?

本気で取り組んでもないのに「これが自分の楽器だ、さあ行くぞ」なんて言っても、上手くはならないんだよ。これが僕の取り組み方で、今もそうしてる。執着してるわけじゃないんだ。ソロをやる時もあるし、ウクレレを使う時もある。あれは全然違う楽器だからね。ギターかベースを持ってても意味がないんだ。ベースが適切な楽器の時もあるし、そういう音をスティックから出そうとしたこともあるけれど、こう言うだけだね。「君らが本当に必要なのはベースプレイヤーだよ。スティックは別物なんだ」ってね。

2015年に、ソロ作の『The Waters, They Are Rising』を出しましたが、ヴォーカルにDylan Nichole Bandyを迎えて、ボブ・ディランの“Not Dark Yet”をカバーしてますね。あなたはこれまで、インストゥルメンタルも歌モノもやってますが、この2つで演奏のアプローチは違うものでしょうか。

全然違うね。インストゥルメンタルをやるのはチャレンジなんだ。いつも「とにかくインストがやりたい」というわけじゃないんだ。一般的なものから離れて新しい「声」を出そうというチャレンジなんだ。トレイ・ガン・バンドでやったことや、『One Thousand Years』と『The Third Star』の後のいくつかのソロはそういう試みだったんだよ。

普通はどのバンドでもヴォーカルが中心ですよね。

声というのは人を引き寄せるものだし、偉大なシンガーは実に魅力的だから、後ろの音楽が特別に何かをする必要はないんだけど、声なしでやろうとした時、「どうすればいいんだ? どうやったら正しいやり方になるんだろう?」と思ったよ。

あなたのインストゥルメンタルへのアプローチの仕方は?

ジャズのようなソロを弾くわけでも、クラシックみたいにやるわけでもないんだ。僕がやっているのは、声を取り除いて、どうやって焦点になるようなものを生み出すか、ということなんだ。僕はその答えをいくつか見つけたから、声を入れたらいろいろなことができるよ。

新アルバムの『Security Project Live』で、シンガーのブライアン・カミンズ(Brian Cummins)と一緒にピーター・ガブリエルの音楽を再解釈していますが、特にどの曲が大変でしたか?

Intruderをやると決めた時、単調なドラムのビートがずっと続いてて、構成も単調だなと思ったけれど、そうじゃなかった。普通とは違う拍のまとまりがあったのに、そのことに気づいてなかったんだ。1音1音追うのは挑戦だったけれど、そこから少し離れて、コンセプトを守りつつ、上手くいく音を使ってみた。

アルバムを作るのに色々やることがあったようですね。

素晴らしかったよ。あれらの曲を探求するのはとてつもない研究プロジェクトだったね。僕にとって、ディシプリンやマハヴィシュヌとはまた違った、プレイヤーの世界からのコインだった。あれは本当に素晴らしい成功で、芸術的な発露だよ。特にピーター・ガブリエルの3枚目は未だに心揺さぶられるね。

ピーター・ガブリエルに会ったことは?

あるよ。リアルワールドスタジオで『Thrak』をレコーディングした時にね。でもちょっとだけだった。代わりにトニーを介して連絡をするようになった。

ジェリー・マロッタがドラムをやっていますが、ピーターとやっていただけあって、曲をよく理解してますね。

実は僕はジェリーとはずっと前から仕事をしてたんだよ。シルヴィアン・フリップの時に最初会って、演奏して。ガブリエルの3枚目と4枚目でジェリーとトニーがやってるフィーリングには驚いたね。“The Rhythm of the Heat”を演奏するまでは、それが本当のところで理解できてなかった。ドラムがダ、ドン、ダ、ドンとやってて、ちょっとばかりフィルが入るわけだけれど、同じ部屋で一緒にやったら「なんてこった、ジェリー・マロッタだよ、このフィーリングだよ」という感じになったよ。

ジェリーは注目すべきドラマーですよね。

このフィルを叩ける信じられないくらい素晴らしいドラマーを10人知ってる。フィルというよりは、ヒットだけれど。でも、叩き方や間の取り方、進み方はジェリーならではだよ。ピーターの作品はジェリーの貢献が大きいね。で、僕らのバンドに彼がいるわけだ(笑)。

最近のプログレは聴きますか? ドリームシアターやOpethとか。

僕はあまり興味を惹かれないんだ。きっとクリムゾンとやっても彼らとやらないのはそのせいじゃないかな(笑)。僕は新しいクラシックや西アフリカの音楽の方にハマってる。うるさい音楽はあまり聴きたくないんだ。うるさいギターも好きじゃない。自分でいくらでもやれるから、似たようなものを聴きたいとは思わないんだ。たとえそれが良いものでもね。

わかります。

Toolですら聞かないんだ。聞いたことはあるし、皆聴きたいなら聞けばいいと思うし。

ちょうどいいところなので終わりましょう。いい音を弾いてください。

どうもありがとう。



ちなみに、ウォーギターのルシアー、マーク・ウォーは現在大腸ガンの治療で療養中だとのこと。トニー、パット、エイドリアンの3人で毎年やっているサマーキャンプでは、ウォーギターと思しき楽器を持った参加者が多数いるが、回復を祈りたい。


2017年7月31日月曜日

ピンク・フロイド書籍「ピンク・フロイド全記録(グレン・ポブィ)」が発売



活動は終わったとされる、ピンク・フロイド。その軌跡を収めた本が出版される。著者はグラン・ポブィ。完全限定2000部とある。監修はストレンジ・デイズ。

発売は2017年8月31日とのこと。価格は5940円、440ページ。詳細がアマゾンに出ている

【完全限定2000部】

デビュー50周年記念

ロンドンV&Aでピンク・フロイド大回顧展開催中! 
ロジャー・ウォーターズ25 年振り新作発表! 


 プログレッシブ・ロックの先駆者であるピンク・フロイド全キャリアを網羅した究極のビジュアル・データ・ブック、本邦初の貴重な未発表写真やグッズ、コンサー ト、リハーサル、レコーディングなどの詳細なデータ、インタビュー、全公演セットリストなどピンク・フロイドのすべてをこの一冊にコンパイル。
 さらに伝説のアビーロード・レコーディング・セッションに関しての最新資料も追加した圧巻のアーカイブ集。ピンク・フロイドの権威として名高い、英音楽評論家・グレン・ポヴィによる緻密な取材の集大成でもある。
 最も革新的なロックグループの胎動期から現在に至るまでの偉大な奇跡を記録した唯一無比のピンク・フロイド一大絵巻。ピンク・フロイドファン、ロック・ファン待望の一冊、遂に完成。

63~67年 黎明期そして『夜明けの口笛吹き』シドバレットの登場
68~71年 サイケデリックからプログレッシブロックへ『原子心母』の時代
72~76年『狂気』『炎』飛翔伝説~ゆるぎなきスターダムへ
77~85年『アニマルズ』『ザ・ウォール』~ロジャー・ウォーターズの時代
85~04年『ファイナルカット』『鬱』『対』~デイヴ・ギルモアの時代
05~15年『光』『エンドレスリバー』~再会そして終焉

ディスコグラフィー全作品・詳細解説
メンバー・ソロ・キャリア全掲載・解説

<著者プロフィール>
グレン・ポヴィ
ピンク・フロイドのファンジン「ブレイン・ダメージ」の創設者で1985 ~ 93 年までの本誌の編集長を務める。著 書には『Pink Floyd in Flesh:The Complete Performannce History』(St.Martin Griffin 刊) 『Echoes』(Chicago Review Press 刊)があり、ピンクフロイド史研究家として世界的な権威。現在もMojo、Record Collector、Classic Rock などの主要音楽誌へ寄稿。またアーティスト・マネジメントやツアー・プロダクションなども手掛け、音楽産業でも活躍中。現在・英ハートフォード州在住。
ピンク・フロイドは終わってしまった。各人のソロに互いにゲスト参加することはあっても、もはや復活はないだろう。そういうわけで、色々と過去のお蔵入り音源などを集める作業が進められている様子。回顧として、活動の全貌を俯瞰するのは意味があることかもしれない。昨今の出版不況を踏まえて2000部という、一時は商売が成り立つのと疑問に思う部数ももはや当たり前になってしまったようだ。


2017年5月21日日曜日

ロバート・フリップがジョー・ザヴィヌルと話している写真

DGMからのニュースで知りましたが、キング・クリムゾンのロバート・フリップが、ウェザー・リポートのジョー・ザヴィヌルと話している貴重な写真を発見しました。90年代半ばのラジオ番組でのことで、フリップはクリムゾンのリハーサル音源を放送したとのこと。



記事はスペイン語のため正確な内容は不明ですが、フリップが音楽産業について(おそらく否定的に)語ると、ザヴィヌルが「俺はそれら全部のクソが好きなんだよ」と答えたとのこと。時期的にウェザー・リポート解散後なので、ザウィヌル・シンジケートの頃でしょうか。

時間があれば、二人の会話内容について調べてみたいところです。
http://elintruso.com/2007/07/05/hernan-nunez/


2017年4月15日土曜日

カール・パーマー、自身のプロジェクト”Carl Palmer’s ELP Legacy”を語る

カール・パーマーが始めた、ELP楽曲を演奏するプロジェクト、Calr Palmer’s ELP Legacyについて語っているインタビューを見つけたので、その簡単な内容を紹介する。なお、インタビューはキース・エマーソンの死後、グレッグ・レイクの生前に行われたもので、音楽ライターのロブ・パターソンによるもの。

http://bestclassicbands.com/carl-palmer-interview-6-8-16/

キース・エマーソンが生きていたら、まだELPをやっていたか?:
やらない。昔の水準でもう演奏できなくなっていたから。特にキースは腕に故障を抱えていた。キースは賛成してくれたが、グレッグはやり続けたいようだった。多くの大御所バンドがやっているように、サポートキーボードとギターを入れるようにも示唆したのだが、それも実現しなかった。
キースが亡くなってなければ、いくつかのショーで一緒に演奏する予定もあった。1つは本決まりだった。キースがそこまでひどいとは思ってなかった。本当に突然のことだった。
Carl Palmer's ELP Legacyはキーボードトリオではなく、ギターとベースの3人編成だが?:
懐メロの再演をするという手もあるのかもしれないけれど、そうはしたくなかった。ギターの方が色々な可能性があると思ったし、ELPの音楽は違う編成でも機能すると思った。キースは気に入ってくれていた。バンドにキーボードがいなかったので、ここにキースが加わってくれてたらよかったのだけれど。
本当はELPに参加したくなかったという話は本当?:
本当だ。だって、自分のバンドのアトミック・ルースターがうまくいってたから。でも演奏しだしたらうまくいった。演奏外では色々な問題が起きたが。
また、ドラムスティックにLEDを仕込んで写真撮影した、コンテンポラリーアート作品についても語っている。作品はこちらで買える(http://carlpalmerart.com/?page_id=45)。

ちなみに、ジミ・ヘンドリクスが参加してHELPというバンドになる予定だった、というのはあくまで噂だったらしい。

その他、今の自分の演奏水準をキープできなくなったら引退する、ということも述べている。

2017年4月14日金曜日

ELP: Once upon a time in South America レコード化



2015年に発売された、エマーソン、レイク&パーマーの1993年と1997年のライブを収録した4枚組CDがLP化されるそうです。USのアマゾンではすでに予約受付をしていますが、日本ではまだの様子。LP2枚なのでCD全曲ではなく、1993年のライブのみの収録ですが、トラックは次の通り。

LP1 S1:(Santiago, Chile on April 1, 1993)

  1. Introductory Fanfare
  2. Tarkus
  3. Knife Edge
  4. Lucky Man

LP1 S2:(Santiago, Chile on April 1, 1993)

  1. Hoedown
  2. Fanfare For The Common Man – America – Blue Rondo a la Turk

LP2 S1:(Buenos Aires, Argentina on April 5, 1993)

  1. Paper Blood
  2. Black Moon
  3. Creole Dance
  4. Instrumental Jam

LP2 S2:(Buenos Aires, Argentina on April 5, 1993)

  1. From The Beginning
  2. Karn Evil 9 1st Impression Part 2
  3. Pictures At An Exhibition
  4. 21st Century Schizoid Man
  5. America

2017年4月11日火曜日

ジ・エヴァーラスティング ~ベスト・オブ・ELP~(6CD)



ご存知の通り、2016年にキース・エマーソン、グレッグ・レイクが相次いで世を去った。ELPは70年代にはレッド・ツェッペリンと並ぶほどの人気と名声を博したにもかかわらず、80年代以降は一般には忘れ去られ、その特異な音楽性ゆえか、散発的な活動再開しかできなかったからか、今でもあまり顧みられることはない。

そんな中、追悼商法といえばそれまでだが、ELPの新たなベストが出た。2000年以降の半公式ライブ盤(しかも愛のない内容)乱発の流れから見ると、またベストか的な気もしなくもないが、未発表音源も収録されているという。

内容は以下の通り。

ディスク:1
  1. ナイフ・エッジ
  2. ラッキー・マン
  3. ジェレミー・ベンダー
  4. ジ・オンリー・ウェイ
  5. タイム・アンド・プレイス
  6. アー・ユー・レディ・エディ
  7. フロム・ザ・ビギニング
  8. シェリフ
  9. トリロジー
  10. リヴィング・シン
  11. 聖地エルサレム
  12. 用心棒ベニー
  13. 今夜は愛の光につつまれて
  14. セ・ラ・ヴィ
  15. ノーバディ・ラヴズ・ユー・ライク・アイ・ドゥ
  16. 海賊

ディスク:2
  1. 孤独なタイガー
  2. 恐怖の頭脳改革
  3. 君を見つめて
  4. ソー・ファー・トゥ・フォール
  5. 夢みるクリスマス
  6. 迷える旅人
  7. 欲しいのは君だけ
  8. ギャンブラー
  9. 将校と紳士の回顧録(a.プロローグ/紳士の教え~b.愛を感じた時~c.最前線からの手紙)~d.栄光の歩兵中隊
  10. ブラック・ムーン
  11. フットプリンツ・イン・ザ・スノウ
  12. ハンド・オブ・トゥルース
  13. ゴーン・トゥー・スーン

ディスク:3
  1. 未開人
  2. 運命の三人の女神
  3. 限りなき宇宙の果てに
  4. トッカータ
  5. ピアノ協奏曲 第1番
  6. あなたのバレンタイン
  7. バレルハウス・シェイクダウン
  8. メイプル・リーフ・ラグ
  9. ホンキー・トンク・トレイン・ブルース
  10. キャナリオ
  11. チェンジング・ステイツ
  12. クロース・トゥ・ホーム
  13. ブレイド・オブ・グラス
  14. ハマー・イット・アウト

ディスク:4(ライブ音源)
  1. プロムナード
  2. こびと
  3. プロムナード
  4. バーバ・ヤーガの小屋
  5. バーバ・ヤーガの呪い
  6. バーバ・ヤーガの小屋
  7. キエフの大門
  8. ホウダウン
  9. タルカス
  10. 石をとれ~スティル…ユー・ターン・ミー・オン~ラッキー・マン

ディスク:5(ライブ音源)
  1. ピアノ・インプロヴィゼイション
  2. 悪の教典#9(ライヴ)
  3. イントロダクトリー・ファンファーレ
  4. ピーター・ガン
  5. クローサー・トゥ・ビリーヴィング
  6. タッチ・アンド・ゴー
  7. 庶民のファンファーレ~ドラム・ソロ~ロンド
  8. ナットロッカー

ディスク:6(未発表)
  1. 悪の教典#9 第1印象〔インストゥルメンタル・ミックス〕

…どう思います? 個人的には微妙なものを感じるのですが。1〜2枚目など、確かにグレッグに焦点を当ててるところは面白いとは思うのですが、この曲順なの?と疑問に思ってしまいます。

ELPの魅力って、ものすごく多面的だと思うんですよ。ある意味バラバラで、特にエマーソンの方向性とグレッグの方向性が、同じバンドなの?というぐらい違う。それをうまくコンパイルするのは難しいのはわかるのですが、忘れ去られたELPの魅力をどのように再提示するか、というところまで踏み込んだベストかと言われると、微妙なものを感じます。とはいえ、後期ELP、特にラブ・ビーチあたりの曲もちゃんと評価して入れている点には好印象を持ちました。

なんて書いてて、意外と見過ごされがちな曲もちゃんと収録してて、これはこれで斬新なベストなのかも、と思ってしまってる自分もいたりして、ELPってやはり多くの人にとってまだまだ正当な評価を与えづらいのかと改めて思いました。しかし、改めて検索して見ると、ELPはアイテム多すぎですね……

ちなみにカール・パーマーはCarl Palmer’s ELP Legacyなんてバンドをちゃっかり始めたそうです。自分からEとLに、もうお前らとはやんね、と言っておきながら、エイジアが実質終わりになったから、次の商法を始めたというか。そういうところが、80年代以降も現役感を持って活動を続けられた理由なのかもしれません(決してディスってない)。

個人的にはWorksツアーの時の映像をきちんとリマスターの上、Blu-Rayで販売してもらえればなぁと思っていますが、やはり売れないのであろうか。

追加情報:レイクの自伝、”Lucky Man”がアマゾンで登録されています。書影が出ていますが、まだKindle版しか予約は受け付けておらず(6/22配信予定)。やはり売れないのか?



2011年8月23日火曜日

【翻訳】ビリー・シャーウッド インタビュー 2000.2

恥ずかしながら、実を言うと訳者はビリー・シャーウッドの存在を最近に至るまで知らなかった。アルバム「Talk」時の来日公演で、もう一人のギタリストの存在を知りつつも、単なるエキストラ程度にしか思っていなかった。しかし実際には、彼はジョンがABWHへ行ってしまった頃の90125イエスの共作者であり、「海洋地形学」の編成に戻った後、「Keys to the ascention 2」のリリースが進まず、リックが脱退し活動が停止した際には、かつてのトレヴァー・ラビンのようにバンドの舵取り役までを務めることになる存在だったのだ。

下記に掲載するインタビュー翻訳原稿は、2000年の2月に行われたもので、すでにビリー・シャーウッドがイエスを去ることを決意していたときのものだと思われる(脱退は同年3月)。裏方として10年をイエスと共に過ごしてきた彼が、どのような働きをしていたのかが分かる。

なお、訳出に当たり、適宜見出しを付けた。また、画像はネットで拾ってきたものなので、著作権的にはアウトかもしれないが、非営利でやっているのでお目こぼしいただけるとありがたい(アフィリエイトは一銭にもなっていないので……)。

(原文へのリンク:http://www.bondegezou.co.uk/iv/bsinterview.htm)



ビリー・シャーウッドは、イエスに参加する1997年以前から、メンバーである期間よりも長い間、様々な形でバンドに関わり続けてきた。彼はラダー・ツアーの後半を先導していたが、これがきっと彼がバンドを去る前の最後のインタビューだろう。

次のインタビューは2000年の2月28日にパリにて、エメリック・ルロワ(Aymeric Leroy)によって行われた。フランスのBig Bangマガジン(34号、2000年3月)でこのインタビューの短縮バージョンが刊行された。エメリックにはフルバージョンを提供していただいたことに感謝したい。[Henry Potts]

**

クリスと作っていたアルバムがようやくリリースされましたね。Conspiracyという名前でリリースされましたが、以前はChris Squire ExperimentやChemistryといった名前でしたよね。

ビリー・シャーウッド(以下BS):7つは名前があったと思うよ!

最初から話を聞かせてください。クリス・スクワイアと知り合ったのは、89年のことですよね?

BS:知っての通り、僕のバンド、World Tradeのアルバムをクリスがとても聴いて気に入ってくれたんだ。その時点で、イエスはシンガーがいなかった。ABWHをやっていたからね。元ジェントル・ジャイアントで、その時点ではレーベルのマネージャーだったデレク・シュルマン(Derek Shulman)が、僕をクリスに紹介してくれたんだ。そして僕たちは"The More We Live"を書いたんだ。これが最初に一緒に書いた曲だったよ。そしてこれが両方にとって、音楽的にとっても充実した体験だったんだ。ソングライターがいて、誰かがひらめきをもたらしてくれたら、その相手と曲を書き続けるだろう? だから、僕とクリスは一緒に曲を書いた。そして、二人の関係が始まったんだ。これがことのきっかけさ。

見た目上はあまりよいパートナーシップに見えませんよね。なぜなら、あなたはベーシストでヴォーカリストですから。でも、あなたなら一緒に曲を書くのはたやすいように見えます。

BS:クリスと曲を書いているとき、僕は自分のバンドではベーシストだったんだけど、僕はいろんな楽器を演奏するからね。だから、うまくいったよ。「クリスはベース弾いてよ、僕はギターを弾くからさ」という感じで。問題はなかったよ。そして、僕はキーボードも弾いた。だから全く問題なかったんだ。いくつかの部分では、クリスがやってきて「このベースサウンドはすごいよ、変えちゃだめだ!」と言ったことがあって、僕は「待ってよ、でも君はベースプレーヤーだろう?」というと、「このサウンドは本当にいい。だから変えたくないんだ」と言ってきたので、そのままにしたこともあったよ。でも、それはとても稀なケースだね。確か1~2曲あったんだけれど。"The More We Live"ともう1曲あったと思うんだけれど、今は思い出せないな。

その時は、クリスはイエスを復活させようとか、それらの曲をイエスで使おうと考えていたかわかりますか?

BS:わからないな。単にソングライターとしてやっていただけだったしね。僕はロサンゼルスに住んでいて、彼もロサンゼルスだった……僕は沢山の人と曲を書いていたし、傾向も様々だった。デヴィッド・ペイチとTOTOのアルバム「Kingdom of Desire」の為に1曲書いたこともあった。エア・サプライのメンバーと彼らのアルバムのために曲を書いたこともあったし……だから、僕は単に曲を書いていただけなんだ。だから、彼はそれでアプローチしてきたと思ってる。誰も、「やあ、これはイエスに合いそうだね、イエスの曲にしよう」とは言わなかった。でも、「結晶」が出ることになって、ジョンが戻ってきて、僕は後ろに引いて、貯めていた曲が「結晶」に収録されることになり、ジョンが歌った。とても良かったよ……

あなたがほとんどすべてを弾いているのに、クレジットされていませんでしたよね。ショックだったんじゃないですか……


Conspiracy再発盤は初回盤と
別のボーナストラックを収録。
BS:僕はいいやつだからさ(笑)

プライドを飲み込んだと。

BS:僕が持っていた曲のあるべきイメージでは、僕が全部やるべきではないと思っていたからね。

もし彼らがあなたをクレジットしたくないなら、彼らはあなたのボーカルパートを消すべきだったと思います。目立ちますからね。

BS:そうだね。少なくともConspiracyのアルバムでは、元々の形を聴くことができるよ。それほど大きくは変わってない。でも、僕が全部演奏している……トレヴァーは居ないし、もちろんジョンもいない。どちらのバージョンにもトニー・ケイはいない……だから、オリジナルはどこからやってきたのかがもっと分かるんじゃないかと思うよ。真実を。


クリスとの作業は自由だよ、曲の長さを制限しないこと以外は

どれぐらいの期間でアルバムは作られたんですか? 仕上げるのに2~3年はかかったんじゃないでしょうか?

BS:たぶんその通りだね。だいたい90年から96年の末か97年の頭ぐらいまでだ。

ちょうど、あなたがイエスに係わる前ですね。

BS:そうだね。ちょうど、「Open Your Eyes」の前だ。全部の素材が出来上がり、そして「Open Your Eyes」の録音を始めたんだ。

クリスと曲を書くときに決まったやり方はありますか? それぞれが独自にやって、それを混ぜたりしているのでしょうか?

BS:混ぜているね、すごい混ざっているよ。たとえば、クリスが"The More We Live"をやったときがそうだった。元々の素材は彼のアイディアだったんだ。彼が僕のところに来て、「こういうコード進行があるんだけど。ディーダダ、ディーダダって[原注:イントロのモチーフ]」と言ったんだ。そんなかんじだった。それで、僕は「え!……これで僕らは何をしたらいいんだ?」と思った。そして、スタジオに座ってしばらくしたんだが、なにも思いつかなかった。でも、"The More We Live"の歌詞のアイディアを思いついたら、急に形になりだした。そして、彼の弾いたこのシンプルなコードから、急に全体が見えてきて、全く違う意味を持つものになったんだ。

また逆に、僕が曲を持っていくと、彼が詞を付けてくれると言うこともあった。僕らはとってもオープンなんだ。こうしなければならないと押しつけたりしないんだ。幸運にも、僕らは好きなものが同じであることが多い。素早く曲が完成するときは、二人とも同じものが好きだったときなんだ。

アルバムには複数の人が、特にドラマーが沢山、参加していますが、バンドとして完成させようとは思わなかったんですか?

BS:それが、僕らが最終的にConspiracyという名前を選んだ理由なんだ。僕はクリスにこう言ったんだ、「これはあなたのソロアルバムでもないし、僕のソロアルバムでもないけれど、でも、2人が一番多く演奏していますよね……」って。僕らは一心同体なんだ。アラン・ホワイトが素晴らしいドラムを叩いてくれたし、マイケル・ブランド(Michael Bland)も良い演奏をしてくれた。ジェイ・シェレン(Jay Schellen)や、マーク・ウィリアムスも。そして、打ち込みもいくつかやった。だから、バンドというよりむしろ乗り物だったんだ。「僕らが曲を書いて、誰かを連れてきてこの部分を演奏してもらったら、この曲はかっこよくなりそうだぞ」という感じで、やっていったんだ。

しかし、あなたたちは、92年にツアーをやっていますよね。

BS:僕らはツアーをやったけれど、その時点ではChris Squire Experimentだったんだ。

すでにあなたはリードヴォーカルをいくつかの曲でやっていましたよね。

BS:僕は歌ってたよ。そして、僕のバンドはそのツアー中にChris Squire Experimentになっていったんだ。

World Tradeがですか?

BS:いいや、The Keyというバンドだよ。もう一つやっていたバンドで、強力なトリオだったんだ。The KeyがChris Squire Experimentになったんだ。ジミー・ホーン(Jimmy Haun)がギターで、僕もギターを弾き、マーク・ウィリアムスがパーカッションだった。そして、アラン・ホワイトがドラムで入ってきて、スティーブ・ポーカロがキーボードをやってくれた。そして何年か経って、僕らがConspiracy(共謀)を名乗れば、誰かを呼べるぞと言うアイディアに行き着いて、この名前を名乗ることになったんだ。このプロジェクトにぴったりの名前だよ。

あなたたちは音楽の方向性を決めていましたか? もっとラジオでかかるような音楽を選ぼうとか。

BS:僕らは自由だよ。でも、一つだけ僕とクリスで合意したことがある。それは、良い音楽というのは長さで括られるものじゃないということだよ。ビートルズの曲が2時間半だったとしても、彼らの曲は素晴らしいはずだろう。イエスでは、曲が長くなる傾向があるけれど、それは沢山の人間がアイディアを持ってくるからなんだ。彼らと一緒に製作していた過程で、僕はなぜ曲が長くなるのかを見ることができた。それは、「ねえ、1つアイディアがあるんだけど」「いいよ、じゃあこれを入れてみよう」「僕も思いついた」「じゃあそれをその次のところに入れてみよう」という感じだったんだ。そして最後には全部のアイディアが入れられて、曲が長くなっているというわけさ。一方、クリスと僕は、普通に曲を書いた。終わるべきだと思うところで終わらせたんだ。「ああ、あと5分は長くしないと」とはしなかったんだ。

あなたたちに共通して影響を受けたポップミュージックはありますか? ポップミュージックの職人、ブライアン・ウィルソンが思い浮かびますが。

BS:ああ、まちがいないね。僕が参考にしているのはたぶん彼とは全然違うものだよ。でも、類似点があることは間違いない。僕らは二人とも同じ種類のポップミュージックが好きなんだ。僕らが音楽について話すと、彼は常にポップミュージックが好きだし、僕もそうだ。僕らは二人ともガービッジが出てきたらすぐに好きになったよ。バンドの他のメンバーがポップミュージックを聴いているか知らないけれど、彼は聴いているし、僕も聴いている。そうして、交流が生まれるんだ。そういう風に考えながら、僕らは一緒に作曲をやってきたんだと思う。僕らはマーケット向きの音楽かどうかと言うことは気にしないんだ。

あなたのソロプロジェクトは、もっとポップとプログレのバランスが取れているように見えます。たとえば、あなたのソロアルバム「The Big Peace」のように。

BS:そうだね。ソロだから上手くやれたね。あれは本当はWorld Tradeのサードアルバムするつもりだったんだ。でも、僕とドラマー以外はみんな忙しかったんだ。キーボードプレーヤーは忙しいし……彼はいまドゥービー・ブラザーズにいるよ。ブルース・ゴウディ(Bruce Gowdy)は他のプロジェクトに集中していた。僕がみんなに電話して、「World Tradeをやる気ある?」と聞くと、みんな「もちろん。でも、僕らやれるの?」と言うんだ。「僕は時間有るけれど、君は?」と聞くと、「いや、今はないな」「わかったよ……」となってしまったんだ。僕は曲を作りたかったから、先に作業を開始して、どんどん進めていき、アルバムができた時、気がついたらジェイ・シェレンがドラムを叩いている以外は、すべて僕が演奏していたんだ。だから、ジェイに「これをWorld Tradeのアルバムというのは他のみんなに対してフェアじゃないよね。だって、彼らは係わってないし、聞く人を誤解させてしまうから。これは僕のソロアルバムにすべきだろうね」と言ったんだ。ジェイは同意してくれたよ。

Euphoriaでは全曲が共作ですが、このアルバムではあなたが全曲を書いていますよね。違いは何でしょうか。

BS:そうだね……僕は他人と曲を書くのは好きだよ。もし誰も他にいないのなら、僕だけで曲を作り続けるだろうね。なぜなら、僕はワーカホリックだし、音楽を愛しているからね。もし、何年もの間そうしてきたように、様々なプロジェクトに関わっているのでなかったらの話だけれど――僕にはイエスの仕事があったし、他のメンバーに余裕があればWorld Tradeもできた。The Keyもあったし、今はConspiracyをやっている……音楽を発表する道がいくつもあるんだよ。それらが全部イヤになったのなら、音楽から離れるだけさ……。


僕は病気だと言われるほど音楽の仕事ばかりしてるよ

あなたのスタジオについて聞かせて下さい。大部分のプロジェクトがあなたのスタジオで行われていますよね。

BS:うん、大部分のプロジェクトはね。「The Ladder」を除く、イエスの2枚のアルバムもミックス前にそこでプロデュースしたよ。

僕のスタジオは……バンドに入ってから、そこは貸していて、今は使えないんだ! だからツアーの合間に家に帰り、曲を書きたいと思っても、場所がないんだ! だから、今は僕の家に設えたもう一つのスタジオで作業をしている。

以前は、自分のスタジオとして使っていたんですよね。

BS:イエスに入る前は、スタジオは製作の場で、バンドと作業したりプロデュースしたり、友人と作業したいときは、「やあ、高い金を使ってマイクの前で歌うようなでかいスタジオのことは忘れて、ウチに来なよ。ここは僕らのスタジオだぜ」ということができたんだよ。アシスタントはいないし、全部僕が一人でやって、秘書もいない。なぜそうするのかというと、スタジオで作業していて、他の人たちが外にて意見も言わないでいると、何かアイディアを出せと圧力を受けているように感じるのが大きいかな。自分のスタジオを建てたとき、これで何でも作れると思ったんだ。バンドのみんなも同じように感じていた。だって、僕と彼らだけで、他になにも雑音はないからね。あのスタジオはとても役に立ったし、今も他の人たちの役に立っているよ。

技術的な話でいうと、デジタルテクノロジーの発展によって、今でもまだホームスタジオとプロフェッショナルなスタジオとで大きな差があるものでしょうか? ちょうど、イエスの最新アルバムで使ったカナダのスタジオのような。

BS:どう説明すればいいか分からないけれど、こういう感じかな。ポルシェかジャガーに乗って運転していて、同じ方向を目指していて、どのように運転するかは自分次第。僕のスタジオだと、テクニシャンが一緒にいて、彼がエフェクターやパワーアンプに良い仕事をしてくれて、その音をスタジオから持って行ける。これは本当に本当なんだ。もし外のスタジオに、たとえば今回のバンクーバーのようなところに行くとして、そこではすべてがプロフェッショナルにセッティングされていて、それは違う雰囲気の、違うサウンドのものとなるんだ。両方とも、それぞれの居場所があるんだ。僕は24チャンネルのアナログと48チャンネルのデジタルのレコーダーがあって、使い放題のエフェクトと使い放題のいろんな機材がある豪華なスタジオを持っていた。スタジオを人に貸す必要は無いし、料金も気にしなくていい。すべて自分のものなんだ。バンドが僕と仕事をすると、夜10時になると大抵のスタジオだと出て行かなくちゃならなくなるけれど、午前2時まで使う事ができる。自分のスタジオだからね! すべての要素を合わせたとき、クリエイティビティを終日、同じにできる。だから、こういう環境を使えたことはとても幸せだよ。

Conspiracyの話に戻ります。作業は、たとえば6ヶ月に1日という風に行っていたのか、それとも何ヶ月か空いて何ヶ月か作業して、という感じだったのでしょうか。

BS:作業は何年もかかったよ。理由の大部分は、クリスがイエスで忙しかったからね。それに、僕も他のバンドのプロデュースで忙しかった。ずっと会えないときもあって、お互い余裕ができたら、一緒に作業して……でも、僕が「Keys to Ascension 1」に取りかかったとき、急速に作業が進んだね。クリスが町にいて、僕もいるから、「やるなら今だ、残りの曲をやってしまおう」って考えたんだ。それでギアが入った感じだね。"Violet Purple Rose"や"No Rhyme"や"Red Light"などの曲を作り上げたよ。

面白い作業だったな、とっても長くに渡っていて。一部はクリス・スクワイアのもので、僕はどうやって付け加えたら良いんだ?って。彼は僕ほど作業は早くないんだ。僕はワーカホリックだからね。みんな僕の作業ペースを見ると病気何じゃないかと思うぐらい。でも、僕にとってはスローなんだ。彼にとっては自然なペースだった。でも9年もかかったから、もうちょっと早くできないものかと思ったよ。だから、イエスと作業をしている時に、僕らは曲を書き続けて、次のアルバムのための曲を7曲書いたんだ。1年以内には出すつもりで。今は僕らは密接に仕事をしているし、いっぱい作業をしたよ。次のConspiracyのアルバムはすぐに出せると思うよ。

イエスやWorld Tradeのアウトテイクを使おうというのは誰のアイディアだったんでしょうか? 我慢しきれなくなったと言うことでしょうか?

Conpiracy初回盤。インタビュー
に出てくる
隠しトラックがある。
BS:僕は"Say Goodbye"を他の誰かが歌うのを待つのに疲れたんだよ。なぜなら、これは僕にとって特別な曲だからね。彼にこれをやりたいと言って、問題なかったので、彼はこう言った。「僕らのプロジェクトをやるときは、オリジナルバージョンを入れて良いんだ」って。似ているけれど、違いが有るんだ……オリジナルのアイディアがどういうものだったかをファンに聞かせようというのは、クリスのアイディアだったんだ。このレコードはまさに僕らが一緒に曲を書いて、演奏してきたものの、年代記そのものだね。アルバムで聴けるオリジナルバージョンは、ソロでやったものとも、イエスのボックスセットに入っている"Love Conquers All"とも違うんだ。ボックスのほうのバージョンは、トレヴァー・ラビンが歌って、ギターソロを弾いていて、曲も少しだけ変えているんだ。さて、ここで曲のオリジナルバージョンのことについて、一番の秘密の話になるんだけどね。

実は、厚い黒のカーテンに覆われているけれど、3曲の"隠しトラック"があるんだ。すごい奥の方にあるんだよ。クリスはそれらを入れたがってたんだけれど、「Open Your Eyes」が出た時期ととても近かったから、隠しトラックにすることにしたんだ。

"The Evolution Song"についてはどうでしょうか?

BS:"The Evolution Song"はWorld Tradeの時とは違うBセクションがあって、ちょっと手を加えてある。ある時、クリスが言ったんだ。「これをアルバムに入れないか?」ってね。それで、僕はオリジナルテープを持ってきた。それがオリジナルバージョンで、曲がどういう風に書かれたか分かるだろう。クリスがBセクションを歌っていて……少しばかり変更を加えてあるけれども、大きな違いになってるんだ。


「The Ladder」のために、6ヶ月間一緒に曲を書き続けた

「The Ladder」でのあなたの作曲した部分について聞かせて下さい。最初の印象では、皆がそれぞれアイディアをテーブルに持ってきて、みんなで曲を書いたように感じられました。

BS:僕らは6ヶ月間、一緒にカナダにいて、アルバムの曲を書いたんだ。だから、そういう印象を受けるんだろうね。君の言う通り、全員が曲に貢献している。有る部分の素材が、他の人間から出てきたりしている。たとえば、"Homeworld"は僕がヴァースのギターパートのアイディアを出し、コーラスのコードはイゴールが出した。ジョンが詞と上声部を書いて、スティーヴが中間部の‘ディン、ゲディン、ゲディン’というシャッフルの部分を考えた。僕らはそれらをまとめ上げたんだ。

クリスとアランは、"The Messenger"のグルーヴを作った。これは、レゲエっぽいフィーリングがあるね。彼らは一緒に演奏し始めて、僕らはそれに乗っていった。"If Only..."はイゴールとスティーヴ、それにジョンがほとんどを書いた。"Finally"は、僕のソロアルバムの「The Big Thing」の"I"という曲にある、‘I can be...’、‘I can change...’という部分を、ジョンが取ってきて、手を加えたものが、"Finally"になった。実際にはエンディングはスティーヴの手によるものだけど、その時点ではオリジナルのコード進行のままだったんだけれど、バンドがイエスらしさを加えたというわけさ。

「The Ladder」制作時のメンバーで一番左がビリー
"To be Alive"は、ハーモニックサウンドから始まる。12弦ギターのタッピングで、僕がよくリハーサルで弾いていたものなんだけれど、上手く収まらなかった。そして、僕らがスタジオに入った時、ブルース・フェアバーンに「この曲なんだけれど、イエスらしい曲から外れて、こういう催眠的な音が続く曲はどうかと思ってやってるんだけれど、どうしても次のセクションにいけないんだ。どうやってもうまくできないんだ」と言ったんだ。ちょっとばかり苦労したね。でも、その日の最後には、ジョンが素晴らしい詞とメロディを書いて、クリスとアランが良いアイディアを出してくれて、アイディアを思いついたんだ。そして、アルバムに入ることになった。とっても嬉しかったよ。"Good Day"も面白かったね。イゴールとジョンが‘ティン ティン ティン ティン’というイントロのメロディーを作っていた。僕が14歳の時に書いた曲に、‘ダン、ダダ、ダダ、ダダダ、ダン’というチェンジがあって、それをリハーサルで演奏していたら、ジョンが作っていたメロディを‘ディン ディン ディン ディン’と歌い出して、2つのアイディアが一緒になってあの曲になったんだ。

"New Language"はそもそもはジャムセッションだったんだ。これは、クリスと僕とアランとで、「Open Your Eyes」の為に作ったイントロ部分だったけれど、結局収録されなかった。「The Ladder」の時に、スタジオで3人がジャムセッションしていたら、スティーヴが上声部を弾いて、それからさらに彼が少し書き足した。それが、"New Language"のイントロになったんだ。最終的に有るべきところを見つけたんだ。イントロが終わると、ローズが入ってくる。これは、もちろんイゴールによるもので、彼も沢山係わった。ジョンと同じぐらいね。

"Face to Face"は、‘ド ディ ダ ダ ダ ディ ド...’という部分は、もちろんスティーヴだ。これは全編に出てくるけれど、面白いことに誰も曲がどうなるか制御していなかったんだ。これはまさに、「みんな演奏してる? イエー? オーケー、行こう!」というものだった。僕らはこのアルバムに収録されなかった曲も沢山作った。ブルースに善し悪しを選んでもらったんだ。だからアルバム収録曲は彼の選択によるものなんだ。

そのようにしたのはとてもいいことだと思います。イエスのアルバムを作る上で、最も賢いやり方だったんじゃないでしょうか。

BS:それがまさにバンドの力関係上正しかったんだ。君の言う通りだよ!

結果がそれを語っていますね。

BS:そうだね。沢山の人がアルバムを気に入ってくれている。実に良いよ。

あなたは、こういう風に作業することを、結果がどうなるか意識して皆が決めたと思っていますか?

BS:僕らがこんな事を話すのもおかしなものだよね……イエスは、初期のいくつかのアルバム以外はそういうやり方では曲を書いていないと思うんだ。実際のところどうしていたかは僕は知らない。でも、僕は「The Yes Album」が彼らが全員部屋に入って一緒に作業した最後のアルバムだと思うんだ。それ以降は、ジョンとスティーブがアイディアを持ってて、そこから始めて、形を変えていったんだと思う。そして、クリスやアラン、リックなどがいろいろ付け加えたんだろうね。「90125」「Big Generator」「Talk」は、トレヴァー・ラビンがコントロールしていたと思う。他とは違う曲調だからね。「Keys to Ascension」は、全員が一緒に作業をしたけれど、実際には、リックは作曲には係わっていない。ジョンは山ほどアイディアを持っていた。この時、初めて全員で「見ろよ、誰もテーブルに荷物を持ってきていない。誰も良いアイディアを持ってない。あくまで絶対に自分の意見を曲げないというのなら、自分のソロアルバムでやれよ。ギブ・アンド・テイクで作業していこうよ」と言い合う事ができた時だと思うよ。それは簡単な仕事じゃなかったけれど、大抵は大変さよりも楽しさがあったよ。

その結果、あなたがツアー部分で沢山、演奏することになったわけですね。

BS:全員が係わっていたから、みんな気分は良かったと思うよ。それは大事なことだよ。


トレヴァー・ラビンと一緒にやらないかといつも話してるよ

次はどこに出演するのですか?

BS:2000年の3月25日には、ルーマニアのブカレストでのコンサートが決まっている。その後は、6月にツアーをやるかもしれない。でも、ツアーをやらずに別のことをやるアイディアもあって、ボストン・ポップス・シンフォニーと一緒にオーケストラのアルバムをやるかもしれない。彼らとイエスでアメリカのテレビに話もあるんだ。

何か特別に用意した曲を演奏するのですか? それとも……

BS:ええと、昔の曲と、ラダーの曲に、新しい曲もやるかもしれない。まだ分からないけれどね。でも、僕らはずっと一生懸命仕事しているよ。僕が入る前、彼らは「Keys to Ascention」の時も、忙しかった。でも、彼らはツアーをしなかった。なぜなら、リックがしていたからね。でも、僕が入ってからはノンストップで仕事し続けているよ……「Keys to Ascention 1」の曲が出来上がり、リックが脱退すると、僕はクリスに言ったんだ。「もしその気があるなら、手助けしたいんだけれど」って。そして、僕らは「Open Your Eyes」の曲を書き始めた。集中力はずっと続いて、アルバムは出来上がった。で、3年半から4年経った今でも、僕らはノンストップでツアーをして、曲を書いて、ツアーをして……

私は、どのイエスのラインナップも長続きしたことはないと思っているのですが?

BS:(笑)彼らは長らく一緒にやってきたからね。それは確かだ。「90125」は強い生命力を持ってた。あれはビッグアルバムだったからね。だから、ツアーを大々的にやらないといけなかった。今でもいっぱいやることがあると僕には思えるんだよ。彼らのやったこととは比べられないかもしれないけど、僕はこの部署は初めてだからね、いっぱい仕事があるのさ!

自分自身のプロジェクトは考えていないんですか?

BS:次のソロアルバムをやっているよ。知っての通り、僕は音楽に執着しているんだ。更に、クリスと僕とで、さっきも言ったように、次のConspiracyのアルバムをやっているよ。

7曲できたと言っていましたよね。

BS:7曲はできてるよ。

何曲必要なんですか?

BS:3曲欲しいね。すぐに曲になりそうなネタは有るんだ。それが今の状態で、もう少ししたら何か生まれると思うよ。

あと、トレヴァー・ラビンとは、一緒にやろうといつも言ってるよ。彼は本当に映画の仕事で忙しいんだけど、いつも会ってるんだ。一緒に車に乗るときはいつも、お互いの音楽を聴き合って、アイディアを歌ったりとかしているんだ……とっても良い感じだよ。

彼は沢山の曲をレコーディングし続けていますが、自身の曲は歌ってないですよね。

BS:そうだね。まだ分からないけど、将来、トレヴァーと作業するかもしれないんだ。僕はぜひやりたいね。彼は常に僕の大好きな音楽家の一人だからね。

Conspiracyのプロジェクトとしてですか?

BS:そうなるかもしれないし、別のものになるかもしれない。まだわからないよ……でも、付け足すと、僕は自分のスタジオを建てて、早くそこで作業をしたいね。次は何をやろうかな?

次のソロアルバムを作るとしたら、同じメンツでいきますか? ジェイ・シェレンとか。

BS:ジェイには参加してもらうだろうね。

それはWorld Tradeに似たようなものになるのでしょうか?

2011年にトニー・ケイと来日した時のビリー
BS:そういうスタイルになるよ。なぜなら、沢山やるポップミュージックをやる機会があるので、ソロでは完全にアーティスティックな目的の為にやれるからね。シングルを出すことを気にせず、ただ作ればいいからね……。ジェイは僕にとって重要で、彼はとても才能あるドラマーなんだ。「The Big Peace」のときに会った出来事なんだけれど、ドラムマシーンで音の密度が濃い演奏をプログラミングしておいて、彼がスタジオに来たら「ジェイ、こういうのできるよね」と言ったら、「おい、こんなの物理的に無理だぜ」と言うから、「やってみなよ」と言ったら、ドラムの前に座って試し始めたんだ。ブースのガラスの向こうから彼の満面の笑みが見えたよ。彼はそれを演奏できたんだ。素晴らしいサウンドだったね! 一緒にやりたいと思う、一緒にやりやすいミュージシャンを見つけられるのは本当に稀だよ。ジェイは本当に本当に、仕事がしやすいんだ。それに彼はスイートガイだから、一緒に仕事をするのが楽しいんだ。だから、次のソロアルバムでも絶対一緒にやると思うよ。

Conspiracyのツアーはありそうでしょうか?

BS:僕らはそれについて話し合っているところなんだ。イエスのスケジュールがどうなるか次第なんだ。ギグをやる余裕があるかどうかにね。Conspiracyはもっと小さい規模になるから。でも、前回ツアーをしたときは、観客は本当に楽しんでくれていたし、どこでもソールドアウトになった。小さい会場でやったしね。

ツアーはどこで行われたんでしたっけ。カルフォルニアとハワイでやったという記事を読んだ記憶があります。

BS:そうだよ。あとアリゾナと……たぶんシアトルでもやったと思う。思い出せないな。どれも本当にいいギグだった。どうなるか分からないけれど、もしやれそうなら、ツアーをやるかもしれないよ。







クリムゾンのニューアルバム?「The Reconstrukction of Light」

クリムゾンが現行ラインナップでスタジオアルバムを作る予定はないと発言していることは有名だが、クリムゾンの最新スタジオアルバムと言えるかもしれない作品が登場した。それが6月発売されたばかりの「The Reconstrucktion of Light」だ。これは「The Constr...