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2011年7月26日火曜日

水戸黄門は終わるべくして終わる

どうせ水戸黄門なんて熱心に見ている人など、こんな場末のブログを見ているはずもないが(もちろん私も見ていない)、しかし同居人が「もう終了だから」ということで、見ているので、つい見てしまった*1。わずか3分ぐらいだが。そして確信した。水戸黄門は終わるべくして終わるのだと。

黄門さまと来たらなんだ。わざとらしいつけ眉毛と顎髭はいいさ。むしろプラスだ。

問題はカツラだ。ヅラっていうだろう。あれは、カツラだとわかるから、カツラらしいとわかるからヅラなんだ。昔の時代劇はみんな、カツラと額の境目がはっきりしていた。ところが、今の黄門さまは、見事に額とカツラがつながっている。まるで本物ですと言わんばかりじゃないか。

カツラの境目の線がどれほど重要か、誰も考えたことなんてあるまい(もちろん自分もだが)。あれは境界線なんかじゃなく、むしろ逆にその両方をつなげるアリバイだった。テレビを見る視聴者に見せる、カツラの境目。「ああ、これは芝居なんだ。今の人がやっている芝居なんだ」。子供だってわかるさ。でも、いや、だからこそ意義があった。

印篭をかざし、それまでの敵方が一斉にひれ伏す。はるか昔の、本当にあったかどうかの出来事のつもりで芝居をやっていても、ヅラの線がその神話性をぶち壊す。「これは現実なんだよ、今と続いた。だってヅラじゃないか」

そして人は気づく。そこに、現代に生きる自分を投影できることを。会社の上司、近所の迷惑な人、理不尽な人々の振る舞い。ヅラで役者であることがばればれでも、その印篭で、悪人どもを手名付けられているかのように思うのだ。

ところが、その現実と芝居をつないでいた線は消えてしまった。いまあるのは、芝居というもう一つの現実。視聴者の人生と交わることのないパラレルの現実。いや現実というより、まさに昔実際にあった話でしかない。いくら雛形あきこが入浴シーンをやっても(やってるかどうか知らん)、ポロリもあったりしても、それは江戸時代の話のようなものだ。我々が見たことのない撮影現場と同じぐらい遠い世界の話。

斯様にして視聴者とのつながりを失った水戸黄門は、終わるべくして終わる以外にないのだ。

*1 正直言えば、これまで興味もなかったのに、ご祝儀で見てやろうなんて態度には幻滅するが、だからと言って別れたりしないから、男女の仲は不可思議だ。



2011年7月12日火曜日

検閲とメディア あるいは組織への個人の責任転嫁



もはや昨今の政局など、コメディでしかないのだが、それにしても松本ドラゴンの一件は、マスメディアのタブーを(ごく一部に)知らしめたという意味で、非常に面白かった。この一件自体はググって調べていただきたいが、知らない人に要点をかいつまんで言うと、復興担当相が宮城県知事を恫喝した一部始終を撮影していたにもかかわらず、「放送するな」というドラゴンの同和団体の圧力を楯にした脅しに、簡単にマスコミはいいなりになってしまったが、東北放送のみが放映し、ネットで広まるやいなや、他のマスコミも一斉に騒ぎ出したという一件。


これだけだと、マスゴミは権力に簡単になびくんだ、と言いたくなるだろう。だが、自分の見方はもうちょっと違って、なびくと言うより、もはや思考停止なんだと思う。なぜ、そう思うかって? 自分自身もそういう体験があるから。


それは、前職の某音楽雑誌の編集作業中のこと。先輩である30後半の女性編集部員が突如口を挟んできた。


「この黒人やニガーという言葉はね、ちょっとね~~~」


勘の良い人は、どのアーティストか分かると思うが、黒人アーティスト自身の発言にニガーという言葉があるのである。それが差別の意図を持っているかどうか、明らかであろう。しかし、彼女はこう主張するのである。曰く、その手の団体の人から抗議が来るから、小学館などの大手はこう言う言葉は校正で消されるから。


一応ツッコミを入れておくと、大手出版社でもそのような統一ルールはないし、平気で黒人やニガーという言葉は使っている。そのような事を抜きにしても、まさに彼女の考えは思考停止である。世の中のルールがそうだから、それに従わないと、というものである。


専門用語を使わせてもらうと、アメリカではこのような適切ではない言葉を指す「ポリティカリーコレクトネス(PC)」という用語がある。例を挙げれば、BlackではなくAfro American、BlindやDeafではなくHandicaped personと呼ぶ、など。


個別に見ればそのような言い換えに様々な背景があったのだろうと思うが、基本的にそれを履行する側は完全に思考停止である。件の先輩編集者と同じ、先例主義・ことなかれ主義である。ちなみに彼女は、アーティスト自身が語った宗教の話などにも口を突っ込んできたりした。


某乙武氏は差別語を止めて差別を隠蔽するより、差別語を堂々と言われた方がいいと発言して、ツイッターでちょっと議論が起きていたが、自分の考えも同じである。言葉そのものよりも、文脈やその背景にある意図が問題だし、そこに悪意があったとしても、反証可能性が用意されているなら、マスメディアとして隠蔽すべきではないはずだ。


だが、ココが情けないところなのだが、その当時の自分は、そんな風に言ってくる先輩編集者にある程度反論は試みたものの、小学館や講談社はそうしない、などというコンプレックス丸出し(彼女は編集/ライタースクール出身である)の発言を続けるばかりの彼女と言い争いをしても面倒なので、そういうならそうしておけばいいや、と思ったのである。


なんのことはない、自分も思考停止である。


ココで終わってしまうと情けないオチなので少し付言するが、こういった組織の中で行われる犯罪行為と個人の罪悪感を調べる実験に、囚人に電気ショックを与える実験(実は与える方が治験者)がある。ナチスの組織犯罪の裏にある心理的背景を探る試みの一つであったのだが、結果は皆さんの予想通り、責任を組織に転嫁できる限り、個人は罪悪感を持たないのであった。独立した個人の倫理観や価値観を多様に表現しきれないほど、マスコミもメディア媒体も、少々大きくなりすぎたのかもしれない。


補遺:


最近私が構想している仮説に、日本は組織を高度に発展させることで、個人の責任を組織に転嫁して、個人がある程度動きやすい体制を作ったが、同時に個人の責任が不明瞭になったため、誰も責任を取らないようになった、というものがある。本当に西洋の組織には個人主義が存在しているのか、という反証も必要だが、とりあえず気になるのは、なぜ日本が無責任体質になったかということで、その原因の一つは非論理的な社会ルールが有るのではないかと思っている。ルールが明確ではない中で、個人は自己の責任において決断を下すことは難しい。近代においても、現代においても、日本人はそれこそ「空気を読む」ことを求められて、明確なルールで動くと言うことを怠ってきた。空気を読むことを求めてきたにも理由があるのだろうが、グローバルな場面でことごとく日本人が失敗を犯すのは、このルールの不明確性に基づいた行動にあるのではないだろうか。





2011年2月7日月曜日

レッドと連合赤軍と非実在青少年



先週の木曜、山本直樹さんに誘われ『レッド』文化賞メディア芸術祭特別賞報告会というパーティに行ってきた。パーティの様子はツイートで少しばかり書いているし、Facebookで動画も上げているので、ここでは書かない。


この受賞は次の2つの意味で非常に象徴的な出来事であった。


1つは、ほとんどノンフィクションと言っていいこの漫画が、連合赤軍の話を題材にしつつ、国から表彰されたと言うこと。そして、会場である赤坂のフーターズ(まさに米国の象徴ではないか?)ではその元連合赤軍メンバーが集まり、国からのカンパで飲み食いをしていたという事実。そしてそのわずか2日後に永田洋子が死んだのだ。連合赤軍事件は一つの歴史として、一区切りを着けたということだろう。


ところで、事件の原因はあらゆるメディアにあらゆる形で書き連られてきたが、実際にはある種のタブーとして、あるいは特異な例外として、一般には消極的・積極的に無視されてきた感がある。元連合赤軍メンバー達は、renseki.netという事件を風化させないための活動をしているそうだが、『レッド』の様な漫画が余に受け入れられたことを経て、事件は歴史としてあるいは次世代への教訓として、いま再考証され、受け入れられるべき時期に来たのではないだろうかと思う。


もう1つは、山本直樹というわずか2年前に東京都から有害図書規制を受けた作家が、ここで見事に賞を受賞しているという事実である。それは痛快であると共に、いったいあの都条例の規制は何だったのかと思わざるを得ない。私自身としては、規制自体に反対ではないのだが、規制派も反対派も誰もが追求しようとしなかった、ごくごくシンプルな疑問、「エロ漫画を規制したら性犯罪が減るのか?」ということを、誰もまじめに深く追求しようとしていなかったことを訝しく思っている。


もしこれが、一般企業だとしたら、「エロ漫画で性犯罪が増えているという定量的なデータはあるのか」「規制にはどの程度のコストがかかり、どれだけの性犯罪が減るのか」「規制後にどのようにしてその効果を計測するのか」という論証が不可欠のはずだ。規制派も反対派もそこを十分に(少しは言っているようだが)突っ込もうとしないのは、実におかしな話である。実は規制はのみならず反対派にも、暗黙のコンセンサスとして「過激なエロ漫画が性犯罪の原因になる可能性は否定できない」というものがあったのではないだろうか。規制派はその可能性だけで規制する理由として十分だという本音を、「あなたはこの漫画を自分の子供に見せられますか!?」といった感情的な言葉にうまく置き換え、反対派はその言い訳よろしく、「表現の自由」「親の責任」「なぜ漫画だけ」だの言い続けてきたことが、規制派を押さえることが出来なかった原因だと、私は思っている。


反対派が本当にすべきだったのは、コストと効果の問題を定量的に提示させることのはずであり、無いものは証明できないので、規制と犯罪低減の効果に関するデータの証明責任は都の側にあったはずだ。都はおそらくコストすら具体的に提示できなかっただろう。逆に、都も本当に性犯罪を減らしたいと思うのなら、定量的データをしっかり見せれば、反対派も納得せざるを得なかったはずだ。


だいたい、これだけの討論や会議に費やしたコスト、出版社の離反によるとのイベントの凋落など、いくらコストがかかってるか、分かっているのだろうか。それで、「これだけかかってこれだけ犯罪が減りました」と言えないとするなら、まさに税金の無駄遣いである。単に規制のみが目的にしか見えず、目的と手段を混同しているとしか思えない。本当に性犯罪の低減を目指すなら、本当に規制で性犯罪が減るなら、映画もアダルトビデオも小説も、あらゆる表現媒体に規制を設けるべきである。それをしないのは、石原慎太郎をはじめとする老人達が「漫画は低俗」と思っていることに他ならない。





2010年5月16日日曜日

いまさら『電子書籍の衝撃』について書いてみる


もう発売からだいぶ経っているのに、今更ブログに書くのはいささか気が引けるが、『電子書籍の衝撃』について。

この本に書かれている内容は、大筋では同意である。電子書籍が普及するために必要な3つの要素については異論がない。少し違う意見があるとすれば、佐々木氏はソーシャルメディアの価値を高く評価しているようだが、自分はそうは思わないと言うところか。

はやり廃りの多いネットサービスにあって、著者が自分を表現するソーシャルメディアが長続きするかは、自分には疑問だ。メディアが違えばそこで必要とされる自己プレゼン能力は微妙に異なると思うし、その差違を著者たちは本当にうまく使いこなせるか、という問題もある。佐々木氏自身も「ソーシャルデバイド」という言葉を書いている通り、ハードルは低くはないと思う。それに、本来的には著者の活動や作品の質とはあまり関係ない話ではないか。

ただ、もし佐々木氏が想像するようなソーシャルデバイドが存在する未来がやってくるなら、プロモーションを代行する人が介在する余地も以前として残り続ける事になるような気がする。

多少の異論はあっても、大筋では同意させられたのだが……以下は些末な指摘として受け止められる可能性も多いことを承知で書くが、編集としてはがっかりさせられる点が多かった。著者の佐々木氏が悪いと言うことではない。編集側が対処すべき問題なのだ。箇条書きにして書くと、

1)事実確認の問題
2)引用の問題
3)用語や表記の問題、日本語の問題

が存在する。これらの点はさらっと読み流しても感じられるのだから、編集も本当は気になっていたはずではないか? 文芸書ではないのだから、これらの点は編集が著者に確認すべきではないだろうか。それをしていないことが編集を軽んじているように感じられて、悲しくなった。電子書籍時代にはこういう本が増えて行くのだろうか……。以下、具体的に見て行こう。


1)事実確認の問題

この本に書かれているいくつかの事項は、私には事実かどうか疑わしく感じられる。また、説明が不足しているために、疑問を捨て去ることが出来ない。

たとえば、iTunes Music Storeの成功がメジャーレーベルの凋落を招いたとあるが、これを裏付ける証拠は本文中には出てこない。もちろん、話の本筋から見れば傍流である。しかし、大多数の合意を形成できるほど知られた事実でもないなら、その証拠をきちんと提示するのが筋ではないか。特に、その事実を元にして出版界の未来を語るというのならば。

同様の問題が電子書籍コンソーシアムの失敗について書いた部分にもある。どの出版社も著者に電子化の許諾を取っていなかった、ということは分かるが、許諾交渉をコンソーシアムが薦めようとしても、各出版社で事情が違いすぎて頓挫した、と言うあたりが分からない。どういう事情があって、統一的にできなかったのか、具体的な例がなければ、客観的に不可能だったということを読む側としては納得できない。端折られたように感じてしまった部分である。

また、アマゾンは電子ブックの売り上げでは損をして、キンドルで売上を上げているとあるが、本当にそうだろうか? アマゾンはキンドルの売上でも損をしているように感じる。3G通信代などがそうだ。もし本当に損をしているというのなら、事業モデルとして端末の売上で儲けるように見えるが、そうなのだろうか?? 何らかの客観的なデータが欲しい。


2)引用の問題

数々の引用をつなぎ合わせて、1つのストーリーを作っていく様が、この本を読んでいてワクワクさせられる点であるのだが、牽強付会な引用が散見されるように自分には感じられた。

たとえば、原雅明というジャズ評論家の文章を引用して、コンテンツの「アンビエント」化の意味を物語っているのだが、原氏の言葉「もっと大きなサウンド」の引用の前後が切り取られてしまい、意味が分からなくなってしまっている。結局このもっと大きなサウンドとは何だったのだろう? そしてそれは本当に佐々木氏のいう「アンビエント」を補強するものだったのだろうか。ついでに言うと、アンビエントというのも、あまりにも定義が曖昧すぎて、よく分からないのである。クラウドと何が違うのか?

そのほか、ブログなどの引用が多いが、まるでその意見が大多数であるかのように引用するが、ほんとうにそうかー?と言うのも多い。エディットミュージックマニアの話もそうだが、仲間内の符牒だけで話すマニアは昔からいたし、今も昔も少数派だ。あと、ブログのエントリーがいつのものかというのもきちんと書いて欲しい。


3)用語や表記の問題、日本語の問題

そのほか、妙な表現や用語・表記の問題もある。些末なので読む人にはどうでもいいかもしれないが、編集者的にはとても気になる。

たとえば、iPadの説明をするのに「伝説のデバイス」と形容しているのだが、発売していないのに伝説とはなんだろうか。伝説とは起こった出来事が後の世に語られるようになるという言葉であるからして、おかしく感じられないだろうか? 発売される前から伝説になることが予想された、といった言い方なら分かるのだが。

エコシステムという言葉も気になる。生態系と言いたいならば英語にしたらエコロジーではないか。そもそも、この言葉も比喩なのだから、こういう造語っぽい言葉を使う意味はあるのだろうか。

「『ボクノタメニナイテクレ』というブログは、こういうエントリーを書いている。」と文中にあるが、ブログがエントリーを書くのではなく、作者がエントリーを書くのだから、これは日本語としておかしい。普通の編集者ならこれを校正するはずなのだが……。

統一表記も妙だ。「ロキシー・ミュージック」なのに「ピンクフロイド」「キングクリムゾン」。中黒はどういう規則になっているのだろう?

ポップパンクグループ、と何かのバンドの紹介にあったが、ポップパンクというジャンルを初めて聞いた。エディットミュージックも同様。また、まつきあゆむ紹介のところにある、「エッジの効いたサウンド」というのは何を意味しているのか? なにかのエッジが効いているというのは、どういう意味か? 全体的に、佐々木氏は音楽に対して使っている形容詞・用語が微妙におかしい。自分は音楽雑誌の編集をしていたのでよく分かるが、こういう形容をミュージシャンは露骨にいやがるので、普通は使わないものである。

以上、些末だったのだが、異論を語るにも、同意を語るにも、読んで損はないと思う。ぜひ、佐野眞一あたりにも同様の書籍を書いてもらいたいものだ(かつてはデスクトップの概念すら理解できなかったと言うが……)。

2010年1月18日月曜日

Pマーク取得を楽にする3つの原則



ここ1年ほど、仕事のほうでPマークの更新というものを手がけている。実は、昨年12月に自社の更新作業は終わったのだが、それとクロスフェードするかのごとく、親会社の更新作業を手伝うことになった。両方とも、身の丈に合っていない規定を作ってしまったせいで、うまく動かせていないことろが複数あった。これらを解消するために、何をどうするか頭を使うのが自分の主な仕事となった。


さすがに2社もやればPマークにも詳しくなろうというもの。自分が1からPマークを取得するなら、絶対こうすると思ったことを書いてみようと思う。これからPマーク取得を検討したいという会社の参考になれば幸いだ。


1)コンサルは使うな


うちの会社・親会社はPマーク取得にコンサルを入れていたが、はっきり言ってとても対価に見合った効果を得られなかったという。


自分としてはコンサルを全否定はしないが、Pマークは自社の規模感に合わせて、ある程度柔軟に社内規程を決められるので、自社の状況や実態を知っていることが大事だ。外部からコンサルを入れると言うだけで、自社のだらしない管理実態を恥部として隠そうという人間も出てくる。そうすると、見た目だけ立派なことを謳った、使えないPマーク体制ができてしまう。


友人の会社も当初はコンサルを入れたけれども、同じ理由でコンサルを外したという。





2)根本規程はJIS基準の丸写しをしろ


Pマーク取得のために複数の規程を作る必要があるのだが、もっとも大事な根本規程(ここでは仮に個人情報保護管理規定と呼ぶ)は、変にアレンジなどせず、章番号を含めてJIS基準の丸写しをすることを勧める。JIS要求事項の何を実現するためにどの規程が作られたかがわかりやすくなるからだ。規程で求められた者を実現する手順書で、各社にあった施策を盛り込めばいい。


実際の審査基準にも「~が規定に盛り込まれていること」というのが、いくつも出てくるが、丸写しのほうが絶対にこれらを確認しやすい。


3)ガイドラインを見て対応する規定・手順書を作れ


http://privacymark.jp/reference/pdf/guideline_V1.0_060905.pdf


JIPDECではJIS基準のガイドラインを制作して配布しているが、これを元に手順書を作っていくと効率がいい(他で認定機関へ申請する場合は、そちらを参照)。ガイドラインに沿って審査が行われるので、むしろ、そこに書かれてないものは規定しなくてもいいぐらいだ。ガイドラインの1つ1つを見ていけば、自分の会社で実際できる施策は何か、考えていけるはずだ。


以上、ものすごく単純な話だが、JIS規定や法律を難しく捉えようとするから、自社Pマーク規定も難しくなる。Pマーク取得のためだけではなく、セキュアな個人情報保護体制の構築のためにも、なるべくシンプルに仕立てた方がいい。





2010年1月9日土曜日

大里俊晴氏追悼イベントに行ってきた



本日1月9日に、関内・馬車道にて大里俊晴氏追悼イベントがあったので行ってきた。


イベントのメインはトークショーで、いろいろとエピソードが語られたのだが、会場が残響の強いところで、話の半分ぐらいしか聞こえなかったのが残念だった。生前、大里さんからちょくちょく話を聞いていた細川周平氏を初めて見かけた。師匠である塚原先生も少ししゃべっていた。トークショーでは大里さんが生前授業のネタによく使っていた、Alvin Lucierの「I'm sitting in the room」(文章の朗読を何度も空中ダビングしていくとどうなるかという現代音楽)も流していた。


後半には2008年に新潟で行った大里さんの演奏のビデオを上映していた。以前、1度だけ大里さんの演奏を見かけたことがあるが、そのときはあそこまで激しい演奏ではなかった。やっていることは、ギターのフィードバックを利用したノイジーなインプロビゼーションで、結構同じようなことをやっている人もいるのだが、何か彼を突き動かしている衝動が感じられて、単純にかっこいい。「ガセネタの荒野」で、バンド時代の演奏を表現した詩のような一節に、「僕らは終わり続けていた」「終わり続けていたから終わることができなかった」というような文があったが、これじゃ終われなかったのだろうな、そんなことを思わせた。年を取って枯れた何かでも、深化した技術でもない、青臭さを感じさせる演奏だった。


2次会は食事を囲みながらスピーチなどを聞きつつ、歓談、という内容。知人はいなかったので、なんとも話しかける気に何となくなれず、かといってさっさと帰る気にもなれず、ただその場の雰囲気を味わっていたという具合。大里さんの取ったという写真が置いてあったが、硬質な絵がとてもセンチメンタルで、存外に素晴らしい写真だった。生前試用していたギターやベースが売られていたが、フレットレスのプレシジョンベースやアコギなど、個性的な楽器だらけ。こういうところも、それらしいなと思う。


横国で行われていたゲストを呼んでの講義で、大友良英氏の回が会場にて上映されていたのだ。大里さんと大友さんの競演の様子も見られたのだが、大里氏の客席に背を向けつつギターをフィードバックさせるその演奏スタイルを見ていたら、自分はたしかこの演奏を見たんじゃなかったかと思い始めてしまった。本当にそんなことがあったのかは、未だにハッキリと思い出せないのだが、あの背中を向けて演奏する姿には絶対に憶えがある。自分のハッキリした記憶としては山本直樹さんの回だけだったのだが(あのときは大里さんに依頼されて山本さんの送迎を担当したので覚えている)。当時、大友さんの演奏をよく見に行っていたので、可能性はある。


追悼イベントはまだいくつか行われるらしいので、時間を作って行ってみようと思う。個人的には未見のAAを見てみたい。





2009年11月27日金曜日

大里俊晴氏の事



17日に、兄弟子であり、師でもあった大里俊晴さんが亡くなった。


私と大里さんの出会いは約10年前にさかのぼる。司法試験という道を目指して早稲田の法学部に入学したものの、退屈きわまりない法律の授業に辟易としていた私は、サークルでの音楽活動に耽溺し、あっという間に授業に出なくなった。


それが3年目の春、いわゆる大学生の間で言うところの4月病という奴だろうか、ふとこれではいかんとふと法学部にいながらにして、文学部のような授業を受講することを思いついて、人文系の授業(つまり一般教養だ)にたくさん登録した。


その中の一つにフランス語上級というものがあった。この授業は、広告でフランス語を習った者のみが必修となる科目で、実質的には早稲田学院の生徒のみが受講する授業で、私のような公立高校出身の人間は誰も受講していなかった。それを担当していたのが、私と大里さんの共通の師匠である、塚原史先生である。


その塚原先生からあるとき「僕の弟子みたいな奴がいるんだけどさ、法学部で音楽を教えてて、坂上(桂子)先生から聞いたんだけれど、君は結構音楽もやるんだろう? だったら出てみたらどうかな。変わった奴でなかなかおもしろいと思うよ」と言われた。そのときの私は、クラシックの中でも近現代の異端的な音楽に耽溺していて、そんなすごい先生でもないだろうと思い、その年の科目登録では登録をしなかった。


その翌年、私のおぼろげな記憶では科目登録の開始日を間違えたため、残った授業が余りなく、何かいい物はないかと探してみたところ、その音楽の授業でまだ定員が空いていることを掲示板で見つけた。掲示板にはこう書いていたはずだ。


「音楽美学 大里俊晴」


とりあえず、残っている中で一番おもしろそうだと思った私は、その授業を受講することにした。それは、まだできたばかりだった教育学部の新教棟の視聴覚室だったと思う。真新しい建物に広い教室と音響設備。どのような授業が始まるのかと思い、そこに出てきたのは、黒の皮ジャンとサングラスの、黒ずくめの、お世辞にも講師とは見えない、ディスクユニオンか西新宿でブート漁りしてきた帰りとしか思えないような人だった。


今となっては授業の内容はおぼろげにしか覚えていない。それは人によっては、授業と呼べるようなものではなかったのかもしれない。様々な珍しい音楽や映像を流して、それがどうしてこんな事をしているのか、なんでそういうことをするのか、ということをあの饒舌な、でもどこか照れたような口調で話し始めた。


最初の授業が終ったとき、私は大里さんのファンになっていた。その内容は、下手をしたら単なる知識披露に陥る可能性もあったのかもしれないけれど、そうは感じなかったのは、きっと今を支配する何かに対する批判が底にあったと思うのだ。今思い出せと言われてもぱっとは出てこないが、覚えているのは、「ジャンプが一時500万部以上も売れていた世界というのは今考えれば異常なことだと思わないか?」「DVDのリージョンという考え方が気にくわない」といった話だ。個が収束して集団となったとき、それが一つの権力として作用する、そのにおいに敏感だったのだろうと、今となっては思う。


そういう批判精神、それも誰もが普通で当たり前だと受け入れるような者に対する、ひるむことのない言葉に、これこそが自分の行く道だと深く思ったのだ。それからは、大里さんについて回って、いろいろなことを聞いて回ったりした。



あるとき、大里さんがフランスからミュージシャンを呼ぶと授業で予告したことがある。フランスのプログレバンド、カタログのギタリストだったジャン・フランソワ・ポーブロスと、フリーのサックス奏者であるミッシェル・ドネダが来るという。場所は西荻窪だ。私は当然出かけた。


ハッキリとは覚えていないのだが、大里さんに頼まれたか、あるいはたまたまだったか、開演より少し早い時間に会場近くの古本喫茶で大里さんと会った。そこで言われたのが、「楽器を家から取ってくるので、ちょっとここにいてポーブロスが来たら大里はもう少し後で来ると言っといてくれないか」と言われたのであった。当時の私は全然フランス語なんてしゃべれないので、「フランス語しゃべれないんですけれど、どうしたらいいのですか」と聞いたら、たしか、どうにかなるとか英語でいいとか言われたはずだ。そして実際に、ポーブロスはやってきて、たどたどしい英語で「大里はもう少ししたら来る」と言ったと記憶している。


ライブは驚くほど狭い会場で、しかし拍子抜けするほど人がいなかった記憶がある。同じ授業に出ていた奴らはおそらくいなかったのではないか(後に『Choice & Place』という本を一緒に作った吉田大助君―今は演劇評論家らしい―はいたかもしれない)。ライブの内容はフリーインプロヴィゼーションそのものだった。大里さんはエレキベースと口琴を演奏していた。ベースの演奏は当然ジャズでもロックでもない、ハードコアな演奏だったような気がするが、それだけではなかったように記憶している。今では、ちょうどデレク・ベイリーのような演奏だった気がする。ドネダはフランス人2~3人と共に、ものすごく遅れてやってきたので、3人のアンサンブル(?)はほんの数曲だった気がする。



あるとき、大里さんが授業を休講するという。それは、フランスに関する本を書いてくれと言われているが、締め切りが間近だか過ぎているかだか、最近のフランス事情を知らないので、仕方がないからフランスに行くということだった。


ところが帰ってきて最初の授業で顛末を聞いたら、「レコード屋に行ったら、頭が真っ白になって、ついレコードを買いまくって、原稿は1文字も書かなかった。買いすぎたので来月カード破産する予定」ということだった。これには笑ったが、無事に本が出たところを見ると、おそらくは冗談も入っていたのだろうか。ともかく、大里さんは遅筆で有名で、原稿が遅いという話をちらほら聞いた。


だが、その遅筆というのも、ただ単に自己管理がなっていないというだけが理由ではないと、今にしてみれば思うのだ。大里さんは、集団の暴力というものに恐ろしく敏感な感性を持っていた。あくまで少数者であることを望み、誰もが当たり前だと思う陰でマイノリティを虐げる、多数者による善の暴力(透き通った悪、あるいは悪の透明性とでも言えようか)を糾弾する声を止めることはなかった。あくまで私の考えでしかないが、もしかすると大里さんからすると、メディアを使った批評というのも、ある種の暴力に感じられたのではなかったのでは無いだろうか。権力を批判する言葉がいつしか権力になってしまう瞬間。メディアにはそういう恐ろしいところがある。この私の殴り書きのような文章では、今はうまく説明出来ないが、どうもそういう居心地の悪さを大里さんはずっと感じていたような気がしている。


ネットにいくつか書かれた大里さんの同僚の方々の話では、とてもシャイな人だったという。なるほど、そうだったのかもしれないが、私にはなぜかとても気さくだった。会うといつもあの口調で、「ひさしぶりじゃ~ん、最近なにやってんの?」と言って、最近の近況を報告したりするのだった。


そういえば、フレデリク・ジェフスキのコンサートを一緒に見に行った記憶がある。待ち合わせたのかたまたま会場で会ったのか。オペラシティの入り口で、「前にいるの、一柳慧だぜ!」と大里さんがささやいたのを覚えている。ジェフスキと高橋悠治のエピソードなどを聞いた気がする。ジェフスキは歯を磨かないので、エスキモーの音遊び(互いの口に息を吹きかけるらしい)をするとくさくてたまらない、とか。私も、マルク=アンドレ・アムランが、ジェフスキと会ったときお互い英語が話せることを知ってるのにずっと下手なフランス語で話しかけられたと言ってた、とか話したと思う。


横浜国立大学の大里さんの授業で、クリエイターを呼んでインタビューなどを行う授業を行っていたが(なんでも予算数回分でやっとインタビュイーへのギャラになるから数ヶ月に1回だとか言ってた)、それに漫画家の山本直樹さんを呼ぶというので、山本さんと親しくしていたので(今でも月1で飲んでるが)、横国までエスコートしてくれと言われたことがある。


エスコートして横国の大里研究室に入ってみると、それは果たしてCDと楽器の山だった。研究室と言うよりは、趣味が高じたオタクの倉庫のようだった。知らないCDも山のようにあったが、マイルスのアガパンみたいなメジャーなのもいくつかあったような記憶がある。そのときのインタビューの様子はネットでも読むことができる。


http://www.yamamotonaoki.com/report/ynu/index.html


考えてみれば、着るモノにこだわらず、冬でもサンダルと言う点で、大里さんと山本さんは非常によく似ていたような気がする。シャイなところもよく似ている。


大里さんと最後に会ったのは、もう2年前の12月になるだろうか。昔、私が潜ってでも出ていた一般教養に、教養演習だかというゼミ形式の授業ができて、そこで法学部のフランス系の講師が合同で忘年会をやるというので、塚原先生に誘われたのだった。在学中は面識の無かった谷昌親先生、塚原先生、それに大里さんがいた。他にもフランス人の人がいたが、卒業生の私には当時のカリキュラムは分からないので、それが誰だったかは分からない。他にも講師はいたと思う(坂上先生がいなくて、塚原先生が携帯で電話していた記憶がある)。


例によって、大里さんは「ひさしぶりじゃん~今なにやってんの?」と、あの笑顔で迎えてくれた。ところが、ふと見ると大里さんがスパスパとタバコを吸っていたので、あれ?喫煙者だったっけと思い聞いて見ると


「ちがうんだよ、大学の教授会でさ、『研究室は国が君たちに貸し与えたものだから、喫煙なんてもってのほかだ』なんて権力に笠に着たような言い方をするからさ、頭に来て、その場で手を挙げて『俺、ずっとタバコ吸ってなかったんですけど、今日から喫煙者に戻ります』と言って、また吸い始めたんだよ。久々だから、ニコチンXXグラムから始めてんの(笑)」


素晴らしい。こんな事ができる助教授が、いや、こんな事が堂々とできる人間いったい世に何人いる?



その席で、「実は例の横国の授業で、藤井郷子を呼びたいと思っててさ、細谷君知らない?」と聞かれたので、師匠の南博さんが同じく宅孝二門下だったことを思い出し、南さんに聞いて見ると答えた。しかし、南さんは連絡先を知らなくて「ピットインで教えてくれんじゃない?」というのでピットインに聞いて見たら、迷ったあげく「個人情報だから」と言われて、住所でもいいからと言っても教えてもらえなかった。個人情報保護法なんて悪法だなと思った自分が、今は会社でPマーク更新を担当しているのだから、何とも皮肉なものである。


大里さんの具合が悪いことを知ったのは、Mixiでの野々村氏の日記からである。常々気にかけていたが、それからしばらく何も知らせを聞かなかったので、癌の様子は相当悪いらしいとは聞いていても、どうにかなったのではと思っていた。会いに行きたいとは思っていたが、体に負担になるのは避けようと、何もせずにいたある2009年11月の第1週のこと、ふとネットであれこれ検索してみると、大里さんの横国の授業の宣伝が出ているではないか。


ゲストは藤井郷子と田村夏樹。そう、私が連絡先を調べきれなかった、あの藤井郷子ではないか。これはいい機会だ、大里さんと会って話はできなくても、挨拶ぐらいはできるだろうと思った。日時は11月8日(土)とある。私はその日の日仏の授業を休んで、それに行くことに決めた。


ところが、出発前に、何号館でやるのかなと思い、再度ネットにあった告知を確認して見ると、なにか違和感を覚えた……そう、11月8日は土曜日ではなく日曜日ではないか。ハッと気がついた。これは2009年の話ではなく、2008年の話だったのだ。


大里さんが亡くなったのはそれから10日後のことだ。



文中で、「大里先生」ではなく「大里さん」として書いているが、これは、自分は生徒ではなく後輩でありたいからであって、決して悪意や馴れ馴れしい思いはないことを理解いただきたい。生前も度々大里さんと呼んでいた。兄弟子というのは、塚原先生が大里さんのことを弟子と呼び、また私のことも、「僕をしたってくれる奴が何人かいて、その人たちを弟子とか呼んでるんだけれど、君も僕の弟子になるね」と言われたことによるものだ。だが、まだ私は彼ら2人と比べられるような事を何一つ成し遂げていない。


語ることはまだまだあって、きっとそれは今はまとめきれないだろう。モノを書いたり編集をすることを生業としていたくせに、仕事以外で文章を書けない状態がずっと続いている。だから、書くのは後とさせて欲しい。だが、大里さんの書いたものをまとめることをやりたいと思っている。自分は出版社に所属していないので、それが可能かどうかはわかならないが、誰かが動き出さないと。通夜で出会った生徒たち(PILの帽子をかぶった彼と、新卒1年目の彼と)にもそう話した。それは私でなくてもいいのかもしれないが、ひょっとしたら、この世の関節が外れた音でも聞いてしまったのかもしれない。





2008年6月19日木曜日

2つの80年代の証言



一言にバブルと片付けられることが多い80年代。とはいえ、子供心にもあの頃は世の中全体が喧噪に包まれていたような気がしている。とはいえども、この2つの80年代を過ごした体験記は、そんなステレオタイプな80年代観とはあまりにもかけ離れている。


1つは、我が師匠、南博氏の『白鍵と黒鍵の間に~ピアニスト・エレジー銀座編~』である。ジャズにかぶれてしまったがために音楽高校を放り出された青年が、夜の銀座でピアノを弾き、やがてアメリカへ渡るまでを描いた自伝である。いわゆる青年が自己を確立するまでを描く立身出世物語(途中)であるが、それにしたって実体験で見たという銀座の一番コアな部分は、最近よく見るキャバ物語とはひと味もふた味も違う。おおよそ、普通に暮らしていてこのような世界がかいま見れることはほぼ皆無であろう。80年代の証言として、非常に興味深い。


こちらが金が飛び交い欲望の渦巻く、いかにもバブルらしいイメージの80年代だとしたら、もう一つの80年代はあまりにもかけ離れている。外山恒一氏の『青いムーブメント―まったく新しい80年代史』である。保守的な福岡の高校を退学した青年が、学生運動にのめり込んでいくまでを描いた、こちらも自伝である。80年代(自伝で書かれるのは正しくは80年代末~90年代会前半)に学生運動などあったのか? というのがおおよそ一般の持つ感想だろうが、外山氏の語る80年代にはそれは確実に存在した。そして、70年代安保とおなじように、時代の空気に突き動かされた文化的、政治的な盛り上がりが、外山氏の青春と共にこの本に描かれている。左翼がみな天皇崩御によって右翼のテロに遭うと信じ切っていたという、あまりにも奇想天外な終末論の話は白眉である。


どちらも同じ80年代の中でもかなりエクストリームな話であるが、この時代でなければ起こりえなかった出来事であろう。経済史的に見れば80年代はバブルであり、それを中心に歴史が編纂されるのが表の日本史だろうが、両方共に裏の証言であることが興味深い。外山氏の言う80年代末~90年代頭の運動=青いムーブメントは、青臭いものだったというが、同じぐらい南氏によって語られる銀座もダサイものだったように私には思えてならない。金がうなりを上げていても、最高級のクラブで演奏されるのはハワイアン崩れの音楽であり、オヤジやヤクザが慣れ親しむのは演歌であるのだ。そんな頃から考えると、いつからこれほどまでに世の中が目の色を変えて「本物」を求めるようになったのだろうか。



白鍵と黒鍵の間に―ピアニスト・エレジー銀座編

白鍵と黒鍵の間に―ピアニスト・エレジー銀座編








青いムーブメント―まったく新しい80年代史

青いムーブメント―まったく新しい80年代史










2008年6月9日月曜日

ウェブメディアへの幻想



私がまだ紙媒体の月刊誌を編集していた頃のことだ。ウェブメディアというのは、まだ海のものとも山のものともつかぬ物だった。当然、採算が取れようはずもなかったが、将来かならず伸びるという予想の下、さまざまな試行錯誤が続けられていた。


それから、何年か経って。ITMediaのように上場を果たす企業も出てくるなど、ウェブメディアは急速に金を稼げるものとなった。当初は「ページビューがあってもどこで金を取れるんだ?」といっていたものだが、視聴者から直接金を取らない民放が事業として成り立つのだから、ウェブが金にならないはずはなかった。しかし、その過程には実にさまざまなウェブメディアを巡る幻想があったものだった。否定的なモノも、肯定的なモノも、それらは誤解をはらんでいた。


既存メディアがウェブに食われてしまう、という言説がおそらくは最も代表的なものだ。これにもっとも執着していたのは新聞社だろう。ウェブも紙も、同じテキストと画像を扱うことから、新聞で載せているモノをウェブで載せることに抵抗感があったのだろう。だが、それも過去のモノとなった。そもそもウェブの読者と新聞の読者とは、別の層であることに気がついたのだろう。また、広告モデルで事業が成り行くようになったことも大きい。


もう一つ――それが今回の主題なのであるが――ウェブでは表現が広がるという幻想だ。



われわれ紙メディアの編集者は、限られた紙のスペースをどのように使うかに頭を悩ませる。レイアウトというレベルから、連載ページの奪い合いまで、文字数やスペースの制限と戦った経験の無い編集者はいない。そんな紙の人間からすると、ウェブは天国に見えたのだ。


ウェブでは文字の制限がない。個人のホームページには、実に偏執狂的につづられた長大な文章があふれているではないか。紙では短く切らざるを得なかった記事も、ウェブなら全てを収録することができる、と。ところがウェブで記事を書くようになって、これがなんとも牧歌的な幻想に過ぎないことを意識せざるを得なくなった。


ウェブでは長い記事など求められていなかったのだ。自分が読者になってみれば一目瞭然だが、モニターで長い文章を読むのはきつい。1行の文字数がぎっしりなモノは論外としても、縦にいつまでも続くような記事など誰も読みたくないのだ。ページ化がされたとしても、1ページ目で面白くなかったら、2ページ目など誰もクリックしない。


それに、ページ数もウェブでは5ページ以上は長いのだ。小説なら100ページくらい当たり前でも、ウェブでは10ページすら許容されない。個人ページなら読みたい奴だけが読めばいいで開き直れるが、商業サイトでは読者に読まれない記事は存在しないのと同じだ。


結局、ウェブで求められているのは、ページ数が少なくて、軽く読めて、それでいて少し扇情的な見出しが付けられていてついクリックしたくなってしまうような話題がほとんどなのだ。そもそもウェブサーフィンなんて呼んでいたものが、ザッピングそのものだったことからも明らかだったのだが。


だから、長文になりそうなコアなネタは、なかなか記事になりにくい。ページが多くてもウェブは紙代がかからないじゃないかと思っていても、視聴率の悪い記事はやはり紙代と同じように足かせとなる。紙の部数のようにいい加減なモノと違い、アクセス数が可視化されてしまう以上、ウェブの方がもっとシビアかも知れない。



もちろん、ウェブには紙にない可能性はある。動画の挿入やトラックバックなど、そのいくつかは発見されているとおりだ。紙には紙の、ウェブにはウェブの制限がある、ただそれだけのことだと最近は冷静に思えるようになった。


だが、たとえばとあるプログラミングの開発環境についてぎっしり分析した記事であるとか、不景気の紙媒体から取りこぼれた、コアな記事は一体どこに行けばいいのかという思いはある。かつての紙媒体が持っていたそういう偏執狂的な魅力は、今のウェブメディアには承継されていないように私には思うのだ。





2008年5月5日月曜日

ビジュアル系とヤンキー



「ヤンキーとファンシーは日本の心である」とは故ナンシー関の名言であるが、日本文化のメインストリームにはこの2つの要素が色濃く刷り込まれていることを実感せざるにはいられなかった。……というのはX JapanのHideを追悼するイベント「Hide Memorial Summit」である。私はこの様子をwowowで見たのだが、その横溢するヤンキー臭、そしてドメスティックぶりには唸らされた。


たとえば、YoshikiなりToshiが絶叫する言葉。「てめぇら最高だぜー」「腹から声を出せー」とか。これはそのまま特攻服を着たニイチャンたちが叫んでも全く違和感がない。風になびく旗指物は、暴走族の旗以外の物に見えるか? 菊地成孔氏いわく、「ヘヴィメタルは大音量のベートーベン」だそうであるが、ヴィジュアル系の音は西洋クラシックよりもむしろ、そのダサかっこいいメロディは演歌を思わせる。終いにはギターを床に打ち付けて破壊する様も、まるで田を耕す農民のように見えてきてしまった。


……などという馬鹿なことを考えてしまったが、それにしても、私の周りには当時はXに全く興味がなかったのが、復活コンサートでなぜか興味が湧いた(あるいはまぁ許せるかなという気になった)という周回遅れの人間が少なからずいる。これはどういうことだろうか、非常に興味深い現象である。





2007年8月4日土曜日

クリムゾンのニューアルバム?「The Reconstrukction of Light」

クリムゾンが現行ラインナップでスタジオアルバムを作る予定はないと発言していることは有名だが、クリムゾンの最新スタジオアルバムと言えるかもしれない作品が登場した。それが6月発売されたばかりの「The Reconstrucktion of Light」だ。これは「The Constr...