2011年8月23日火曜日

【翻訳】ビリー・シャーウッド インタビュー 2000.2

恥ずかしながら、実を言うと訳者はビリー・シャーウッドの存在を最近に至るまで知らなかった。アルバム「Talk」時の来日公演で、もう一人のギタリストの存在を知りつつも、単なるエキストラ程度にしか思っていなかった。しかし実際には、彼はジョンがABWHへ行ってしまった頃の90125イエスの共作者であり、「海洋地形学」の編成に戻った後、「Keys to the ascention 2」のリリースが進まず、リックが脱退し活動が停止した際には、かつてのトレヴァー・ラビンのようにバンドの舵取り役までを務めることになる存在だったのだ。

下記に掲載するインタビュー翻訳原稿は、2000年の2月に行われたもので、すでにビリー・シャーウッドがイエスを去ることを決意していたときのものだと思われる(脱退は同年3月)。裏方として10年をイエスと共に過ごしてきた彼が、どのような働きをしていたのかが分かる。

なお、訳出に当たり、適宜見出しを付けた。また、画像はネットで拾ってきたものなので、著作権的にはアウトかもしれないが、非営利でやっているのでお目こぼしいただけるとありがたい(アフィリエイトは一銭にもなっていないので……)。

(原文へのリンク:http://www.bondegezou.co.uk/iv/bsinterview.htm)



ビリー・シャーウッドは、イエスに参加する1997年以前から、メンバーである期間よりも長い間、様々な形でバンドに関わり続けてきた。彼はラダー・ツアーの後半を先導していたが、これがきっと彼がバンドを去る前の最後のインタビューだろう。

次のインタビューは2000年の2月28日にパリにて、エメリック・ルロワ(Aymeric Leroy)によって行われた。フランスのBig Bangマガジン(34号、2000年3月)でこのインタビューの短縮バージョンが刊行された。エメリックにはフルバージョンを提供していただいたことに感謝したい。[Henry Potts]

**

クリスと作っていたアルバムがようやくリリースされましたね。Conspiracyという名前でリリースされましたが、以前はChris Squire ExperimentやChemistryといった名前でしたよね。

ビリー・シャーウッド(以下BS):7つは名前があったと思うよ!

最初から話を聞かせてください。クリス・スクワイアと知り合ったのは、89年のことですよね?

BS:知っての通り、僕のバンド、World Tradeのアルバムをクリスがとても聴いて気に入ってくれたんだ。その時点で、イエスはシンガーがいなかった。ABWHをやっていたからね。元ジェントル・ジャイアントで、その時点ではレーベルのマネージャーだったデレク・シュルマン(Derek Shulman)が、僕をクリスに紹介してくれたんだ。そして僕たちは"The More We Live"を書いたんだ。これが最初に一緒に書いた曲だったよ。そしてこれが両方にとって、音楽的にとっても充実した体験だったんだ。ソングライターがいて、誰かがひらめきをもたらしてくれたら、その相手と曲を書き続けるだろう? だから、僕とクリスは一緒に曲を書いた。そして、二人の関係が始まったんだ。これがことのきっかけさ。

見た目上はあまりよいパートナーシップに見えませんよね。なぜなら、あなたはベーシストでヴォーカリストですから。でも、あなたなら一緒に曲を書くのはたやすいように見えます。

BS:クリスと曲を書いているとき、僕は自分のバンドではベーシストだったんだけど、僕はいろんな楽器を演奏するからね。だから、うまくいったよ。「クリスはベース弾いてよ、僕はギターを弾くからさ」という感じで。問題はなかったよ。そして、僕はキーボードも弾いた。だから全く問題なかったんだ。いくつかの部分では、クリスがやってきて「このベースサウンドはすごいよ、変えちゃだめだ!」と言ったことがあって、僕は「待ってよ、でも君はベースプレーヤーだろう?」というと、「このサウンドは本当にいい。だから変えたくないんだ」と言ってきたので、そのままにしたこともあったよ。でも、それはとても稀なケースだね。確か1~2曲あったんだけれど。"The More We Live"ともう1曲あったと思うんだけれど、今は思い出せないな。

その時は、クリスはイエスを復活させようとか、それらの曲をイエスで使おうと考えていたかわかりますか?

BS:わからないな。単にソングライターとしてやっていただけだったしね。僕はロサンゼルスに住んでいて、彼もロサンゼルスだった……僕は沢山の人と曲を書いていたし、傾向も様々だった。デヴィッド・ペイチとTOTOのアルバム「Kingdom of Desire」の為に1曲書いたこともあった。エア・サプライのメンバーと彼らのアルバムのために曲を書いたこともあったし……だから、僕は単に曲を書いていただけなんだ。だから、彼はそれでアプローチしてきたと思ってる。誰も、「やあ、これはイエスに合いそうだね、イエスの曲にしよう」とは言わなかった。でも、「結晶」が出ることになって、ジョンが戻ってきて、僕は後ろに引いて、貯めていた曲が「結晶」に収録されることになり、ジョンが歌った。とても良かったよ……

あなたがほとんどすべてを弾いているのに、クレジットされていませんでしたよね。ショックだったんじゃないですか……


Conspiracy再発盤は初回盤と
別のボーナストラックを収録。
BS:僕はいいやつだからさ(笑)

プライドを飲み込んだと。

BS:僕が持っていた曲のあるべきイメージでは、僕が全部やるべきではないと思っていたからね。

もし彼らがあなたをクレジットしたくないなら、彼らはあなたのボーカルパートを消すべきだったと思います。目立ちますからね。

BS:そうだね。少なくともConspiracyのアルバムでは、元々の形を聴くことができるよ。それほど大きくは変わってない。でも、僕が全部演奏している……トレヴァーは居ないし、もちろんジョンもいない。どちらのバージョンにもトニー・ケイはいない……だから、オリジナルはどこからやってきたのかがもっと分かるんじゃないかと思うよ。真実を。


クリスとの作業は自由だよ、曲の長さを制限しないこと以外は

どれぐらいの期間でアルバムは作られたんですか? 仕上げるのに2~3年はかかったんじゃないでしょうか?

BS:たぶんその通りだね。だいたい90年から96年の末か97年の頭ぐらいまでだ。

ちょうど、あなたがイエスに係わる前ですね。

BS:そうだね。ちょうど、「Open Your Eyes」の前だ。全部の素材が出来上がり、そして「Open Your Eyes」の録音を始めたんだ。

クリスと曲を書くときに決まったやり方はありますか? それぞれが独自にやって、それを混ぜたりしているのでしょうか?

BS:混ぜているね、すごい混ざっているよ。たとえば、クリスが"The More We Live"をやったときがそうだった。元々の素材は彼のアイディアだったんだ。彼が僕のところに来て、「こういうコード進行があるんだけど。ディーダダ、ディーダダって[原注:イントロのモチーフ]」と言ったんだ。そんなかんじだった。それで、僕は「え!……これで僕らは何をしたらいいんだ?」と思った。そして、スタジオに座ってしばらくしたんだが、なにも思いつかなかった。でも、"The More We Live"の歌詞のアイディアを思いついたら、急に形になりだした。そして、彼の弾いたこのシンプルなコードから、急に全体が見えてきて、全く違う意味を持つものになったんだ。

また逆に、僕が曲を持っていくと、彼が詞を付けてくれると言うこともあった。僕らはとってもオープンなんだ。こうしなければならないと押しつけたりしないんだ。幸運にも、僕らは好きなものが同じであることが多い。素早く曲が完成するときは、二人とも同じものが好きだったときなんだ。

アルバムには複数の人が、特にドラマーが沢山、参加していますが、バンドとして完成させようとは思わなかったんですか?

BS:それが、僕らが最終的にConspiracyという名前を選んだ理由なんだ。僕はクリスにこう言ったんだ、「これはあなたのソロアルバムでもないし、僕のソロアルバムでもないけれど、でも、2人が一番多く演奏していますよね……」って。僕らは一心同体なんだ。アラン・ホワイトが素晴らしいドラムを叩いてくれたし、マイケル・ブランド(Michael Bland)も良い演奏をしてくれた。ジェイ・シェレン(Jay Schellen)や、マーク・ウィリアムスも。そして、打ち込みもいくつかやった。だから、バンドというよりむしろ乗り物だったんだ。「僕らが曲を書いて、誰かを連れてきてこの部分を演奏してもらったら、この曲はかっこよくなりそうだぞ」という感じで、やっていったんだ。

しかし、あなたたちは、92年にツアーをやっていますよね。

BS:僕らはツアーをやったけれど、その時点ではChris Squire Experimentだったんだ。

すでにあなたはリードヴォーカルをいくつかの曲でやっていましたよね。

BS:僕は歌ってたよ。そして、僕のバンドはそのツアー中にChris Squire Experimentになっていったんだ。

World Tradeがですか?

BS:いいや、The Keyというバンドだよ。もう一つやっていたバンドで、強力なトリオだったんだ。The KeyがChris Squire Experimentになったんだ。ジミー・ホーン(Jimmy Haun)がギターで、僕もギターを弾き、マーク・ウィリアムスがパーカッションだった。そして、アラン・ホワイトがドラムで入ってきて、スティーブ・ポーカロがキーボードをやってくれた。そして何年か経って、僕らがConspiracy(共謀)を名乗れば、誰かを呼べるぞと言うアイディアに行き着いて、この名前を名乗ることになったんだ。このプロジェクトにぴったりの名前だよ。

あなたたちは音楽の方向性を決めていましたか? もっとラジオでかかるような音楽を選ぼうとか。

BS:僕らは自由だよ。でも、一つだけ僕とクリスで合意したことがある。それは、良い音楽というのは長さで括られるものじゃないということだよ。ビートルズの曲が2時間半だったとしても、彼らの曲は素晴らしいはずだろう。イエスでは、曲が長くなる傾向があるけれど、それは沢山の人間がアイディアを持ってくるからなんだ。彼らと一緒に製作していた過程で、僕はなぜ曲が長くなるのかを見ることができた。それは、「ねえ、1つアイディアがあるんだけど」「いいよ、じゃあこれを入れてみよう」「僕も思いついた」「じゃあそれをその次のところに入れてみよう」という感じだったんだ。そして最後には全部のアイディアが入れられて、曲が長くなっているというわけさ。一方、クリスと僕は、普通に曲を書いた。終わるべきだと思うところで終わらせたんだ。「ああ、あと5分は長くしないと」とはしなかったんだ。

あなたたちに共通して影響を受けたポップミュージックはありますか? ポップミュージックの職人、ブライアン・ウィルソンが思い浮かびますが。

BS:ああ、まちがいないね。僕が参考にしているのはたぶん彼とは全然違うものだよ。でも、類似点があることは間違いない。僕らは二人とも同じ種類のポップミュージックが好きなんだ。僕らが音楽について話すと、彼は常にポップミュージックが好きだし、僕もそうだ。僕らは二人ともガービッジが出てきたらすぐに好きになったよ。バンドの他のメンバーがポップミュージックを聴いているか知らないけれど、彼は聴いているし、僕も聴いている。そうして、交流が生まれるんだ。そういう風に考えながら、僕らは一緒に作曲をやってきたんだと思う。僕らはマーケット向きの音楽かどうかと言うことは気にしないんだ。

あなたのソロプロジェクトは、もっとポップとプログレのバランスが取れているように見えます。たとえば、あなたのソロアルバム「The Big Peace」のように。

BS:そうだね。ソロだから上手くやれたね。あれは本当はWorld Tradeのサードアルバムするつもりだったんだ。でも、僕とドラマー以外はみんな忙しかったんだ。キーボードプレーヤーは忙しいし……彼はいまドゥービー・ブラザーズにいるよ。ブルース・ゴウディ(Bruce Gowdy)は他のプロジェクトに集中していた。僕がみんなに電話して、「World Tradeをやる気ある?」と聞くと、みんな「もちろん。でも、僕らやれるの?」と言うんだ。「僕は時間有るけれど、君は?」と聞くと、「いや、今はないな」「わかったよ……」となってしまったんだ。僕は曲を作りたかったから、先に作業を開始して、どんどん進めていき、アルバムができた時、気がついたらジェイ・シェレンがドラムを叩いている以外は、すべて僕が演奏していたんだ。だから、ジェイに「これをWorld Tradeのアルバムというのは他のみんなに対してフェアじゃないよね。だって、彼らは係わってないし、聞く人を誤解させてしまうから。これは僕のソロアルバムにすべきだろうね」と言ったんだ。ジェイは同意してくれたよ。

Euphoriaでは全曲が共作ですが、このアルバムではあなたが全曲を書いていますよね。違いは何でしょうか。

BS:そうだね……僕は他人と曲を書くのは好きだよ。もし誰も他にいないのなら、僕だけで曲を作り続けるだろうね。なぜなら、僕はワーカホリックだし、音楽を愛しているからね。もし、何年もの間そうしてきたように、様々なプロジェクトに関わっているのでなかったらの話だけれど――僕にはイエスの仕事があったし、他のメンバーに余裕があればWorld Tradeもできた。The Keyもあったし、今はConspiracyをやっている……音楽を発表する道がいくつもあるんだよ。それらが全部イヤになったのなら、音楽から離れるだけさ……。


僕は病気だと言われるほど音楽の仕事ばかりしてるよ

あなたのスタジオについて聞かせて下さい。大部分のプロジェクトがあなたのスタジオで行われていますよね。

BS:うん、大部分のプロジェクトはね。「The Ladder」を除く、イエスの2枚のアルバムもミックス前にそこでプロデュースしたよ。

僕のスタジオは……バンドに入ってから、そこは貸していて、今は使えないんだ! だからツアーの合間に家に帰り、曲を書きたいと思っても、場所がないんだ! だから、今は僕の家に設えたもう一つのスタジオで作業をしている。

以前は、自分のスタジオとして使っていたんですよね。

BS:イエスに入る前は、スタジオは製作の場で、バンドと作業したりプロデュースしたり、友人と作業したいときは、「やあ、高い金を使ってマイクの前で歌うようなでかいスタジオのことは忘れて、ウチに来なよ。ここは僕らのスタジオだぜ」ということができたんだよ。アシスタントはいないし、全部僕が一人でやって、秘書もいない。なぜそうするのかというと、スタジオで作業していて、他の人たちが外にて意見も言わないでいると、何かアイディアを出せと圧力を受けているように感じるのが大きいかな。自分のスタジオを建てたとき、これで何でも作れると思ったんだ。バンドのみんなも同じように感じていた。だって、僕と彼らだけで、他になにも雑音はないからね。あのスタジオはとても役に立ったし、今も他の人たちの役に立っているよ。

技術的な話でいうと、デジタルテクノロジーの発展によって、今でもまだホームスタジオとプロフェッショナルなスタジオとで大きな差があるものでしょうか? ちょうど、イエスの最新アルバムで使ったカナダのスタジオのような。

BS:どう説明すればいいか分からないけれど、こういう感じかな。ポルシェかジャガーに乗って運転していて、同じ方向を目指していて、どのように運転するかは自分次第。僕のスタジオだと、テクニシャンが一緒にいて、彼がエフェクターやパワーアンプに良い仕事をしてくれて、その音をスタジオから持って行ける。これは本当に本当なんだ。もし外のスタジオに、たとえば今回のバンクーバーのようなところに行くとして、そこではすべてがプロフェッショナルにセッティングされていて、それは違う雰囲気の、違うサウンドのものとなるんだ。両方とも、それぞれの居場所があるんだ。僕は24チャンネルのアナログと48チャンネルのデジタルのレコーダーがあって、使い放題のエフェクトと使い放題のいろんな機材がある豪華なスタジオを持っていた。スタジオを人に貸す必要は無いし、料金も気にしなくていい。すべて自分のものなんだ。バンドが僕と仕事をすると、夜10時になると大抵のスタジオだと出て行かなくちゃならなくなるけれど、午前2時まで使う事ができる。自分のスタジオだからね! すべての要素を合わせたとき、クリエイティビティを終日、同じにできる。だから、こういう環境を使えたことはとても幸せだよ。

Conspiracyの話に戻ります。作業は、たとえば6ヶ月に1日という風に行っていたのか、それとも何ヶ月か空いて何ヶ月か作業して、という感じだったのでしょうか。

BS:作業は何年もかかったよ。理由の大部分は、クリスがイエスで忙しかったからね。それに、僕も他のバンドのプロデュースで忙しかった。ずっと会えないときもあって、お互い余裕ができたら、一緒に作業して……でも、僕が「Keys to Ascension 1」に取りかかったとき、急速に作業が進んだね。クリスが町にいて、僕もいるから、「やるなら今だ、残りの曲をやってしまおう」って考えたんだ。それでギアが入った感じだね。"Violet Purple Rose"や"No Rhyme"や"Red Light"などの曲を作り上げたよ。

面白い作業だったな、とっても長くに渡っていて。一部はクリス・スクワイアのもので、僕はどうやって付け加えたら良いんだ?って。彼は僕ほど作業は早くないんだ。僕はワーカホリックだからね。みんな僕の作業ペースを見ると病気何じゃないかと思うぐらい。でも、僕にとってはスローなんだ。彼にとっては自然なペースだった。でも9年もかかったから、もうちょっと早くできないものかと思ったよ。だから、イエスと作業をしている時に、僕らは曲を書き続けて、次のアルバムのための曲を7曲書いたんだ。1年以内には出すつもりで。今は僕らは密接に仕事をしているし、いっぱい作業をしたよ。次のConspiracyのアルバムはすぐに出せると思うよ。

イエスやWorld Tradeのアウトテイクを使おうというのは誰のアイディアだったんでしょうか? 我慢しきれなくなったと言うことでしょうか?

Conpiracy初回盤。インタビュー
に出てくる
隠しトラックがある。
BS:僕は"Say Goodbye"を他の誰かが歌うのを待つのに疲れたんだよ。なぜなら、これは僕にとって特別な曲だからね。彼にこれをやりたいと言って、問題なかったので、彼はこう言った。「僕らのプロジェクトをやるときは、オリジナルバージョンを入れて良いんだ」って。似ているけれど、違いが有るんだ……オリジナルのアイディアがどういうものだったかをファンに聞かせようというのは、クリスのアイディアだったんだ。このレコードはまさに僕らが一緒に曲を書いて、演奏してきたものの、年代記そのものだね。アルバムで聴けるオリジナルバージョンは、ソロでやったものとも、イエスのボックスセットに入っている"Love Conquers All"とも違うんだ。ボックスのほうのバージョンは、トレヴァー・ラビンが歌って、ギターソロを弾いていて、曲も少しだけ変えているんだ。さて、ここで曲のオリジナルバージョンのことについて、一番の秘密の話になるんだけどね。

実は、厚い黒のカーテンに覆われているけれど、3曲の"隠しトラック"があるんだ。すごい奥の方にあるんだよ。クリスはそれらを入れたがってたんだけれど、「Open Your Eyes」が出た時期ととても近かったから、隠しトラックにすることにしたんだ。

"The Evolution Song"についてはどうでしょうか?

BS:"The Evolution Song"はWorld Tradeの時とは違うBセクションがあって、ちょっと手を加えてある。ある時、クリスが言ったんだ。「これをアルバムに入れないか?」ってね。それで、僕はオリジナルテープを持ってきた。それがオリジナルバージョンで、曲がどういう風に書かれたか分かるだろう。クリスがBセクションを歌っていて……少しばかり変更を加えてあるけれども、大きな違いになってるんだ。


「The Ladder」のために、6ヶ月間一緒に曲を書き続けた

「The Ladder」でのあなたの作曲した部分について聞かせて下さい。最初の印象では、皆がそれぞれアイディアをテーブルに持ってきて、みんなで曲を書いたように感じられました。

BS:僕らは6ヶ月間、一緒にカナダにいて、アルバムの曲を書いたんだ。だから、そういう印象を受けるんだろうね。君の言う通り、全員が曲に貢献している。有る部分の素材が、他の人間から出てきたりしている。たとえば、"Homeworld"は僕がヴァースのギターパートのアイディアを出し、コーラスのコードはイゴールが出した。ジョンが詞と上声部を書いて、スティーヴが中間部の‘ディン、ゲディン、ゲディン’というシャッフルの部分を考えた。僕らはそれらをまとめ上げたんだ。

クリスとアランは、"The Messenger"のグルーヴを作った。これは、レゲエっぽいフィーリングがあるね。彼らは一緒に演奏し始めて、僕らはそれに乗っていった。"If Only..."はイゴールとスティーヴ、それにジョンがほとんどを書いた。"Finally"は、僕のソロアルバムの「The Big Thing」の"I"という曲にある、‘I can be...’、‘I can change...’という部分を、ジョンが取ってきて、手を加えたものが、"Finally"になった。実際にはエンディングはスティーヴの手によるものだけど、その時点ではオリジナルのコード進行のままだったんだけれど、バンドがイエスらしさを加えたというわけさ。

「The Ladder」制作時のメンバーで一番左がビリー
"To be Alive"は、ハーモニックサウンドから始まる。12弦ギターのタッピングで、僕がよくリハーサルで弾いていたものなんだけれど、上手く収まらなかった。そして、僕らがスタジオに入った時、ブルース・フェアバーンに「この曲なんだけれど、イエスらしい曲から外れて、こういう催眠的な音が続く曲はどうかと思ってやってるんだけれど、どうしても次のセクションにいけないんだ。どうやってもうまくできないんだ」と言ったんだ。ちょっとばかり苦労したね。でも、その日の最後には、ジョンが素晴らしい詞とメロディを書いて、クリスとアランが良いアイディアを出してくれて、アイディアを思いついたんだ。そして、アルバムに入ることになった。とっても嬉しかったよ。"Good Day"も面白かったね。イゴールとジョンが‘ティン ティン ティン ティン’というイントロのメロディーを作っていた。僕が14歳の時に書いた曲に、‘ダン、ダダ、ダダ、ダダダ、ダン’というチェンジがあって、それをリハーサルで演奏していたら、ジョンが作っていたメロディを‘ディン ディン ディン ディン’と歌い出して、2つのアイディアが一緒になってあの曲になったんだ。

"New Language"はそもそもはジャムセッションだったんだ。これは、クリスと僕とアランとで、「Open Your Eyes」の為に作ったイントロ部分だったけれど、結局収録されなかった。「The Ladder」の時に、スタジオで3人がジャムセッションしていたら、スティーヴが上声部を弾いて、それからさらに彼が少し書き足した。それが、"New Language"のイントロになったんだ。最終的に有るべきところを見つけたんだ。イントロが終わると、ローズが入ってくる。これは、もちろんイゴールによるもので、彼も沢山係わった。ジョンと同じぐらいね。

"Face to Face"は、‘ド ディ ダ ダ ダ ディ ド...’という部分は、もちろんスティーヴだ。これは全編に出てくるけれど、面白いことに誰も曲がどうなるか制御していなかったんだ。これはまさに、「みんな演奏してる? イエー? オーケー、行こう!」というものだった。僕らはこのアルバムに収録されなかった曲も沢山作った。ブルースに善し悪しを選んでもらったんだ。だからアルバム収録曲は彼の選択によるものなんだ。

そのようにしたのはとてもいいことだと思います。イエスのアルバムを作る上で、最も賢いやり方だったんじゃないでしょうか。

BS:それがまさにバンドの力関係上正しかったんだ。君の言う通りだよ!

結果がそれを語っていますね。

BS:そうだね。沢山の人がアルバムを気に入ってくれている。実に良いよ。

あなたは、こういう風に作業することを、結果がどうなるか意識して皆が決めたと思っていますか?

BS:僕らがこんな事を話すのもおかしなものだよね……イエスは、初期のいくつかのアルバム以外はそういうやり方では曲を書いていないと思うんだ。実際のところどうしていたかは僕は知らない。でも、僕は「The Yes Album」が彼らが全員部屋に入って一緒に作業した最後のアルバムだと思うんだ。それ以降は、ジョンとスティーブがアイディアを持ってて、そこから始めて、形を変えていったんだと思う。そして、クリスやアラン、リックなどがいろいろ付け加えたんだろうね。「90125」「Big Generator」「Talk」は、トレヴァー・ラビンがコントロールしていたと思う。他とは違う曲調だからね。「Keys to Ascension」は、全員が一緒に作業をしたけれど、実際には、リックは作曲には係わっていない。ジョンは山ほどアイディアを持っていた。この時、初めて全員で「見ろよ、誰もテーブルに荷物を持ってきていない。誰も良いアイディアを持ってない。あくまで絶対に自分の意見を曲げないというのなら、自分のソロアルバムでやれよ。ギブ・アンド・テイクで作業していこうよ」と言い合う事ができた時だと思うよ。それは簡単な仕事じゃなかったけれど、大抵は大変さよりも楽しさがあったよ。

その結果、あなたがツアー部分で沢山、演奏することになったわけですね。

BS:全員が係わっていたから、みんな気分は良かったと思うよ。それは大事なことだよ。


トレヴァー・ラビンと一緒にやらないかといつも話してるよ

次はどこに出演するのですか?

BS:2000年の3月25日には、ルーマニアのブカレストでのコンサートが決まっている。その後は、6月にツアーをやるかもしれない。でも、ツアーをやらずに別のことをやるアイディアもあって、ボストン・ポップス・シンフォニーと一緒にオーケストラのアルバムをやるかもしれない。彼らとイエスでアメリカのテレビに話もあるんだ。

何か特別に用意した曲を演奏するのですか? それとも……

BS:ええと、昔の曲と、ラダーの曲に、新しい曲もやるかもしれない。まだ分からないけれどね。でも、僕らはずっと一生懸命仕事しているよ。僕が入る前、彼らは「Keys to Ascention」の時も、忙しかった。でも、彼らはツアーをしなかった。なぜなら、リックがしていたからね。でも、僕が入ってからはノンストップで仕事し続けているよ……「Keys to Ascention 1」の曲が出来上がり、リックが脱退すると、僕はクリスに言ったんだ。「もしその気があるなら、手助けしたいんだけれど」って。そして、僕らは「Open Your Eyes」の曲を書き始めた。集中力はずっと続いて、アルバムは出来上がった。で、3年半から4年経った今でも、僕らはノンストップでツアーをして、曲を書いて、ツアーをして……

私は、どのイエスのラインナップも長続きしたことはないと思っているのですが?

BS:(笑)彼らは長らく一緒にやってきたからね。それは確かだ。「90125」は強い生命力を持ってた。あれはビッグアルバムだったからね。だから、ツアーを大々的にやらないといけなかった。今でもいっぱいやることがあると僕には思えるんだよ。彼らのやったこととは比べられないかもしれないけど、僕はこの部署は初めてだからね、いっぱい仕事があるのさ!

自分自身のプロジェクトは考えていないんですか?

BS:次のソロアルバムをやっているよ。知っての通り、僕は音楽に執着しているんだ。更に、クリスと僕とで、さっきも言ったように、次のConspiracyのアルバムをやっているよ。

7曲できたと言っていましたよね。

BS:7曲はできてるよ。

何曲必要なんですか?

BS:3曲欲しいね。すぐに曲になりそうなネタは有るんだ。それが今の状態で、もう少ししたら何か生まれると思うよ。

あと、トレヴァー・ラビンとは、一緒にやろうといつも言ってるよ。彼は本当に映画の仕事で忙しいんだけど、いつも会ってるんだ。一緒に車に乗るときはいつも、お互いの音楽を聴き合って、アイディアを歌ったりとかしているんだ……とっても良い感じだよ。

彼は沢山の曲をレコーディングし続けていますが、自身の曲は歌ってないですよね。

BS:そうだね。まだ分からないけど、将来、トレヴァーと作業するかもしれないんだ。僕はぜひやりたいね。彼は常に僕の大好きな音楽家の一人だからね。

Conspiracyのプロジェクトとしてですか?

BS:そうなるかもしれないし、別のものになるかもしれない。まだわからないよ……でも、付け足すと、僕は自分のスタジオを建てて、早くそこで作業をしたいね。次は何をやろうかな?

次のソロアルバムを作るとしたら、同じメンツでいきますか? ジェイ・シェレンとか。

BS:ジェイには参加してもらうだろうね。

それはWorld Tradeに似たようなものになるのでしょうか?

2011年にトニー・ケイと来日した時のビリー
BS:そういうスタイルになるよ。なぜなら、沢山やるポップミュージックをやる機会があるので、ソロでは完全にアーティスティックな目的の為にやれるからね。シングルを出すことを気にせず、ただ作ればいいからね……。ジェイは僕にとって重要で、彼はとても才能あるドラマーなんだ。「The Big Peace」のときに会った出来事なんだけれど、ドラムマシーンで音の密度が濃い演奏をプログラミングしておいて、彼がスタジオに来たら「ジェイ、こういうのできるよね」と言ったら、「おい、こんなの物理的に無理だぜ」と言うから、「やってみなよ」と言ったら、ドラムの前に座って試し始めたんだ。ブースのガラスの向こうから彼の満面の笑みが見えたよ。彼はそれを演奏できたんだ。素晴らしいサウンドだったね! 一緒にやりたいと思う、一緒にやりやすいミュージシャンを見つけられるのは本当に稀だよ。ジェイは本当に本当に、仕事がしやすいんだ。それに彼はスイートガイだから、一緒に仕事をするのが楽しいんだ。だから、次のソロアルバムでも絶対一緒にやると思うよ。

Conspiracyのツアーはありそうでしょうか?

BS:僕らはそれについて話し合っているところなんだ。イエスのスケジュールがどうなるか次第なんだ。ギグをやる余裕があるかどうかにね。Conspiracyはもっと小さい規模になるから。でも、前回ツアーをしたときは、観客は本当に楽しんでくれていたし、どこでもソールドアウトになった。小さい会場でやったしね。

ツアーはどこで行われたんでしたっけ。カルフォルニアとハワイでやったという記事を読んだ記憶があります。

BS:そうだよ。あとアリゾナと……たぶんシアトルでもやったと思う。思い出せないな。どれも本当にいいギグだった。どうなるか分からないけれど、もしやれそうなら、ツアーをやるかもしれないよ。







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