上の予告編では普通の伝記映画のように見えるが、監督がバンド・デシネ(日本でいうマンガ)の作家出身と言うこともあり、実際にはゲンスブールをデフォルメしたような奇妙な人形が登場してきて、合間合間でいろいろと茶々を入れてくる演出がある。最初は、何を余計な演出してるんだ、と思ったが、歳の割にませてながらもどこかはにかみ屋のリュシヤン(ゲンスブールの本名だ)と、挑発者であり女たらしであるセルジュの間に立ち、このマンガ的なキャラクターが表向きの彼の言動では表現しきれない複雑な内面を代弁しており、演出として成功しているように思った。おそらく、予告編はこうしたマンガ的な演出を見て観客が敬遠しないように、意図的に普通の伝記映画のようにしたのだろう(欧米でははマンガやアニメは子供のものという意識がまだ強いのだ)。
ストーリーは年代順に彼の足跡を追るもので、ボリス・ヴィアンとの出会いや、ブリジット・バルドーやジェーン・バーキンらとの恋愛遍歴、ナチスネタのナチロックのリリース(ゲンスブールはユダヤ人)、フランス国歌のレゲエ化にまつわる国粋主義者からの反発とその歌詞の手稿のオークションでの落札など、有名なエピソードはだいたい散りばめられている。おそらく、その多くは伝記か何かをベースにしたものであろう。しかし、それらのエピソードを知っている人でないと、展開が分かりにくい部分もある(たとえば、ブリジット・バルドーのために作曲したはずの「Je t'aime...moi, non plus」が、特に説明がないままジェーン・バーキンとリリースするに至っている、など)。その意味では、展開のテンポの良さを確保するために、細部の描写が端折られている感じはあった。
さて、ゲンスブールと言えば、その歌詞が強烈な個性であるわけだが、一点、その翻訳に疑問を抱いた部分が有った。件の「Je t'aime...moi, non plus」での"moi, non plus"という言い回しなのだが、これは否定疑問文に対する同意なので、本来は「愛してる」という呼びかけに対して「俺も愛してないぜ」と言っているように訳されるべきであるにも係わらず、「そうかもね」みたいな風に(実際になんと翻訳しているか忘れた)辻褄を合わせようとした訳になっていた。フランス語としても変な言い回しなのは事実なのだが、この唐突さが逆に詞に強烈なインパクトを与え、肉体的な愛を歌った詞の中にどこか精神的な齟齬を感じさせる、ゲンスブールの天才業だというのに、それが上手く訳出されていないことが残念だった。
歌詞と言えば、もう一つ。前述した、ゲンスブールの分身たる人形が、あれやこれやと語りを入れるのだが、これがものすごく良い具合にテンポ良く曲に合っている。それはジャズ的なオブリガードとも、ラップ的なライムの入れ方とも違う、シャンソン独自のリズムなのだ。南博氏はアメリカで、黒人の会話が自然にスイングしていることに驚いたと書いていたが、この映画では会話がシャンソンのリズムを作っているのである。日本ではシャンソンはほとんど一部のマニアに限られた人気しかないが、ここから発展させた新しい音楽もありうるのではないか、と思わせられた。
キャストであるが、ゲンスブールを始め、バルドーやバーキンなど、よく見てみればそんなににて無いのにもかかわらず、彼らの持つ特徴をよく捉えた俳優を使っており、実際のゲンスブールの映像(DVDでリリースされているが、マスターテープの保管状態が悪いのか画質はそれなり)よりもこの映画で見た方が、臨場感を持って見ることができた。それにしても、ゲンスブール役は声もよく似ていたが、これは地声なのだろうか? R15指定だけあり、おっぱい満載(大抵巨乳だ)な上に、ゲンスブール役のペニスまでチラ見できるお得(?)さ満点。この作品をモザイクをかけずに上映したことに拍手したい。
関東地方での上映は9月16日まで。10月にはDVDとBlu-rayも発売される。だが、音楽も重要な要素なので、劇場で見ることをオススメしたい。
http://www.gainsbourg-movie.jp/theaters.html
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