最近、Island期(Poseidon〜Islandまでのアルバムとライブ)ボックス「Sailor's tail」や2016年と2017年のライブ版、さらにBrufordのボックスまで出ていてリリースが相次ぐクリムゾンですが、なんとThrakのバンドスコアが発売されています。
https://musicscores.bandcamp.com/merch/thrak-by-king-crimson-the-complete-scores
6人の音をはっきり分けて聞き取るのは不可能と思っていたのですが、5.1ch版の発売とトレイ・ガンの協力によりスコアが完成したようです。プレビューを見る限りかなりの精度が期待できそう。値段は35ドル。アマゾンなどのでの取り扱いはない模様。というか、最近、アマゾンは全然商品在庫持ってませんよねぇ。。。
発売元の7d mediaはピーター・ガブリエルのカバーをやるセキュリティプロジェクトなどのCDを発売しているところ。カタログを見ると、2008年にフリップ/ガン/リーフリンでアルバムなんて出してたんですねぇ。
2017年10月29日日曜日
2017年9月5日火曜日
エイドリアン・ブリューがクリムゾンに復帰(但し時期は未定)
まさかの急展開に驚くばかり。メル・コリンズの復帰、ジャッコをヴォーカルに、ドラマー3人で始まった今回のクリムゾンからエイドリアン・ブリューが外されたのは既にご存知であろう。実際にはフリップはブリューに“8人目のメンバー”として準備しててくれと伝えたにもかかわらず、断られてしまったことは既報の通り。
ところが事態は先週から急展開を迎える。
様々な状況から推察するに、ネット掲示板で現編成でのIndisciplineが「なかなか良かった」とファンが書いていたのを見て、積年のフラストレーションが爆発した様子。ブリューの妻がDGMのプロデューサーであるデヴィッド・シングルトンに対し、現編成がブリューの曲を演奏することをやめてほしいと伝え、急速に両者の間に険悪なムードが漂い始めることになった。「夫が復帰するなら他のメンバーはサイドマンとしてのギャラにするべきだ」などの暴言まで飛び出し、このことが明らかになると、Facebookではファンの悲しみの声が溢れることに。
これらの状況を受けて、フリップがブリューと電話で会談。その結果、両者のわだかまりは溶け、なんとブリューがクリムゾン9番目のメンバーとして復帰することが明らかにされたのであった。
https://www.facebook.com/robert.fripp.96/posts/1854556931226995?pnref=story
とは言っても、現時点ではツアーへの参加は全くの未定。ブリューはスチュワート・コープランドとのバンド、Gizmodromeをスタートさせたばかりで、参加が実現するかも実のところは未知数。だが、Disciplineクリムゾン再結成を却下されて以降、拗ねて「今のクリムゾンには関係ないから何も聞かないで!興味ないから!」と言ってたブリューが、ようやくフリップとの間のわだかまりを解くことができたのは、ファンにとっても嬉しいニュースだ。やっぱりブリューはいい人だったんだね……。
ジャッコによって70年代レパートリーが解禁されたことは嬉しいことだったが、80年〜90年代の曲にも優れたものがあり、それらはジャッコの声には合わないことは明白だったので、予想もつかない展開が期待できそうだ。
……ブリューの曲は絶対やらないと公言してたジャッコが今度は危機を覚えて脱退したりして。
ところが事態は先週から急展開を迎える。
様々な状況から推察するに、ネット掲示板で現編成でのIndisciplineが「なかなか良かった」とファンが書いていたのを見て、積年のフラストレーションが爆発した様子。ブリューの妻がDGMのプロデューサーであるデヴィッド・シングルトンに対し、現編成がブリューの曲を演奏することをやめてほしいと伝え、急速に両者の間に険悪なムードが漂い始めることになった。「夫が復帰するなら他のメンバーはサイドマンとしてのギャラにするべきだ」などの暴言まで飛び出し、このことが明らかになると、Facebookではファンの悲しみの声が溢れることに。
これらの状況を受けて、フリップがブリューと電話で会談。その結果、両者のわだかまりは溶け、なんとブリューがクリムゾン9番目のメンバーとして復帰することが明らかにされたのであった。
https://www.facebook.com/robert.fripp.96/posts/1854556931226995?pnref=story
とは言っても、現時点ではツアーへの参加は全くの未定。ブリューはスチュワート・コープランドとのバンド、Gizmodromeをスタートさせたばかりで、参加が実現するかも実のところは未知数。だが、Disciplineクリムゾン再結成を却下されて以降、拗ねて「今のクリムゾンには関係ないから何も聞かないで!興味ないから!」と言ってたブリューが、ようやくフリップとの間のわだかまりを解くことができたのは、ファンにとっても嬉しいニュースだ。やっぱりブリューはいい人だったんだね……。
ジャッコによって70年代レパートリーが解禁されたことは嬉しいことだったが、80年〜90年代の曲にも優れたものがあり、それらはジャッコの声には合わないことは明白だったので、予想もつかない展開が期待できそうだ。
……ブリューの曲は絶対やらないと公言してたジャッコが今度は危機を覚えて脱退したりして。
2017年8月10日木曜日
トレイ・ガン、インタビュー 2016/10/29
キング・クリムゾンを脱退して以降、活動が地味だったトレイ・ガン。最近はピーター・ガブリエルの4枚目のアルバム収録曲を再現するプロジェクト“The Security Project”で表に出る活動を再開した。インタビューがultimate-guitar.comに載っていたので、抜粋を翻訳・掲載する。
*
ベースを始めるまでは、子供の頃はクラシックピアノを弾いていたそうですね。
当時を思い出してみると、本当に音楽に興味があったんだと思う。他の子達がピアノを弾いてるのを見て僕もやりたくなったんだ。それがたまたまクラシックだったというだけなんだけど、ある時、ラジオや両親のレコードコレクションを聞いて一変しちゃってね。
それがクラシックロックだったんですね?
そう。ジャズはそんなになかった。クラシックがいっぱい、そして60年代末〜70年代頭のポップスも。10代はテキサスで育ったんだけれど、70年代末までFMラジオの電波が届いてなかったんだ。たくさんビートルズを聴いて、そしてツェッペリンに行った。72年か73年のことだよ。それでロックの世界が開けてきたんだ。
ベースを弾くことになったのはポール・マッカートニーの影響?
悲しい話なんだけれど、あるバンドにギターが2人いて、ベースが必要だっていうから、じゃあやるよって言ったんだ。自分のを買う前に借りたベースを使ってた。フェンダーの3/4スケールのMusicmasterだった(注:学生向けの廉価モデルでスケールが通常よりも短い)。運がいいことに、ドラマーが本当にうまいやつで、いろんな曲を弾いたり即興したりしたよ。
ギターを手にした時、それが弾きたい楽器だって思った?
ギターを手にした時はそんなに違いを感じなかった。好きな点もあるけれど、リードギターを弾くことにそんなに興味は感じなかったね。でもベースよりも弦がいっぱいあるしね。機能性やグルーヴのことを除けば、両方に惹かれたし、両方弾きたかった。
今はチャップマン・スティックとウォーギターがあるわけですよね。いわば、ベースとギターにキーボートとストリングスが合わさったようなものですよね。
そしてパーカッションだね。チャップマン・スティックを手にした時、これこそが自分の求めていた楽器、自分のプレイスタイルだと思ったよ。今まで間違った楽器を弾いてたんだって。キーボードやギターでやろうとしたこと、ベースでやってたことが全てここにあって、同じテクニックで演奏できるわけだから。
ロバート・フリップと演奏したのは元々Fripp Frippという名で、のちにSunday All Over the Worldとなるバンドでしたね。『Kneeling at the Shrine』というアルバムを録音しましたが、フリップとのレコーディングはどういうものでした?
それまでにたくさん一緒に演奏してきたけれど、それはギター・クラフト関連だったんだよね。ロバートはトーヤのために曲を作ろうとしてて、彼はソロを弾きたくなかったんだ。ギターでハーモニーやコードを展開してて。素材ができたら演奏して…それは大概僕とロバートとで、たまにドラマーが入って、トーヤが来て歌うこともあった。
1992年にはフリップとデヴィッド・シルヴィアンとで『The First Day』と『Damage』を録音してますね。
『Damage』はライブだった(注:限定発売で日本盤は未発売。後にシルヴィアンによるリマスタリングと曲順変更が行われ再リリース)。グループは最初トリオ編成で、ドラムなしでいくつかのツアーをした(注:日本でも公演を行った)。とても変わったプロジェクトで、オーディエンスにとっても音楽的に驚きだったと思う。僕らは20分ほどアンビエントな音を出すことから始めて、そこからデヴィッドが歌い出して。彼はそんなに歌わなくって、一晩で3〜4曲ぐらいだったかな。でもあの声が乗っかるんだよ、本当に素晴らしかったね。
『The First Day』の前にもショーで演奏していたんですか?
そうだよ。レコーディングまでには、曲はバンド向きのものになってた。『Damage』はロイヤル・アルバート・ホールでやったツアー最後の2公演から収録した。これまでで最も強烈なレコーディングだった。
フリップと演奏したのがそんなに初期からだったと聞いて面白いと思いました。
バンドは生きてるんだと実感できてとても驚いたよ。うまく演奏できなかった夜のことを覚えてる。リバーブとディレイが多すぎてお互いをよく聞くことができなかったんだ。演奏はADATに録音されてて、Pro Toolsもない頃だから、細かい編集もできない。このテイクを使うか使わないかだけだった。でもそういうやり方が好きだったよ。
その頃レコーディングした『One Thousand Years』が最初のソロアルバムですか?
それ以前にも自分では色々レコーディングしてたよ。カセットでいくつか学生の頃リリースしてたし、チャップマン・スティックとパーカッションにボーカルで色々実験してみたものもあるし。どれぐらいのことができるか知りたかったんだ。
『Vrooom』のレコーディングはどうでした?
あれは最高だったね。ウッドストックのAppleheadという小さなスタジオで、みんな同じ部屋に入って録音した。デヴィッド・ボットリル(David Bottrill)がエンジニアで、『Thrak』にも参加してくれた。
彼はレコーディングでは重要な役割だったんでしょうか? その後、彼はミューズ、ドリームシアター、Toolをプロデュースしてますね。
そう思うよ。シルヴィアンが見つけてきたんだ。彼は『最後の誘惑』のサウンドトラック(ピーター・ガブリエル)を担当した。僕にとってはあれはワールドミュージックの最初にして最後だね。でもビル・ブルーフォードは彼は若すぎると言って懐疑的だったけど。
ビル・ブルーフォードはいろんな人とぶつかる傾向があるようですね。
でも、彼は僕に「こいつ、2つのドラムにマイクをセッティングしてるけど、位相とマイクの扱い方をわかってるじゃないか」と言ってたよ。デヴィッドはスタジオでどう振る舞えばいいか、クリムゾンが曲を磨き上げていくプロセスにおいて、どうやったら僕らがやりやすいかをわかってたんだ。彼は完璧だったと思うよ。
セッションはうまく行ったんですね。
なんて言えばいいのかな、うまい方向になだらかに転がり込んだというか。こういう感じだったんだよ。1週間でEPを作らなきゃいけないけれど、曲は2〜3曲しかない。もうちょっと曲を作らないといけないから、ドラマーに1時間ほど演奏させて、その周りで他の楽器が演奏して、いくつか音をかぶせて、それで出来上がり。という感じ。
ロバート・フリップからはミュージシャンとしても求められたことは?
なんというか、彼はできるだけ何も要求しないんだ。こう演奏しろとか誰にも言わないからね。でも、ある意味では非常に要求が厳しい。「クールにやれよ、ここがお前のスペースだ。他の奴がやらないようなことをやってみろよ、そうでないなら何も弾くな」と言ってるようなものだからね。要求が厳しいのは、一緒にいて録音させていること自体なのかもしれないね。
どうやって“Dinasaur”ができたんですか?
長年ロバートがフラストレーションだって言っていることがあって、それは、クリムゾンではどの曲もそれぞれが新しいジャンルの曲で猛烈に難しいから、雛形みたいなものが存在しないんだって。“Dinasaur”でいうと、確かエイドリアンがオープニングのリフを弾いて、僕らがその周りで演奏し始めたかな。エイドリアンが一旦曲を掴むとそれが大きな飛躍で、全体像がわかるようになると、僕らがどう音を足していけばいいか分かるようになるんだ。
エイドリアンがメロディーと歌詞を思いつくかどうかが鍵だと?
“Dinasaur”に関しては、彼が最初、弦楽四重奏を書こうとしてたのか(注:イントロのギターシンセによるストリングフレーズのことと思われる)、それが発想の元になったのかは分からないけれど、ドラムのない中間部を彼が持ってきて、僕らでアレンジしていくつか付け足した。『Thrak』の曲は1曲もスタジオで書かれたものはないんだ。音楽的にうまくいった理由は、レコーディングの前にアルゼンチンで曲を演奏してたからじゃないかと思う。
1曲も? 本当ですか?
『Vrooom』から大きく変わった曲はそんなにないんだよ。ある曲はテンポが速くなり、ある曲は遅くなったり、少しアレンジが変わったり。アルゼンチンでの12〜16公演から全てを凝縮したと言える。そして『Thrak』をレコーディングした。“Dinasaur"の元となる部分もたくさん演奏してた。もちろん持っていたアイディアはレコーディングに反映されたけれど、全てはステージで出来上がってたし、これ以上足すものもなかったしね。皆、欠けてる部分を正しい方法で埋めたから、何回か演奏してテイクを選べさえすればよかったんだよ。
1999年にはジョン・ポール・ジョーンズと『Zooma』をレコーディングしてますね。
彼は僕のヒーローだし、ツェッペリンの曲はたくさん弾いてたんだけど、彼と会って一緒に演奏して、彼の音楽の中に入ってみるまでは、彼こそがツェッペリンの秘密兵器だったなんて気がつかなかったんだよ。
ジョン・ポール・ジョーンズはバンドへの貢献を正しく評価されていないと思います。
信じられないほど素晴らしい音楽家だし、ジミー・ペイジの名声をあげるのに貢献したのに、まるで蚊帳の外だよね。彼と演奏するのは楽しかったよ。のちにロバートがキング・クリムゾン・プロジェクトとか“fraKctalisation”と呼ぶものを始めるようになったのも、彼に導かれてのものだからね。
それはどういうことですか?
ジョンは僕とトリオをやりたかったんだけど、僕はベースとベースじゃない部分を弾いて、彼はソロとベースを弾けるようにしたかったんだ。彼は僕にもっと抽象的で、パンクで、コルトレーンみたいなソロを弾くように導いてくれた。これが『Zooma』のレコーディングであったことだね。彼はギターアンプを用意して、「俺はソロをやるから、一緒にやってみよう」と言って始めて。そうしたら、色々と面白いやり方が見つかって、それがクリムゾン・プロジェクトにも反映されているんだ。
プロジェクトの結果が2000年の『The Construkction of Light』ですね。このアルバムは4人でレコーディングされています。
ダブルトリオはよかったんだけれど、みんなにとってきつかったんだ。一番きつかったのは僕だと思う。
それはなぜ?
ちょっと大げさかもしれないし、単に僕の苦労話をしてるだけかもしれないけど、たくさん音がある中でどんな音が合うか見つけるのは本当に大変だったんだよ。だから僕らは4人になった。それで「よし隙間ができたね」となったわけだ。僕は他のミュージシャンよりも隙間がある方が好きだからね。クリムゾンで一番いいレコードだったかは分からないけれど、いい曲があると思う。レコーディングするまでライブで演奏できなかったアルバムだね。
多分、もう一度違う風にやり直せるなら、ああいう風にはやらなかったと思う。それまでステージで素材を発展させてきたからね。でも僕らはああいうやり方でやったわけで、それでライブで演奏できるようになったわけだからね。ライブレコーディングの方が強烈だと思うけれども、あのレコードはああいうものだったんだよ。
その頃、Toolとツアーに出てますね。
僕とパットはずっとToolが気になってたんだよ。それで僕らのエージェントを急かして、「彼らと演奏できないかい? なぜいつも僕らだけでツアーするんだ? 他の誰かとやれないの?」と言ったんだよ。
エージェントの反応は?
こんな感じだった。「Crash Test Dummysとツアーしてみないか?」「ダメだ」「ドリームシアターはどうだ?」「ダメだ!Toolとできないの?」っていう。僕らとToolのチームとでいくつかコミュニケーションの行き違いがあったみたいでね。
何があったんですか?
僕らのエージェントは単にToolとやって欲しくないと思ってたみたいで、早々に話がポシャったらしくてね。でも、『The Power to Believe』を作った時にアダム・ジョーンズ(Toolのギタリスト)にコンタクトを取ってみたら「僕たちは常にあなたたちと一緒にやってみたいと思ってました」って言ってくれて。それでようやくやれるようになって。彼らがいつもやってるようなアリーナじゃなくて、僕らがやってるようなもっと小さな会場で演奏してくれたんだよ。
何公演ぐらい一緒にやったんですか?
11公演で、本当に素晴らしかった。彼らが本当に好きだよ。僕は彼らの曲を熟知しているというわけじゃなかったんだけれど。最初聞いた時、少しヴェールのかかった感じがしててね。
それはどういう意味ですか?
理解するのにちょっと努力が必要だけれど、一度理解できるようになるととてもよくなるっていうことだよ。僕はレディオヘッドやXTCにも同じものを感じるね。11公演を一緒にして「よし、これでもう彼らの音楽が心から理解できる」となったんだ。今でも彼らとは連絡を取っているよ。
Machineが『The Power to Believe』をプロデュースしましたが、彼が入ったことで違うフィーリングになりましたか?
彼がいつ入ってきたか覚えていないんだけれど、多分パットの紹介からかな。これまでと全く違う制作過程だったね。初めてデジタルで作業したんだ。『The Construkction of Light』がADATで録音した最後のアルバムになった。『The Power to Believe』はRadarシステムを使ってLogicでレコーディングした。
みんなデジタルに戸惑いませんでしたか?
ロバートはMachineがやりたいようにさせてたよ。ロバートの一番の関心ごとは、どの音をどこに振るか(注:左右に定位を振ること)なんだと思う。ミックスにやってきては、「これはそっちじゃなくて、そっちに振ってくれ」とよく言ってたよ。彼はMachineのことをとてもリスペクトしてて、彼はいい耳を持っててよく聞いている、と何回も言ってた。
そのあとあなたはクリムゾンを脱退して、ソロを始めますね。どういう気持ちでしたか?
ちょうどいい頃だと思ったんだ。ロバートと18年もやってきて、本当にやりたいことに気づいて、これ以上は続けられないと思ったんだよ。クリムゾンがどうなるかは明確じゃなくて、ロバートはいろんなプランを考えてたんだけれど、そのどれも僕がいるべきじゃないと思ったんだ。
2003年にクリムゾン脱退後初のソロアルバム、『Untune the Sky』をリリースしましたね
記憶が正しいなら、これも同じ時期で、もう十分だと思って自分のソロバンドを解散したんだ。バンドでやることに興味をなくしたんだと思う。
なぜですか?
だんだんとドラムをあちこちに運ぶのが面倒になってしまったんだ。この時期は何もしてないように見えるかもしれないけれど、実際にはQuodia(注:トレイ・ガンのプロジェクト名)にパートナーのジョー・メンデルソンと取り組んでたんだけれど、結局、バンドではやらないことにしたんだ。Quodiaはマルチメディアのプロジェクトで、ストーリーテリングやフィルムなども使ったライブ音楽なんだ。
どういうことがあったんですか?
Quodiaがうまくスタートしなかったんだよ。クリムゾンでやってたようなことを期待してみんな見にくるだろうし。それにまだマルチメディアに向いた会場がそんなになかったからね。その頃、他に何か録音したかも覚えてない。もしかしたら何も作ってないかも。君の方が詳しいかもね。
ウォーギターはいつから使い始めたんですか?
かなり早い頃だね。Thrakツアーに1本持って行ったけれど、スタジオでは使わなかった。マーク・ウォーが1本くれて、それでツアーに持って行ったんだ。だから、95年ぐらいから使い始めて、それから今までウォーギターだけを使ってる。
レスポールを持ち出してぶっ壊してやろうとか思ったりしないんですか?
思わないな。7弦エレキギターを持ってて、アームがあるからスタジオでは使ってるけれど、それもたまにだね。アコースティックギターもあるけれど……ウォーギターはレスポールよりもクールだよ。
あなたは他のギタープレーヤーと全然違う世界で生きてますね。
2つ理由がある。他の人と同じことをしても僕には意味がないということ。それに、スティックを弾き始めただいぶ初期に気づいたんだけれど、これは演奏するのが相当難しくて、習得するのにかなり時間がかかるんだ。
始めたなら最後までやるしかないと思ったんですね。
いろんなところに身を置いてみて、この楽器はどういうものなのかがわかったんだ。実際、僕はニューヨークで100くらいのオーディションに行ってるんだよ。誰かがベースプレイヤーを……時にはギタープレイヤーの時もあったけれど……探してて、いけそうだと思った時にね。合うかどうかわからなかったし、ギグに出たいかどうかも意識してなかったけれど、チャップマン・スティックを持って行って合わせてみた。ロックバンドやカントリーバンド、アイリッシュバンドも2つほどオーディションを受けた。そこで、本当に素晴らしい人たちと一緒に演奏できた。
自分がどれほどのものか試してみようという感じだったんですか?
本気で取り組んでもないのに「これが自分の楽器だ、さあ行くぞ」なんて言っても、上手くはならないんだよ。これが僕の取り組み方で、今もそうしてる。執着してるわけじゃないんだ。ソロをやる時もあるし、ウクレレを使う時もある。あれは全然違う楽器だからね。ギターかベースを持ってても意味がないんだ。ベースが適切な楽器の時もあるし、そういう音をスティックから出そうとしたこともあるけれど、こう言うだけだね。「君らが本当に必要なのはベースプレイヤーだよ。スティックは別物なんだ」ってね。
2015年に、ソロ作の『The Waters, They Are Rising』を出しましたが、ヴォーカルにDylan Nichole Bandyを迎えて、ボブ・ディランの“Not Dark Yet”をカバーしてますね。あなたはこれまで、インストゥルメンタルも歌モノもやってますが、この2つで演奏のアプローチは違うものでしょうか。
全然違うね。インストゥルメンタルをやるのはチャレンジなんだ。いつも「とにかくインストがやりたい」というわけじゃないんだ。一般的なものから離れて新しい「声」を出そうというチャレンジなんだ。トレイ・ガン・バンドでやったことや、『One Thousand Years』と『The Third Star』の後のいくつかのソロはそういう試みだったんだよ。
普通はどのバンドでもヴォーカルが中心ですよね。
声というのは人を引き寄せるものだし、偉大なシンガーは実に魅力的だから、後ろの音楽が特別に何かをする必要はないんだけど、声なしでやろうとした時、「どうすればいいんだ? どうやったら正しいやり方になるんだろう?」と思ったよ。
あなたのインストゥルメンタルへのアプローチの仕方は?
ジャズのようなソロを弾くわけでも、クラシックみたいにやるわけでもないんだ。僕がやっているのは、声を取り除いて、どうやって焦点になるようなものを生み出すか、ということなんだ。僕はその答えをいくつか見つけたから、声を入れたらいろいろなことができるよ。
新アルバムの『Security Project Live』で、シンガーのブライアン・カミンズ(Brian Cummins)と一緒にピーター・ガブリエルの音楽を再解釈していますが、特にどの曲が大変でしたか?
Intruderをやると決めた時、単調なドラムのビートがずっと続いてて、構成も単調だなと思ったけれど、そうじゃなかった。普通とは違う拍のまとまりがあったのに、そのことに気づいてなかったんだ。1音1音追うのは挑戦だったけれど、そこから少し離れて、コンセプトを守りつつ、上手くいく音を使ってみた。
アルバムを作るのに色々やることがあったようですね。
素晴らしかったよ。あれらの曲を探求するのはとてつもない研究プロジェクトだったね。僕にとって、ディシプリンやマハヴィシュヌとはまた違った、プレイヤーの世界からのコインだった。あれは本当に素晴らしい成功で、芸術的な発露だよ。特にピーター・ガブリエルの3枚目は未だに心揺さぶられるね。
ピーター・ガブリエルに会ったことは?
あるよ。リアルワールドスタジオで『Thrak』をレコーディングした時にね。でもちょっとだけだった。代わりにトニーを介して連絡をするようになった。
ジェリー・マロッタがドラムをやっていますが、ピーターとやっていただけあって、曲をよく理解してますね。
実は僕はジェリーとはずっと前から仕事をしてたんだよ。シルヴィアン・フリップの時に最初会って、演奏して。ガブリエルの3枚目と4枚目でジェリーとトニーがやってるフィーリングには驚いたね。“The Rhythm of the Heat”を演奏するまでは、それが本当のところで理解できてなかった。ドラムがダ、ドン、ダ、ドンとやってて、ちょっとばかりフィルが入るわけだけれど、同じ部屋で一緒にやったら「なんてこった、ジェリー・マロッタだよ、このフィーリングだよ」という感じになったよ。
ジェリーは注目すべきドラマーですよね。
このフィルを叩ける信じられないくらい素晴らしいドラマーを10人知ってる。フィルというよりは、ヒットだけれど。でも、叩き方や間の取り方、進み方はジェリーならではだよ。ピーターの作品はジェリーの貢献が大きいね。で、僕らのバンドに彼がいるわけだ(笑)。
最近のプログレは聴きますか? ドリームシアターやOpethとか。
僕はあまり興味を惹かれないんだ。きっとクリムゾンとやっても彼らとやらないのはそのせいじゃないかな(笑)。僕は新しいクラシックや西アフリカの音楽の方にハマってる。うるさい音楽はあまり聴きたくないんだ。うるさいギターも好きじゃない。自分でいくらでもやれるから、似たようなものを聴きたいとは思わないんだ。たとえそれが良いものでもね。
わかります。
Toolですら聞かないんだ。聞いたことはあるし、皆聴きたいなら聞けばいいと思うし。
ちょうどいいところなので終わりましょう。いい音を弾いてください。
どうもありがとう。
ちなみに、ウォーギターのルシアー、マーク・ウォーは現在大腸ガンの治療で療養中だとのこと。トニー、パット、エイドリアンの3人で毎年やっているサマーキャンプでは、ウォーギターと思しき楽器を持った参加者が多数いるが、回復を祈りたい。
*
ベースを始めるまでは、子供の頃はクラシックピアノを弾いていたそうですね。
当時を思い出してみると、本当に音楽に興味があったんだと思う。他の子達がピアノを弾いてるのを見て僕もやりたくなったんだ。それがたまたまクラシックだったというだけなんだけど、ある時、ラジオや両親のレコードコレクションを聞いて一変しちゃってね。
それがクラシックロックだったんですね?
そう。ジャズはそんなになかった。クラシックがいっぱい、そして60年代末〜70年代頭のポップスも。10代はテキサスで育ったんだけれど、70年代末までFMラジオの電波が届いてなかったんだ。たくさんビートルズを聴いて、そしてツェッペリンに行った。72年か73年のことだよ。それでロックの世界が開けてきたんだ。
ベースを弾くことになったのはポール・マッカートニーの影響?
悲しい話なんだけれど、あるバンドにギターが2人いて、ベースが必要だっていうから、じゃあやるよって言ったんだ。自分のを買う前に借りたベースを使ってた。フェンダーの3/4スケールのMusicmasterだった(注:学生向けの廉価モデルでスケールが通常よりも短い)。運がいいことに、ドラマーが本当にうまいやつで、いろんな曲を弾いたり即興したりしたよ。
ギターを手にした時、それが弾きたい楽器だって思った?
ギターを手にした時はそんなに違いを感じなかった。好きな点もあるけれど、リードギターを弾くことにそんなに興味は感じなかったね。でもベースよりも弦がいっぱいあるしね。機能性やグルーヴのことを除けば、両方に惹かれたし、両方弾きたかった。
今はチャップマン・スティックとウォーギターがあるわけですよね。いわば、ベースとギターにキーボートとストリングスが合わさったようなものですよね。
そしてパーカッションだね。チャップマン・スティックを手にした時、これこそが自分の求めていた楽器、自分のプレイスタイルだと思ったよ。今まで間違った楽器を弾いてたんだって。キーボードやギターでやろうとしたこと、ベースでやってたことが全てここにあって、同じテクニックで演奏できるわけだから。
ロバート・フリップと演奏したのは元々Fripp Frippという名で、のちにSunday All Over the Worldとなるバンドでしたね。『Kneeling at the Shrine』というアルバムを録音しましたが、フリップとのレコーディングはどういうものでした?
それまでにたくさん一緒に演奏してきたけれど、それはギター・クラフト関連だったんだよね。ロバートはトーヤのために曲を作ろうとしてて、彼はソロを弾きたくなかったんだ。ギターでハーモニーやコードを展開してて。素材ができたら演奏して…それは大概僕とロバートとで、たまにドラマーが入って、トーヤが来て歌うこともあった。
1992年にはフリップとデヴィッド・シルヴィアンとで『The First Day』と『Damage』を録音してますね。
『Damage』はライブだった(注:限定発売で日本盤は未発売。後にシルヴィアンによるリマスタリングと曲順変更が行われ再リリース)。グループは最初トリオ編成で、ドラムなしでいくつかのツアーをした(注:日本でも公演を行った)。とても変わったプロジェクトで、オーディエンスにとっても音楽的に驚きだったと思う。僕らは20分ほどアンビエントな音を出すことから始めて、そこからデヴィッドが歌い出して。彼はそんなに歌わなくって、一晩で3〜4曲ぐらいだったかな。でもあの声が乗っかるんだよ、本当に素晴らしかったね。
『The First Day』の前にもショーで演奏していたんですか?
そうだよ。レコーディングまでには、曲はバンド向きのものになってた。『Damage』はロイヤル・アルバート・ホールでやったツアー最後の2公演から収録した。これまでで最も強烈なレコーディングだった。
フリップと演奏したのがそんなに初期からだったと聞いて面白いと思いました。
バンドは生きてるんだと実感できてとても驚いたよ。うまく演奏できなかった夜のことを覚えてる。リバーブとディレイが多すぎてお互いをよく聞くことができなかったんだ。演奏はADATに録音されてて、Pro Toolsもない頃だから、細かい編集もできない。このテイクを使うか使わないかだけだった。でもそういうやり方が好きだったよ。
その頃レコーディングした『One Thousand Years』が最初のソロアルバムですか?
それ以前にも自分では色々レコーディングしてたよ。カセットでいくつか学生の頃リリースしてたし、チャップマン・スティックとパーカッションにボーカルで色々実験してみたものもあるし。どれぐらいのことができるか知りたかったんだ。
『Vrooom』のレコーディングはどうでした?
あれは最高だったね。ウッドストックのAppleheadという小さなスタジオで、みんな同じ部屋に入って録音した。デヴィッド・ボットリル(David Bottrill)がエンジニアで、『Thrak』にも参加してくれた。
彼はレコーディングでは重要な役割だったんでしょうか? その後、彼はミューズ、ドリームシアター、Toolをプロデュースしてますね。
そう思うよ。シルヴィアンが見つけてきたんだ。彼は『最後の誘惑』のサウンドトラック(ピーター・ガブリエル)を担当した。僕にとってはあれはワールドミュージックの最初にして最後だね。でもビル・ブルーフォードは彼は若すぎると言って懐疑的だったけど。
ビル・ブルーフォードはいろんな人とぶつかる傾向があるようですね。
でも、彼は僕に「こいつ、2つのドラムにマイクをセッティングしてるけど、位相とマイクの扱い方をわかってるじゃないか」と言ってたよ。デヴィッドはスタジオでどう振る舞えばいいか、クリムゾンが曲を磨き上げていくプロセスにおいて、どうやったら僕らがやりやすいかをわかってたんだ。彼は完璧だったと思うよ。
セッションはうまく行ったんですね。
なんて言えばいいのかな、うまい方向になだらかに転がり込んだというか。こういう感じだったんだよ。1週間でEPを作らなきゃいけないけれど、曲は2〜3曲しかない。もうちょっと曲を作らないといけないから、ドラマーに1時間ほど演奏させて、その周りで他の楽器が演奏して、いくつか音をかぶせて、それで出来上がり。という感じ。
ロバート・フリップからはミュージシャンとしても求められたことは?
なんというか、彼はできるだけ何も要求しないんだ。こう演奏しろとか誰にも言わないからね。でも、ある意味では非常に要求が厳しい。「クールにやれよ、ここがお前のスペースだ。他の奴がやらないようなことをやってみろよ、そうでないなら何も弾くな」と言ってるようなものだからね。要求が厳しいのは、一緒にいて録音させていること自体なのかもしれないね。
どうやって“Dinasaur”ができたんですか?
長年ロバートがフラストレーションだって言っていることがあって、それは、クリムゾンではどの曲もそれぞれが新しいジャンルの曲で猛烈に難しいから、雛形みたいなものが存在しないんだって。“Dinasaur”でいうと、確かエイドリアンがオープニングのリフを弾いて、僕らがその周りで演奏し始めたかな。エイドリアンが一旦曲を掴むとそれが大きな飛躍で、全体像がわかるようになると、僕らがどう音を足していけばいいか分かるようになるんだ。
エイドリアンがメロディーと歌詞を思いつくかどうかが鍵だと?
“Dinasaur”に関しては、彼が最初、弦楽四重奏を書こうとしてたのか(注:イントロのギターシンセによるストリングフレーズのことと思われる)、それが発想の元になったのかは分からないけれど、ドラムのない中間部を彼が持ってきて、僕らでアレンジしていくつか付け足した。『Thrak』の曲は1曲もスタジオで書かれたものはないんだ。音楽的にうまくいった理由は、レコーディングの前にアルゼンチンで曲を演奏してたからじゃないかと思う。
1曲も? 本当ですか?
『Vrooom』から大きく変わった曲はそんなにないんだよ。ある曲はテンポが速くなり、ある曲は遅くなったり、少しアレンジが変わったり。アルゼンチンでの12〜16公演から全てを凝縮したと言える。そして『Thrak』をレコーディングした。“Dinasaur"の元となる部分もたくさん演奏してた。もちろん持っていたアイディアはレコーディングに反映されたけれど、全てはステージで出来上がってたし、これ以上足すものもなかったしね。皆、欠けてる部分を正しい方法で埋めたから、何回か演奏してテイクを選べさえすればよかったんだよ。
1999年にはジョン・ポール・ジョーンズと『Zooma』をレコーディングしてますね。
彼は僕のヒーローだし、ツェッペリンの曲はたくさん弾いてたんだけど、彼と会って一緒に演奏して、彼の音楽の中に入ってみるまでは、彼こそがツェッペリンの秘密兵器だったなんて気がつかなかったんだよ。
ジョン・ポール・ジョーンズはバンドへの貢献を正しく評価されていないと思います。
信じられないほど素晴らしい音楽家だし、ジミー・ペイジの名声をあげるのに貢献したのに、まるで蚊帳の外だよね。彼と演奏するのは楽しかったよ。のちにロバートがキング・クリムゾン・プロジェクトとか“fraKctalisation”と呼ぶものを始めるようになったのも、彼に導かれてのものだからね。
それはどういうことですか?
ジョンは僕とトリオをやりたかったんだけど、僕はベースとベースじゃない部分を弾いて、彼はソロとベースを弾けるようにしたかったんだ。彼は僕にもっと抽象的で、パンクで、コルトレーンみたいなソロを弾くように導いてくれた。これが『Zooma』のレコーディングであったことだね。彼はギターアンプを用意して、「俺はソロをやるから、一緒にやってみよう」と言って始めて。そうしたら、色々と面白いやり方が見つかって、それがクリムゾン・プロジェクトにも反映されているんだ。
プロジェクトの結果が2000年の『The Construkction of Light』ですね。このアルバムは4人でレコーディングされています。
ダブルトリオはよかったんだけれど、みんなにとってきつかったんだ。一番きつかったのは僕だと思う。
それはなぜ?
ちょっと大げさかもしれないし、単に僕の苦労話をしてるだけかもしれないけど、たくさん音がある中でどんな音が合うか見つけるのは本当に大変だったんだよ。だから僕らは4人になった。それで「よし隙間ができたね」となったわけだ。僕は他のミュージシャンよりも隙間がある方が好きだからね。クリムゾンで一番いいレコードだったかは分からないけれど、いい曲があると思う。レコーディングするまでライブで演奏できなかったアルバムだね。
多分、もう一度違う風にやり直せるなら、ああいう風にはやらなかったと思う。それまでステージで素材を発展させてきたからね。でも僕らはああいうやり方でやったわけで、それでライブで演奏できるようになったわけだからね。ライブレコーディングの方が強烈だと思うけれども、あのレコードはああいうものだったんだよ。
その頃、Toolとツアーに出てますね。
僕とパットはずっとToolが気になってたんだよ。それで僕らのエージェントを急かして、「彼らと演奏できないかい? なぜいつも僕らだけでツアーするんだ? 他の誰かとやれないの?」と言ったんだよ。
エージェントの反応は?
こんな感じだった。「Crash Test Dummysとツアーしてみないか?」「ダメだ」「ドリームシアターはどうだ?」「ダメだ!Toolとできないの?」っていう。僕らとToolのチームとでいくつかコミュニケーションの行き違いがあったみたいでね。
何があったんですか?
僕らのエージェントは単にToolとやって欲しくないと思ってたみたいで、早々に話がポシャったらしくてね。でも、『The Power to Believe』を作った時にアダム・ジョーンズ(Toolのギタリスト)にコンタクトを取ってみたら「僕たちは常にあなたたちと一緒にやってみたいと思ってました」って言ってくれて。それでようやくやれるようになって。彼らがいつもやってるようなアリーナじゃなくて、僕らがやってるようなもっと小さな会場で演奏してくれたんだよ。
何公演ぐらい一緒にやったんですか?
11公演で、本当に素晴らしかった。彼らが本当に好きだよ。僕は彼らの曲を熟知しているというわけじゃなかったんだけれど。最初聞いた時、少しヴェールのかかった感じがしててね。
それはどういう意味ですか?
理解するのにちょっと努力が必要だけれど、一度理解できるようになるととてもよくなるっていうことだよ。僕はレディオヘッドやXTCにも同じものを感じるね。11公演を一緒にして「よし、これでもう彼らの音楽が心から理解できる」となったんだ。今でも彼らとは連絡を取っているよ。
Machineが『The Power to Believe』をプロデュースしましたが、彼が入ったことで違うフィーリングになりましたか?
彼がいつ入ってきたか覚えていないんだけれど、多分パットの紹介からかな。これまでと全く違う制作過程だったね。初めてデジタルで作業したんだ。『The Construkction of Light』がADATで録音した最後のアルバムになった。『The Power to Believe』はRadarシステムを使ってLogicでレコーディングした。
みんなデジタルに戸惑いませんでしたか?
ロバートはMachineがやりたいようにさせてたよ。ロバートの一番の関心ごとは、どの音をどこに振るか(注:左右に定位を振ること)なんだと思う。ミックスにやってきては、「これはそっちじゃなくて、そっちに振ってくれ」とよく言ってたよ。彼はMachineのことをとてもリスペクトしてて、彼はいい耳を持っててよく聞いている、と何回も言ってた。
そのあとあなたはクリムゾンを脱退して、ソロを始めますね。どういう気持ちでしたか?
ちょうどいい頃だと思ったんだ。ロバートと18年もやってきて、本当にやりたいことに気づいて、これ以上は続けられないと思ったんだよ。クリムゾンがどうなるかは明確じゃなくて、ロバートはいろんなプランを考えてたんだけれど、そのどれも僕がいるべきじゃないと思ったんだ。
2003年にクリムゾン脱退後初のソロアルバム、『Untune the Sky』をリリースしましたね
記憶が正しいなら、これも同じ時期で、もう十分だと思って自分のソロバンドを解散したんだ。バンドでやることに興味をなくしたんだと思う。
なぜですか?
だんだんとドラムをあちこちに運ぶのが面倒になってしまったんだ。この時期は何もしてないように見えるかもしれないけれど、実際にはQuodia(注:トレイ・ガンのプロジェクト名)にパートナーのジョー・メンデルソンと取り組んでたんだけれど、結局、バンドではやらないことにしたんだ。Quodiaはマルチメディアのプロジェクトで、ストーリーテリングやフィルムなども使ったライブ音楽なんだ。
どういうことがあったんですか?
Quodiaがうまくスタートしなかったんだよ。クリムゾンでやってたようなことを期待してみんな見にくるだろうし。それにまだマルチメディアに向いた会場がそんなになかったからね。その頃、他に何か録音したかも覚えてない。もしかしたら何も作ってないかも。君の方が詳しいかもね。
ウォーギターはいつから使い始めたんですか?
かなり早い頃だね。Thrakツアーに1本持って行ったけれど、スタジオでは使わなかった。マーク・ウォーが1本くれて、それでツアーに持って行ったんだ。だから、95年ぐらいから使い始めて、それから今までウォーギターだけを使ってる。
レスポールを持ち出してぶっ壊してやろうとか思ったりしないんですか?
思わないな。7弦エレキギターを持ってて、アームがあるからスタジオでは使ってるけれど、それもたまにだね。アコースティックギターもあるけれど……ウォーギターはレスポールよりもクールだよ。
あなたは他のギタープレーヤーと全然違う世界で生きてますね。
2つ理由がある。他の人と同じことをしても僕には意味がないということ。それに、スティックを弾き始めただいぶ初期に気づいたんだけれど、これは演奏するのが相当難しくて、習得するのにかなり時間がかかるんだ。
始めたなら最後までやるしかないと思ったんですね。
いろんなところに身を置いてみて、この楽器はどういうものなのかがわかったんだ。実際、僕はニューヨークで100くらいのオーディションに行ってるんだよ。誰かがベースプレイヤーを……時にはギタープレイヤーの時もあったけれど……探してて、いけそうだと思った時にね。合うかどうかわからなかったし、ギグに出たいかどうかも意識してなかったけれど、チャップマン・スティックを持って行って合わせてみた。ロックバンドやカントリーバンド、アイリッシュバンドも2つほどオーディションを受けた。そこで、本当に素晴らしい人たちと一緒に演奏できた。
自分がどれほどのものか試してみようという感じだったんですか?
本気で取り組んでもないのに「これが自分の楽器だ、さあ行くぞ」なんて言っても、上手くはならないんだよ。これが僕の取り組み方で、今もそうしてる。執着してるわけじゃないんだ。ソロをやる時もあるし、ウクレレを使う時もある。あれは全然違う楽器だからね。ギターかベースを持ってても意味がないんだ。ベースが適切な楽器の時もあるし、そういう音をスティックから出そうとしたこともあるけれど、こう言うだけだね。「君らが本当に必要なのはベースプレイヤーだよ。スティックは別物なんだ」ってね。
2015年に、ソロ作の『The Waters, They Are Rising』を出しましたが、ヴォーカルにDylan Nichole Bandyを迎えて、ボブ・ディランの“Not Dark Yet”をカバーしてますね。あなたはこれまで、インストゥルメンタルも歌モノもやってますが、この2つで演奏のアプローチは違うものでしょうか。
全然違うね。インストゥルメンタルをやるのはチャレンジなんだ。いつも「とにかくインストがやりたい」というわけじゃないんだ。一般的なものから離れて新しい「声」を出そうというチャレンジなんだ。トレイ・ガン・バンドでやったことや、『One Thousand Years』と『The Third Star』の後のいくつかのソロはそういう試みだったんだよ。
普通はどのバンドでもヴォーカルが中心ですよね。
声というのは人を引き寄せるものだし、偉大なシンガーは実に魅力的だから、後ろの音楽が特別に何かをする必要はないんだけど、声なしでやろうとした時、「どうすればいいんだ? どうやったら正しいやり方になるんだろう?」と思ったよ。
あなたのインストゥルメンタルへのアプローチの仕方は?
ジャズのようなソロを弾くわけでも、クラシックみたいにやるわけでもないんだ。僕がやっているのは、声を取り除いて、どうやって焦点になるようなものを生み出すか、ということなんだ。僕はその答えをいくつか見つけたから、声を入れたらいろいろなことができるよ。
新アルバムの『Security Project Live』で、シンガーのブライアン・カミンズ(Brian Cummins)と一緒にピーター・ガブリエルの音楽を再解釈していますが、特にどの曲が大変でしたか?
Intruderをやると決めた時、単調なドラムのビートがずっと続いてて、構成も単調だなと思ったけれど、そうじゃなかった。普通とは違う拍のまとまりがあったのに、そのことに気づいてなかったんだ。1音1音追うのは挑戦だったけれど、そこから少し離れて、コンセプトを守りつつ、上手くいく音を使ってみた。
アルバムを作るのに色々やることがあったようですね。
素晴らしかったよ。あれらの曲を探求するのはとてつもない研究プロジェクトだったね。僕にとって、ディシプリンやマハヴィシュヌとはまた違った、プレイヤーの世界からのコインだった。あれは本当に素晴らしい成功で、芸術的な発露だよ。特にピーター・ガブリエルの3枚目は未だに心揺さぶられるね。
ピーター・ガブリエルに会ったことは?
あるよ。リアルワールドスタジオで『Thrak』をレコーディングした時にね。でもちょっとだけだった。代わりにトニーを介して連絡をするようになった。
ジェリー・マロッタがドラムをやっていますが、ピーターとやっていただけあって、曲をよく理解してますね。
実は僕はジェリーとはずっと前から仕事をしてたんだよ。シルヴィアン・フリップの時に最初会って、演奏して。ガブリエルの3枚目と4枚目でジェリーとトニーがやってるフィーリングには驚いたね。“The Rhythm of the Heat”を演奏するまでは、それが本当のところで理解できてなかった。ドラムがダ、ドン、ダ、ドンとやってて、ちょっとばかりフィルが入るわけだけれど、同じ部屋で一緒にやったら「なんてこった、ジェリー・マロッタだよ、このフィーリングだよ」という感じになったよ。
ジェリーは注目すべきドラマーですよね。
このフィルを叩ける信じられないくらい素晴らしいドラマーを10人知ってる。フィルというよりは、ヒットだけれど。でも、叩き方や間の取り方、進み方はジェリーならではだよ。ピーターの作品はジェリーの貢献が大きいね。で、僕らのバンドに彼がいるわけだ(笑)。
最近のプログレは聴きますか? ドリームシアターやOpethとか。
僕はあまり興味を惹かれないんだ。きっとクリムゾンとやっても彼らとやらないのはそのせいじゃないかな(笑)。僕は新しいクラシックや西アフリカの音楽の方にハマってる。うるさい音楽はあまり聴きたくないんだ。うるさいギターも好きじゃない。自分でいくらでもやれるから、似たようなものを聴きたいとは思わないんだ。たとえそれが良いものでもね。
わかります。
Toolですら聞かないんだ。聞いたことはあるし、皆聴きたいなら聞けばいいと思うし。
ちょうどいいところなので終わりましょう。いい音を弾いてください。
どうもありがとう。
ちなみに、ウォーギターのルシアー、マーク・ウォーは現在大腸ガンの治療で療養中だとのこと。トニー、パット、エイドリアンの3人で毎年やっているサマーキャンプでは、ウォーギターと思しき楽器を持った参加者が多数いるが、回復を祈りたい。
2017年7月31日月曜日
ピンク・フロイド書籍「ピンク・フロイド全記録(グレン・ポブィ)」が発売
活動は終わったとされる、ピンク・フロイド。その軌跡を収めた本が出版される。著者はグラン・ポブィ。完全限定2000部とある。監修はストレンジ・デイズ。
発売は2017年8月31日とのこと。価格は5940円、440ページ。詳細がアマゾンに出ている。
【完全限定2000部】ピンク・フロイドは終わってしまった。各人のソロに互いにゲスト参加することはあっても、もはや復活はないだろう。そういうわけで、色々と過去のお蔵入り音源などを集める作業が進められている様子。回顧として、活動の全貌を俯瞰するのは意味があることかもしれない。昨今の出版不況を踏まえて2000部という、一時は商売が成り立つのと疑問に思う部数ももはや当たり前になってしまったようだ。
デビュー50周年記念
ロンドンV&Aでピンク・フロイド大回顧展開催中!
ロジャー・ウォーターズ25 年振り新作発表!
プログレッシブ・ロックの先駆者であるピンク・フロイド全キャリアを網羅した究極のビジュアル・データ・ブック、本邦初の貴重な未発表写真やグッズ、コンサー ト、リハーサル、レコーディングなどの詳細なデータ、インタビュー、全公演セットリストなどピンク・フロイドのすべてをこの一冊にコンパイル。
さらに伝説のアビーロード・レコーディング・セッションに関しての最新資料も追加した圧巻のアーカイブ集。ピンク・フロイドの権威として名高い、英音楽評論家・グレン・ポヴィによる緻密な取材の集大成でもある。
最も革新的なロックグループの胎動期から現在に至るまでの偉大な奇跡を記録した唯一無比のピンク・フロイド一大絵巻。ピンク・フロイドファン、ロック・ファン待望の一冊、遂に完成。
63~67年 黎明期そして『夜明けの口笛吹き』シドバレットの登場
68~71年 サイケデリックからプログレッシブロックへ『原子心母』の時代
72~76年『狂気』『炎』飛翔伝説~ゆるぎなきスターダムへ
77~85年『アニマルズ』『ザ・ウォール』~ロジャー・ウォーターズの時代
85~04年『ファイナルカット』『鬱』『対』~デイヴ・ギルモアの時代
05~15年『光』『エンドレスリバー』~再会そして終焉
ディスコグラフィー全作品・詳細解説
メンバー・ソロ・キャリア全掲載・解説
<著者プロフィール>
グレン・ポヴィ
ピンク・フロイドのファンジン「ブレイン・ダメージ」の創設者で1985 ~ 93 年までの本誌の編集長を務める。著 書には『Pink Floyd in Flesh:The Complete Performannce History』(St.Martin Griffin 刊) 『Echoes』(Chicago Review Press 刊)があり、ピンクフロイド史研究家として世界的な権威。現在もMojo、Record Collector、Classic Rock などの主要音楽誌へ寄稿。またアーティスト・マネジメントやツアー・プロダクションなども手掛け、音楽産業でも活躍中。現在・英ハートフォード州在住。
2017年7月6日木曜日
SMCリセットしてもホコリ掃除してもMacBookProが遅い場合の対処法
このページをご覧になっている方は、MacBookProが異常に遅くて色々なことを試したと思う。自分はMacBookProの裏蓋を開けて、徹底的に埃掃除をしたら調子が良くなったのだが、それでも少したったら異常に動作が遅くなってしまい、非常に難儀していた。日本語フォーラムでは情報が少ないので、海外フォーラムを見てさらなる色々情報を得たのでそれをここにまとめてみることにした。
削除は通常のゴミ箱移動ではできない。アプリケーション>ユーティリティよりターミナルを起動、以下のコマンドを入力する……のだがなぜかsudoでもパーミッション違反と出たのでセーフモードにて操作するのが必要なのかも。未検証だが、以下のコマンドでできるはず。
なお、 MacBook内の埃の掃除には特別なドライバー(先端がプラスマイナスではなく星型)が必要になる。アマゾンにて売っているが、MacBookの中を開けると保証対象外となるので注意。
そもそもなんで遅くなるの?
MacのCPUはアプリケーションなどの負荷に応じて動作速度を動的に変化させている。軽い動作の時は低いクロックで、重い動作の時は高いクロックで、というふうに。これは消費電力軽減のためでもあるし、CPUが熱を持ちすぎた場合に破損しないため、という目的がある。次のような理由で、CPUクロックが上がらなくなることがあり、それで動作速度が低下する。
- 埃がたまり熱を排出できなくなり、CPUを冷やすため低クロックで動作
→埃掃除が必要 - CPU温度と動作を制御するミドルウェアの動作不良
→SMCリセット - ハードウェア的な故障でCPU温度を計測できない
→要修理
それでも遅いんだけれど……
上記対策をして、Intel Power Gadgetを見ていてCPU温度もそれほど上がってないのに、それでもCPUクロックが上がらないという場合、外付けモニタを何台か繋いでいないだろうか。海外フォーラムではあれこれ対策してもそれでも遅いというユーザーの多くが外付けモニタを利用していた。
MacBookProはモデルにもよるが、RadeonやGeForceなどの専用グラフィックカードとCPU統合型のIntel Irisという内臓グラフィック機能を利用している。普通に使用しているぶんには気がつかないのだが、MacはCPUと同じように動作環境によって動的にどちらを使うか変化させている。おそらくはその切り替えがうまくいっていないのではないだろうか。アップルのミドルウェアの不調か、もしくは設定ファイルの故障が考えられる。
対策その1:省エネルギー設定の見直し
Macの「環境設定」>「省エネルギー設定」より、「グラフィックの自動切り替え」のチェックを外す。筆者の場合はこれでとりあえず改善した。相変わらずファンがぶんまわってるが、それでも動作がノロノロよりマシである。しかし、Power Gadgetを見ていて、グラフィックプロセッサのクロックがほどんど変化していないのが気になるところではある。一体普段グラフィックカードは何してるんだ?OpenGL専用なのか?
対策その2:設定ファイルを削除する
実を言うと、筆者はこれを試していない。だが、また動作低下が見られたら、これを試してみるつもりである。
- まずは自分のMacのモデル名を確認する。左上のバーのリンゴマークから「このMacについて」を選択、表示されたウィンドウから「システムレポート」をクリック、機種IDをメモしておく。
- 以下の通りディレクトリを移動。
MacintoshHD > システム > ライブラリ > Extensions - IOPlatformPluginFamily.kextを右クリック、パッケージを表示を選択
- 以下の通りディレクトリを移動
Contents > Plugins - X86PlatformPlugin.kextを右クリック、パッケージを表示を選択
- 以下の通りディレクトリを移動
Contents > Resources - 以下の中から1に合ったファイルを他のフォルダに移動(スラッシュ前はファイル名、後は対応する機種ID)
- Mac-031B6874CF7F642A.plist / iMac14,1
- Mac-189A3D4F975D5FFC.plist / MacBookPro11,1
- Mac-27ADBB7B4CEE8E61.plist / iMac14,2
- Mac-2BD1B31983FE1663.plist / MacBookPro11,3
- Mac-35C1E88140C3E6CF.plist / MacBookAir6,1
- Mac-35C5E08120C7EEAF.plist / Macmini7,1
- Mac-3CBD00234E554E41.plist / MacBookPro11,2
- Mac-42FD25EABCABB274.plist / iMac15,1
- Mac-77EB7D7DAF985301.plist / iMac14,3
- Mac-7DF21CB3ED6977E5.plist / MacBookAir6,2
- Mac-81E3E92DD6088272.plist / iMac14,4
- Mac-F60DEB81FF30ACF6.plist / MacPro6,1
- Mac-FA842E06C61E91C5.plist / iMac15,2
- Mac-00BE6ED71E35EB86.plist / iMac13,1/i5-3335S
- Mac-2E6FAB96566FE58C.plist / MacBookAir5,2/i5-3427U
- Mac-4B7AC7E43945597E.plist / MacBookPro9,1/i7-3720QM
- Mac-6F01561E16C75D06.plist / MacBookPro9,2/i5-3210M
- Mac-7DF2A3B5E5D671ED.plist / ?
- Mac-031AEE4D24BFF0B1.plist / Macmini6,1/i5-3210M
- Mac-66F35F19FE2A0D05.plist / MacBookAir5,1/i5-3317U
- Mac-AFD8A9D944EA4843.plist / MacBookPro10,2/i7-3520M
- Mac-C3EC7CD22292981F.plist / MacBookPro10,1/i7-3720QM
- Mac-F65AE981FFA204ED.plist / Macmini6,2/i7-3720QM
- Mac-FC02E91DDD3FA6A4.plist / iMac 13,2/i7-3770
削除は通常のゴミ箱移動ではできない。アプリケーション>ユーティリティよりターミナルを起動、以下のコマンドを入力する……のだがなぜかsudoでもパーミッション違反と出たのでセーフモードにて操作するのが必要なのかも。未検証だが、以下のコマンドでできるはず。
sudo mv ファイル名(ドラッグ&ドロップでOK) 移動先ディレクトリ
(例) sudo mv Mac-2BD1B31983FE1663.plist ~/users/public/上記の方法を試すことがあったら情報を追記したい。
なお、 MacBook内の埃の掃除には特別なドライバー(先端がプラスマイナスではなく星型)が必要になる。アマゾンにて売っているが、MacBookの中を開けると保証対象外となるので注意。
2017年6月30日金曜日
セロニアス・モンク未発表音源『Thelonious Monk – Les Liaisons Dangereuses 1960』
セロニアス・モンクの未発表録音がフランスのSam Recordsで発売された。内容は、映画「Les Liaisons Dansereuses(危険な一致)」のために録音された1959年の演奏。CDとLPでの発売となる。内容は同等。録音はニューヨークにて。フランス映画だからか、ゲストとしてバルネ・ウィランが参加している。
- Charlie Rouse (Tenor Saxophone)
- Barney Wilen (Tenor Saxophone) Tracks A1, A2, B4 & C1
- Thelonious Monk (Piano)
- Sam Jones (Bass)
- Art Taylor (Drums)
Recorded at Nola Penthouse Sound Studio, 111 W. 57th., New York, N.Y., July 27, 1959.
- Rhythm-a-Ning 5’47
- Crepuscule with Nellie 5’16
- Six in One 4’28
- Well, You Needn’t 4’57
- Pannonica (solo) 2’27
- Pannonica (solo) 2’55
- Pannonica (quartet) 6’20
- Ba-Lue Bolivar Ba-Lues-Are 6’57
- Light Blue 2’47
- By and By 1’47 (We’ll Understand It Better By and By)
- Rhythm-a-Ning (alternate) 5’36
- Crepuscule with Nellie (take 1) 2’29
- Pannonica (45 master) 6’53
- Light Blue (45 master) 4’09
- Well, You Needn’t (unedited) 6’47
- Light Blue (making of) 14’13
2017年6月20日火曜日
ヴォイニッチ手稿がついに解読か?謎の言語は古チェコ語が元
https://www.novinky.cz/kultura/440892-autorem-voynichova-rukopisu-psaneho-neznamym-jazykem-je-jiri-iii-z-lichtenstejna.html
チェコ語のニュースだが、宇宙人が書いたのでは?とまで言われた奇書・ヴォイニッチ手稿がとうとう解読された、らしいというニュース。
ヴォイニッチ手稿とは1912年にイタリアで発見された手書きの書物で、未知の言語で書かれており、現実には存在しない植物が描かれていることから、多くの人々の興味を惹きつけた。これまでに暗号の専門家が何人も解読しようと試みたが、有効な解釈はできなかった。ヴォイニッチとは発見者の姓に由来する。
解読に成功したとされるのは、チェコのIrena Hanzíkováさん。解読を始めたのは2016年8月からとのこと。彼女によれば、言語は古チェコ語をある法則で暗号化したもので、セクションごとに暗号化の方法が変わっているのだという。これまでいくら試みても解読できなかったのは、このようなマイナー言語が元になっていることが原因なのではないか、とのこと。おそらくは暗号解読表も存在していたのではないかという。
気になる内容だが、期待外れなようだが、著者の人生観や信仰の告白などを綴った極めて個人的な心情吐露だという。植物図鑑のように見えたイラストは、それらの心情を絵で表したもので、内容と合わせて読むと見事に合致するのだという。
著者は、モラヴィアの貴族ゲオルグ・フォン・リヒテンシュタイン3世。1360年にミクロフにて生まれ、修道士となりイタリアのトレントに住んだ。枢機卿に推薦されたものの、これを断ったと伝えられている。1419年8月25日に死去、毒殺ではないかと言われている。文書を暗号化したのは、そこに来世への生まれ変わりへの願望が書かれており、転生を否定するキリスト教と相いれないからだったからではないかという。
ただし、このニュースにはいささか疑問がつきまとう。このIrena Hanzíkováさんが一体何者なのか、研究者なのかどうか、ネットで調べてみても出てこない。また、彼女はこの内容が非常に個人的なものであるために、内容の公開にためらいを感じていると述べていること(14世紀の人の個人情報を気にする意味は?)、具体的な暗号化の方法について何も述べていないこと、ゲオルグ3世と特定できた理由が述べられていない、など。ただ、チェコでは結構なニュースになっているらしい。
ともあれ、続報が出るなら期待したいところである。
2017年6月5日月曜日
新事実!エイドリアン・ブリューはクリムゾンを辞めさせられたのではなかった
キング・クリムゾンが数年前に復活し、年に半年ほどツアーをしていることは既にご存知だと思う。今年は1年のサバティカル(研究期間)を経てビル・リーフリンが復帰、歴代最多の8人編成となったが、そこにはエイドリアン・ブリューはいない。現編成での復活が決まった時、フリップから「新しいクリムゾンに君の居場所はない」と言った素っ気無いメールが送られてきて、ブリューは解雇になったとこれまで思われていた。何しろブリュー本人がそう言っていたのだから。
だが、本日公開されたフリップの日記によれば、事実は違うようである。
https://www.dgmlive.com/diaries/Robert%20Fripp/RF_diary_2017_June_2
この日記にはフリップがブリューに送ったメール内容が引用されている。要約すると以下の通りになる。
ところどころおどけた表現が見られる。そして何回かのメールのやり取りの後、ブリューが電話で話したいというので会話したところ、8番目のメンバーになる準備はないこととバンドを脱退する事を告げられたという。
ディシプリン期のメンバーでの復活についても、フリップは断ったのではなく、ブルーフォードがイエスと言わないだろうから、同意しなかっただけだったと弁明している。当該の日記では、ブリューの最近の活動について肯定的に紹介しており、これまで考えられていたような敵意は感じられない。
ブリューはfacebookで、今のクリムゾンの活動について興味はないし音も聞いていない、クリムゾンについてもう聞かないでほしい、と書いている。長らくファンから否定的に言われることに疲れたのかもしれない。
ブリューは現在、エイドリアン・ブリュー・パワートリオでの活動を主軸としている。iOS向けアプリのfluxも高い評価を得ており、2016年にはピクサーのアニメーション『ひな鳥の冒険(原題:piper)の音楽を担当、映画はオスカー賞やアカデミー賞を受賞している。
そして余計なお世話だが、本人の発音では、ブリューではなく、ブルーが正しい発音のようだ。
だが、本日公開されたフリップの日記によれば、事実は違うようである。
https://www.dgmlive.com/diaries/Robert%20Fripp/RF_diary_2017_June_2
この日記にはフリップがブリューに送ったメール内容が引用されている。要約すると以下の通りになる。
何年か前に君がナイン・インチ・ネイルズと仕事をしている時、「今なら僕抜きのクリムゾンがやれるよ」と言ってたけど、そんなことは考えなかった。でもあるとき、新しい編成での復活を思いついてしまった。7人のメンバーで3人がドラマーなんだ。昨日、最後のメンバーが加入に同意した。君のためのクリムゾンでは無いが、君はメンバーじゃなくなったということではなく、8番目のメンバーなんだ。トニーが10年間そうだったように。活動を始める前に君にこの事を伝えたかった。君は凶悪な野獣から逃れられたんだよ。
ところどころおどけた表現が見られる。そして何回かのメールのやり取りの後、ブリューが電話で話したいというので会話したところ、8番目のメンバーになる準備はないこととバンドを脱退する事を告げられたという。
ディシプリン期のメンバーでの復活についても、フリップは断ったのではなく、ブルーフォードがイエスと言わないだろうから、同意しなかっただけだったと弁明している。当該の日記では、ブリューの最近の活動について肯定的に紹介しており、これまで考えられていたような敵意は感じられない。
ブリューはfacebookで、今のクリムゾンの活動について興味はないし音も聞いていない、クリムゾンについてもう聞かないでほしい、と書いている。長らくファンから否定的に言われることに疲れたのかもしれない。
ブリューは現在、エイドリアン・ブリュー・パワートリオでの活動を主軸としている。iOS向けアプリのfluxも高い評価を得ており、2016年にはピクサーのアニメーション『ひな鳥の冒険(原題:piper)の音楽を担当、映画はオスカー賞やアカデミー賞を受賞している。
そして余計なお世話だが、本人の発音では、ブリューではなく、ブルーが正しい発音のようだ。
2017年6月1日木曜日
アドルフ・ヴェルフリ展@東京ステーションギャラリーを見てきた
アール・ブリュット、日本ではアウトサイダーアートなんて呼ばれている、精神障害のある人の芸術作品。日本ではヘンリー・ダーガーが先行して有名になったが、本命と思っていたアドルフ・ヴェルフリの展覧会が東京にもやってきたので、ようやく行ってきた。その作品を一言で言い表すなら、ディテールと量の過剰である。
http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201704_adolfwolfli.html
アドルフ・ヴェルフリ(1864-1930)はスイス生まれの、アーティスト。画家、と言うか詩人というか。貧しい両親に虐待されて育ったそうで、ゴッホのように女に振られて貧困に喘いで、未成年相手の強姦事件(未遂かどうかは不明)も起こしてた様子で、31歳で統合失調症と診断され、精神病院に入所。当時、狂人というものの扱いは今とは大きく違っており、治療すべき対象ではなく、犯罪者と同じで隔離するのが当然、という扱いだった。このあたり興味ある人は、フーコーの『狂気の歴史』などを読むと良いだろう。
ヴェルフリはこの精神病院で「才能」を開花させた。
新聞用紙に手書きで様々な「絵」を描き出した。その絵は、西洋的な具象画というよりも、まるで平安時代の絵を見ているかのような俯瞰的な構図が多く、それらは彼によれば物語があるのだ。病院のスタッフに色鉛筆を与えられたことで、彼の絵に色が加えられるようになった。彼はその絵で、自らの王国を夢想した。
精神病院の看護師は、彼のその妄執的な絵を「混沌」と評している。独特なステッチの紋様、正体不明の動物、ドイツ語で書かれた文章(筆跡は汚くない)、丸い顔をして目の周りが落ち窪んだ謎の人物(ヴェルフリも目が落ち窪んでいる)、十字架、楽譜のようなもの……
妄想の限りを尽くして書き込まれた偏執的なディテールは精神の混沌を反映しているのかもしれないが、実際には画面は左右もしくは上下対称の配置が多く、確実に秩序を与えようとした意図が伺える。ものによっては、まるで曼荼羅を想起させるものもあった。しかし、おそらくだが、草間彌生のように、全体の構図を考えて書かれたものではなく、端からディテールを書き連ねて、最終的に対称形の図となったのでは無いだろうか。それほど彼の衝動の強さが絵に現れている。
妄想の限りを尽くして書き込まれた偏執的なディテールは精神の混沌を反映しているのかもしれないが、実際には画面は左右もしくは上下対称の配置が多く、確実に秩序を与えようとした意図が伺える。ものによっては、まるで曼荼羅を想起させるものもあった。しかし、おそらくだが、草間彌生のように、全体の構図を考えて書かれたものではなく、端からディテールを書き連ねて、最終的に対称形の図となったのでは無いだろうか。それほど彼の衝動の強さが絵に現れている。
楽譜は五線ならぬ六線譜で書かれており、8分音符あるいは16分音符のみが用いられ(連桁は無い)、たまに矢印の先のような旗もある。シャープ(フラットはない)や付点が現れることもあるが、全く音符に対応していない。唐突に挟まれる太い終止線、調号のつもりらしいヘ音記号を書き損じたような6や9(拍子かもしれない)。彼はうろ覚えの楽譜を絵で再現したのだろうか……病院内でトランペットを吹いていたというのだが。
楽譜の横に文字が添えられているものもあり、ひょっとしたらそれは歌詞なのかもしれない。人物の脇に十字架らしいモチーフが添えられていることもあり、賛美歌とも考えられる。人物がヴェルフリ自身だとするなら、それは自分への賛美かもしれない。アマゾン、メキシコ、中国などの異国をテーマにしたものもある。空想の旅行であろうか。
楽譜の横に文字が添えられているものもあり、ひょっとしたらそれは歌詞なのかもしれない。人物の脇に十字架らしいモチーフが添えられていることもあり、賛美歌とも考えられる。人物がヴェルフリ自身だとするなら、それは自分への賛美かもしれない。アマゾン、メキシコ、中国などの異国をテーマにしたものもある。空想の旅行であろうか。
会場に置かれたビデオ展示では、ヴェルフリが作成した“冊子”が紹介されていた。ページごとに紙の大きさがバラバラなので、自分で綴じこんだのだろう。文字が多くを占めていたが、意味のある文だったのだろうか。写真や広告などを綴じ混んだり、貼り付けていることもあった。このことから、彼の作品は書き捨てではなく、彼にとっての叙事詩のようなものだったのでは無いだろうか。
彼がアーティストとしてある程度話題になり始めた頃に書き始められた「地理と代数の書」というシリーズは、彼の妄想王国建国のための資金について綴られている。独特の利子計算図があり、その数は次々とインフレを起こし、ついには自身が発明した数の単位が登場し始める(日本語で言うなら億や京などの単位を新しく作ってしまったと言うことだ)。その最上はzorn(ツォルン、怒りの意味)である。数と利子への異様な執着は自尊心を満たすためのものだろうか。
晩年に書き始め、未完に終わった「葬送行進曲」に至っては、もはや文字がほとんどを占めるようになり、時折、新聞や広告のコラージュが貼られているのみであった。この文字を読み上げたビデオが展示されていたが、まるでそれはクルト・シュヴィッターズのUrsonateのようにも響く。意味よりも、音の語感が重視されているのだろう。果たして彼はそこにどのような意味をもたせたかったのだろうか?
彼はその生涯に渡り2万5000ページに渡る「作品」を生み出した。精神病院の他の入居者に作品を売りつけたこともあり、買わない人間には芸術家の苦労を愚痴るなど、作品製作は彼にとって自意識の誇示だったのかもしれない。だがしかし、この途方も無い量とディテールへの偏執は何だろうか。芸術家にとって最も大事なものは作品製作への衝動だとするなら、彼のその固執は一級の芸術家のそれかもしれない。
展示は6月18日まで(月曜休館)。図録はアマゾンでも買えるが、実物を見ることを強くお勧めする。アロイーズ・コルバスなどの作品も日本に来てくれることを願いつつ。
2017年5月21日日曜日
ロバート・フリップがジョー・ザヴィヌルと話している写真
DGMからのニュースで知りましたが、キング・クリムゾンのロバート・フリップが、ウェザー・リポートのジョー・ザヴィヌルと話している貴重な写真を発見しました。90年代半ばのラジオ番組でのことで、フリップはクリムゾンのリハーサル音源を放送したとのこと。
記事はスペイン語のため正確な内容は不明ですが、フリップが音楽産業について(おそらく否定的に)語ると、ザヴィヌルが「俺はそれら全部のクソが好きなんだよ」と答えたとのこと。時期的にウェザー・リポート解散後なので、ザウィヌル・シンジケートの頃でしょうか。
時間があれば、二人の会話内容について調べてみたいところです。
http://elintruso.com/2007/07/05/hernan-nunez/
記事はスペイン語のため正確な内容は不明ですが、フリップが音楽産業について(おそらく否定的に)語ると、ザヴィヌルが「俺はそれら全部のクソが好きなんだよ」と答えたとのこと。時期的にウェザー・リポート解散後なので、ザウィヌル・シンジケートの頃でしょうか。
時間があれば、二人の会話内容について調べてみたいところです。
http://elintruso.com/2007/07/05/hernan-nunez/
2017年4月15日土曜日
カール・パーマー、自身のプロジェクト”Carl Palmer’s ELP Legacy”を語る
カール・パーマーが始めた、ELP楽曲を演奏するプロジェクト、Calr Palmer’s ELP Legacyについて語っているインタビューを見つけたので、その簡単な内容を紹介する。なお、インタビューはキース・エマーソンの死後、グレッグ・レイクの生前に行われたもので、音楽ライターのロブ・パターソンによるもの。
http://bestclassicbands.com/carl-palmer-interview-6-8-16/
キース・エマーソンが生きていたら、まだELPをやっていたか?:
ちなみに、ジミ・ヘンドリクスが参加してHELPというバンドになる予定だった、というのはあくまで噂だったらしい。
その他、今の自分の演奏水準をキープできなくなったら引退する、ということも述べている。
http://bestclassicbands.com/carl-palmer-interview-6-8-16/
キース・エマーソンが生きていたら、まだELPをやっていたか?:
やらない。昔の水準でもう演奏できなくなっていたから。特にキースは腕に故障を抱えていた。キースは賛成してくれたが、グレッグはやり続けたいようだった。多くの大御所バンドがやっているように、サポートキーボードとギターを入れるようにも示唆したのだが、それも実現しなかった。
キースが亡くなってなければ、いくつかのショーで一緒に演奏する予定もあった。1つは本決まりだった。キースがそこまでひどいとは思ってなかった。本当に突然のことだった。Carl Palmer's ELP Legacyはキーボードトリオではなく、ギターとベースの3人編成だが?:
懐メロの再演をするという手もあるのかもしれないけれど、そうはしたくなかった。ギターの方が色々な可能性があると思ったし、ELPの音楽は違う編成でも機能すると思った。キースは気に入ってくれていた。バンドにキーボードがいなかったので、ここにキースが加わってくれてたらよかったのだけれど。本当はELPに参加したくなかったという話は本当?:
本当だ。だって、自分のバンドのアトミック・ルースターがうまくいってたから。でも演奏しだしたらうまくいった。演奏外では色々な問題が起きたが。また、ドラムスティックにLEDを仕込んで写真撮影した、コンテンポラリーアート作品についても語っている。作品はこちらで買える(http://carlpalmerart.com/?page_id=45)。
ちなみに、ジミ・ヘンドリクスが参加してHELPというバンドになる予定だった、というのはあくまで噂だったらしい。
その他、今の自分の演奏水準をキープできなくなったら引退する、ということも述べている。
2017年4月14日金曜日
ELP: Once upon a time in South America レコード化
2015年に発売された、エマーソン、レイク&パーマーの1993年と1997年のライブを収録した4枚組CDがLP化されるそうです。USのアマゾンではすでに予約受付をしていますが、日本ではまだの様子。LP2枚なのでCD全曲ではなく、1993年のライブのみの収録ですが、トラックは次の通り。
LP1 S1:(Santiago, Chile on April 1, 1993)
- Introductory Fanfare
- Tarkus
- Knife Edge
- Lucky Man
LP1 S2:(Santiago, Chile on April 1, 1993)
- Hoedown
- Fanfare For The Common Man – America – Blue Rondo a la Turk
LP2 S1:(Buenos Aires, Argentina on April 5, 1993)
- Paper Blood
- Black Moon
- Creole Dance
- Instrumental Jam
LP2 S2:(Buenos Aires, Argentina on April 5, 1993)
- From The Beginning
- Karn Evil 9 1st Impression Part 2
- Pictures At An Exhibition
- 21st Century Schizoid Man
- America
2017年4月11日火曜日
ジ・エヴァーラスティング ~ベスト・オブ・ELP~(6CD)
ご存知の通り、2016年にキース・エマーソン、グレッグ・レイクが相次いで世を去った。ELPは70年代にはレッド・ツェッペリンと並ぶほどの人気と名声を博したにもかかわらず、80年代以降は一般には忘れ去られ、その特異な音楽性ゆえか、散発的な活動再開しかできなかったからか、今でもあまり顧みられることはない。
そんな中、追悼商法といえばそれまでだが、ELPの新たなベストが出た。2000年以降の半公式ライブ盤(しかも愛のない内容)乱発の流れから見ると、またベストか的な気もしなくもないが、未発表音源も収録されているという。
内容は以下の通り。
ディスク:1
- ナイフ・エッジ
- ラッキー・マン
- ジェレミー・ベンダー
- ジ・オンリー・ウェイ
- タイム・アンド・プレイス
- アー・ユー・レディ・エディ
- フロム・ザ・ビギニング
- シェリフ
- トリロジー
- リヴィング・シン
- 聖地エルサレム
- 用心棒ベニー
- 今夜は愛の光につつまれて
- セ・ラ・ヴィ
- ノーバディ・ラヴズ・ユー・ライク・アイ・ドゥ
- 海賊
ディスク:2
- 孤独なタイガー
- 恐怖の頭脳改革
- 君を見つめて
- ソー・ファー・トゥ・フォール
- 夢みるクリスマス
- 迷える旅人
- 欲しいのは君だけ
- ギャンブラー
- 将校と紳士の回顧録(a.プロローグ/紳士の教え~b.愛を感じた時~c.最前線からの手紙)~d.栄光の歩兵中隊
- ブラック・ムーン
- フットプリンツ・イン・ザ・スノウ
- ハンド・オブ・トゥルース
- ゴーン・トゥー・スーン
ディスク:3
- 未開人
- 運命の三人の女神
- 限りなき宇宙の果てに
- トッカータ
- ピアノ協奏曲 第1番
- あなたのバレンタイン
- バレルハウス・シェイクダウン
- メイプル・リーフ・ラグ
- ホンキー・トンク・トレイン・ブルース
- キャナリオ
- チェンジング・ステイツ
- クロース・トゥ・ホーム
- ブレイド・オブ・グラス
- ハマー・イット・アウト
ディスク:4(ライブ音源)
- プロムナード
- こびと
- プロムナード
- バーバ・ヤーガの小屋
- バーバ・ヤーガの呪い
- バーバ・ヤーガの小屋
- キエフの大門
- ホウダウン
- タルカス
- 石をとれ~スティル…ユー・ターン・ミー・オン~ラッキー・マン
ディスク:5(ライブ音源)
- ピアノ・インプロヴィゼイション
- 悪の教典#9(ライヴ)
- イントロダクトリー・ファンファーレ
- ピーター・ガン
- クローサー・トゥ・ビリーヴィング
- タッチ・アンド・ゴー
- 庶民のファンファーレ~ドラム・ソロ~ロンド
- ナットロッカー
ディスク:6(未発表)
- 悪の教典#9 第1印象〔インストゥルメンタル・ミックス〕
…どう思います? 個人的には微妙なものを感じるのですが。1〜2枚目など、確かにグレッグに焦点を当ててるところは面白いとは思うのですが、この曲順なの?と疑問に思ってしまいます。
ELPの魅力って、ものすごく多面的だと思うんですよ。ある意味バラバラで、特にエマーソンの方向性とグレッグの方向性が、同じバンドなの?というぐらい違う。それをうまくコンパイルするのは難しいのはわかるのですが、忘れ去られたELPの魅力をどのように再提示するか、というところまで踏み込んだベストかと言われると、微妙なものを感じます。とはいえ、後期ELP、特にラブ・ビーチあたりの曲もちゃんと評価して入れている点には好印象を持ちました。
なんて書いてて、意外と見過ごされがちな曲もちゃんと収録してて、これはこれで斬新なベストなのかも、と思ってしまってる自分もいたりして、ELPってやはり多くの人にとってまだまだ正当な評価を与えづらいのかと改めて思いました。しかし、改めて検索して見ると、ELPはアイテム多すぎですね……
ちなみにカール・パーマーはCarl Palmer’s ELP Legacyなんてバンドをちゃっかり始めたそうです。自分からEとLに、もうお前らとはやんね、と言っておきながら、エイジアが実質終わりになったから、次の商法を始めたというか。そういうところが、80年代以降も現役感を持って活動を続けられた理由なのかもしれません(決してディスってない)。
個人的にはWorksツアーの時の映像をきちんとリマスターの上、Blu-Rayで販売してもらえればなぁと思っていますが、やはり売れないのであろうか。
追加情報:レイクの自伝、”Lucky Man”がアマゾンで登録されています。書影が出ていますが、まだKindle版しか予約は受け付けておらず(6/22配信予定)。やはり売れないのか?
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