インタビューはイエス関連のニュースサイトで有名なYes Newsの管理人、Henry Pottsによって行われた。
なお、1つめのジョナサン・エライアスのインタビューはこちら。
(原文へのリンク:http://www.bondegezou.co.uk/iv/jhinterview.htm)
ほとんどのイエスのファンは、ジミー・ホーンのことを聞いたことがないと思う。しかし、おそらく彼の演奏は耳にしているはずだ。なぜなら、ホーンは「結晶」でギターを沢山弾いているからだ。どの部分で、そしてどうしてハウではなくホーンがアルバムのかなりの箇所でギターを弾いたのか、その答えは以下に述べられている通りである。ホーンのイエスメンバーとの関わりはこのアルバムだけにとどまらない。彼はビリー・シャーウッドとこの20年ばかり活動を共にしており、80年代の終わりにはLodgicというバンドを結成している。また、ホーンはクリス・スクワイア・エクスペメリメントでも仕事をしており、さらにジョン・アンダーソンのアルバムでも演奏している。
このインタビューを企画した時点で、ホーンはジョナサン・エライアスとの仕事を続けていた(アメリカン・リバーも含まれる)。そして、現在、彼はビリーとアラン・ホワイトとトニー・ケイのバンド、Circaに加入している[訳注:現在は脱退]。
このインタビューは2000年の終わりから、2001年の初めにかけて、Eメールで行われた。ジミーには協力に感謝の意を表したい。
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ヘンリー・ポッツ:まず最初に、あなたは最初に音楽を始めたのはどのようにしてですか? また、どのようにLodgicは始まったんですか?
ジミー・ホーン(以下、JH):僕の父はとっても有名なオペラ歌手だったんだ(ジミーの父、Roucaunは、エド・サリバンショーにも出たことがある)。4歳の時、夜遅くまで起きて、父がいろんなジャズやクラシックや映画のテーマをかけてくれたことを覚えてる……彼はヘンリー・マンシーニが好きだったんだ。それらの音楽は常に僕の原点にあるね。最初に聴いたロック・アルバムは「Meet The Beatles」だった。そのとき、僕らはネヴァダ州にある、ラス・ヴェガスに引っ越したんだ。父がDunesで大きな仕事を得たからね。そこで、僕は3年生の時、マイケル・シャーウッドと知り合った。彼の父もショービズの世界の人で、僕らは大の親友になった。マイケルはドラムセットのあるでっかい部屋を持っていて、エレクトリック・ギターも持っていた(ギブソンの175だったんだよ!)。僕らはいろんなグループのまねをしたもんさ。モンキーズやビートルズ……。ビリー・シャーウッドはまだほんの子供だった。
最初にギターを手にしたのは11歳の時で、グランド・ファンクの曲を練習した(なぜなら彼らの曲は簡単だったからね!)。そして、トムとマーク・フラッチャーと共に、バンドを始めた。"Roundabout"をラジオで聴いて、音楽の見方がまるで変わってしまったことを今でも覚えてる。僕はレコードを買って、何回も何回も聴いたもんさ。次に「危機」を買って、もちろん"And You And I"を練習した。でも、僕がギタリストとして本当にスタートしたのは、部屋にこもってイエスのバージョンの"America"を1音1音練習したことだった。友人は僕の演奏が変わったと言ってたよ。そして、更にいろいろチャレンジしてみたんだ。ジョン・マクラフリン、ジェフ・ベックとかね。リハーサルルームを借りて、"Close To The Edge"を僕のボーカルで録音してみたこともあったんだよ。うまくいって、ヴェガスのパーティーで演奏し始めたんだ。発電機を持ってきて、砂漠の真ん中で無数のバンドを呼んだパーティをやってたね。そうしたことが終わったら、Lodgicが結成され、そのときにしては実にプログレッシヴな音楽をやっていたよ。そして、LAのマネージャー(バリー・モーガン)が僕らの地元のクラブでの演奏を聴いて、LAに移るお金を出してくれたんだ。ビリー・シャーウッドはそのときドラマーに戻ってて、近所の苦情に悩まされてた。そこで、僕は彼にベースを弾いてみないかって言ったんだ。ヘッドフォンをいつでも使えるからね。そしたら、彼は美しいミッドナイトブルーのTAMAのセットとそれよりもずっと安いKramerベースを交換してきたんだ。でも、2年の内に彼はバンドに十分やっていけるまでになった! ある時、ギグの後にTOTOのメンバー(デヴィッド・ペイチ、スティーヴ・ポーカロ)がやってきて、A&Mにサインさせてくれたんだ。さらに、彼らはアルバム「Nomadic Sands」もプロデュースしてくれた。
「Nomadic Sands」を再リリースする予定はありますか?
JH:それは疑わしいな。とにかく、もっと注目が集まらないとね。いつか実現できたらいいね。
それからLodgicの後にどういうことがありましたか? その次のあなたのキャリアは? ビリー・シャーウッドとギー・アリソンは一緒にWorld Tradeを結成しましたが、あなたは誘われなかったんですか?
JH:実際、ビリーと僕とで新しいグループをすぐにでも始めようという予定はあって、リハーサルもしたし、いくつか曲も録音した。彼はブルース・ゴウディを手伝っていて、そっち側で別のプロジェクトが始まってしまい、それがWorld Tradeになってしまったんだ。僕はスタジオ仕事を続け、マイケル・ラフのような他のバンドとも仕事をした。そのころ、シェリル・クロウと出会った。僕がロブ・ロウのために作ったデモを耳にして「誰がギターを弾いているの?」と聴いてきて、それで彼女のグループに参加することになった。グレッグ・フィリアンゲインズがキーボードを弾いてて、ジェリー・ウェイツがベース、アルマンド・グリマルディがドラムス。僕らはいくつかギグもしたよ。クリス・スクワイアがエリック・クラプトンと一緒に見に来てくれたこともある。
どのようにして、「結晶」に係わるようになったんですか?
JH:ええと、ある日、友人のスティーブ・ポーカロから電話があったんだ。彼は僕がイエスを大好きだって事を知ってた。そして、彼はアリスタがスティーヴ・ハウのようなサウンドが出せるギター・プレーヤーを捜していると言った。アリスタはスティーブ・ポーカロに、スティーブ・ルカサーにやってもらえないかと尋ねたらしいんだが、スティーブは適任者が居ると言ってくれたんだ。それで僕は、ジョナサン・エライアスに会いに、ハリウッドのA&Mスタジオに行ったんだ。彼は僕に新しいABWHのアルバムのラフトラックを聴かせてくれた。スティーヴはほぼ全編にわたってギターソロを繰り広げていて、アリスタはギターパートは受け入れがたいと感じていると、教えてくれた。それは部分的には真実だった。アリスタが求めていたのは、クラシックなスティーヴ・ハウのサウンドにトレヴァー・ラビンのサウンドが混ざったものだったんだ! 彼らはその方がレコードがより多く売れると思っていたんだと思う。そして、ジョナサンは3曲のギターが入っていないミックス("Without Hope"と "Dangerous"と"Silent Talking")を僕に渡して、ハウとラビンがやりそうなプレイをやってみてくれと言ったんだ。僕は自宅スタジオで1つ1つ録音しては、ニューヨークのジョナサンのところにテープを送ったんだ。他にも2人の著名ギタリストが居て(誰だか話せればいいんだけれども)、彼らも同じ事をやってた。でも、彼らは僕のテープを一番気に入ってくれた。それで、僕はニューヨークに飛び、大体3ヶ月居て、僕の大好きなバンドのためにギターを録音したんだ(夢が叶ったよ!)。同時に、ビリー・シャーウッドはクリスやアランと合流し、僕らとは全く別に作業をしていたんだ。
ギターパートを弾くためにやってきたとき、誰があなたと一緒にスタジオで仕事をしていたんですか?
JH:作業は午後5時から朝の5時まで続いたもんさ。1ヶ月半、全く休み無しでやっていたよ。基本的に、彼らは24トラックのスレーブテープにジョンの歌が入ったラフミックスを作って、僕が20以上のトラックにアイディアを乗せていった。大抵はバズ(エンジニア)と僕が一緒に作業をしていて、時々、ジョナサン・エライアスとアレックス・ラサレンコが立ち寄って、アイディアをいくつか出してきた。各セッションの後、ジョナサンはジョン・アンダーソンに聞かせては、フィードバックをもらっていた。アルバムのファイナル・ミックスは、3台の24トラックレコーダーを同期して行なわれた。ジョン・アンダーソンとジョナサン・エライアス、そしてもう一人(口外しないでくれと言われてるんだ)が最終的にどのパートをアルバムに収録するか決めたんだ。
それでは、「結晶」の詳細について話して下さい。
JH:アリスタ[訳注:「結晶」をリリースしたレコード会社の名称]が欲しがっていたのは、昔のスティーブ・ハウのようなプレイで、たぶん彼らはそのときの録音には満足していなかったんだと思う。だから、僕はベストを尽くして、だいぶうまくいったと思うよ。バンド・メンバーの何人かはハウのプレイだと信じていたみたいだからね。アリスタは元々は僕のことをクレジットするつもりは全く無かったけれど、ラッキーなことにクレジットしてもらえることになった。だから後のために、どれがスティーブでどれが僕か話そう(もしユニオン・ライブ・ブートレグを聞いたら、僕が何を思いついたのか、スティーブのオリジナルパートがどれか分かるかもしれないね)。
- トラック 1:I Would Have Waited Forever
オープニングのリフは僕だよ。アリスタは"Starship Trooper"みたいなのを欲しがってたんだ。そして、スティーヴは0'24''~0'49''の間にある、繰り返しのシングルトーンフレーズと、ソロの終わりを弾いている。それ以外は全部僕だ。エレクトリックもアコースティックも、いくつかの効果音を重ねたのもね。
- トラック 2:Shock to the System
これはスティーヴのシステムへのショックだったろうね。スティーヴは全く弾いてないんだから! もちろんオープニングのリフはスティーヴが書いたけれど、音質の問題で差し替えられたんだ。これは僕のお気に入りで、なぜかというとほとんどのリフを書いたのと、僕らが考え出した新しいセクションがあること、そして4'10''からのリフが"The Gates of Delirium"にそっくりだからね。さらに、僕はいくつかベースも差し替えたんだ! トニー・レヴィンが彼のベースをスタジオに置いていったから、全く同じ音でセクションを加えることができた。僕の予想だけど、スティーヴはこのセクションをライブで弾くことを拒否したと思う。ユニオンツアーの途中、飛行機でラビンがスティーヴに弾いて見せたら、開いた口がふさがらなかったそうだよ。
- トラック 5:Without Hope You Cannot Start the Day
これもまた、スティーヴが全く演奏してない。たぶんスティーヴはこの曲を聴いてないんじゃないかな。ジョンとジョナサンが書いた曲だよ。
- トラック 8:Silent Talking
メインリフのタイミングがずれていたんで、僕が差し替えたんだ。できるだけスティーヴの音に似せるようにがんばったよ。2つほどスティーヴの弾いたリフが残ってる。よく聴くと他と少し音が違うよ。0'46''~1'03''のところだ。
- トラック11:Dangerous
スティーヴは弾いてない。アルバムで余り好きじゃない曲だ。でも、僕が"フィーチャー"された曲だね。
- トラック12:Holding On
スティーヴが最初のメインリフを0'31''~0'47''まで弾いている。沢山リフが、特に終わりに向かってあるけれど、全部僕が弾いてる。実にスティーヴらしく聞こえるんじゃないかな。
- トラック14:Take the Water to the Mountain
スティーヴは全く弾いてない。でも、実にスティーヴらしく聞こえる。
- トラック15:Give and Take
スティーヴのメインメロディから始まってて、僕はハーモニーを加えてる。コーラスと同じように、ヴァースも全部僕が弾いた。スティーヴのサウンドは歪んだ細い音で通していた。彼のトラックは全部そうだったんだけれど、僕はここではもっと多彩なカラーが必要だと思ったので、発展させてみたんだ。
振り返ってみて、「結晶」は今ではどう思いますか? 大半のイエスファンの反応は悪いことについては? また、今では自分自身はどう思っていますか?
JH:このレコードはとても楽しいと思うし、音楽的にも興味深いんだけれど、ファンの反応もよく分かるよ。でも、それは音楽的な視点とは余り関係がないと思う。むしろ、政治的な事情とイエスらしさが無いと言うことなんだろうね。もし、自分がスティーヴ・ハウだとしたら、誰かがやってきて自分のパートを差し替えたら怒ると思うよ。でも、僕は彼のサウンドとスタイルに沿うように注意していたし、ギブソンES-175を使ったりとかしたんだ。
もし誰かが、「この曲のスティーヴのギターは好きだな」と言って、本当はあなたの演奏だったと知ったら、あなたはどう思いますか?
JH:そうだね、嬉しいね。だって、彼らにそれがスティーヴの演奏だと思い込ませられたんだし、アルバムにクレジットされてないことが不満だったから。でも、それもオーケーだよ。
あなた自身がイエスのファンになった事について話しましょう。あなたはどのようにしてバンドに入ったんですか? あなたの好きなイエスの曲やアルバムは? ユニオン以降の最近のイエスのアルバムについてどう思いますか?
JH:"Roundabout"を聴いたのが、1971年のパーティの時だったんだ。天国のように響いたよ。だって、ラジオで流れてくるような曲と全く違ったんだからね。そして、僕は"Long Distance Runaround"がカップリングされたシングルを買った。イエスのアルバムは全部買ったよ。そして、次のアルバムをワクワクしながら待っていたもんさ。好きなアルバムを挙げるとしたら、「危機
「結晶」と同じ頃、あなたとLodgicのメンバーの何人かは、エア・サプライに係わるようになりましたね。それはどういうきっかけだったんですか、そしてどのようなものだったのでしょうか?
JH:エア・サプライのメンバーとはセッション活動の中で出会ったんだ。彼らは、僕がツアーをしたいなら、やらないかと言ってきた。5年ほどやったけれど、楽しかったね。少ししたら、マイケル・シャーウッドとギー・アリソンも呼んできて、最後にはマーク・T・ウィリアムスも加わったよ。
そして、The Keyをビリー・シャーウッドとマーク・T・ウィリアムスとでスタートさせました。あなたたちは、Delta Sierra Julietというアルバムをレコーディングしましたが、リリースはされませんでした。背景にはどういういきさつがあったんでしょうか。また、私たちはそれを聴けないんでしょうか?
JH:僕らは基本的にこのアルバムの曲をビリーのところで書いて、それは本当に良かったんだ。レコード会社に送ってみて、インパクトレコード(MCA)とサインすることができたんだけれど、最後のところで彼らは降りちゃったんだ。ビリーと僕とで、復刻できないか話し合ってるよ。World Tradeよりもギター指向の音楽になってるよ。World Tradeのセカンドアルバムにも収録されている"Dark Sky"(作曲:ホーン、シャーウッド、ウィリアムス)という曲は、もっとキーボード寄りになってるね。
The Keyはクリス・スクワイア・エクスペリメントとツアーして回っていて、あなたは両方のバンドで演奏していますね。一方ではイエスの「結晶」で演奏していて、他方ではクリス・スクワイア・エクスペリメントで演奏するというのは、どういうものでしょうか?
JH:うん、とっても素晴らしい経験だったね。ライブで演奏した音楽は大好きだったよ。"I've Seen All Good People"や"Long Distance Runaround"という曲を演奏できて、そのときはなんだか現実じゃない気持ちだった。それにスティーヴ・ポーカロと演奏できたのは素晴らしかった。ビリーやマークといった僕の相棒と演奏できたのも良かったしね。アランも素晴らしかったし、クリスはすごい奴さ。有る夜、彼は夜遅くまで僕に、初期のイエスがそのときはまだ無名だったジミ・ヘンドリクスと共演したときの話をしてくれたんだ。イエスの番が来ると、クラプトンやタウンゼント、エントウィッスルといったビッグネームが聴きに来ていて、クリスは自分に「よし、俺たちは奴らを魅了する素晴らしい演奏をやってみせるぞ」と言い聞かせた。最後の曲が終わった時、オーディエンスが熱狂していて、イエスはすごく興奮していたけれど、実はそれはジミ・ヘンドリクスに対してだったんだ。
ジミ・ヘンドリクスの名前が出ましたが、あなたもまた左利きのギタリストでしたよね? そしてジミも名字がHから始まります。少しヘンドリクスと共通点がありますね! 同じ左利きとして、彼はあなたの作品に影響を与えましたか?
JH:もちろんそうだし、今でもさ。彼のエレクトリックギタープレイはすべてのギタリストに影響を与えてるよ。もちろん、スティーヴ・ハウも("Yours is No Disgrace"のギターブレイクなど)。また、僕も右手用の弦を使って左手で弾いたりしたもんさ。ジミは逆にしてるよと教えてくれるまでね。名前の綴りに従って、彼に敬意を払い、後にそのやり方を止めたよ。
イエスつながりで、喜多郎のアルバムにジョン・アンダーソンと参加していますね。また、ジョン&ヴァンゲリスの「Page of Life」にも一曲参加しています。これらのアルバムについても話を聞かせていただけますか?
JH:「結晶」の仕事をニューヨークで終えると、ロサンゼルスに戻ったんだけれど、ジョン・アンダーソンから電話があって、彼の家でデモテープに演奏をしてくれないかといわれたんだ。彼は"Change We Must
喜多郎はジョンを通しての仕事だったけれど、ちょっと変わった感じだったね。なぜなら、彼は英語がしゃべれなくて、アイディアを話すときは通訳を通していたから。また、セッションの前に彼らは僕に電話してきて、ディストーション・ペダルを持っているかと聞かれたので、いくつか持ってると答えたんだ。そうしたら、セッションに行ってみると、彼らは僕が見たことのあるありとあらゆるペダルとアンプヘッドを用意していたんだ! でも、全体としてはすばらしい経験だったね。
ジョン・アンダーソンと共にジミーホーンが参加した喜多郎の92年発表作。映画『十五少女漂流記』のサントラ盤を全世界向けに編集し直したアルバム、グラミー賞にノミネートされた。ジョンのヴォーカルは3曲で聴ける。
上記アルバムに収録されている、映画『十五少女漂流記』の主題歌。日本の歌番組に出演時の映像。ホーンは映っていない。
ほかにもシェールと仕事をしていますね。これはどうでしたか?
JH:僕は彼女やセリーヌ・ディオンのために、作曲家たち(ダイアン・ウォーレンやガイ・ロッチ)とデモを作ってて、彼女とアルバムに収録するあるダイアンが書いた曲で一緒に仕事したんだけれど、それは収録されなかったんだ。
あなたは「結晶」でジョナサン・エライアスと初めて会いましたが、その後いろいろな共同作業を始めましたね。ジョナサンと一緒に仕事をするのはどういうものでしょうか? また、あなたはElias Associates(映画やコマーシャル音楽を製作するプロダクション)に入らなかったんですか?
JH:ジョナサンと僕はうまが合ったよ。僕たちの作曲やプロデュースの仕方がとてもよく似てて、相互補完的なことに気づいたんだ。彼はまた僕の大の親友だ。彼はニューヨークに住んでいたけれど、「結晶」のあとに、いろいろなアルバムプロジェクトに呼んでくれた。彼はニューヨークに引っ越してくれば、いつでも一緒に仕事が出来るのにといってくれたけれど、僕は娘のためにとどまることを選んだんだ。結局、彼がロサンゼルスに引っ越してきて、僕らはすぐに仕事を始めた。ジョン・アンダーソンがそこに住んでいたとき、僕らは何度も彼と会ってたよ。実際、ジョンはフォードのコマーシャルの曲をエライアスと書いてたし、それはとてもうまくいったんだ。ジョナサンはとっても気前が良くて、面倒見のいい人なんだ。マイクとビリーもそれに同意すると思うよ。
コマーシャルのための音楽を作るのは、ロックバンドをやるのとはまったく違う経歴だと思います。あなたは2つを相互補完的なものと思いますか?
JH:うん、そうだと思う。コマーシャルでは音とスタイルを操るカメレオンになれるんだ。それは、いろんなアイディアをもたらしてくれて、バンドにも生きてくるんだ。僕は今では本当に少しのシンガーとしかプレイしていない。僕の娘はジョナサンと僕が仕事をするシンガーの一人だよ。彼女は立派な女優、歌手、作曲家なんだ。彼女はたくさんの映画をやってるし、Movie Surfersというディズニーチャンネルのマンスリーショーのホストをしているんだ。バンドもやってて、Vitalというんだ。ファンが彼女のためにウェブサイトを作ってくれてるんだよ。君もチェックしてみるといいよ![訳注:2011年現在、サイトはMySpaceに置き換えられている様子] 彼女は僕の誇りなんだ。
エライアス・アソシエイツでの仕事と、あなた自身のバンドをやったり、セッションでプレイするのはどう違いますか?
JH:2つはまったく違う世界だよ。バンドは結婚みたいなもので、プラスとマイナスの面がある。セッションは、常に誰かを満足させようとしなければならないから、実に挑戦しがいがある。僕はこう弾いてくれとか言われるのは好きじゃないんだ。それは創造性に反するものだからね。
コマーシャルの仕事についてはどう考えていますか? コマーシャルは独立した芸術的価値があると思いますか、それとも単にテクニック上のチャレンジでしょうか?
JH:両方だね。僕はあらゆる種類の音楽から学んできた。17世紀のバロック風音楽を書いたら、次はトリップ・ホップの曲に変えるなんて事が同じ日にあったりするんだ。ロックバンドをやっているのと同じぐらい多くの聴衆に音楽を届けられる。すごい生活さ。
映画音楽はどうですか?
JH:映画音楽はもっと微妙で、引き出しが必要なんだ。原則的に、テーマは映画を通して違う形で再提示される。もっとゆっくり考えて、スコアリングだけを追うようなことをしてはならないんだ。すべての動きにアクセントを付けようとしちゃだめなんだ。70年代の刑事ドラマのような感じになっちゃうからね。
好きなコマーシャルはありますか? あなたはいくつか賞を取っていますよね。
JH:選ぶのは難しいね。でも、バドワイザーの"Lobster"のスポットは良いね。大オーケストラがドラマティックに盛り上げる。しっかりスコアリングしてある。アウディ"Lives"が自分が最も誇りに思っているものだね。AICPアワードを受賞して、いまニューヨーク近代美術館で常設展示されているんだ。クアーズのコマーシャルでは、レス・ポールたちが出演しているんだけれど、彼らの演奏から正しいサウンドが得られてないと思ったので、ギターを差し替えることにして、彼の手を見ながら彼が弾いているようにしたんだ。素晴らしい仕上がりになり、後でレスと会ったときも「あれは好きだよ、実にクールだね」と言ってくれたんだ。また、僕は最近のプロジェクトでBBキングと共演したんだ。あれは素晴らしい経験だったね。彼は偉大で謙虚な魂の持ち主だよ。
ジミー・ホーンが手の動きをまねて演奏したという、レス・ポール出演のクアーズCM。
ビリー・シャーウッドの次のソロアルバム「No Comment」には、あなたのボーカルデビュー曲が収録されていますが、どういういきさつで実現したんですか?
JH:それがおかしな話なんだよ。ビリーはヴォーカル・サンプルをライブラリから探して、僕が何年か前にやったやつを見つけて、それがぴったり合ったんだ。それがどんなものかはまだ言わないけれど、きっと驚くと思うよ。ビリーはすごいアルバムを完成させて、もうすぐリリースされるんだ[原注:結局、ホーンのヴォーカルはアルバムには使われなかった]
ビリーはThe Unknownという新しいバンドの予告をしましたが、LodgicやWorld Trade、エライアス・アソシエイツのメンバーの名前が沢山含まれています。プロジェクトについて詳しく教えていただけませんか? また、いつデビューアルバムが聴けそうでしょうか? 主にあなたとビリーのプロジェクトになるのでしょうか、それとももっと幅広いコラボレーションになるのでしょうか?
JH:今はビリーと、ジェイ・シェレン(Jay Schellen)[訳注:後にアラン・ホワイトに代わってCircaに加入するドラマー]と僕がメンバーだけど、ジョナサン・エライアスとマイケル・シャーウッドももうすぐ加わるよ。アルバムはすごくプログレッシブなものになるだろうし、ギブソン175を沢山使っているんだ。僕は最近、左利き用のギブソン175をもう一つ手に入れたんだけれど、スティーヴ・ハウのメインギターのライバルになると思うよ。とにかく、アルバムはすごいものになるけれど、TLCから多くをとっているんだ[訳注:TLCが何を意味するか不明。分かる方教えて下さい。]。
他に将来の予定はありますか? 自分自身のバンドや、他のサウンドトラックなど、特にしたいことは?
JH:The Unknownのほかに、ジョナサンと僕はNoella Huttonというシンガーのレコードをプロデュースしているんだ。彼女はアイルランドから来て、リリス・フェア[訳注:アメリカの音楽フェアの名称]にも出たことがある。今年の夏にリリス・フェアの映画が出るから、それで彼女を見られるよ。この子は本当に素晴らしいんだ。すごく興奮しているよ。
トニー・ケイ、アラン・ホワイト、ビリー・シャーウッドと結成した、Circaのライブ映像。イエスの代表曲を年代順にメドレーで聴けるという趣向。90125イエスで存在感の薄かったトニーが活躍していることと、ジミー・ホーンがスティーヴ・ハウのサウンドをいともたやすく再現していることに驚く。なおホーンは現在はバンドを脱退している。CircaのCDは現在ではアマゾン等大手では扱いがないようだ。興味を持たれた方はディスクユニオンあたりを探してみることをおすすめする。
<参考リンク>
ジミー・ホーン公式サイト:http://www.jimmyhaun.com/
リンジー・ホーンのMySpace:http://www.myspace.com/lindseyhaunmusic
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