それは90年代頭のこと、プログレファンならずとも、ロックファンにも前代未聞のことが起こった。バンド名称所有権で法廷闘争にまで発展していた、イエスとそのスピンアウトバンドであるアンダーソン・ブルフォード・ウェイクマン・ハウという2つのバンドが合体、8人編成となってアルバムを製作するというのだ。このアルバム「結晶」は発売前から大きな評判を呼び、海外ツアーは軒並みソールドアウトになったという。筆者も当時CNNのニュースでツアーが好評であることを見た記憶がある。
だが、アルバムの実際の出来は賛否両論だった。90125チームの曲のポップさは旧来のイエスファンから糾弾され、ABWHチームの曲はそのクオリティに多くの不満が噴出した。一番の不満は、"UNION"というアルバムタイトルながら、8人が一緒に演奏している曲が1つもなかったことだ。
なぜそのようなことになったのか? 西新宿あたりのブート屋を徘徊するような人々を除けば、その裏事情はまったくの闇の中だった。
しかし、これから紹介するインタビューが、「結晶」がいかなる事情の下で作られたか、バンド内にはどのような人間関係があったのかを明らかしてくれる。このインタビューがまだ日本語圏であまり知られていないことを知り、ここに原著者の許可を得て翻訳したものを発表する。翻訳に意味不明な点があるとすれば、それは翻訳者である私の責任である。誤訳等が有る場合、指摘をいただけると幸いだ。また、翻訳を許可してくれた、Henry Pottsに感謝の意を述べたい。Thank you, Henry. Without your effort, we can't know what's happened in the UNION session.
全二回のうち、第一回はアルバムのプロデューサーのジョナサン・エライアスへのインタビューである。ABWH側の曲のほとんどに名前を連ねる彼はいかなる役割を果たしたのか、そしてスタジオでは何が起こっていたのか。忌憚のない意見がそこには綴られていた。
(原文へのリンク:http://www.bondegezou.co.uk/iv/jeinterview.htm)
ジョナサン・エライアスはイエスのファンには「結晶」のプロデューサーとして知られている。当時、エライアスは評判を呼んだ「The Prayer Cycle」をリリースしたばかりで、映画やコマーシャル音楽のプロデュースに係わりながら、ビリー・シャーウッドや兄のマイケル・シャーウッドやジミー・ホーンを雇っていた。ジョナサン・エライアスとはいったいどういう人物なのか、「結晶」の裏に隠された真実はいかなるものだったのだろうか?
このインタビューの質問内容は私、Henry Pottsが考えたが、質問は私の代わりにジミー・ホーンが2001年3月に行った。ジョナサンにはインタビューを受けてくれたことを、ジミーにはインタビューが実現できたことを感謝したい。
***
最初にありきたりな質問ですが、どのようにしてあなたは音楽を始め、音楽ビジネスの世界に入っていったんですか? あなたは演奏者になりたかったのでしょうか、それとも作曲家やプロデューサーになりたかったんでしょうか?
ジョナサン・エライアス(以下JE):最初、僕は指揮者とクラシックの作曲家になりたかったんだよ。イーストマン・スクール・オブ・ミュージックに入って、そこでクラシックを重点的に身につけた。ロックミュージシャンになりたいとは思っていなかったんだ。漠然と、音楽を教えたりすることになるんだろうなと思っていたよ。大学の一年目でもう、作曲と指揮で博士号を取り音楽教師になるつもりでいたんだ。
実際のキャリアはずいぶんと変わりましたね。映画音楽は1979年の「エイリアン」の宣伝用の音楽から始めたということで合っていますか?(Elias Artsのウェブサイトでこれまでの仕事を見ることができる)
JE:そのとおり。そういう仕事から始めて、最初の数年間は映画プロモーション用の予告編の音楽をたくさん手がけたよ。「ブレードランナー」や「狼男アメリカン」や「バック・トゥ・ザ・フューチャー」や「遊星からの物体X」などね。さまざまな映画の予告編をやったな。そこで経験を積み始めたんだ。
80年代の終わりから90年代の初めまで、あなたは映画サウンドトラックに仕事を移しましたね。そして、ロックバンドのプロデュースも始めましたた。そしていま、あなたはエライアス・アソシエイツを設立しています。こうした様々な変遷をしてきたのにはどういう背景があったのでしょうか? あなたが選んでそうしてきたのでしょうか、それとも周囲の状況によるものでしょうか?
JE:その両方が少しずつかな。僕はエライアス・アソシエイツを1980年から始めた。そのとき、僕らは映画の予告編を手がけるようになって、MTVにも係わり始めた。僕はオリジナルのMTVプロモ用アイデント*1を書いたんだ、月に降り立った宇宙飛行士の映像を使って。優秀な作曲家のスタッフを集め始めて、いろんな種類のコマーシャルをたくさん作ったよ。ジェームズ・ボンドや「愛と悲しみの果て」で有名なジョン・バリーと知り合いになったのも、80年代の頭だった。ジョンは、僕を映画音楽の世界に引き込んでくれたし、コマーシャル音楽をやっている間でも、「白と黒のナイフ」や「007 /美しき獲物たち」のような映画で一緒に仕事をした。その映画で偶然、メジャーなポップバンドと初めて仕事をすることになったんだ。それがデュラン・デュランだったんだ。その後、デュラン・デュランとアルバムも作ったよ。
エライアスが手がけたMTVのアイデント
ソニークラシカルのウェブサイトでは、あなたはコマーシャル音楽に"フィルムスコアリングとサウンドデザインテクニックを導入した"と紹介されています。映画音楽からコマーシャル音楽に進んだことは、あなたのキャリアパスにとって過去の業績と言うことでしょうか? 今でもあなたのキャリアとして記憶されたいものなのでしょうか、それともあなたの2つのアルバムがあなたの誇りであり喜びなのでしょうか?
JE:まぁ、イエスとやった仕事はそうじゃないね、あれは死んだ馬を馬場に連れ出すようなものだったから(笑)。僕は、子供達のいい父親として記憶されたいね。音楽については、いろいろと素晴らしいことをやったと思ってる。正直にいうと、イエスは過去の業績を持とうとはしていないし、僕も過去の業績を持とうとはしていないんだ(笑)。僕たちが仕事をしてきた人たちで過去の業績を持とうとしている人はそんなに多くない。でも、僕が一緒に仕事をしてきた人たちが、僕が誇れる楽しい共同作業者だと思ってくれたら、それは僕の過去の業績になるだろうね。そして、一緒に仕事をしてきた大抵の人たちがそれを証言してくれるだろうと思っている。
あなたの最初のアルバムプロジェクトは「Requiem for the Americas」でした。あなた自身のロックアルバムを作ろうと思ったのは何がきっかけだったんですか? また、ミュージシャンをどのようにして選んだんですか?
JE:最初にロックの仕事をしたのは「美しき獣たち」の挿入歌を歌ったデュラン・デュランだったけど、多くは僕の手によるものだった。後に彼らと作ったアルバム、「Big Thing」も僕が多くの部分を手がけたんだ。同じ頃、僕はネイティブ・アメリカンの窮状に関心があった。僕はちょっとした寓話を、オペレッタのようなものになりそうなものを作り始めた。でも次第に、それがロックになるんじゃないかと考え始めた。なぜなら、どう見てもクラシック音楽になりそうな感じじゃなかったからね。で、それをちょっと発展させて、当時一緒に仕事をしていたようなミュージシャンのために演奏するつもりだった。ところが彼らが興味を持つと、友達を呼んできてくれて、雪だるま式に増えて行ったよ。意図的に彼らに参加してもらおうとしたんじゃなくって、気がつけば彼らがアルバムに参加していたんだ。
デュラン・デュランの「a view to a kill」
どのようにしてジョン・アンダーソンと知り合ったんでしょうか? 共通の関心事であるネイティブ・アメリカンの文化を通じてでしょうか?
JE:ある共通の興味を通じてであり、ジョンと仕事をしていたある友人を通してだったよ。僕は彼に「Requiem」のテープを送ったんだ。ジョンは僕に電話してきて、僕が送ったものに歌詞と歌を付けてみた、気に入ってくれるといい、と言ってくれたんだ。それがジョン・アンダーソンと知り合ったきっかけだった。それまで彼に会ったことはなかったんだ。彼は電話してきてこう言ったんだよ「気に入ってくれるといいな!」って。
「結晶」の制作過程は謎に包まれています。あなたならひょっとしたら、その過程に明かりを照らせるかもしれません。あなたはジョン・アンダーソンと一緒にスタジオでいくつもの曲を書いたようですが、それは十分な素材が少なかったり、共同作業が足らなかったからでしょうか?
JE:素材は無かったよ。元々、スティーヴ・ハウがソロアルバム用に作った素材があって、いくつかそれを送ってきた。ジョンは1つ2つのちょっとしたアイディアを持ってきた。問題は、その時点では2人とも互いにいがみ合っていたことなんだ。ジョンとスティーヴを、僕抜きでスタジオにいさせておくことなんてできなかった。スティーヴがしたことと言えば、朝起きて、ハイになると*2それ以降は何もできなかった。だから、僕らは座っていくつかコードを書いてみようとしたんだ。僕の子供時代のポップアイドルがいるというのに、彼らは喧嘩せずには3つのコードすらも並べることができなかったんだ。そして、ジョンとスティーヴを一緒にすると、スティーヴは僕に、彼がどれだけジョンの歌詞を嫌っているか、どれだけジョンがアイディアがないかを常に言って来るんだ。そして、ジョンはジョンで僕にこう言うんだ、「ああ、スティーヴは本当に才能が無くなった、エイジアはなんてひどい代物だ――彼がしたことを見てみろよ」とね。
それにリック・ウェイクマンときたら……彼のしたかったことは、ミックス中に出て行くことだけだね。リックが3つか4つのパートを弾いたけれど、それは全部同じものだったよ。僕はハモンドオルガンをスタジオに入れさせたんだけれど、彼は触ろうともしなかった。「時代遅れだ」ってね。そう、何も実現してないし、彼は何も触れてないんだ。何か彼は良いプレイをしたかい? 誰か他にいなかったら、彼らを一緒に座らせて素材を書かせることはできなかった。人間関係上の問題でね。彼らは、とても長い間ツアーを共にしていたし、たぶんお互いに様々なエピソードがあったんだろう。彼らの半分は、本当に何も弾けなかったんだ。私が言いたいのは、とても悲しかったと言うことだ。彼らはずさんで、疲れていて、歳を取ってた。
時間のプレッシャーはどのぐらいありましたか?
JE:実際、時間のプレッシャーはすごくあったよ。彼らは金のためにしかやっていなかった。なぜなら、他に何もしようがなかったからね。彼らは全員、ソロ活動を行っていたけれど、ほとんど何も起こらなかった。だから、彼らは一緒になるしかないと気づいたんだ。金を稼ぐ唯一の方法はツアーに出ることだったんだ。彼らはポップな感覚を持っていたとしてもアルバムで金を稼ぐことはできなかったし、ポップな感覚というものから遠く離れていた。トレヴァー・ラビン無しにはね。一緒にやらせようとする時間はあったけれど、彼らはトレヴァーの悪口を言ってた。特にスティーヴがね。ああ、彼と来たら、本当にトレヴァーを憎んでいたんだ! 僕はトレヴァーがやったことは実に斬新だと思っていたけれど、その時点ではリック*3もスティーヴも、僕を引き留めていた。彼らはトレヴァーと係わりたくなかったんだ。
だから、起こったことは、曲を書き始めてそれを止めてしまったということなんだ。スティーヴはリックのパートを聴かないし、リックもスティーヴのパート聴こうとしなかった。ビル・ブルフォードが知りたがったことは「いつ金が入るんだ?」ということだけ。彼らは音楽について考えてなかった。彼ら全員が、ジョンが金を盗もうとしていると思い込んでいた。推測だけど、彼らは金を盗んだマネージャーを雇っていたことがあるんだろうね。彼らがかつてはお互いクリエイティブな分配をしてきたかどうかはわからない。でも、彼らはもはやお互いを信用していなかった。
最後に、あなたはほとんどすべてのABWH側の曲に共作者として名前を連ねています。あなたは他のABWHのメンバーと共作していたのでしょうか。それとも、あなたのその後の作業が彼らの最初のアイディアに反映されているのでしょうか?
JE:彼らには最初のアイディアなんてなかったよ。言った通り、スティーヴが2つばかりで、リックは何も無かった。
あなたは、スティーヴのソロアルバムから素材を持ってきたんですよね?
JE:そうさ、スティーヴのソロアルバム[訳注:タービュランスのこと]から2つほどリフを取ってきた。そして、ジョンにそれを発展させるように言ったんだ。すると彼はこういった。「こんなのクズだよ」って。僕は彼に、「ジョン、これが僕らの持ってるすべてなんだから、ベストを尽くしてくれ」って言ったんだ。そう、私が期待していたようなイエスという言葉がもっている、マジカルで素晴らしくて寛容な雰囲気は少しもなかった。最初はうちひしがれたよ。理解するのに2週間はかかった。僕はデュラン・デュランと仕事をしたばかりで、いくつもナンバーワンヒットを出していた。彼らは楽器が素晴らしくうまい訳じゃないけれど、良いテイストがあった。でもそのときのイエスは、テクニックはあったけれど、テイストがなかった。
彼らは誰かが緩衝材にならないと曲を書けなかった。僕がその緩衝材の役をしたんだと思う。生まれてきたコードやメロディの中には、誇りに思えないものもあるけど、それでも録音できたのは奇跡だ。
ウェイクマンとハウのパートの大部分が差し替えられたのは,どういう状況があったのですか? あなたが決めたことですか、それとも上からの指示だったのでしょうか。
JE:もし他の誰かがバンドについて何でも知ってたとしても、ジョンがまるで鉄の手のようにすべてを取り仕切っていた。だから、ジョンがカルフォルニアに行って、そこの誰かと仕事しようと言ったんだよ。
リックとパリで経験したことなんだが、彼からテレビを取り上げることができず、大失敗だったんだよ……彼が僕を嫌っているのは、テレビを見るのを止めさせようとしたからだと、今でも思ってる。彼のパートの大部分が差し替えられようとしていても、彼はプロジェクトのことを全く気にしていなかった。彼は次のソロアルバムが出るまでのつなぎにこのアルバムをやってたんだ。たぶん、彼はファンが離れていっていることに気づいて、少しばかり気にし始めたからだと思う。
それで、何が起こったかというと、ジョンと僕はギタープレーヤーを捜し、幾人かの中からジミー・ホーンの名が上がってきたんだ。僕たちは、ジミーに会うことにした。ジミーは、このアルバムで起こった最高の出来事だよ。僕たちは最高の友人となったし、これほど素晴らしいことはなかったね。ジョンは、ジミーがその時やっていたことを、ソロ活動で使う事にしたんだ。もし、ジョンが本当に本当のことを気に入っていなかったら、アルバムには使ってなかっただろうね。
キーボードプレーヤーは、ジョンが呼んだんだ。ジョンはスティーヴ・ポーカロとやろうと言った。だから、僕たちはスティーヴ・ポーカロと仕事をした。もし僕がキーボードプレーヤーを連れてきたんだと思っている人がいるなら、本当のことを教えてあげてくれ。さっきも言った通り、ジョンがバンドを仕切ってたんだよ。
ABWHの曲であなたが弾いているのはどの部分ですか? また、他にメインで雇ったキーボード・プレーヤーはいますか?
JE:僕はそれほど多くはキーボード・パートを弾いていない。いくつかは弾いたけれど、それはジョンとスティーヴと曲を書く途中で弾いたもので、残っているのはジョンがそこにあるべきだと思ったものだけだよ。彼はリックが弾いたパートとそれらを混ぜたいと思わなかった。理由は明白だけれど、リックはスティーヴのパートを聴かずに録音したものを戻してきたからね。僕らはスティーヴと仕事を始め、リックと仕事をしにパリに行ったけど、リックはスティーヴのパートを聴きたがらなかった。それで、このバンドがもはやバンドじゃないんだということがあからさまになったよ。彼らはツアーができるように何か出すためだけにそこにいたんだ。雇ったプレーヤーのほうが、バンドのプレーヤーよりも音楽のことを考えていた。トニー・レヴィンは僕にとって命の恩人だったよ。彼だけがこのプロジェクト全体を理性的に分かっていた唯一の人物だったんだ。
セッションパーカッショニストは、どういう仕事をしたんですか?
JE:セッションパーカッショニストは、いわゆるエキストラミュージシャンのすることをやったよ。プロジェクトのことは気にしていなかった。他のバンドの誰も……ジョンとスティーヴを除いて……それもある程度までだけど。それはジョンのヴィジョンであって、スティーヴのヴィジョンは全く異なるものだったということだよ。個人的な衝突がいくつもあった。スティーヴとリックは本当にいつも悪口を言い合っていたよ。彼らとジョンの間に立って、居丈高にならいように、「これがやりたいことなんだ」と彼らに伝えるのは、本当に大変だった。トレヴァーとクリス・スクワイアのほうが、遙かに素晴らしい仕事をしたと思うよ。
そして、ビリー・シャーウッドも?
JE:ビリー・シャーウッドは別の例だよ。誰かがバンドのことを心配して、復活させようとして、そしてバンド全体から責められてしまったんだ。
悲しいかな、かつては彼らは素晴らしいプレーヤーだったと思うけれど、今はかろうじて楽器を演奏できるだけでしかなくて、彼らは音を弾きすぎるんだよ(笑)。ごらん、10年後、12年後にはそうなっているから。僕は本当に多くの仕事を、非常によくやってきたと思ってる。アラニス・モリセット、ジェームス・テイラー、ヌスラット・ファテ・アリ・ハーンたちと仕事したし、他にも素晴らしいコラボレーションをしてきた。だから、全体的な経験としては、ちょっと悲しかったね。ベビーシッター実験のようなものだったから。君も知っての通り、トレヴァー・ラビンが80年代半ばにいなかったら、彼らは長い間解散したままだったろう。
ほとんどのイエスのファンは「結晶」に対して否定的で、あなたもそれに同意するでしょう。でも、沢山のファンが、プロジェクトに起こったことの責任を、あなたやセッションプレイヤーに負わせようとしています。そのことについて,どう思いますか?
JE:イエスのファンが、僕のことを嫌っていても気にしないよ。橋の下を水が流れてるようなもんさ。それより僕が気にしているのは、エキストラミュージシャンのせいで「結晶」がダメになったと捉えられることだ。真実は、エキストラミュージシャンがいなかったらアルバムはなかったと言うことなんだ。スティーヴとジョンとリックの間の不仲は相当なレベルに達していて、一緒に仕事をすることができなかった。だから僕らは、スティーヴが弾いたギターパートを取って、エキストラミュージシャンにこれに沿って弾かせたんだ。こういうことがずっと続いた。彼らが弾いたパートは互いに何の関連もなかったから、プロジェクトを物理的に終わらせるために、エキストラを投入するしかなかったんだ。
「結晶」に収録されている他の曲はどう思いますか? また、その後のイエスのアルバムについては?
JE:僕は、ビリー・シャーウッドとトレヴァー・ラビンには大いに敬意を払っているよ。常に、これからも。トレヴァーがどうやってやっていたかは知らない。トレヴァーは少しばかり独断で、曲とプロデュースを自分でやり、それから他の人たちを呼んできたんだろうと思う。なぜなら、そういう風に音楽が聞こえるからね。僕にはそうとしか考えられないんだけれど、それがビリーにも当てはまるかどうかは分からない。ビリーは素晴らしいミュージシャンだし、彼らがどれだけビリーを頼りにしてきたか、見てきたけどね。
もう僕は、イエスのことは考えてないんだ。彼らの音楽も聴かない。もう考えたくないんだ、正直なところね。僕は次に移って、アラニス・モリセットやジェームス・テイラーのような人と仕事をしているし、もっと2000年代にインパクトを与えられるような、意義のある人たちと仕事をしている。イエスは1980年にエイジアと被ってるからね……スティーヴはエイジアから閉め出されて、もうギターを弾けないから(訳注:インタビュー時点の2001年、まだスティーヴはエイジアに復帰していない)。
分かりました。「結晶」に関してはもう十分です。エライアス・アソシエイツについてどうでしょうか? 映画全体の音楽やアルバムを作るのから、たった数分のコマーシャルの音楽まで手がけていますね。
JE:コマーシャルは楽しいよ、本当にね。最高の音楽、最高の映画を手がけるディレクターと仕事をすると、最高のコマーシャルができる。僕らの会社は、最も受賞暦のある会社なんだ。僕らの分野ではもっと受賞しているから、本当にすばらしいディレクターと仕事をしている。彼らの中には、デヴィッド・フィンチャーやリドリー・スコットなどがいるよ。僕らは本当に数少ない最高のディレクターと仕事をしてきた。だから、僕らのコマーシャルはとっても良い仕上がりになるんだ。フィルハーモニック・オーケストラと仕事もするし、すばらしいミュージシャンとも仕事をする。ジミー・ホーンは最近BBキングとデュエットしたし、僕らはデヴィッド・ボウイとも短期間だけど仕事をした。とってもすばらしいことだし、とても楽しいよ。映画から自分のアルバムプロジェクトまで、とても楽しいさ。
音楽は楽しみだよ。仕事は大変でもあるし、面白くもあるし、グレース・ジョーンズとやろうとイエスだろうとデュラン・デュランだろうと、僕にとって常に楽しみなのさ。「結晶」も楽しかったけれど、イエスにあった政治的な事情や彼らがお互い憎み合っていたのは楽しくなかった。彼らは実は今でもいがみ合っていることを僕は知っている。それは、ジョンを信用しないレベルまで来ている。彼らはジョンが金を盗もうとしていると考えている。そして、彼らはみな彼を恐れているんだ。だから、彼らはマネージャーやプロデューサーやエキストラのギタープレーヤーに責任をなすりつけようとしているんだ。でも真実は、彼らはお互いのことを好きじゃないということなんだ。恥ずべきことだと思うけれど、真実だ。僕自身は今でもジョンのことが好きだよ。彼はいいやつさ。
あなたは自分が手がけた広告の仕事を芸術的価値があるものと考えていますか? それとも「The Prayer Cycle」のようなあなたの「本当にやりたいこと」から出たものを技術的に挑戦する場と考えていますか?
JE:いや、僕はその両方だと思っているね。僕は確かに広告は芸術的なものだと思っているし、僕らが手がけたものは芸術性があると思っている。そうだと思ってない人がいるとしたら、彼はうまくやれていないんだと思う。技術的な挑戦ということに関しては、確かにそういう部分はあるね。思うに、僕の仕事にはどれも僕の「本当にやりたいこと」から出たものだと思うよ。「結晶」を除いてね(笑)
「The Prayer Cycle」はどのようにしてできたものなのですか?
JE:「Requiem」をやっていたときのように、自然にできていったんだ。あるオーケストラ作品を手がけていた。ちょうど最初の子供ができる頃で、自分自身のことを、世界を見つめ始めた。すると僕は、暗い世界に住んでいるような気がして、アーティストとしてそれを反映した作品を作りたいと思ったんだ。「Prayer Cycle(祈りの周期)」は、ヌスラット・ファテ・アリ・ハーンやアラニス、その他の様々な社会の様々なシンガーが一緒に織りなす、祈りの集大成なんだ。また、オフラ・ハザ(Ofra Haza)のような――彼女は最近死んでしまったけれど――イスラエルのシンガーもいる。ピーター・ガブリエルのレーベルにいる、ヤンチェン・ラモ(Yungchen Lhamo)はチベットのシンガーなんだけれど、彼女も素晴らしいね。
「The Pryaer Cycle」は「Requiem for the Americas」よりも良い評価を得ているように見えます。「Requiem」を見返してみてどうですか?
JE:「Requiem」は15年前のことだから、あまり批評のことは覚えていないな。もし良い評価を得ていなかったんだとしたら、参加者の組み合わせが気に入られなかったんじゃないかと思う。「Prayer Cycle」は素晴らしい評価を受けたし、最近のイエスのアルバム*4の2倍近く売れた。良い評価を得たのは、それが本物だったからだと思う。僕は初期のイエスも本物だったと思っているよ。
私はあなたがカール・ジェンキンスと知り合いではないかと思っているのですが、どうでしょうか? 広告分野で仕事をし、クラシック的なアルバムをアディエマスとして発表しています。あなたの作品や「The Prayer Cycle」と並ぶ部分が見られます。
JE:僕は、カール・ジェンキンスのことは知らないんだ。でも、ある人が最近、彼らが一緒にやりたがっているらしいと教えてくれた。なぜなら、彼らが言うには、僕らは共通点がいっぱいあるし、お互いのことが好きだろうからって。だから、僕は彼らに是非会ってみたいし、いずれ僕らの道が交差することが有ると思ってるよ。
これからのプロジェクトを教えて下さい。
JE:今のところ、ジミー・ホーンとアイルランドのNoella Huttonというアーティストと仕事をしてて、彼女のアルバムを仕上げようとしている。その後は僕らは、ジミーの娘のリンジー・ホーンと仕事をしようとしてる。彼女は本当に本当に才能のある歌手で、彼女から素晴らしいもの引き出せると期待しているよ。そしてその後、次の「Prayer Cycle」をやっているだろう。ソニークラシカルから2つのアルバムを出すことになっているんだ。おかしな事なんだけれど、僕はジョン・ウィリアムスとこの「Prayer Cycle」の仕事を一緒にやっている。彼は確かスティーヴ・ハウに関して面白い話の2つのうちの1つを知ってるよ。
ビリー・シャーウッドとやっているUnknownのことも忘れないで下さい。
JE:Unknownはジミーとビリーとでやるプロジェクトになる。これまで僕らが聴いたもの、やったものは、この数年のイエスよりもずっといいものになるよ。
<追記>
インタビュー最後に触れていた、次の「The Prayer Cycle」は「Prayer Cycle 2: Path to Zero」として、2011年に発売された。ジョン・アンダーソンほか、ジャズベーシストのリチャード・ボナ、スティング、Kornのヴォーカルであるジョナサン・デイヴィス、そしてなんとジム・モリソン(!)も参加している。
Path to Zero: The Prayer Cycle 2
- Atomic Mother (feat. Sting, Trudie Styler, Rahat Fateh Ali Khan)
- Trinity (feat. Jonathan Davis, Salif Keita, Hakim)
- Deliverance (feat. Angelique Kidjo, Richard Bona, Yunghen Lhamo)
- Devotion (feat. Jon Anderson, Richard Bona, Rahat Fateh Ali Khan, Dadawa)
- Fallout (feat. Serji Tankian, Sinead O’Connor, Robert Downey, Jr., Jim Morrison)
- Awakening (feat. the American Boys Choir)
- Many Suns (featt. Alex Ebert, Joanne Shenandoah, Lilli Elias)
【訳注】
*1 Ident、つまりIdentityに由来する言葉で、番組の途中に挿入される、そのチャンネルのトレードマークとなるような映像。挿入したYouTube映像を見ていただくのが早いと思う。
*2 この表現の意味するところは興味深い。get stonedは、マリファナを服用するという意味も持つからだ。実際にハウがドラッグを服用していたかは定かではない。
*3 リックは後にトレヴァーと意気投合し、次のアルバムは90125イエス+リックでの作成がレコード会社より提案されるが、リックのスケジュールの都合で実現しなかった。なお最近、リックとジョンとトレヴァーでアルバムを作成するという噂がある。
*4 「ラダー」のことを指していると思われる。インタビュー時点で「マグニフィケイション」はまだ録音途中。
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