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2019年6月18日火曜日

クリムゾンのニューアルバム?「The Reconstrukction of Light」

クリムゾンが現行ラインナップでスタジオアルバムを作る予定はないと発言していることは有名だが、クリムゾンの最新スタジオアルバムと言えるかもしれない作品が登場した。それが6月発売されたばかりの「The Reconstrucktion of Light」だ。これは「The Construkction of Light」のドラムを新録しなおしたものだ。そのいきさつはちょっと興味深い。



2000年発表の「The Construkction of Light」はADATというS-VHSテープ(家庭でテレビ番組を録画するのに使ってたVHSのちょっと豪華版とでもいえば良いか)を使ったデジタルレコーディングによって制作された。当時はS-VHSは放送用途でも多用されており、普及したメディアを転用して安価にデジタルレコーディングができるということで、ADATは90年代を通して大変使われた。現在テープを使うことはないが、ADATは規格としてのみ残っておりプロオーディオ機器もサポートを継続している。

オリジナルの「The Construkction of Light」
問題はこのADATという過渡期のデジタルレコーディングシステムだ。現在のようなクラウド保存なんてない時代。パット・マステロットのドラムはエイドリアン・ブリューの知人のエンジニアによって録音されたのだが、近年亡くなり彼が持っているはずのマスターテープは所在不明となってしまったという。普通のビデオテープにしか見えないなら、うっかり捨ててしまってる可能性も否定できないから恐ろしい。かくしてパットのドラムを録音したオリジナルのマルチトラックマスターは失われてしまった(これまでのクリムゾンのライブマテリアルと同様、将来的に出てくる可能性もあるのだろうか?)。

クリムゾンの40周年記念シリーズはオリジナルのハイレゾ版とサラウンド版を作ることが売りの一つであったのだが、このままでは2ミックスしか残っていないのでさてどうしよう?という話になったときに、パットが新しくドラムを録音しなおす、という解決になった。この結果、作品は新しい命を吹き込まれた。

一聴してわかるのが、パットのドラムがヘヴィネスを増していることだ。現在3人ドラムでやっているレパートリーを1人でやってみるというのも面白い試みだが(とはいえ録音時期からするとリハに上がる前かもしれない)、明らかにオリジナルドラマーとして、またクリムゾンの常とう手段としてレコーディング前のライブという手順を踏まなかったアルバムだったことから、アルバム発表後のライブで練り上げられたドラミングがここに結実しているとみることもできるだろう。

ドラムの音やプレイが変われば当然ミックスも変わるとばかりに、一聴してわかる程ミックスが変わっている。ギターもよりヘヴィさを増し、音像としては自作「The Power to Believe」に近くなっている。それもそのはず、一部でMachineも参加しているのだ。また、各曲間をサウンドスケープでつなぐなどして、オリジナル発表当時はProjecktでできた素材を寄せ集めた感があったものを、よりアルバムとしての統一性を増している。はっきりいって、オリジナルよりも良くなった。

かつてトレイ・ガンは最良のアルバムではないがベストは尽くした、と語っていたこのアルバム、今回のドラムパート差し替え&ニューミックスで新しい評価を手にすることができるかもしれない。

余談だが、ユニバーサルミュージックが、ニルヴァーナもエイジアもサッチモもビリーホリディもコルトレーンもテープを焼失してしまったという話が最近大きな話題になったが、過渡期のデジタルレコーディングの保存は今後の課題だろう。


2017年5月21日日曜日

ロバート・フリップがジョー・ザヴィヌルと話している写真

DGMからのニュースで知りましたが、キング・クリムゾンのロバート・フリップが、ウェザー・リポートのジョー・ザヴィヌルと話している貴重な写真を発見しました。90年代半ばのラジオ番組でのことで、フリップはクリムゾンのリハーサル音源を放送したとのこと。



記事はスペイン語のため正確な内容は不明ですが、フリップが音楽産業について(おそらく否定的に)語ると、ザヴィヌルが「俺はそれら全部のクソが好きなんだよ」と答えたとのこと。時期的にウェザー・リポート解散後なので、ザウィヌル・シンジケートの頃でしょうか。

時間があれば、二人の会話内容について調べてみたいところです。
http://elintruso.com/2007/07/05/hernan-nunez/


2017年4月15日土曜日

カール・パーマー、自身のプロジェクト”Carl Palmer’s ELP Legacy”を語る

カール・パーマーが始めた、ELP楽曲を演奏するプロジェクト、Calr Palmer’s ELP Legacyについて語っているインタビューを見つけたので、その簡単な内容を紹介する。なお、インタビューはキース・エマーソンの死後、グレッグ・レイクの生前に行われたもので、音楽ライターのロブ・パターソンによるもの。

http://bestclassicbands.com/carl-palmer-interview-6-8-16/

キース・エマーソンが生きていたら、まだELPをやっていたか?:
やらない。昔の水準でもう演奏できなくなっていたから。特にキースは腕に故障を抱えていた。キースは賛成してくれたが、グレッグはやり続けたいようだった。多くの大御所バンドがやっているように、サポートキーボードとギターを入れるようにも示唆したのだが、それも実現しなかった。
キースが亡くなってなければ、いくつかのショーで一緒に演奏する予定もあった。1つは本決まりだった。キースがそこまでひどいとは思ってなかった。本当に突然のことだった。
Carl Palmer's ELP Legacyはキーボードトリオではなく、ギターとベースの3人編成だが?:
懐メロの再演をするという手もあるのかもしれないけれど、そうはしたくなかった。ギターの方が色々な可能性があると思ったし、ELPの音楽は違う編成でも機能すると思った。キースは気に入ってくれていた。バンドにキーボードがいなかったので、ここにキースが加わってくれてたらよかったのだけれど。
本当はELPに参加したくなかったという話は本当?:
本当だ。だって、自分のバンドのアトミック・ルースターがうまくいってたから。でも演奏しだしたらうまくいった。演奏外では色々な問題が起きたが。
また、ドラムスティックにLEDを仕込んで写真撮影した、コンテンポラリーアート作品についても語っている。作品はこちらで買える(http://carlpalmerart.com/?page_id=45)。

ちなみに、ジミ・ヘンドリクスが参加してHELPというバンドになる予定だった、というのはあくまで噂だったらしい。

その他、今の自分の演奏水準をキープできなくなったら引退する、ということも述べている。

2017年4月14日金曜日

ELP: Once upon a time in South America レコード化



2015年に発売された、エマーソン、レイク&パーマーの1993年と1997年のライブを収録した4枚組CDがLP化されるそうです。USのアマゾンではすでに予約受付をしていますが、日本ではまだの様子。LP2枚なのでCD全曲ではなく、1993年のライブのみの収録ですが、トラックは次の通り。

LP1 S1:(Santiago, Chile on April 1, 1993)

  1. Introductory Fanfare
  2. Tarkus
  3. Knife Edge
  4. Lucky Man

LP1 S2:(Santiago, Chile on April 1, 1993)

  1. Hoedown
  2. Fanfare For The Common Man – America – Blue Rondo a la Turk

LP2 S1:(Buenos Aires, Argentina on April 5, 1993)

  1. Paper Blood
  2. Black Moon
  3. Creole Dance
  4. Instrumental Jam

LP2 S2:(Buenos Aires, Argentina on April 5, 1993)

  1. From The Beginning
  2. Karn Evil 9 1st Impression Part 2
  3. Pictures At An Exhibition
  4. 21st Century Schizoid Man
  5. America

2011年8月23日火曜日

【翻訳】ビリー・シャーウッド インタビュー 2000.2

恥ずかしながら、実を言うと訳者はビリー・シャーウッドの存在を最近に至るまで知らなかった。アルバム「Talk」時の来日公演で、もう一人のギタリストの存在を知りつつも、単なるエキストラ程度にしか思っていなかった。しかし実際には、彼はジョンがABWHへ行ってしまった頃の90125イエスの共作者であり、「海洋地形学」の編成に戻った後、「Keys to the ascention 2」のリリースが進まず、リックが脱退し活動が停止した際には、かつてのトレヴァー・ラビンのようにバンドの舵取り役までを務めることになる存在だったのだ。

下記に掲載するインタビュー翻訳原稿は、2000年の2月に行われたもので、すでにビリー・シャーウッドがイエスを去ることを決意していたときのものだと思われる(脱退は同年3月)。裏方として10年をイエスと共に過ごしてきた彼が、どのような働きをしていたのかが分かる。

なお、訳出に当たり、適宜見出しを付けた。また、画像はネットで拾ってきたものなので、著作権的にはアウトかもしれないが、非営利でやっているのでお目こぼしいただけるとありがたい(アフィリエイトは一銭にもなっていないので……)。

(原文へのリンク:http://www.bondegezou.co.uk/iv/bsinterview.htm)



ビリー・シャーウッドは、イエスに参加する1997年以前から、メンバーである期間よりも長い間、様々な形でバンドに関わり続けてきた。彼はラダー・ツアーの後半を先導していたが、これがきっと彼がバンドを去る前の最後のインタビューだろう。

次のインタビューは2000年の2月28日にパリにて、エメリック・ルロワ(Aymeric Leroy)によって行われた。フランスのBig Bangマガジン(34号、2000年3月)でこのインタビューの短縮バージョンが刊行された。エメリックにはフルバージョンを提供していただいたことに感謝したい。[Henry Potts]

**

クリスと作っていたアルバムがようやくリリースされましたね。Conspiracyという名前でリリースされましたが、以前はChris Squire ExperimentやChemistryといった名前でしたよね。

ビリー・シャーウッド(以下BS):7つは名前があったと思うよ!

最初から話を聞かせてください。クリス・スクワイアと知り合ったのは、89年のことですよね?

BS:知っての通り、僕のバンド、World Tradeのアルバムをクリスがとても聴いて気に入ってくれたんだ。その時点で、イエスはシンガーがいなかった。ABWHをやっていたからね。元ジェントル・ジャイアントで、その時点ではレーベルのマネージャーだったデレク・シュルマン(Derek Shulman)が、僕をクリスに紹介してくれたんだ。そして僕たちは"The More We Live"を書いたんだ。これが最初に一緒に書いた曲だったよ。そしてこれが両方にとって、音楽的にとっても充実した体験だったんだ。ソングライターがいて、誰かがひらめきをもたらしてくれたら、その相手と曲を書き続けるだろう? だから、僕とクリスは一緒に曲を書いた。そして、二人の関係が始まったんだ。これがことのきっかけさ。

見た目上はあまりよいパートナーシップに見えませんよね。なぜなら、あなたはベーシストでヴォーカリストですから。でも、あなたなら一緒に曲を書くのはたやすいように見えます。

BS:クリスと曲を書いているとき、僕は自分のバンドではベーシストだったんだけど、僕はいろんな楽器を演奏するからね。だから、うまくいったよ。「クリスはベース弾いてよ、僕はギターを弾くからさ」という感じで。問題はなかったよ。そして、僕はキーボードも弾いた。だから全く問題なかったんだ。いくつかの部分では、クリスがやってきて「このベースサウンドはすごいよ、変えちゃだめだ!」と言ったことがあって、僕は「待ってよ、でも君はベースプレーヤーだろう?」というと、「このサウンドは本当にいい。だから変えたくないんだ」と言ってきたので、そのままにしたこともあったよ。でも、それはとても稀なケースだね。確か1~2曲あったんだけれど。"The More We Live"ともう1曲あったと思うんだけれど、今は思い出せないな。

その時は、クリスはイエスを復活させようとか、それらの曲をイエスで使おうと考えていたかわかりますか?

BS:わからないな。単にソングライターとしてやっていただけだったしね。僕はロサンゼルスに住んでいて、彼もロサンゼルスだった……僕は沢山の人と曲を書いていたし、傾向も様々だった。デヴィッド・ペイチとTOTOのアルバム「Kingdom of Desire」の為に1曲書いたこともあった。エア・サプライのメンバーと彼らのアルバムのために曲を書いたこともあったし……だから、僕は単に曲を書いていただけなんだ。だから、彼はそれでアプローチしてきたと思ってる。誰も、「やあ、これはイエスに合いそうだね、イエスの曲にしよう」とは言わなかった。でも、「結晶」が出ることになって、ジョンが戻ってきて、僕は後ろに引いて、貯めていた曲が「結晶」に収録されることになり、ジョンが歌った。とても良かったよ……

あなたがほとんどすべてを弾いているのに、クレジットされていませんでしたよね。ショックだったんじゃないですか……


Conspiracy再発盤は初回盤と
別のボーナストラックを収録。
BS:僕はいいやつだからさ(笑)

プライドを飲み込んだと。

BS:僕が持っていた曲のあるべきイメージでは、僕が全部やるべきではないと思っていたからね。

もし彼らがあなたをクレジットしたくないなら、彼らはあなたのボーカルパートを消すべきだったと思います。目立ちますからね。

BS:そうだね。少なくともConspiracyのアルバムでは、元々の形を聴くことができるよ。それほど大きくは変わってない。でも、僕が全部演奏している……トレヴァーは居ないし、もちろんジョンもいない。どちらのバージョンにもトニー・ケイはいない……だから、オリジナルはどこからやってきたのかがもっと分かるんじゃないかと思うよ。真実を。


クリスとの作業は自由だよ、曲の長さを制限しないこと以外は

どれぐらいの期間でアルバムは作られたんですか? 仕上げるのに2~3年はかかったんじゃないでしょうか?

BS:たぶんその通りだね。だいたい90年から96年の末か97年の頭ぐらいまでだ。

ちょうど、あなたがイエスに係わる前ですね。

BS:そうだね。ちょうど、「Open Your Eyes」の前だ。全部の素材が出来上がり、そして「Open Your Eyes」の録音を始めたんだ。

クリスと曲を書くときに決まったやり方はありますか? それぞれが独自にやって、それを混ぜたりしているのでしょうか?

BS:混ぜているね、すごい混ざっているよ。たとえば、クリスが"The More We Live"をやったときがそうだった。元々の素材は彼のアイディアだったんだ。彼が僕のところに来て、「こういうコード進行があるんだけど。ディーダダ、ディーダダって[原注:イントロのモチーフ]」と言ったんだ。そんなかんじだった。それで、僕は「え!……これで僕らは何をしたらいいんだ?」と思った。そして、スタジオに座ってしばらくしたんだが、なにも思いつかなかった。でも、"The More We Live"の歌詞のアイディアを思いついたら、急に形になりだした。そして、彼の弾いたこのシンプルなコードから、急に全体が見えてきて、全く違う意味を持つものになったんだ。

また逆に、僕が曲を持っていくと、彼が詞を付けてくれると言うこともあった。僕らはとってもオープンなんだ。こうしなければならないと押しつけたりしないんだ。幸運にも、僕らは好きなものが同じであることが多い。素早く曲が完成するときは、二人とも同じものが好きだったときなんだ。

アルバムには複数の人が、特にドラマーが沢山、参加していますが、バンドとして完成させようとは思わなかったんですか?

BS:それが、僕らが最終的にConspiracyという名前を選んだ理由なんだ。僕はクリスにこう言ったんだ、「これはあなたのソロアルバムでもないし、僕のソロアルバムでもないけれど、でも、2人が一番多く演奏していますよね……」って。僕らは一心同体なんだ。アラン・ホワイトが素晴らしいドラムを叩いてくれたし、マイケル・ブランド(Michael Bland)も良い演奏をしてくれた。ジェイ・シェレン(Jay Schellen)や、マーク・ウィリアムスも。そして、打ち込みもいくつかやった。だから、バンドというよりむしろ乗り物だったんだ。「僕らが曲を書いて、誰かを連れてきてこの部分を演奏してもらったら、この曲はかっこよくなりそうだぞ」という感じで、やっていったんだ。

しかし、あなたたちは、92年にツアーをやっていますよね。

BS:僕らはツアーをやったけれど、その時点ではChris Squire Experimentだったんだ。

すでにあなたはリードヴォーカルをいくつかの曲でやっていましたよね。

BS:僕は歌ってたよ。そして、僕のバンドはそのツアー中にChris Squire Experimentになっていったんだ。

World Tradeがですか?

BS:いいや、The Keyというバンドだよ。もう一つやっていたバンドで、強力なトリオだったんだ。The KeyがChris Squire Experimentになったんだ。ジミー・ホーン(Jimmy Haun)がギターで、僕もギターを弾き、マーク・ウィリアムスがパーカッションだった。そして、アラン・ホワイトがドラムで入ってきて、スティーブ・ポーカロがキーボードをやってくれた。そして何年か経って、僕らがConspiracy(共謀)を名乗れば、誰かを呼べるぞと言うアイディアに行き着いて、この名前を名乗ることになったんだ。このプロジェクトにぴったりの名前だよ。

あなたたちは音楽の方向性を決めていましたか? もっとラジオでかかるような音楽を選ぼうとか。

BS:僕らは自由だよ。でも、一つだけ僕とクリスで合意したことがある。それは、良い音楽というのは長さで括られるものじゃないということだよ。ビートルズの曲が2時間半だったとしても、彼らの曲は素晴らしいはずだろう。イエスでは、曲が長くなる傾向があるけれど、それは沢山の人間がアイディアを持ってくるからなんだ。彼らと一緒に製作していた過程で、僕はなぜ曲が長くなるのかを見ることができた。それは、「ねえ、1つアイディアがあるんだけど」「いいよ、じゃあこれを入れてみよう」「僕も思いついた」「じゃあそれをその次のところに入れてみよう」という感じだったんだ。そして最後には全部のアイディアが入れられて、曲が長くなっているというわけさ。一方、クリスと僕は、普通に曲を書いた。終わるべきだと思うところで終わらせたんだ。「ああ、あと5分は長くしないと」とはしなかったんだ。

あなたたちに共通して影響を受けたポップミュージックはありますか? ポップミュージックの職人、ブライアン・ウィルソンが思い浮かびますが。

BS:ああ、まちがいないね。僕が参考にしているのはたぶん彼とは全然違うものだよ。でも、類似点があることは間違いない。僕らは二人とも同じ種類のポップミュージックが好きなんだ。僕らが音楽について話すと、彼は常にポップミュージックが好きだし、僕もそうだ。僕らは二人ともガービッジが出てきたらすぐに好きになったよ。バンドの他のメンバーがポップミュージックを聴いているか知らないけれど、彼は聴いているし、僕も聴いている。そうして、交流が生まれるんだ。そういう風に考えながら、僕らは一緒に作曲をやってきたんだと思う。僕らはマーケット向きの音楽かどうかと言うことは気にしないんだ。

あなたのソロプロジェクトは、もっとポップとプログレのバランスが取れているように見えます。たとえば、あなたのソロアルバム「The Big Peace」のように。

BS:そうだね。ソロだから上手くやれたね。あれは本当はWorld Tradeのサードアルバムするつもりだったんだ。でも、僕とドラマー以外はみんな忙しかったんだ。キーボードプレーヤーは忙しいし……彼はいまドゥービー・ブラザーズにいるよ。ブルース・ゴウディ(Bruce Gowdy)は他のプロジェクトに集中していた。僕がみんなに電話して、「World Tradeをやる気ある?」と聞くと、みんな「もちろん。でも、僕らやれるの?」と言うんだ。「僕は時間有るけれど、君は?」と聞くと、「いや、今はないな」「わかったよ……」となってしまったんだ。僕は曲を作りたかったから、先に作業を開始して、どんどん進めていき、アルバムができた時、気がついたらジェイ・シェレンがドラムを叩いている以外は、すべて僕が演奏していたんだ。だから、ジェイに「これをWorld Tradeのアルバムというのは他のみんなに対してフェアじゃないよね。だって、彼らは係わってないし、聞く人を誤解させてしまうから。これは僕のソロアルバムにすべきだろうね」と言ったんだ。ジェイは同意してくれたよ。

Euphoriaでは全曲が共作ですが、このアルバムではあなたが全曲を書いていますよね。違いは何でしょうか。

BS:そうだね……僕は他人と曲を書くのは好きだよ。もし誰も他にいないのなら、僕だけで曲を作り続けるだろうね。なぜなら、僕はワーカホリックだし、音楽を愛しているからね。もし、何年もの間そうしてきたように、様々なプロジェクトに関わっているのでなかったらの話だけれど――僕にはイエスの仕事があったし、他のメンバーに余裕があればWorld Tradeもできた。The Keyもあったし、今はConspiracyをやっている……音楽を発表する道がいくつもあるんだよ。それらが全部イヤになったのなら、音楽から離れるだけさ……。


僕は病気だと言われるほど音楽の仕事ばかりしてるよ

あなたのスタジオについて聞かせて下さい。大部分のプロジェクトがあなたのスタジオで行われていますよね。

BS:うん、大部分のプロジェクトはね。「The Ladder」を除く、イエスの2枚のアルバムもミックス前にそこでプロデュースしたよ。

僕のスタジオは……バンドに入ってから、そこは貸していて、今は使えないんだ! だからツアーの合間に家に帰り、曲を書きたいと思っても、場所がないんだ! だから、今は僕の家に設えたもう一つのスタジオで作業をしている。

以前は、自分のスタジオとして使っていたんですよね。

BS:イエスに入る前は、スタジオは製作の場で、バンドと作業したりプロデュースしたり、友人と作業したいときは、「やあ、高い金を使ってマイクの前で歌うようなでかいスタジオのことは忘れて、ウチに来なよ。ここは僕らのスタジオだぜ」ということができたんだよ。アシスタントはいないし、全部僕が一人でやって、秘書もいない。なぜそうするのかというと、スタジオで作業していて、他の人たちが外にて意見も言わないでいると、何かアイディアを出せと圧力を受けているように感じるのが大きいかな。自分のスタジオを建てたとき、これで何でも作れると思ったんだ。バンドのみんなも同じように感じていた。だって、僕と彼らだけで、他になにも雑音はないからね。あのスタジオはとても役に立ったし、今も他の人たちの役に立っているよ。

技術的な話でいうと、デジタルテクノロジーの発展によって、今でもまだホームスタジオとプロフェッショナルなスタジオとで大きな差があるものでしょうか? ちょうど、イエスの最新アルバムで使ったカナダのスタジオのような。

BS:どう説明すればいいか分からないけれど、こういう感じかな。ポルシェかジャガーに乗って運転していて、同じ方向を目指していて、どのように運転するかは自分次第。僕のスタジオだと、テクニシャンが一緒にいて、彼がエフェクターやパワーアンプに良い仕事をしてくれて、その音をスタジオから持って行ける。これは本当に本当なんだ。もし外のスタジオに、たとえば今回のバンクーバーのようなところに行くとして、そこではすべてがプロフェッショナルにセッティングされていて、それは違う雰囲気の、違うサウンドのものとなるんだ。両方とも、それぞれの居場所があるんだ。僕は24チャンネルのアナログと48チャンネルのデジタルのレコーダーがあって、使い放題のエフェクトと使い放題のいろんな機材がある豪華なスタジオを持っていた。スタジオを人に貸す必要は無いし、料金も気にしなくていい。すべて自分のものなんだ。バンドが僕と仕事をすると、夜10時になると大抵のスタジオだと出て行かなくちゃならなくなるけれど、午前2時まで使う事ができる。自分のスタジオだからね! すべての要素を合わせたとき、クリエイティビティを終日、同じにできる。だから、こういう環境を使えたことはとても幸せだよ。

Conspiracyの話に戻ります。作業は、たとえば6ヶ月に1日という風に行っていたのか、それとも何ヶ月か空いて何ヶ月か作業して、という感じだったのでしょうか。

BS:作業は何年もかかったよ。理由の大部分は、クリスがイエスで忙しかったからね。それに、僕も他のバンドのプロデュースで忙しかった。ずっと会えないときもあって、お互い余裕ができたら、一緒に作業して……でも、僕が「Keys to Ascension 1」に取りかかったとき、急速に作業が進んだね。クリスが町にいて、僕もいるから、「やるなら今だ、残りの曲をやってしまおう」って考えたんだ。それでギアが入った感じだね。"Violet Purple Rose"や"No Rhyme"や"Red Light"などの曲を作り上げたよ。

面白い作業だったな、とっても長くに渡っていて。一部はクリス・スクワイアのもので、僕はどうやって付け加えたら良いんだ?って。彼は僕ほど作業は早くないんだ。僕はワーカホリックだからね。みんな僕の作業ペースを見ると病気何じゃないかと思うぐらい。でも、僕にとってはスローなんだ。彼にとっては自然なペースだった。でも9年もかかったから、もうちょっと早くできないものかと思ったよ。だから、イエスと作業をしている時に、僕らは曲を書き続けて、次のアルバムのための曲を7曲書いたんだ。1年以内には出すつもりで。今は僕らは密接に仕事をしているし、いっぱい作業をしたよ。次のConspiracyのアルバムはすぐに出せると思うよ。

イエスやWorld Tradeのアウトテイクを使おうというのは誰のアイディアだったんでしょうか? 我慢しきれなくなったと言うことでしょうか?

Conpiracy初回盤。インタビュー
に出てくる
隠しトラックがある。
BS:僕は"Say Goodbye"を他の誰かが歌うのを待つのに疲れたんだよ。なぜなら、これは僕にとって特別な曲だからね。彼にこれをやりたいと言って、問題なかったので、彼はこう言った。「僕らのプロジェクトをやるときは、オリジナルバージョンを入れて良いんだ」って。似ているけれど、違いが有るんだ……オリジナルのアイディアがどういうものだったかをファンに聞かせようというのは、クリスのアイディアだったんだ。このレコードはまさに僕らが一緒に曲を書いて、演奏してきたものの、年代記そのものだね。アルバムで聴けるオリジナルバージョンは、ソロでやったものとも、イエスのボックスセットに入っている"Love Conquers All"とも違うんだ。ボックスのほうのバージョンは、トレヴァー・ラビンが歌って、ギターソロを弾いていて、曲も少しだけ変えているんだ。さて、ここで曲のオリジナルバージョンのことについて、一番の秘密の話になるんだけどね。

実は、厚い黒のカーテンに覆われているけれど、3曲の"隠しトラック"があるんだ。すごい奥の方にあるんだよ。クリスはそれらを入れたがってたんだけれど、「Open Your Eyes」が出た時期ととても近かったから、隠しトラックにすることにしたんだ。

"The Evolution Song"についてはどうでしょうか?

BS:"The Evolution Song"はWorld Tradeの時とは違うBセクションがあって、ちょっと手を加えてある。ある時、クリスが言ったんだ。「これをアルバムに入れないか?」ってね。それで、僕はオリジナルテープを持ってきた。それがオリジナルバージョンで、曲がどういう風に書かれたか分かるだろう。クリスがBセクションを歌っていて……少しばかり変更を加えてあるけれども、大きな違いになってるんだ。


「The Ladder」のために、6ヶ月間一緒に曲を書き続けた

「The Ladder」でのあなたの作曲した部分について聞かせて下さい。最初の印象では、皆がそれぞれアイディアをテーブルに持ってきて、みんなで曲を書いたように感じられました。

BS:僕らは6ヶ月間、一緒にカナダにいて、アルバムの曲を書いたんだ。だから、そういう印象を受けるんだろうね。君の言う通り、全員が曲に貢献している。有る部分の素材が、他の人間から出てきたりしている。たとえば、"Homeworld"は僕がヴァースのギターパートのアイディアを出し、コーラスのコードはイゴールが出した。ジョンが詞と上声部を書いて、スティーヴが中間部の‘ディン、ゲディン、ゲディン’というシャッフルの部分を考えた。僕らはそれらをまとめ上げたんだ。

クリスとアランは、"The Messenger"のグルーヴを作った。これは、レゲエっぽいフィーリングがあるね。彼らは一緒に演奏し始めて、僕らはそれに乗っていった。"If Only..."はイゴールとスティーヴ、それにジョンがほとんどを書いた。"Finally"は、僕のソロアルバムの「The Big Thing」の"I"という曲にある、‘I can be...’、‘I can change...’という部分を、ジョンが取ってきて、手を加えたものが、"Finally"になった。実際にはエンディングはスティーヴの手によるものだけど、その時点ではオリジナルのコード進行のままだったんだけれど、バンドがイエスらしさを加えたというわけさ。

「The Ladder」制作時のメンバーで一番左がビリー
"To be Alive"は、ハーモニックサウンドから始まる。12弦ギターのタッピングで、僕がよくリハーサルで弾いていたものなんだけれど、上手く収まらなかった。そして、僕らがスタジオに入った時、ブルース・フェアバーンに「この曲なんだけれど、イエスらしい曲から外れて、こういう催眠的な音が続く曲はどうかと思ってやってるんだけれど、どうしても次のセクションにいけないんだ。どうやってもうまくできないんだ」と言ったんだ。ちょっとばかり苦労したね。でも、その日の最後には、ジョンが素晴らしい詞とメロディを書いて、クリスとアランが良いアイディアを出してくれて、アイディアを思いついたんだ。そして、アルバムに入ることになった。とっても嬉しかったよ。"Good Day"も面白かったね。イゴールとジョンが‘ティン ティン ティン ティン’というイントロのメロディーを作っていた。僕が14歳の時に書いた曲に、‘ダン、ダダ、ダダ、ダダダ、ダン’というチェンジがあって、それをリハーサルで演奏していたら、ジョンが作っていたメロディを‘ディン ディン ディン ディン’と歌い出して、2つのアイディアが一緒になってあの曲になったんだ。

"New Language"はそもそもはジャムセッションだったんだ。これは、クリスと僕とアランとで、「Open Your Eyes」の為に作ったイントロ部分だったけれど、結局収録されなかった。「The Ladder」の時に、スタジオで3人がジャムセッションしていたら、スティーヴが上声部を弾いて、それからさらに彼が少し書き足した。それが、"New Language"のイントロになったんだ。最終的に有るべきところを見つけたんだ。イントロが終わると、ローズが入ってくる。これは、もちろんイゴールによるもので、彼も沢山係わった。ジョンと同じぐらいね。

"Face to Face"は、‘ド ディ ダ ダ ダ ディ ド...’という部分は、もちろんスティーヴだ。これは全編に出てくるけれど、面白いことに誰も曲がどうなるか制御していなかったんだ。これはまさに、「みんな演奏してる? イエー? オーケー、行こう!」というものだった。僕らはこのアルバムに収録されなかった曲も沢山作った。ブルースに善し悪しを選んでもらったんだ。だからアルバム収録曲は彼の選択によるものなんだ。

そのようにしたのはとてもいいことだと思います。イエスのアルバムを作る上で、最も賢いやり方だったんじゃないでしょうか。

BS:それがまさにバンドの力関係上正しかったんだ。君の言う通りだよ!

結果がそれを語っていますね。

BS:そうだね。沢山の人がアルバムを気に入ってくれている。実に良いよ。

あなたは、こういう風に作業することを、結果がどうなるか意識して皆が決めたと思っていますか?

BS:僕らがこんな事を話すのもおかしなものだよね……イエスは、初期のいくつかのアルバム以外はそういうやり方では曲を書いていないと思うんだ。実際のところどうしていたかは僕は知らない。でも、僕は「The Yes Album」が彼らが全員部屋に入って一緒に作業した最後のアルバムだと思うんだ。それ以降は、ジョンとスティーブがアイディアを持ってて、そこから始めて、形を変えていったんだと思う。そして、クリスやアラン、リックなどがいろいろ付け加えたんだろうね。「90125」「Big Generator」「Talk」は、トレヴァー・ラビンがコントロールしていたと思う。他とは違う曲調だからね。「Keys to Ascension」は、全員が一緒に作業をしたけれど、実際には、リックは作曲には係わっていない。ジョンは山ほどアイディアを持っていた。この時、初めて全員で「見ろよ、誰もテーブルに荷物を持ってきていない。誰も良いアイディアを持ってない。あくまで絶対に自分の意見を曲げないというのなら、自分のソロアルバムでやれよ。ギブ・アンド・テイクで作業していこうよ」と言い合う事ができた時だと思うよ。それは簡単な仕事じゃなかったけれど、大抵は大変さよりも楽しさがあったよ。

その結果、あなたがツアー部分で沢山、演奏することになったわけですね。

BS:全員が係わっていたから、みんな気分は良かったと思うよ。それは大事なことだよ。


トレヴァー・ラビンと一緒にやらないかといつも話してるよ

次はどこに出演するのですか?

BS:2000年の3月25日には、ルーマニアのブカレストでのコンサートが決まっている。その後は、6月にツアーをやるかもしれない。でも、ツアーをやらずに別のことをやるアイディアもあって、ボストン・ポップス・シンフォニーと一緒にオーケストラのアルバムをやるかもしれない。彼らとイエスでアメリカのテレビに話もあるんだ。

何か特別に用意した曲を演奏するのですか? それとも……

BS:ええと、昔の曲と、ラダーの曲に、新しい曲もやるかもしれない。まだ分からないけれどね。でも、僕らはずっと一生懸命仕事しているよ。僕が入る前、彼らは「Keys to Ascention」の時も、忙しかった。でも、彼らはツアーをしなかった。なぜなら、リックがしていたからね。でも、僕が入ってからはノンストップで仕事し続けているよ……「Keys to Ascention 1」の曲が出来上がり、リックが脱退すると、僕はクリスに言ったんだ。「もしその気があるなら、手助けしたいんだけれど」って。そして、僕らは「Open Your Eyes」の曲を書き始めた。集中力はずっと続いて、アルバムは出来上がった。で、3年半から4年経った今でも、僕らはノンストップでツアーをして、曲を書いて、ツアーをして……

私は、どのイエスのラインナップも長続きしたことはないと思っているのですが?

BS:(笑)彼らは長らく一緒にやってきたからね。それは確かだ。「90125」は強い生命力を持ってた。あれはビッグアルバムだったからね。だから、ツアーを大々的にやらないといけなかった。今でもいっぱいやることがあると僕には思えるんだよ。彼らのやったこととは比べられないかもしれないけど、僕はこの部署は初めてだからね、いっぱい仕事があるのさ!

自分自身のプロジェクトは考えていないんですか?

BS:次のソロアルバムをやっているよ。知っての通り、僕は音楽に執着しているんだ。更に、クリスと僕とで、さっきも言ったように、次のConspiracyのアルバムをやっているよ。

7曲できたと言っていましたよね。

BS:7曲はできてるよ。

何曲必要なんですか?

BS:3曲欲しいね。すぐに曲になりそうなネタは有るんだ。それが今の状態で、もう少ししたら何か生まれると思うよ。

あと、トレヴァー・ラビンとは、一緒にやろうといつも言ってるよ。彼は本当に映画の仕事で忙しいんだけど、いつも会ってるんだ。一緒に車に乗るときはいつも、お互いの音楽を聴き合って、アイディアを歌ったりとかしているんだ……とっても良い感じだよ。

彼は沢山の曲をレコーディングし続けていますが、自身の曲は歌ってないですよね。

BS:そうだね。まだ分からないけど、将来、トレヴァーと作業するかもしれないんだ。僕はぜひやりたいね。彼は常に僕の大好きな音楽家の一人だからね。

Conspiracyのプロジェクトとしてですか?

BS:そうなるかもしれないし、別のものになるかもしれない。まだわからないよ……でも、付け足すと、僕は自分のスタジオを建てて、早くそこで作業をしたいね。次は何をやろうかな?

次のソロアルバムを作るとしたら、同じメンツでいきますか? ジェイ・シェレンとか。

BS:ジェイには参加してもらうだろうね。

それはWorld Tradeに似たようなものになるのでしょうか?

2011年にトニー・ケイと来日した時のビリー
BS:そういうスタイルになるよ。なぜなら、沢山やるポップミュージックをやる機会があるので、ソロでは完全にアーティスティックな目的の為にやれるからね。シングルを出すことを気にせず、ただ作ればいいからね……。ジェイは僕にとって重要で、彼はとても才能あるドラマーなんだ。「The Big Peace」のときに会った出来事なんだけれど、ドラムマシーンで音の密度が濃い演奏をプログラミングしておいて、彼がスタジオに来たら「ジェイ、こういうのできるよね」と言ったら、「おい、こんなの物理的に無理だぜ」と言うから、「やってみなよ」と言ったら、ドラムの前に座って試し始めたんだ。ブースのガラスの向こうから彼の満面の笑みが見えたよ。彼はそれを演奏できたんだ。素晴らしいサウンドだったね! 一緒にやりたいと思う、一緒にやりやすいミュージシャンを見つけられるのは本当に稀だよ。ジェイは本当に本当に、仕事がしやすいんだ。それに彼はスイートガイだから、一緒に仕事をするのが楽しいんだ。だから、次のソロアルバムでも絶対一緒にやると思うよ。

Conspiracyのツアーはありそうでしょうか?

BS:僕らはそれについて話し合っているところなんだ。イエスのスケジュールがどうなるか次第なんだ。ギグをやる余裕があるかどうかにね。Conspiracyはもっと小さい規模になるから。でも、前回ツアーをしたときは、観客は本当に楽しんでくれていたし、どこでもソールドアウトになった。小さい会場でやったしね。

ツアーはどこで行われたんでしたっけ。カルフォルニアとハワイでやったという記事を読んだ記憶があります。

BS:そうだよ。あとアリゾナと……たぶんシアトルでもやったと思う。思い出せないな。どれも本当にいいギグだった。どうなるか分からないけれど、もしやれそうなら、ツアーをやるかもしれないよ。







2011年8月12日金曜日

【翻訳】 ジョン・アンダーソン インタビュー 2011.6.29

このインタビューはGeek of DoomのObi-Danによって行われ、2011年6月29日に公開されたものである。クリエイティブ・コモンズライセンスによって公開されているので、ライセンスを継承しつつ、翻訳をここに掲載する。インタビュー内容は、イエス脱退の話よりも最新ソロアルバムの話が中心となっている。



60年代末、ジョン・アンダーソンは世界で最も注目されたロック・ミュージシャンの一人となった。彼の印象的な声によって、革新的なプログレッシヴ・ロック・バンド、イエスのリードシンガーとなり、彼らは30年以上にわたって何百万枚ものセールスを上げている。


現在、アンダーソンはイエスを脱退し、世界中の人々とコラボレートしてソロアルバムを作ることに力を入れている。彼は今なお健康で、幸せで、ファンタスティックな音楽を作り続けている。「Geeks of Doom? 大好きだよ!」




ジョン、調子はどうですか?

ジョン・アンダーソン(以下、JA):とても良いよ。今はとてもエキサイティングな時を過ごしている。今日、ソロアルバムが発売されたからね! 昨晩、3フィートもあるようなキングスネークが僕の家の玄関に居たんだけれど、これは再生を意味する。キングスネークを見るのは珍しいことだし、それが玄関の前にいたんだからね。これはネイティブ・アメリカンのトーテムで、再生を意味するんだ。だから、僕はいま順調なんだよ。

新しいジョンになったんですね!

JA:そう、新しい僕だよ!(笑)

「Survival & Other stories」がどういうアルバムになったのか教えて下さい。

JA:いいとも。君はもう聴いたかい?

ええ、"New New World"と"Understanding Truth"を聴きました。

JA:"Understanding Truth"は、オランダの北に住んでる若い男性から送られてきたものなんだ。彼は美しいギター曲を送ってきてくれてね、僕はすぐ歌ってみたんだ。歌というものは時にしてすぐにやってくるものなんだ。分かるかい? ヴァンゲリスとやっているときのような感じだった。ジョン&ヴァンゲリスの音楽は聴いたことあるかい?

もちろんです。

JA:僕たちは曲を即席で作ったんだ。3日間、毎日曲を書いて最後には「やあ、これはクールだね!」となったもんさ。最近、どういう事が起きているかというと、誰かがMP3で音楽を送ってきてくれて、僕がメロディと詞を書いて曲に当てはめるのさ。そして1ヶ月後、12個ばかりの全然異なったシチュエーションのアイディアが手元にあるわけだよ。ある曲はミュージカルみたいだし、ある曲は土着の音楽だったりする。わかるかい? どの曲も、全く違う人たちから送られてきたもので、みんなとても才能がある人たちだから、今とてもエキサイティングなんだ。知ってるかもしれないけれど、僕はウェブサイトに広告を出してて、毎週、沢山の人たちからアイディアが送られてくるんだ。今でも送られてきているよ。音楽のパンドラの箱を開けたんだ。このアルバムはその中から選んだ一部に過ぎないんだよ。僕が世界中のいろいろな人と作業をして作ろうとしている3部作の1作目になるんだ。

ウェブサイトの募集に反応があったので、驚きませんでしたか?

JA:もちろん、驚いたよ。みんなが誰だか知っている人に連絡できるようなものがウェブサイトに上がっていたから、あんなに反響があったんだろうと思うよ。彼らは僕と仕事をすることに興味があって、送られてきたものは僕が本当に欲しいものだった(笑)。1曲目の"New New World"はサウスパークの音楽をいくつかやったことがある人から送られてきたんだよ。

本当ですか?

JA:そうだよ。ジェイミー・ダンラップが僕に音楽を送ってきてくれたんだ。彼は去年の夏、パリにいて、アメリカとヨーロッパでいくつかショーをやってて、僕に曲を送ってきて、彼のアパートで僕が歌ってみたんだ。素晴らしい贈り物だよ。今でも素晴らしい歌が送られてきてるんだ。わかるかい?

もちろん。2つとも素晴らしい曲ですが、全然違う曲調ですね。

JA:そりゃそうさ、2人とも違う人だからね(笑)どの曲も、新しいエネルギーのようなものなんだ。

ところで、さっきも言っていたように、あと2枚のアルバムが出るんですか?

JA:そのとおり。たぶん、1年ごとに出すことになると思うよ。実際どうなるかは分からないけれど、どれぐらいみんなが曲を送ってきてくれるかによるね。今朝ちょうど、傷痍軍人会のための曲を書いて、歌ってたんだ。2週間後にケネディセンターで歌うことになるよ。これはフルオーケストラみたいな曲なんだ。

彼らは、ケネディセンターで歌ってもらえませんか?と聞いてきたんだ。僕は「チケットをお願い!」って言ったんだ(笑)「ロイヤルアルバートホールで歌いませんか?」「よろしくお願いします!」というようなものさ。

そうですね! あなたはソロアーティストとして楽しくやっていますが、バンドであるよりも合っていると感じていますか?

JA:ええとね、僕は今年で67歳になるんだ。だから、僕には全然違う世界なんだよ。ソロショーをやると2時間はステージにいることになるから、前よりも大変なんだ。イエスよりも沢山歌ったり、しゃべったりしないといけないんだ。だから、バンドをやる余裕はないし、バンドとマネージメントの問題もあるからね。そういうわけさ。僕は自分の国によく仕えていると思うよ(笑)

まさにそうですね!(笑)

JA:音楽に興味がない人たちとつきあわなければならない、でも、彼らはバンドをやることを強制してくる。だから、だから僕は病気になったんだと思ってる。病気になって、拍手に疲れたんだ。わかるかい? 音楽は簡単なんだけれど、ビジネスは大変と言うことなんだ。

過去はすべて捨てたと言うことなんですか?

JA:ええと、僕と妻のジェーン、2本のギターにウクレレ、そしてステージで弾くピアノだけ。ある意味、休暇中のようなものなんだ。旅行は少しきつかったりするけど、それも僕と妻だけだし、僕たちは愛し合ってる。他に何が必要なんだい? 僕は今でもイエスのファンが好きなものを出し続けていると信じているし、彼らだけを狙って作っているのでもないんだ。僕は沢山のオーディエンスに届けたいと思っている。僕も昨日知ったんだけれど、アルバムのある曲がポーランドでなんとナンバーワンになったんだよ。

ええ!?どの曲ですか

JA:"Unbroken Spirit"という曲だよ。

すごいですね!

JA:曲はポーランドの作曲家が書いたんだよ。僕がメロディと詞を書いて……書いたのは2年前で、ちょうど僕が病気だった2008年だよ。正しくは、2年半前だね。とにかく、それを書いたのは僕が本当に病気だったときだ。みんな本当に信じられないくらいいい音楽を送ってくれたんだ。いやきっと、音楽の神が僕に癒しを送ってくれたんだ。あと、僕の歌が入った「Prayer Cycle 2: Path To Zero」というジョナサン・エライアスのアルバムがもうすぐ出るんだ。スティングも歌ってて、他にも2人ほど有名なシンガーが参加してるんだけれど、僕はラハト・アリ・ハーンと一緒に歌ってるよ。彼はパキスタンの美しい声のシンガーなんだ。この曲は、僕が最初の手術を受けた後に送られてきたんだ……ちょうど新しい癒しの力のようなものだった。アルバムは今週出るよ。


「フライ・フロム・ヒア」はイエスじゃない

あなたが言ったように2008年は具合が良くなったそうですが、そのためあなたはイエスとツアーができませんでしたね。彼らと仕事が続けられなくて残念ではなかったんですか?

JA:それはドラッグだったんだよ。僕はバカじゃない!(笑) それはドラッグだ。いったい彼らは何をやってるんだい? もしそれが友情からしたことだとしたら、忘れるよ。人は病気になったときに、自分の友達が誰か分かるものだよ。彼らは面倒でも僕に連絡してこなかったんだ。アランは僕に1回電話をくれたよ。でも、リックはずっと連絡してきてくれたんだ。だから僕らは今でも友達なんだ。今年の後半、僕たちはデュエットでツアーをやるんだ。

いいですね。あなたは、あなたが歌っていない2つのイエスのアルバム、「ドラマ」と「フライ・フロム・ヒア」についてどう思いますか?

JA:僕がイエスのアルバムと呼んでいるものじゃないよ。つまり、僕はイエスのアルバムとは考えてない。とても才能のある奴らがやりたいことををやって、たまたまイエスという名前を使えたというだけのことだよ。でもそれも人生さ。みんな、「オーケー、やらせておこう」というだけさ。

もちろん、みんなあなたがいた頃のイエスが一番で、本当にプログレッシヴ・ロックと呼べる数少ないバンドの一つだったと知っていますよ。当時、このジャンルができあがっていくことに自覚はありましたか?

JA:僕はフランク・ザッパがプログレッシヴ・ロックを始めたんだと思ってる。他にも、ヴァニラ・ファッジ、バッファロー・スプリングフィールドなど、いろんなバンドがあった。ビートルズも、プログレッシヴミュージックをやっていたんだ。信じられないくらい商業的に成り立ってたんだ。「リボルバー」や、もちろん「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」を聴いてごらんよ。とても美しくて、プログレッシヴだ。でも、70年代頭には誰がそんなことをやっていると分かっただろう? ピンク・フロイドはずいぶん先に行っていた。だから僕は、始めたのは僕らじゃなくって、他の多くのミュージシャンがやっていたことのあとを追っていっただけだと思うんだ。それは、クリフ・リチャードよりもインスパイアされるものだったからね!

こうして僕たちは成長していったんだ。クリフやアルマ・コーガンといった人たちのことはたぶんあまり知らないだろうね。彼らはみんなポップだった。皆がポップと呼んでいるもので、着飾ってヘアクリームを塗って、テレビに出るようなポップスターだったんだ。ところが、ビートルズが登場したら、「あれ? 君たちはいつもの連中で、まだ有名だったの?」という感じになったんだ。だからみんな、60年代にビートルズやローリング・ストーンズになりたかったんだ。

70年代が来ると、僕はもう音楽をやるしかないと思った。だって、僕は26歳でイエスを始めたから、もうポップスターになるには歳を取りすぎているからね。僕がポップスターに見えたとは思わない。だから、僕がしたかったことは、みんなとは違う音楽をすることだったんだ。僕はあらゆる種類のクラシックを聴いていた。もちろんストラヴィンスキーとかね。『ロード・オブ・ザ・リング』を読んでいたし、ジャズやフランク・ザッパやウェザー・リポートといった音楽を聴いていた。こういった体験が、新しい音楽へのエネルギーへとつながっていったんだ。だから、みんなが「君はプログ・ロックだね」と言うと、僕はふざけるなって思うんだ。わかるかい? 本当にそう思ってるんだ。プログレッシヴな音楽は常に存在するし、今も聴くことができる。君はNeroとDubstep Symphonyを聴いたことある?

いいえ、知らないです。

JA:そうだろうね。BBC Radio1 Xtraでチェックしてみると良いよ。ちょうど先週サルフォードでやったばかりだし、インターネットで見ることもできる。これがまったく驚かされるんだ。とても冒険的なことをやっている。素晴らしいミュージシャンが冒険的なことをやっていても、レコード会社はいつも興味を持とうとしないんだ。でも、インターネットのおかげで、ミュージシャンは自分で発表ができるようになって、音楽で金を稼ぐこともできるようになった。神の祝福だよ。


僕らはみんな、ビートルズになりたかった

あなたはもともとアクリントン(Accrington)の……

JA:アクリントン・スタンリー[訳注:地元のフットボールクラブの名前]だね!僕らはファースト・ディビジョンまで行きそうだったんだ。

よく知っていますよ。ファイナル・スポットで落ちてしまったんですよね。

JA:いつも流血騒ぎがあったもんさ(笑)。9歳の時には僕はマスコットだったものさ。ショーツに赤いシャツを着てボールを蹴って、レフリーからハーフ・クラウン[原注:1970年に廃止されたイギリスのコイン]を得ていたんだ。僕はサッカー少年だったんだ。なにしろ、競技場が家から200ヤードも離れてなかったからね。本当にサッカー少年で、よく靴を磨いていたよ。

当時、何人か良いプレイヤーが周りにいたに違いないですね。

JA:そうさ、でもリーグを抜けると、僕らは文無しだったんだ! 僕の人生話だね!(笑)

アクリントンで育ったときの音楽の想い出は? 私は、町の最初の12弦ギターはあなたが持っていると聞きました。

JA:いいや? だれがそんなこと言ってたんだい?

実を言いますと、私とあなたはアクリントンでつながりがあるんですよ。同じ学校に行ってて、ブルコ旋盤工場で曾祖父のレスと働いていたんです。

JA:(笑)その名前を覚えてる! なんてこったい! こりゃすごい。そうだよ、僕はセント・クリストファーズ・スクールに行ってたんだ。旅行の神様よ(笑)それは僕だよ!

僕は20歳までギターを弾けなかったんだ。僕は弾けるようになるまでやらなきゃと思っていたんだ。弾いても血だらけになるから、24歳か25歳になるまで再びギターを手にしようとは思わなかった。そして、ロンドンに行って、ギターを手にいれて、また練習を始めたんだ。曲も書き始めたんだけれど、どれもひどいものだった。でも、突然、僕は"Time And A Word"や"Starship Trooper"や"Long Distance Run Around"を書いた。僕はうまくスタートできたよ。

あなたの姉弟のトニーとThe Warriorsに所属していた頃のことですか?

JA:いや、1969のころで、クリスとイエスをスタートした時のことだよ。63年にThe Worriorsにいて、僕らはCabernで演奏した。僕らはみんな有名になる前のビートルズを見に行ったよ。あれは素晴らしい時間だった。彼らは本当に素晴らしくて、僕らはみんなビートルズになりたかった。リバプールのアクセントで話したりしてたんだ! 母から頭をはたかれたよ。ランカシャーのアクセントで話すのを止めたんだ。スコース(Scouse)に戻るとビートルズになりたくて、ランカシャーに戻るとつまみ出されるんだ(笑)

(笑)あなたがThe Worriorsにいたころ、あなたは初期のビートルズに似た格好をしていました。

JA:そうだね。みんなビートルズになりたかったからね。僕は髪を黒く染めて、すごい格好だったよ! でもそれも人生さ。何かを試して、進み続けるんだよ。いま、僕は新しい音楽を作り続けている。今朝もいくつか曲を書いてる。自分のしていることに興奮しているよ。自分のしたことに感謝しているし、祝福を受けている。僕は健康だし、妻のジェーンを愛している。

あなたとお話しできて嬉しかったです。

JA:どうも、ありがとう。

時間を取っていただきありがとうございます。

JA:こちらこそ。


この記事はCreative Commmons
の適用を受けます

2011年8月9日火曜日

イエス「結晶」製作の真実(2)ジミー・ホーン インタビュー

長らく謎に包まれていた、イエス「結晶」の製作過程に関するインタビューの2つめを掲載する。今回は、スティーヴ・ハウの代わりにABWH側のほとんどのギターを弾いたジミー・ホーンのインタビューだ。ジミーは、元イエスのメンバーが中心となって結成されたサーカ(Circa)の初代ギタリストで、現在はCMや映画音楽の製作を中心に手がけている。インタビュー末尾で語られている、ジョナサン・エライアスやビリー・シャーウッドとのThe Unknownというバンドは結局、恒久的な活動に至らなかったようだ。

インタビューはイエス関連のニュースサイトで有名なYes Newsの管理人、Henry Pottsによって行われた。

なお、1つめのジョナサン・エライアスのインタビューはこちら。






(原文へのリンク:http://www.bondegezou.co.uk/iv/jhinterview.htm)

ほとんどのイエスのファンは、ジミー・ホーンのことを聞いたことがないと思う。しかし、おそらく彼の演奏は耳にしているはずだ。なぜなら、ホーンは「結晶」でギターを沢山弾いているからだ。どの部分で、そしてどうしてハウではなくホーンがアルバムのかなりの箇所でギターを弾いたのか、その答えは以下に述べられている通りである。ホーンのイエスメンバーとの関わりはこのアルバムだけにとどまらない。彼はビリー・シャーウッドとこの20年ばかり活動を共にしており、80年代の終わりにはLodgicというバンドを結成している。また、ホーンはクリス・スクワイア・エクスペメリメントでも仕事をしており、さらにジョン・アンダーソンのアルバムでも演奏している。

このインタビューを企画した時点で、ホーンはジョナサン・エライアスとの仕事を続けていた(アメリカン・リバーも含まれる)。そして、現在、彼はビリーとアラン・ホワイトとトニー・ケイのバンド、Circaに加入している[訳注:現在は脱退]。

このインタビューは2000年の終わりから、2001年の初めにかけて、Eメールで行われた。ジミーには協力に感謝の意を表したい。


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ヘンリー・ポッツ:まず最初に、あなたは最初に音楽を始めたのはどのようにしてですか? また、どのようにLodgicは始まったんですか?

ジミー・ホーン(以下、JH):僕の父はとっても有名なオペラ歌手だったんだ(ジミーの父、Roucaunは、エド・サリバンショーにも出たことがある)。4歳の時、夜遅くまで起きて、父がいろんなジャズやクラシックや映画のテーマをかけてくれたことを覚えてる……彼はヘンリー・マンシーニが好きだったんだ。それらの音楽は常に僕の原点にあるね。最初に聴いたロック・アルバムは「Meet The Beatles」だった。そのとき、僕らはネヴァダ州にある、ラス・ヴェガスに引っ越したんだ。父がDunesで大きな仕事を得たからね。そこで、僕は3年生の時、マイケル・シャーウッドと知り合った。彼の父もショービズの世界の人で、僕らは大の親友になった。マイケルはドラムセットのあるでっかい部屋を持っていて、エレクトリック・ギターも持っていた(ギブソンの175だったんだよ!)。僕らはいろんなグループのまねをしたもんさ。モンキーズやビートルズ……。ビリー・シャーウッドはまだほんの子供だった。

最初にギターを手にしたのは11歳の時で、グランド・ファンクの曲を練習した(なぜなら彼らの曲は簡単だったからね!)。そして、トムとマーク・フラッチャーと共に、バンドを始めた。"Roundabout"をラジオで聴いて、音楽の見方がまるで変わってしまったことを今でも覚えてる。僕はレコードを買って、何回も何回も聴いたもんさ。次に「危機」を買って、もちろん"And You And I"を練習した。でも、僕がギタリストとして本当にスタートしたのは、部屋にこもってイエスのバージョンの"America"を1音1音練習したことだった。友人は僕の演奏が変わったと言ってたよ。そして、更にいろいろチャレンジしてみたんだ。ジョン・マクラフリン、ジェフ・ベックとかね。リハーサルルームを借りて、"Close To The Edge"を僕のボーカルで録音してみたこともあったんだよ。うまくいって、ヴェガスのパーティーで演奏し始めたんだ。発電機を持ってきて、砂漠の真ん中で無数のバンドを呼んだパーティをやってたね。そうしたことが終わったら、Lodgicが結成され、そのときにしては実にプログレッシヴな音楽をやっていたよ。そして、LAのマネージャー(バリー・モーガン)が僕らの地元のクラブでの演奏を聴いて、LAに移るお金を出してくれたんだ。ビリー・シャーウッドはそのときドラマーに戻ってて、近所の苦情に悩まされてた。そこで、僕は彼にベースを弾いてみないかって言ったんだ。ヘッドフォンをいつでも使えるからね。そしたら、彼は美しいミッドナイトブルーのTAMAのセットとそれよりもずっと安いKramerベースを交換してきたんだ。でも、2年の内に彼はバンドに十分やっていけるまでになった! ある時、ギグの後にTOTOのメンバー(デヴィッド・ペイチ、スティーヴ・ポーカロ)がやってきて、A&Mにサインさせてくれたんだ。さらに、彼らはアルバム「Nomadic Sands」もプロデュースしてくれた。

「Nomadic Sands」を再リリースする予定はありますか?

JH:それは疑わしいな。とにかく、もっと注目が集まらないとね。いつか実現できたらいいね。

それからLodgicの後にどういうことがありましたか? その次のあなたのキャリアは? ビリー・シャーウッドとギー・アリソンは一緒にWorld Tradeを結成しましたが、あなたは誘われなかったんですか?

JH:実際、ビリーと僕とで新しいグループをすぐにでも始めようという予定はあって、リハーサルもしたし、いくつか曲も録音した。彼はブルース・ゴウディを手伝っていて、そっち側で別のプロジェクトが始まってしまい、それがWorld Tradeになってしまったんだ。僕はスタジオ仕事を続け、マイケル・ラフのような他のバンドとも仕事をした。そのころ、シェリル・クロウと出会った。僕がロブ・ロウのために作ったデモを耳にして「誰がギターを弾いているの?」と聴いてきて、それで彼女のグループに参加することになった。グレッグ・フィリアンゲインズがキーボードを弾いてて、ジェリー・ウェイツがベース、アルマンド・グリマルディがドラムス。僕らはいくつかギグもしたよ。クリス・スクワイアがエリック・クラプトンと一緒に見に来てくれたこともある。

どのようにして、「結晶」に係わるようになったんですか?

JH:ええと、ある日、友人のスティーブ・ポーカロから電話があったんだ。彼は僕がイエスを大好きだって事を知ってた。そして、彼はアリスタがスティーヴ・ハウのようなサウンドが出せるギター・プレーヤーを捜していると言った。アリスタはスティーブ・ポーカロに、スティーブ・ルカサーにやってもらえないかと尋ねたらしいんだが、スティーブは適任者が居ると言ってくれたんだ。それで僕は、ジョナサン・エライアスに会いに、ハリウッドのA&Mスタジオに行ったんだ。彼は僕に新しいABWHのアルバムのラフトラックを聴かせてくれた。スティーヴはほぼ全編にわたってギターソロを繰り広げていて、アリスタはギターパートは受け入れがたいと感じていると、教えてくれた。それは部分的には真実だった。アリスタが求めていたのは、クラシックなスティーヴ・ハウのサウンドにトレヴァー・ラビンのサウンドが混ざったものだったんだ! 彼らはその方がレコードがより多く売れると思っていたんだと思う。そして、ジョナサンは3曲のギターが入っていないミックス("Without Hope"と "Dangerous"と"Silent Talking")を僕に渡して、ハウとラビンがやりそうなプレイをやってみてくれと言ったんだ。僕は自宅スタジオで1つ1つ録音しては、ニューヨークのジョナサンのところにテープを送ったんだ。他にも2人の著名ギタリストが居て(誰だか話せればいいんだけれども)、彼らも同じ事をやってた。でも、彼らは僕のテープを一番気に入ってくれた。それで、僕はニューヨークに飛び、大体3ヶ月居て、僕の大好きなバンドのためにギターを録音したんだ(夢が叶ったよ!)。同時に、ビリー・シャーウッドはクリスやアランと合流し、僕らとは全く別に作業をしていたんだ。

ギターパートを弾くためにやってきたとき、誰があなたと一緒にスタジオで仕事をしていたんですか?

JH:作業は午後5時から朝の5時まで続いたもんさ。1ヶ月半、全く休み無しでやっていたよ。基本的に、彼らは24トラックのスレーブテープにジョンの歌が入ったラフミックスを作って、僕が20以上のトラックにアイディアを乗せていった。大抵はバズ(エンジニア)と僕が一緒に作業をしていて、時々、ジョナサン・エライアスとアレックス・ラサレンコが立ち寄って、アイディアをいくつか出してきた。各セッションの後、ジョナサンはジョン・アンダーソンに聞かせては、フィードバックをもらっていた。アルバムのファイナル・ミックスは、3台の24トラックレコーダーを同期して行なわれた。ジョン・アンダーソンとジョナサン・エライアス、そしてもう一人(口外しないでくれと言われてるんだ)が最終的にどのパートをアルバムに収録するか決めたんだ。

それでは、「結晶」の詳細について話して下さい。

JH:アリスタ[訳注:「結晶」をリリースしたレコード会社の名称]が欲しがっていたのは、昔のスティーブ・ハウのようなプレイで、たぶん彼らはそのときの録音には満足していなかったんだと思う。だから、僕はベストを尽くして、だいぶうまくいったと思うよ。バンド・メンバーの何人かはハウのプレイだと信じていたみたいだからね。アリスタは元々は僕のことをクレジットするつもりは全く無かったけれど、ラッキーなことにクレジットしてもらえることになった。だから後のために、どれがスティーブでどれが僕か話そう(もしユニオン・ライブ・ブートレグを聞いたら、僕が何を思いついたのか、スティーブのオリジナルパートがどれか分かるかもしれないね)。

  • トラック 1:I Would Have Waited Forever
    オープニングのリフは僕だよ。アリスタは"Starship Trooper"みたいなのを欲しがってたんだ。そして、スティーヴは0'24''~0'49''の間にある、繰り返しのシングルトーンフレーズと、ソロの終わりを弾いている。それ以外は全部僕だ。エレクトリックもアコースティックも、いくつかの効果音を重ねたのもね。

  • トラック 2:Shock to the System
    これはスティーヴのシステムへのショックだったろうね。スティーヴは全く弾いてないんだから! もちろんオープニングのリフはスティーヴが書いたけれど、音質の問題で差し替えられたんだ。これは僕のお気に入りで、なぜかというとほとんどのリフを書いたのと、僕らが考え出した新しいセクションがあること、そして4'10''からのリフが"The Gates of Delirium"にそっくりだからね。さらに、僕はいくつかベースも差し替えたんだ! トニー・レヴィンが彼のベースをスタジオに置いていったから、全く同じ音でセクションを加えることができた。僕の予想だけど、スティーヴはこのセクションをライブで弾くことを拒否したと思う。ユニオンツアーの途中、飛行機でラビンがスティーヴに弾いて見せたら、開いた口がふさがらなかったそうだよ。

  • トラック 5:Without Hope You Cannot Start the Day
    これもまた、スティーヴが全く演奏してない。たぶんスティーヴはこの曲を聴いてないんじゃないかな。ジョンとジョナサンが書いた曲だよ。

  • トラック 8:Silent Talking
    メインリフのタイミングがずれていたんで、僕が差し替えたんだ。できるだけスティーヴの音に似せるようにがんばったよ。2つほどスティーヴの弾いたリフが残ってる。よく聴くと他と少し音が違うよ。0'46''~1'03''のところだ。

  • トラック11:Dangerous
    スティーヴは弾いてない。アルバムで余り好きじゃない曲だ。でも、僕が"フィーチャー"された曲だね。

  • トラック12:Holding On
    スティーヴが最初のメインリフを0'31''~0'47''まで弾いている。沢山リフが、特に終わりに向かってあるけれど、全部僕が弾いてる。実にスティーヴらしく聞こえるんじゃないかな。

  • トラック14:Take the Water to the Mountain
    スティーヴは全く弾いてない。でも、実にスティーヴらしく聞こえる。

  • トラック15:Give and Take
    スティーヴのメインメロディから始まってて、僕はハーモニーを加えてる。コーラスと同じように、ヴァースも全部僕が弾いた。スティーヴのサウンドは歪んだ細い音で通していた。彼のトラックは全部そうだったんだけれど、僕はここではもっと多彩なカラーが必要だと思ったので、発展させてみたんだ。

振り返ってみて、「結晶」は今ではどう思いますか? 大半のイエスファンの反応は悪いことについては? また、今では自分自身はどう思っていますか?

JH:このレコードはとても楽しいと思うし、音楽的にも興味深いんだけれど、ファンの反応もよく分かるよ。でも、それは音楽的な視点とは余り関係がないと思う。むしろ、政治的な事情とイエスらしさが無いと言うことなんだろうね。もし、自分がスティーヴ・ハウだとしたら、誰かがやってきて自分のパートを差し替えたら怒ると思うよ。でも、僕は彼のサウンドとスタイルに沿うように注意していたし、ギブソンES-175を使ったりとかしたんだ。

もし誰かが、「この曲のスティーヴのギターは好きだな」と言って、本当はあなたの演奏だったと知ったら、あなたはどう思いますか?

JH:そうだね、嬉しいね。だって、彼らにそれがスティーヴの演奏だと思い込ませられたんだし、アルバムにクレジットされてないことが不満だったから。でも、それもオーケーだよ。

あなた自身がイエスのファンになった事について話しましょう。あなたはどのようにしてバンドに入ったんですか? あなたの好きなイエスの曲やアルバムは? ユニオン以降の最近のイエスのアルバムについてどう思いますか?

JH:"Roundabout"を聴いたのが、1971年のパーティの時だったんだ。天国のように響いたよ。だって、ラジオで流れてくるような曲と全く違ったんだからね。そして、僕は"Long Distance Runaround"がカップリングされたシングルを買った。イエスのアルバムは全部買ったよ。そして、次のアルバムをワクワクしながら待っていたもんさ。好きなアルバムを挙げるとしたら、「危機」とそして「リレイヤー」だね。"To be over"のスティーヴのソロは傑作だよ。その次は「海洋地形学の物語」だね。僕にとって、90125以降のイエスは別物になってしまった。楽しめなかった訳じゃないよ。ラビンの作品は素晴らしかったけれど、ポップマシーンになったように見えたから、新しいスタートに興味があった。僕は「海洋地形学」や「危機」に戻ろうとしたんだ。ビリー・シャーウッドがイエスに係わるようになったのは、とても重要なことだった。彼はバンドのために沢山のことをしたかったし、やったけれど、ラビンが言うようにそれはとても大変な立場だったんだ。

「結晶」と同じ頃、あなたとLodgicのメンバーの何人かは、エア・サプライに係わるようになりましたね。それはどういうきっかけだったんですか、そしてどのようなものだったのでしょうか?

JH:エア・サプライのメンバーとはセッション活動の中で出会ったんだ。彼らは、僕がツアーをしたいなら、やらないかと言ってきた。5年ほどやったけれど、楽しかったね。少ししたら、マイケル・シャーウッドとギー・アリソンも呼んできて、最後にはマーク・T・ウィリアムスも加わったよ。

そして、The Keyをビリー・シャーウッドとマーク・T・ウィリアムスとでスタートさせました。あなたたちは、Delta Sierra Julietというアルバムをレコーディングしましたが、リリースはされませんでした。背景にはどういういきさつがあったんでしょうか。また、私たちはそれを聴けないんでしょうか?

JH:僕らは基本的にこのアルバムの曲をビリーのところで書いて、それは本当に良かったんだ。レコード会社に送ってみて、インパクトレコード(MCA)とサインすることができたんだけれど、最後のところで彼らは降りちゃったんだ。ビリーと僕とで、復刻できないか話し合ってるよ。World Tradeよりもギター指向の音楽になってるよ。World Tradeのセカンドアルバムにも収録されている"Dark Sky"(作曲:ホーン、シャーウッド、ウィリアムス)という曲は、もっとキーボード寄りになってるね。

The Keyはクリス・スクワイア・エクスペリメントとツアーして回っていて、あなたは両方のバンドで演奏していますね。一方ではイエスの「結晶」で演奏していて、他方ではクリス・スクワイア・エクスペリメントで演奏するというのは、どういうものでしょうか?

JH:うん、とっても素晴らしい経験だったね。ライブで演奏した音楽は大好きだったよ。"I've Seen All Good People"や"Long Distance Runaround"という曲を演奏できて、そのときはなんだか現実じゃない気持ちだった。それにスティーヴ・ポーカロと演奏できたのは素晴らしかった。ビリーやマークといった僕の相棒と演奏できたのも良かったしね。アランも素晴らしかったし、クリスはすごい奴さ。有る夜、彼は夜遅くまで僕に、初期のイエスがそのときはまだ無名だったジミ・ヘンドリクスと共演したときの話をしてくれたんだ。イエスの番が来ると、クラプトンやタウンゼント、エントウィッスルといったビッグネームが聴きに来ていて、クリスは自分に「よし、俺たちは奴らを魅了する素晴らしい演奏をやってみせるぞ」と言い聞かせた。最後の曲が終わった時、オーディエンスが熱狂していて、イエスはすごく興奮していたけれど、実はそれはジミ・ヘンドリクスに対してだったんだ。

ジミ・ヘンドリクスの名前が出ましたが、あなたもまた左利きのギタリストでしたよね? そしてジミも名字がHから始まります。少しヘンドリクスと共通点がありますね! 同じ左利きとして、彼はあなたの作品に影響を与えましたか?

JH:もちろんそうだし、今でもさ。彼のエレクトリックギタープレイはすべてのギタリストに影響を与えてるよ。もちろん、スティーヴ・ハウも("Yours is No Disgrace"のギターブレイクなど)。また、僕も右手用の弦を使って左手で弾いたりしたもんさ。ジミは逆にしてるよと教えてくれるまでね。名前の綴りに従って、彼に敬意を払い、後にそのやり方を止めたよ。

イエスつながりで、喜多郎のアルバムにジョン・アンダーソンと参加していますね。また、ジョン&ヴァンゲリスの「Page of Life」にも一曲参加しています。これらのアルバムについても話を聞かせていただけますか?

JH:「結晶」の仕事をニューヨークで終えると、ロサンゼルスに戻ったんだけれど、ジョン・アンダーソンから電話があって、彼の家でデモテープに演奏をしてくれないかといわれたんだ。彼は"Change We Must"をかけて、ソロを入れてほしいと言ったんだ。彼は僕のソロを気に入ってくれて、ハリウッドのスタジオに行き、アルバムの曲を何曲かやったよ。1曲目と6曲目だ(USバージョンの「Page of Life」)。ジョンは一緒に仕事をしてすばらしい人間だし、いろいろと喚起されたし、サポートしてくれた。僕が1曲やると、彼は目をつぶって聞き直して、もう少し違ったものがほしいときはコメントをしてた。

喜多郎はジョンを通しての仕事だったけれど、ちょっと変わった感じだったね。なぜなら、彼は英語がしゃべれなくて、アイディアを話すときは通訳を通していたから。また、セッションの前に彼らは僕に電話してきて、ディストーション・ペダルを持っているかと聞かれたので、いくつか持ってると答えたんだ。そうしたら、セッションに行ってみると、彼らは僕が見たことのあるありとあらゆるペダルとアンプヘッドを用意していたんだ! でも、全体としてはすばらしい経験だったね。


ジョン・アンダーソンと共にジミーホーンが参加した喜多郎の92年発表作。映画『十五少女漂流記』のサントラ盤を全世界向けに編集し直したアルバム、グラミー賞にノミネートされた。ジョンのヴォーカルは3曲で聴ける。



上記アルバムに収録されている、映画『十五少女漂流記』の主題歌。日本の歌番組に出演時の映像。ホーンは映っていない。

ほかにもシェールと仕事をしていますね。これはどうでしたか?

JH:僕は彼女やセリーヌ・ディオンのために、作曲家たち(ダイアン・ウォーレンやガイ・ロッチ)とデモを作ってて、彼女とアルバムに収録するあるダイアンが書いた曲で一緒に仕事したんだけれど、それは収録されなかったんだ。

あなたは「結晶」でジョナサン・エライアスと初めて会いましたが、その後いろいろな共同作業を始めましたね。ジョナサンと一緒に仕事をするのはどういうものでしょうか? また、あなたはElias Associates(映画やコマーシャル音楽を製作するプロダクション)に入らなかったんですか?

JH:ジョナサンと僕はうまが合ったよ。僕たちの作曲やプロデュースの仕方がとてもよく似てて、相互補完的なことに気づいたんだ。彼はまた僕の大の親友だ。彼はニューヨークに住んでいたけれど、「結晶」のあとに、いろいろなアルバムプロジェクトに呼んでくれた。彼はニューヨークに引っ越してくれば、いつでも一緒に仕事が出来るのにといってくれたけれど、僕は娘のためにとどまることを選んだんだ。結局、彼がロサンゼルスに引っ越してきて、僕らはすぐに仕事を始めた。ジョン・アンダーソンがそこに住んでいたとき、僕らは何度も彼と会ってたよ。実際、ジョンはフォードのコマーシャルの曲をエライアスと書いてたし、それはとてもうまくいったんだ。ジョナサンはとっても気前が良くて、面倒見のいい人なんだ。マイクとビリーもそれに同意すると思うよ。

コマーシャルのための音楽を作るのは、ロックバンドをやるのとはまったく違う経歴だと思います。あなたは2つを相互補完的なものと思いますか?

JH:うん、そうだと思う。コマーシャルでは音とスタイルを操るカメレオンになれるんだ。それは、いろんなアイディアをもたらしてくれて、バンドにも生きてくるんだ。僕は今では本当に少しのシンガーとしかプレイしていない。僕の娘はジョナサンと僕が仕事をするシンガーの一人だよ。彼女は立派な女優、歌手、作曲家なんだ。彼女はたくさんの映画をやってるし、Movie Surfersというディズニーチャンネルのマンスリーショーのホストをしているんだ。バンドもやってて、Vitalというんだ。ファンが彼女のためにウェブサイトを作ってくれてるんだよ。君もチェックしてみるといいよ![訳注:2011年現在、サイトはMySpaceに置き換えられている様子] 彼女は僕の誇りなんだ。

エライアス・アソシエイツでの仕事と、あなた自身のバンドをやったり、セッションでプレイするのはどう違いますか?

JH:2つはまったく違う世界だよ。バンドは結婚みたいなもので、プラスとマイナスの面がある。セッションは、常に誰かを満足させようとしなければならないから、実に挑戦しがいがある。僕はこう弾いてくれとか言われるのは好きじゃないんだ。それは創造性に反するものだからね。

コマーシャルの仕事についてはどう考えていますか? コマーシャルは独立した芸術的価値があると思いますか、それとも単にテクニック上のチャレンジでしょうか?

JH:両方だね。僕はあらゆる種類の音楽から学んできた。17世紀のバロック風音楽を書いたら、次はトリップ・ホップの曲に変えるなんて事が同じ日にあったりするんだ。ロックバンドをやっているのと同じぐらい多くの聴衆に音楽を届けられる。すごい生活さ。

映画音楽はどうですか?

JH:映画音楽はもっと微妙で、引き出しが必要なんだ。原則的に、テーマは映画を通して違う形で再提示される。もっとゆっくり考えて、スコアリングだけを追うようなことをしてはならないんだ。すべての動きにアクセントを付けようとしちゃだめなんだ。70年代の刑事ドラマのような感じになっちゃうからね。

好きなコマーシャルはありますか? あなたはいくつか賞を取っていますよね。

JH:選ぶのは難しいね。でも、バドワイザーの"Lobster"のスポットは良いね。大オーケストラがドラマティックに盛り上げる。しっかりスコアリングしてある。アウディ"Lives"が自分が最も誇りに思っているものだね。AICPアワードを受賞して、いまニューヨーク近代美術館で常設展示されているんだ。クアーズのコマーシャルでは、レス・ポールたちが出演しているんだけれど、彼らの演奏から正しいサウンドが得られてないと思ったので、ギターを差し替えることにして、彼の手を見ながら彼が弾いているようにしたんだ。素晴らしい仕上がりになり、後でレスと会ったときも「あれは好きだよ、実にクールだね」と言ってくれたんだ。また、僕は最近のプロジェクトでBBキングと共演したんだ。あれは素晴らしい経験だったね。彼は偉大で謙虚な魂の持ち主だよ。


ジミー・ホーンが手の動きをまねて演奏したという、レス・ポール出演のクアーズCM。

ビリー・シャーウッドの次のソロアルバム「No Comment」には、あなたのボーカルデビュー曲が収録されていますが、どういういきさつで実現したんですか?

JH:それがおかしな話なんだよ。ビリーはヴォーカル・サンプルをライブラリから探して、僕が何年か前にやったやつを見つけて、それがぴったり合ったんだ。それがどんなものかはまだ言わないけれど、きっと驚くと思うよ。ビリーはすごいアルバムを完成させて、もうすぐリリースされるんだ[原注:結局、ホーンのヴォーカルはアルバムには使われなかった]

ビリーはThe Unknownという新しいバンドの予告をしましたが、LodgicやWorld Trade、エライアス・アソシエイツのメンバーの名前が沢山含まれています。プロジェクトについて詳しく教えていただけませんか? また、いつデビューアルバムが聴けそうでしょうか? 主にあなたとビリーのプロジェクトになるのでしょうか、それとももっと幅広いコラボレーションになるのでしょうか?

JH:今はビリーと、ジェイ・シェレン(Jay Schellen)[訳注:後にアラン・ホワイトに代わってCircaに加入するドラマー]と僕がメンバーだけど、ジョナサン・エライアスとマイケル・シャーウッドももうすぐ加わるよ。アルバムはすごくプログレッシブなものになるだろうし、ギブソン175を沢山使っているんだ。僕は最近、左利き用のギブソン175をもう一つ手に入れたんだけれど、スティーヴ・ハウのメインギターのライバルになると思うよ。とにかく、アルバムはすごいものになるけれど、TLCから多くをとっているんだ[訳注:TLCが何を意味するか不明。分かる方教えて下さい。]。

他に将来の予定はありますか? 自分自身のバンドや、他のサウンドトラックなど、特にしたいことは?

JH:The Unknownのほかに、ジョナサンと僕はNoella Huttonというシンガーのレコードをプロデュースしているんだ。彼女はアイルランドから来て、リリス・フェア[訳注:アメリカの音楽フェアの名称]にも出たことがある。今年の夏にリリス・フェアの映画が出るから、それで彼女を見られるよ。この子は本当に素晴らしいんだ。すごく興奮しているよ。


トニー・ケイ、アラン・ホワイト、ビリー・シャーウッドと結成した、Circaのライブ映像。イエスの代表曲を年代順にメドレーで聴けるという趣向。90125イエスで存在感の薄かったトニーが活躍していることと、ジミー・ホーンがスティーヴ・ハウのサウンドをいともたやすく再現していることに驚く。なおホーンは現在はバンドを脱退している。CircaのCDは現在ではアマゾン等大手では扱いがないようだ。興味を持たれた方はディスクユニオンあたりを探してみることをおすすめする。

<参考リンク>
ジミー・ホーン公式サイト:http://www.jimmyhaun.com/
リンジー・ホーンのMySpace:http://www.myspace.com/lindseyhaunmusic


2011年8月5日金曜日

ガセネタ - ガセネタ In the Box ちらかしっぱなし




結局なんだかんだ言って、ガセネタ In the boxを購入してしまった。10枚組。なんてことだ、聴くだけでもちょっとした拷問だ。自分で言うのも何だが酔狂としか言い様がない。まだ半分しか聴き終えていないが、この時点で言えることはオススメだと言うことだ。ただし留保点がいくつも付くので、詳しく読むように。行くぞ。

まず、この音源に音質を求めてはいけない。

ほとんどがオーディエンス録音である上、スタジオ録音ですらワンマイクで録っている。ベースが聞こえるときはボーカルは聞こえず、ボーカルが聞こえるときはベースが聞こえず、両方がハッキリ聞こえるときは音はスカスカという、音質としてはブートレッグと大差ないどころかサウンドボード録音やエアチェックのブートのほうがまだマシだ。まぁ、世にはキングクリムゾンの「Earthbound」すらネタにするDJもいるぐらいなので、音質が悪くても気にしないという人間は居るだろう。ましてや、音質が悪いからこそ荒々しいガレージサウンドが表現されているとも言える。

そして、曲のバラエティなどを求めてはいけない。

ガセネタのレパートリーはたったの4曲だけだ。「宇宙人の春」「父ちゃんのポーが聞こえる」「雨上がりのバラード」「社会復帰」のみ。

それだけでCD10枚が埋められるのかって? 埋めてるんだこれが。

Disc 1、2は「雨上がりのバラード」のみ全21曲、Disc 3、4は「父ちゃんのポーが聞こえる」のみ全20曲、Disc5は良心的だぞ、「宇宙人の春」が8曲だけと「社会復帰」が3曲だけ。Disc 6はアウトテイクと称して今まで挙げた4曲が何曲かずつか計16曲。Disc 7は未聴だが初期セッションが3テイク、Disc 8はガセネタのメンツに誰かが加わったりしたような変則編成の9曲(今挙げた4曲以外も入ってるけど、これらはガセネタの演奏と言っていいのか?)、Disc 9ではハイライズによるガセネタ曲演奏(一部で山崎晴美や大里俊晴も参加している)、最後、Disc 10はMOODMANによるノンストップミックスが3つ。

さあどう? 買う気でた? 俺ぜんぜんわかんないんだけど。

結局、ガセネタとは、山崎、浜野、大里という3人が、何も知らないまま突き進んで、とんでもない方向に皆で行こうとして、そして終わるしか無かったバンドだったんだと思う。誰もが子供のままでいられないように、彼らもガセネタで活動し続けるほどの純粋さ(純粋さとは無垢とは限らないぜ)を保つことはできなかったと思う。10代の終わりから20代頭にかけての微妙な季節は、無残にも終わりが来る。大里は「いつも同じ事はしなかった」と言うけれど、一方で「終わり続け」ていたとも書いている。冷静にこの10枚組を聞けば、たしかに彼らは同じ音は弾かなかったかもしれないけど、同じ事の繰り返しにも聞こえる。そう、彼らは最初っから終わりにたどり着いていたから、先には行けなかったんだ。

大里にできたことは、そこから降りることだった。事実はどうであれ、彼は降りたんだと自分で思っていたんだと思う。そして、その後ろめたさが、その総括たる書籍「ガセネタの荒野」になったんじゃないかな、と思うのは、彼の隠れたロマンティストぶりを垣間見たから言えるのだろうか。

結局、この原稿も先に行けそうにない。終わり続けるしかなさそうだ。彼らが残した、もうこの機会を逃したら2度と手に入らないだろう10枚のCDを聴きながら。

<追記>
なんと、10月にはグレイテスト・ヒッツなるCDが出るらしい。未発表テイク収録だそうだ。なんだそりゃ。




2011年8月2日火曜日

イエス「結晶」製作の真実(1)ジョナサン・エライアス インタビュー



それは90年代頭のこと、プログレファンならずとも、ロックファンにも前代未聞のことが起こった。バンド名称所有権で法廷闘争にまで発展していた、イエスとそのスピンアウトバンドであるアンダーソン・ブルフォード・ウェイクマン・ハウという2つのバンドが合体、8人編成となってアルバムを製作するというのだ。このアルバム「結晶」は発売前から大きな評判を呼び、海外ツアーは軒並みソールドアウトになったという。筆者も当時CNNのニュースでツアーが好評であることを見た記憶がある。

だが、アルバムの実際の出来は賛否両論だった。90125チームの曲のポップさは旧来のイエスファンから糾弾され、ABWHチームの曲はそのクオリティに多くの不満が噴出した。一番の不満は、"UNION"というアルバムタイトルながら、8人が一緒に演奏している曲が1つもなかったことだ。

なぜそのようなことになったのか? 西新宿あたりのブート屋を徘徊するような人々を除けば、その裏事情はまったくの闇の中だった。

しかし、これから紹介するインタビューが、「結晶」がいかなる事情の下で作られたか、バンド内にはどのような人間関係があったのかを明らかしてくれる。このインタビューがまだ日本語圏であまり知られていないことを知り、ここに原著者の許可を得て翻訳したものを発表する。翻訳に意味不明な点があるとすれば、それは翻訳者である私の責任である。誤訳等が有る場合、指摘をいただけると幸いだ。また、翻訳を許可してくれた、Henry Pottsに感謝の意を述べたい。Thank you, Henry. Without your effort, we can't know what's happened in the UNION session.

全二回のうち、第一回はアルバムのプロデューサーのジョナサン・エライアスへのインタビューである。ABWH側の曲のほとんどに名前を連ねる彼はいかなる役割を果たしたのか、そしてスタジオでは何が起こっていたのか。忌憚のない意見がそこには綴られていた。




(原文へのリンク:http://www.bondegezou.co.uk/iv/jeinterview.htm)

ジョナサン・エライアスはイエスのファンには「結晶」のプロデューサーとして知られている。当時、エライアスは評判を呼んだ「The Prayer Cycle」をリリースしたばかりで、映画やコマーシャル音楽のプロデュースに係わりながら、ビリー・シャーウッドや兄のマイケル・シャーウッドやジミー・ホーンを雇っていた。ジョナサン・エライアスとはいったいどういう人物なのか、「結晶」の裏に隠された真実はいかなるものだったのだろうか?

このインタビューの質問内容は私、Henry Pottsが考えたが、質問は私の代わりにジミー・ホーンが2001年3月に行った。ジョナサンにはインタビューを受けてくれたことを、ジミーにはインタビューが実現できたことを感謝したい。


***

最初にありきたりな質問ですが、どのようにしてあなたは音楽を始め、音楽ビジネスの世界に入っていったんですか? あなたは演奏者になりたかったのでしょうか、それとも作曲家やプロデューサーになりたかったんでしょうか?

ジョナサン・エライアス(以下JE):最初、僕は指揮者とクラシックの作曲家になりたかったんだよ。イーストマン・スクール・オブ・ミュージックに入って、そこでクラシックを重点的に身につけた。ロックミュージシャンになりたいとは思っていなかったんだ。漠然と、音楽を教えたりすることになるんだろうなと思っていたよ。大学の一年目でもう、作曲と指揮で博士号を取り音楽教師になるつもりでいたんだ。

実際のキャリアはずいぶんと変わりましたね。映画音楽は1979年の「エイリアン」の宣伝用の音楽から始めたということで合っていますか?(Elias Artsのウェブサイトでこれまでの仕事を見ることができる)

JE:そのとおり。そういう仕事から始めて、最初の数年間は映画プロモーション用の予告編の音楽をたくさん手がけたよ。「ブレードランナー」や「狼男アメリカン」や「バック・トゥ・ザ・フューチャー」や「遊星からの物体X」などね。さまざまな映画の予告編をやったな。そこで経験を積み始めたんだ。

80年代の終わりから90年代の初めまで、あなたは映画サウンドトラックに仕事を移しましたね。そして、ロックバンドのプロデュースも始めましたた。そしていま、あなたはエライアス・アソシエイツを設立しています。こうした様々な変遷をしてきたのにはどういう背景があったのでしょうか? あなたが選んでそうしてきたのでしょうか、それとも周囲の状況によるものでしょうか?

JE:その両方が少しずつかな。僕はエライアス・アソシエイツを1980年から始めた。そのとき、僕らは映画の予告編を手がけるようになって、MTVにも係わり始めた。僕はオリジナルのMTVプロモ用アイデント*1を書いたんだ、月に降り立った宇宙飛行士の映像を使って。優秀な作曲家のスタッフを集め始めて、いろんな種類のコマーシャルをたくさん作ったよ。ジェームズ・ボンドや「愛と悲しみの果て」で有名なジョン・バリーと知り合いになったのも、80年代の頭だった。ジョンは、僕を映画音楽の世界に引き込んでくれたし、コマーシャル音楽をやっている間でも、「白と黒のナイフ」や「007 /美しき獲物たち」のような映画で一緒に仕事をした。その映画で偶然、メジャーなポップバンドと初めて仕事をすることになったんだ。それがデュラン・デュランだったんだ。その後、デュラン・デュランとアルバムも作ったよ。


エライアスが手がけたMTVのアイデント

ソニークラシカルのウェブサイトでは、あなたはコマーシャル音楽に"フィルムスコアリングとサウンドデザインテクニックを導入した"と紹介されています。映画音楽からコマーシャル音楽に進んだことは、あなたのキャリアパスにとって過去の業績と言うことでしょうか? 今でもあなたのキャリアとして記憶されたいものなのでしょうか、それともあなたの2つのアルバムがあなたの誇りであり喜びなのでしょうか?

JE:まぁ、イエスとやった仕事はそうじゃないね、あれは死んだ馬を馬場に連れ出すようなものだったから(笑)。僕は、子供達のいい父親として記憶されたいね。音楽については、いろいろと素晴らしいことをやったと思ってる。正直にいうと、イエスは過去の業績を持とうとはしていないし、僕も過去の業績を持とうとはしていないんだ(笑)。僕たちが仕事をしてきた人たちで過去の業績を持とうとしている人はそんなに多くない。でも、僕が一緒に仕事をしてきた人たちが、僕が誇れる楽しい共同作業者だと思ってくれたら、それは僕の過去の業績になるだろうね。そして、一緒に仕事をしてきた大抵の人たちがそれを証言してくれるだろうと思っている。

あなたの最初のアルバムプロジェクトは「Requiem for the Americas」でした。あなた自身のロックアルバムを作ろうと思ったのは何がきっかけだったんですか? また、ミュージシャンをどのようにして選んだんですか?

JE:最初にロックの仕事をしたのは「美しき獣たち」の挿入歌を歌ったデュラン・デュランだったけど、多くは僕の手によるものだった。後に彼らと作ったアルバム、「Big Thing」も僕が多くの部分を手がけたんだ。同じ頃、僕はネイティブ・アメリカンの窮状に関心があった。僕はちょっとした寓話を、オペレッタのようなものになりそうなものを作り始めた。でも次第に、それがロックになるんじゃないかと考え始めた。なぜなら、どう見てもクラシック音楽になりそうな感じじゃなかったからね。で、それをちょっと発展させて、当時一緒に仕事をしていたようなミュージシャンのために演奏するつもりだった。ところが彼らが興味を持つと、友達を呼んできてくれて、雪だるま式に増えて行ったよ。意図的に彼らに参加してもらおうとしたんじゃなくって、気がつけば彼らがアルバムに参加していたんだ。


デュラン・デュランの「a view to a kill」

どのようにしてジョン・アンダーソンと知り合ったんでしょうか? 共通の関心事であるネイティブ・アメリカンの文化を通じてでしょうか?

JE:ある共通の興味を通じてであり、ジョンと仕事をしていたある友人を通してだったよ。僕は彼に「Requiem」のテープを送ったんだ。ジョンは僕に電話してきて、僕が送ったものに歌詞と歌を付けてみた、気に入ってくれるといい、と言ってくれたんだ。それがジョン・アンダーソンと知り合ったきっかけだった。それまで彼に会ったことはなかったんだ。彼は電話してきてこう言ったんだよ「気に入ってくれるといいな!」って。

「結晶」の制作過程は謎に包まれています。あなたならひょっとしたら、その過程に明かりを照らせるかもしれません。あなたはジョン・アンダーソンと一緒にスタジオでいくつもの曲を書いたようですが、それは十分な素材が少なかったり、共同作業が足らなかったからでしょうか?

JE:素材は無かったよ。元々、スティーヴ・ハウがソロアルバム用に作った素材があって、いくつかそれを送ってきた。ジョンは1つ2つのちょっとしたアイディアを持ってきた。問題は、その時点では2人とも互いにいがみ合っていたことなんだ。ジョンとスティーヴを、僕抜きでスタジオにいさせておくことなんてできなかった。スティーヴがしたことと言えば、朝起きて、ハイになると*2それ以降は何もできなかった。だから、僕らは座っていくつかコードを書いてみようとしたんだ。僕の子供時代のポップアイドルがいるというのに、彼らは喧嘩せずには3つのコードすらも並べることができなかったんだ。そして、ジョンとスティーヴを一緒にすると、スティーヴは僕に、彼がどれだけジョンの歌詞を嫌っているか、どれだけジョンがアイディアがないかを常に言って来るんだ。そして、ジョンはジョンで僕にこう言うんだ、「ああ、スティーヴは本当に才能が無くなった、エイジアはなんてひどい代物だ――彼がしたことを見てみろよ」とね。

それにリック・ウェイクマンときたら……彼のしたかったことは、ミックス中に出て行くことだけだね。リックが3つか4つのパートを弾いたけれど、それは全部同じものだったよ。僕はハモンドオルガンをスタジオに入れさせたんだけれど、彼は触ろうともしなかった。「時代遅れだ」ってね。そう、何も実現してないし、彼は何も触れてないんだ。何か彼は良いプレイをしたかい? 誰か他にいなかったら、彼らを一緒に座らせて素材を書かせることはできなかった。人間関係上の問題でね。彼らは、とても長い間ツアーを共にしていたし、たぶんお互いに様々なエピソードがあったんだろう。彼らの半分は、本当に何も弾けなかったんだ。私が言いたいのは、とても悲しかったと言うことだ。彼らはずさんで、疲れていて、歳を取ってた。

時間のプレッシャーはどのぐらいありましたか?

JE:実際、時間のプレッシャーはすごくあったよ。彼らは金のためにしかやっていなかった。なぜなら、他に何もしようがなかったからね。彼らは全員、ソロ活動を行っていたけれど、ほとんど何も起こらなかった。だから、彼らは一緒になるしかないと気づいたんだ。金を稼ぐ唯一の方法はツアーに出ることだったんだ。彼らはポップな感覚を持っていたとしてもアルバムで金を稼ぐことはできなかったし、ポップな感覚というものから遠く離れていた。トレヴァー・ラビン無しにはね。一緒にやらせようとする時間はあったけれど、彼らはトレヴァーの悪口を言ってた。特にスティーヴがね。ああ、彼と来たら、本当にトレヴァーを憎んでいたんだ! 僕はトレヴァーがやったことは実に斬新だと思っていたけれど、その時点ではリック*3もスティーヴも、僕を引き留めていた。彼らはトレヴァーと係わりたくなかったんだ。

だから、起こったことは、曲を書き始めてそれを止めてしまったということなんだ。スティーヴはリックのパートを聴かないし、リックもスティーヴのパート聴こうとしなかった。ビル・ブルフォードが知りたがったことは「いつ金が入るんだ?」ということだけ。彼らは音楽について考えてなかった。彼ら全員が、ジョンが金を盗もうとしていると思い込んでいた。推測だけど、彼らは金を盗んだマネージャーを雇っていたことがあるんだろうね。彼らがかつてはお互いクリエイティブな分配をしてきたかどうかはわからない。でも、彼らはもはやお互いを信用していなかった。

最後に、あなたはほとんどすべてのABWH側の曲に共作者として名前を連ねています。あなたは他のABWHのメンバーと共作していたのでしょうか。それとも、あなたのその後の作業が彼らの最初のアイディアに反映されているのでしょうか?

JE:彼らには最初のアイディアなんてなかったよ。言った通り、スティーヴが2つばかりで、リックは何も無かった。

あなたは、スティーヴのソロアルバムから素材を持ってきたんですよね?

JE:そうさ、スティーヴのソロアルバム[訳注:タービュランスのこと]から2つほどリフを取ってきた。そして、ジョンにそれを発展させるように言ったんだ。すると彼はこういった。「こんなのクズだよ」って。僕は彼に、「ジョン、これが僕らの持ってるすべてなんだから、ベストを尽くしてくれ」って言ったんだ。そう、私が期待していたようなイエスという言葉がもっている、マジカルで素晴らしくて寛容な雰囲気は少しもなかった。最初はうちひしがれたよ。理解するのに2週間はかかった。僕はデュラン・デュランと仕事をしたばかりで、いくつもナンバーワンヒットを出していた。彼らは楽器が素晴らしくうまい訳じゃないけれど、良いテイストがあった。でもそのときのイエスは、テクニックはあったけれど、テイストがなかった。

彼らは誰かが緩衝材にならないと曲を書けなかった。僕がその緩衝材の役をしたんだと思う。生まれてきたコードやメロディの中には、誇りに思えないものもあるけど、それでも録音できたのは奇跡だ。

ウェイクマンとハウのパートの大部分が差し替えられたのは,どういう状況があったのですか? あなたが決めたことですか、それとも上からの指示だったのでしょうか。

JE:もし他の誰かがバンドについて何でも知ってたとしても、ジョンがまるで鉄の手のようにすべてを取り仕切っていた。だから、ジョンがカルフォルニアに行って、そこの誰かと仕事しようと言ったんだよ。

リックとパリで経験したことなんだが、彼からテレビを取り上げることができず、大失敗だったんだよ……彼が僕を嫌っているのは、テレビを見るのを止めさせようとしたからだと、今でも思ってる。彼のパートの大部分が差し替えられようとしていても、彼はプロジェクトのことを全く気にしていなかった。彼は次のソロアルバムが出るまでのつなぎにこのアルバムをやってたんだ。たぶん、彼はファンが離れていっていることに気づいて、少しばかり気にし始めたからだと思う。

それで、何が起こったかというと、ジョンと僕はギタープレーヤーを捜し、幾人かの中からジミー・ホーンの名が上がってきたんだ。僕たちは、ジミーに会うことにした。ジミーは、このアルバムで起こった最高の出来事だよ。僕たちは最高の友人となったし、これほど素晴らしいことはなかったね。ジョンは、ジミーがその時やっていたことを、ソロ活動で使う事にしたんだ。もし、ジョンが本当に本当のことを気に入っていなかったら、アルバムには使ってなかっただろうね。

キーボードプレーヤーは、ジョンが呼んだんだ。ジョンはスティーヴ・ポーカロとやろうと言った。だから、僕たちはスティーヴ・ポーカロと仕事をした。もし僕がキーボードプレーヤーを連れてきたんだと思っている人がいるなら、本当のことを教えてあげてくれ。さっきも言った通り、ジョンがバンドを仕切ってたんだよ。

ABWHの曲であなたが弾いているのはどの部分ですか? また、他にメインで雇ったキーボード・プレーヤーはいますか?

JE:僕はそれほど多くはキーボード・パートを弾いていない。いくつかは弾いたけれど、それはジョンとスティーヴと曲を書く途中で弾いたもので、残っているのはジョンがそこにあるべきだと思ったものだけだよ。彼はリックが弾いたパートとそれらを混ぜたいと思わなかった。理由は明白だけれど、リックはスティーヴのパートを聴かずに録音したものを戻してきたからね。僕らはスティーヴと仕事を始め、リックと仕事をしにパリに行ったけど、リックはスティーヴのパートを聴きたがらなかった。それで、このバンドがもはやバンドじゃないんだということがあからさまになったよ。彼らはツアーができるように何か出すためだけにそこにいたんだ。雇ったプレーヤーのほうが、バンドのプレーヤーよりも音楽のことを考えていた。トニー・レヴィンは僕にとって命の恩人だったよ。彼だけがこのプロジェクト全体を理性的に分かっていた唯一の人物だったんだ。

セッションパーカッショニストは、どういう仕事をしたんですか?

JE:セッションパーカッショニストは、いわゆるエキストラミュージシャンのすることをやったよ。プロジェクトのことは気にしていなかった。他のバンドの誰も……ジョンとスティーヴを除いて……それもある程度までだけど。それはジョンのヴィジョンであって、スティーヴのヴィジョンは全く異なるものだったということだよ。個人的な衝突がいくつもあった。スティーヴとリックは本当にいつも悪口を言い合っていたよ。彼らとジョンの間に立って、居丈高にならいように、「これがやりたいことなんだ」と彼らに伝えるのは、本当に大変だった。トレヴァーとクリス・スクワイアのほうが、遙かに素晴らしい仕事をしたと思うよ。

そして、ビリー・シャーウッドも?

JE:ビリー・シャーウッドは別の例だよ。誰かがバンドのことを心配して、復活させようとして、そしてバンド全体から責められてしまったんだ。

悲しいかな、かつては彼らは素晴らしいプレーヤーだったと思うけれど、今はかろうじて楽器を演奏できるだけでしかなくて、彼らは音を弾きすぎるんだよ(笑)。ごらん、10年後、12年後にはそうなっているから。僕は本当に多くの仕事を、非常によくやってきたと思ってる。アラニス・モリセット、ジェームス・テイラー、ヌスラット・ファテ・アリ・ハーンたちと仕事したし、他にも素晴らしいコラボレーションをしてきた。だから、全体的な経験としては、ちょっと悲しかったね。ベビーシッター実験のようなものだったから。君も知っての通り、トレヴァー・ラビンが80年代半ばにいなかったら、彼らは長い間解散したままだったろう。

ほとんどのイエスのファンは「結晶」に対して否定的で、あなたもそれに同意するでしょう。でも、沢山のファンが、プロジェクトに起こったことの責任を、あなたやセッションプレイヤーに負わせようとしています。そのことについて,どう思いますか?

JE:イエスのファンが、僕のことを嫌っていても気にしないよ。橋の下を水が流れてるようなもんさ。それより僕が気にしているのは、エキストラミュージシャンのせいで「結晶」がダメになったと捉えられることだ。真実は、エキストラミュージシャンがいなかったらアルバムはなかったと言うことなんだ。スティーヴとジョンとリックの間の不仲は相当なレベルに達していて、一緒に仕事をすることができなかった。だから僕らは、スティーヴが弾いたギターパートを取って、エキストラミュージシャンにこれに沿って弾かせたんだ。こういうことがずっと続いた。彼らが弾いたパートは互いに何の関連もなかったから、プロジェクトを物理的に終わらせるために、エキストラを投入するしかなかったんだ。

「結晶」に収録されている他の曲はどう思いますか? また、その後のイエスのアルバムについては?

JE:僕は、ビリー・シャーウッドとトレヴァー・ラビンには大いに敬意を払っているよ。常に、これからも。トレヴァーがどうやってやっていたかは知らない。トレヴァーは少しばかり独断で、曲とプロデュースを自分でやり、それから他の人たちを呼んできたんだろうと思う。なぜなら、そういう風に音楽が聞こえるからね。僕にはそうとしか考えられないんだけれど、それがビリーにも当てはまるかどうかは分からない。ビリーは素晴らしいミュージシャンだし、彼らがどれだけビリーを頼りにしてきたか、見てきたけどね。

もう僕は、イエスのことは考えてないんだ。彼らの音楽も聴かない。もう考えたくないんだ、正直なところね。僕は次に移って、アラニス・モリセットやジェームス・テイラーのような人と仕事をしているし、もっと2000年代にインパクトを与えられるような、意義のある人たちと仕事をしている。イエスは1980年にエイジアと被ってるからね……スティーヴはエイジアから閉め出されて、もうギターを弾けないから(訳注:インタビュー時点の2001年、まだスティーヴはエイジアに復帰していない)。

分かりました。「結晶」に関してはもう十分です。エライアス・アソシエイツについてどうでしょうか? 映画全体の音楽やアルバムを作るのから、たった数分のコマーシャルの音楽まで手がけていますね。

JE:コマーシャルは楽しいよ、本当にね。最高の音楽、最高の映画を手がけるディレクターと仕事をすると、最高のコマーシャルができる。僕らの会社は、最も受賞暦のある会社なんだ。僕らの分野ではもっと受賞しているから、本当にすばらしいディレクターと仕事をしている。彼らの中には、デヴィッド・フィンチャーやリドリー・スコットなどがいるよ。僕らは本当に数少ない最高のディレクターと仕事をしてきた。だから、僕らのコマーシャルはとっても良い仕上がりになるんだ。フィルハーモニック・オーケストラと仕事もするし、すばらしいミュージシャンとも仕事をする。ジミー・ホーンは最近BBキングとデュエットしたし、僕らはデヴィッド・ボウイとも短期間だけど仕事をした。とってもすばらしいことだし、とても楽しいよ。映画から自分のアルバムプロジェクトまで、とても楽しいさ。

音楽は楽しみだよ。仕事は大変でもあるし、面白くもあるし、グレース・ジョーンズとやろうとイエスだろうとデュラン・デュランだろうと、僕にとって常に楽しみなのさ。「結晶」も楽しかったけれど、イエスにあった政治的な事情や彼らがお互い憎み合っていたのは楽しくなかった。彼らは実は今でもいがみ合っていることを僕は知っている。それは、ジョンを信用しないレベルまで来ている。彼らはジョンが金を盗もうとしていると考えている。そして、彼らはみな彼を恐れているんだ。だから、彼らはマネージャーやプロデューサーやエキストラのギタープレーヤーに責任をなすりつけようとしているんだ。でも真実は、彼らはお互いのことを好きじゃないということなんだ。恥ずべきことだと思うけれど、真実だ。僕自身は今でもジョンのことが好きだよ。彼はいいやつさ。

あなたは自分が手がけた広告の仕事を芸術的価値があるものと考えていますか? それとも「The Prayer Cycle」のようなあなたの「本当にやりたいこと」から出たものを技術的に挑戦する場と考えていますか?

JE:いや、僕はその両方だと思っているね。僕は確かに広告は芸術的なものだと思っているし、僕らが手がけたものは芸術性があると思っている。そうだと思ってない人がいるとしたら、彼はうまくやれていないんだと思う。技術的な挑戦ということに関しては、確かにそういう部分はあるね。思うに、僕の仕事にはどれも僕の「本当にやりたいこと」から出たものだと思うよ。「結晶」を除いてね(笑)

「The Prayer Cycle」はどのようにしてできたものなのですか?

JE:「Requiem」をやっていたときのように、自然にできていったんだ。あるオーケストラ作品を手がけていた。ちょうど最初の子供ができる頃で、自分自身のことを、世界を見つめ始めた。すると僕は、暗い世界に住んでいるような気がして、アーティストとしてそれを反映した作品を作りたいと思ったんだ。「Prayer Cycle(祈りの周期)」は、ヌスラット・ファテ・アリ・ハーンやアラニス、その他の様々な社会の様々なシンガーが一緒に織りなす、祈りの集大成なんだ。また、オフラ・ハザ(Ofra Haza)のような――彼女は最近死んでしまったけれど――イスラエルのシンガーもいる。ピーター・ガブリエルのレーベルにいる、ヤンチェン・ラモ(Yungchen Lhamo)はチベットのシンガーなんだけれど、彼女も素晴らしいね。

「The Pryaer Cycle」は「Requiem for the Americas」よりも良い評価を得ているように見えます。「Requiem」を見返してみてどうですか?

JE:「Requiem」は15年前のことだから、あまり批評のことは覚えていないな。もし良い評価を得ていなかったんだとしたら、参加者の組み合わせが気に入られなかったんじゃないかと思う。「Prayer Cycle」は素晴らしい評価を受けたし、最近のイエスのアルバム*4の2倍近く売れた。良い評価を得たのは、それが本物だったからだと思う。僕は初期のイエスも本物だったと思っているよ。

私はあなたがカール・ジェンキンスと知り合いではないかと思っているのですが、どうでしょうか? 広告分野で仕事をし、クラシック的なアルバムをアディエマスとして発表しています。あなたの作品や「The Prayer Cycle」と並ぶ部分が見られます。

JE:僕は、カール・ジェンキンスのことは知らないんだ。でも、ある人が最近、彼らが一緒にやりたがっているらしいと教えてくれた。なぜなら、彼らが言うには、僕らは共通点がいっぱいあるし、お互いのことが好きだろうからって。だから、僕は彼らに是非会ってみたいし、いずれ僕らの道が交差することが有ると思ってるよ。

これからのプロジェクトを教えて下さい。

JE:今のところ、ジミー・ホーンとアイルランドのNoella Huttonというアーティストと仕事をしてて、彼女のアルバムを仕上げようとしている。その後は僕らは、ジミーの娘のリンジー・ホーンと仕事をしようとしてる。彼女は本当に本当に才能のある歌手で、彼女から素晴らしいもの引き出せると期待しているよ。そしてその後、次の「Prayer Cycle」をやっているだろう。ソニークラシカルから2つのアルバムを出すことになっているんだ。おかしな事なんだけれど、僕はジョン・ウィリアムスとこの「Prayer Cycle」の仕事を一緒にやっている。彼は確かスティーヴ・ハウに関して面白い話の2つのうちの1つを知ってるよ。

ビリー・シャーウッドとやっているUnknownのことも忘れないで下さい。

JE:Unknownはジミーとビリーとでやるプロジェクトになる。これまで僕らが聴いたもの、やったものは、この数年のイエスよりもずっといいものになるよ。


<追記>
インタビュー最後に触れていた、次の「The Prayer Cycle」は「Prayer Cycle 2: Path to Zero」として、2011年に発売された。ジョン・アンダーソンほか、ジャズベーシストのリチャード・ボナ、スティング、Kornのヴォーカルであるジョナサン・デイヴィス、そしてなんとジム・モリソン(!)も参加している。

Path to Zero: The Prayer Cycle 2


  1. Atomic Mother (feat. Sting, Trudie Styler, Rahat Fateh Ali Khan)
  2. Trinity (feat. Jonathan Davis, Salif Keita, Hakim)
  3. Deliverance (feat. Angelique Kidjo, Richard Bona, Yunghen Lhamo)
  4. Devotion (feat. Jon Anderson, Richard Bona, Rahat Fateh Ali Khan, Dadawa)
  5. Fallout (feat. Serji Tankian, Sinead O’Connor, Robert Downey, Jr., Jim Morrison)
  6. Awakening (feat. the American Boys Choir)
  7. Many Suns (featt. Alex Ebert, Joanne Shenandoah, Lilli Elias)

【訳注】
*1 Ident、つまりIdentityに由来する言葉で、番組の途中に挿入される、そのチャンネルのトレードマークとなるような映像。挿入したYouTube映像を見ていただくのが早いと思う。
*2 この表現の意味するところは興味深い。get stonedは、マリファナを服用するという意味も持つからだ。実際にハウがドラッグを服用していたかは定かではない。
*3 リックは後にトレヴァーと意気投合し、次のアルバムは90125イエス+リックでの作成がレコード会社より提案されるが、リックのスケジュールの都合で実現しなかった。なお最近、リックとジョンとトレヴァーでアルバムを作成するという噂がある。
*4 「ラダー」のことを指していると思われる。インタビュー時点で「マグニフィケイション」はまだ録音途中。




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