2012年8月17日金曜日

【リリース情報】Miles Davis Bootleg Series Vol.2

マイルスの ブートレグ・シリーズ Vol.2 が発売される。アマゾンでは9/19となっているが、国内盤が先行発売のようなので(あの忌まわしいBlu-spec CDである)、フライングで流通するかもしれない。

内容は、いわゆるロストクインテット時(マイルス、ショーター、チック・コリア、デイブ・ホランド、ジャック・ディジョネット)の録音で、フェンダーローズも導入されている時期の、かなりフリーにも接近していた頃の演奏を収録している様子。DVDも付くというので、これはかなり垂涎の一品なのだが、売れると日本法人が思っているのか、輸入盤の発売予定はまだHMVのオランダ輸入盤のみだろうか。

自分はもう少し様子を見て購入を考えたいと思っている(可能ならば安価な輸入盤を購入したい)。内容はおそらく買って損なしだろう。

2011年10月14日金曜日

【リリース情報】DVD Box - Definitive Miles Davis at Montreux Dvd Collection (ザ・コンプリート・マイルス・デイヴィス・アット・モントルー 1973-1991) & CD Box - 1986-1991: the Warner Years



マイルスのモントルージャズフェスティバル出演時(1973-1991)の映像が、まとめて10枚組DVDボックスセットとしてリリースされるようだ。音源自体は2002年に、20枚組のCDボックスセット「Complete at Montreux 1973-1991」として発売されていた。どうせ聴くならば、映像付きのほうが良いに決まっているので、CDボックスとDVDボックスの収録曲が同一なら、こちらのほうが内容的にも、コストパフォーマンス的にも良いだろう(一応、日本版はコンプリートと謳ってある)。

なおアマゾンの情報では、輸入盤はリージョン1とのことだが、Blu-rayが徐々に普及しかかっている現在、DVDはリージョンフリーで売られていることも多いので、実際にはフリーの可能性もある。ただ、国内盤との価格差は、アマゾンの先行予約ならばさほど大きくなく(記事執筆時2000円程度の差)、国内盤で買うのが吉かもしれない。アマゾンでは輸入盤が10月24日の発売、国内盤が11月2日の発売となっている。

詳しい情報は、後に追加する予定だ。



また、このDVDに合わせてか、ワーナー時代のマイルスのCDボックスセット「1986-1991: the Warner Years」も発売されるようだ。こちらの収録アルバムは、「TUTU」「Amandra」「Doo-Bop」「Dingo」「Siesta」にクインシー・ジョーンズらとの再会ライブで構成されるとのこと。3500円程度なのでかなり格安だろう。こちらの日本盤発売は今のところ情報がないようだ。こちらはアマゾンでは10月25日の発売と書かれている。



2011年10月8日土曜日

【映画】パリ20区、僕たちのクラス[現代:entre les murs]

ミニシアター系で少しばかり話題になっていた、『パリ20区、僕たちのクラス』をDVDで見た。日本人からすればフランス=白人社会というステレオタイプで見がちだが、パリ20区というのはそんなイメージと真逆の、移民を中心とした多民族地域である。というより、すでにパリはニューヨーク並みに多種多様な人種が集う町となっている。この映画は、そんな20区のある中学校の国語(フランス語)のクラスの1年の話である。

国語、と言う時点で、我々日本人はめんどくさい読解やら文法やら、と言った内容を想像するが、授業の内容は我々の想像を遙かに下回るレベル。なんと、14歳にもなって初歩の単語(思う:croire)の活用さえ出来ない奴らばかり! 発音も文法も怪しい奴らが大勢。日本で言うなら小学校1~2年レベルとしか思えない有様だ。しかも、どいつもこいつも授業中に内職したり、関係ない質問をしたりとやりたい放題。学級崩壊なんて言葉がだいぶ前から日本でも言われていたけれど、ちょっとこれはレベルが違いすぎる。完全にカオスだ。

主人公はこの映画の原作者であり、実際に1年間の中学教師を務めた人物。こんなことが本当に起きていたのだという。ある教師はあまりの現状の酷さに教員室でヒステリーを巻き散らかす。しかし、皆がその理由を分かっているから、何も言えない。それぞれがいろいろなことを考えて、様々な手を打とうとしているが、誰一人として上手くやれて居る教師はいない。

世に言う「子供が酷いのは親のせい」というのも教師達にも気づいているのだろう、生徒の親たちを呼び出し生徒の現状を告げる。ところが、ある親はフランス語が全く分からず、通信簿に書いている内容を何一つ理解していない。ただ、この子はよい子です、を繰り返すばかりで、息子の問題行動に目を向けようとせず、学校との解決に向けた対話もままならない。またある親は、不法滞在で捕まり、強制送還が見込まれている。

それでもやらなくてはならないんだと、怒りを抑えながら授業を繰り返していても、向こうは子供とは言え、もう1人前の自我も芽生え始める年頃。教師の言葉尻を捕まえては、文句を言ったり、へりくつをこねたり、素直に言うことを聞こうとしない。どうしてそこまで協調性がないのか? いろいろな原因もあるのだろうが、見ていた自分に思ったことは、どうしようもなく精神年齢が低いと言うことだ。自分はやりたいようにやる、ただそれだけという行動規範を占めるのが子供達がほとんどだったように見受けられる。ある意味、規範でがんじがらめにする日本からすると自由にも見受けられるが、正直、日本ならば幼稚園児レベルだろう。

結局、教師は、年頃のセンシティブな子供の気持ちを捉えきれなくて、一部の生徒に「自分は目の敵にされている」という意識を持たれてしまう。そんなわだかまりを解こうと悪戦苦闘するが、結局、教師は怒りを抑えきれなくて、生徒を侮辱的に扱う言葉を使ってしまう。それを鬼の首を取ったように言い振り回る生徒達。子供は禽獣と言うがまさに、である。最後には、気に掛けつつもわだかまりを解くことが出来ず、ある生徒を退学に追いやってしまう。

そして1年。1年を通して彼らが何を身につけたか、それは驚くほど低レベルな物でしかなかった。ある生徒は学期末に、それまで従順に見えたけれど、実は言葉も分からなかったので、ほとんど何も学んでなかったと言い出す。バカンスにはしゃいで教室を飛び出す子供達。教室には、散乱する椅子。誰も直そうとしないその様子が、フランスの教育現場の崩壊を物語っていた。

ロンドン暴動で、移民2世の就労環境の酷さが、暴動を密かに準備していたことが語られているが、同じ事はフランスでも数年前に起こっていた。フランスは当時パリ市長だったサルコジによる強権的な制圧で暴動は拡大しなかったが、已然としてパリ郊外の治安悪化は問題となっていて、それが極右の台頭の原動力となっている。そうした就労環境に悪さの原因の一つとして、教育が問題となっているが、その現場がこれなのだから、一体どこから何を手を付けて良いのだろうか? と考えさせる映画だった。

なお、この映画はドキュメンタリーの体裁を取っているように見えるが、全て演技である。生徒達の演技が余りに自然なので、完全にドキュメンタリーと思い込んでいた。その点は評価に値するが、ここに生徒と教師の心のふれあい、というようなありきたりな感動のドラマはなく(タイトルやジャケットはそれらしく見えるように作ってあるが)、ただすれ違いと問題だけが後に残った。近年の日本人の堕落ぶりを見ると、日本の学校でもおそらくは同じような現状が有るのではないだろうか。





2011年9月21日水曜日

【TV放映】葉山ジャズフェスティバル

昨日(2011/09/20)、J-COM湘南にて、たまたま葉山ジャズフェスティバルを放映していたので、これを見てみた。

葉山ジャズフェスティバルなるものの存在自体を知らなかったので、マイナーな人たちが出ているのかと思いきや、ハクエイ・キム、大西順子、アマンダ・ブレッカー、山中千尋、小曽根真&No name horses*1と国内でもメジャーで出ている人たちや、外タレが出ているので驚いた。客は分かって見に来ているのだろうか?

演奏自体は、小曽根真以外は皆1曲ずつの放映。フェスティバルはトリビュート・トゥ・ビル・エヴァンスとなってるのに、小曽根真が最後に「Waltz for Debby」をソロで弾いた以外はビル・エヴァンスと関係ない曲しか放映されていなかった(笑)。ハクエイ・キムは「Billy Jean」、大西順子は「Dr.Jackle」、アマンダ・ブレッカーは「It's too late」(もちろんキャロル・キング)、山中千尋は「八木節」だったので、視聴者に聴きやすい曲を選んだような気がする。いずれも素晴らしいプレイヤー達なのだが、ピアノを弾く人間から見て、どうしてもそれぞれの弾き方のタッチに注意が行く。

たとえば、山中千尋は桐朋音大~バークリー卒でクラシックのトレーニングを受けてきた人なのだが、いかんせん大変小柄な方なので、弾き方に相当な無理があるように見えた。手が小さいため、どうしても幅広いパッセージや和音では、手が平べったく伸びてしまい、力んでしまっているように見える。むろんピアニストは手だけで音を出すわけでなく、肘や肩、さらには背中まで使って音を出しているので(山中さんの背中は非常に筋肉が付いていた)、小柄でも正しい訓練を受ければしっかりした音を出すことは可能である。実際、山中さんの売りの一つは、小柄なのにダイナミックな演奏をすることにある。しかし、音の一つ一つがなめらかなビロードのようなパッセージを弾くには、やはり手が小さすぎるのだろう。しかも、小指を丸めてしまうと言う、クラシックであれば先生に絶対矯正される変なクセもあった。これもまた、手の小ささに起因するように思う。まぁ、だからこそ、ダイナミックなスタイルを選んだとも言える。逆に小曽根真は、手が彼女に比べて大きいので、あのようなオスカー・ピーターソン系の演奏に非常に向いているわけである(ただし、私はオスカー・ピーターソンも小曽根真も苦手であるが)。

ただ、上で書いたのは、あくまで自分の理想とするプレイスタイルが、脱力にあることから見た感想である。モンクなどは叩きつけるようなたどたどしいプレイをするし、どのようなスタイルもジャズでは許容されうる。この脱力と言うのは、弾いている指以外は力を込めていない、弾いている指も不要な力を込めない、と言うことを指す。完全な脱力を身につけることで、音が美しくなる。音量ではなく、音自体が美しくなるのだ。というと、何となくオカルトじみて聞こえるが、パッセージにしてみると明らかな違いが素人でも分かると思う。今のところ、完全な脱力をもって演奏するジャズピアニストは、南博さん以外に見たことがない(クラシックでは多数存在する)。脱力に関しては、クラシックでは多数本も出ているし、メソッドもいくつかあるので、いずれきちんと書いてみたい。

*1 1stトランペットはエリック宮代だったと思う。

2011年9月13日火曜日

【映画】 ゲンスブールと女たち [原題:Gainsbourg Vie Héroïque]

春先に公開しているのは知っていたが、いろいろ余裕が無くて見られないでいた映画『ゲンスブールと女たち(原題:Gainsbourg Vie Héroïque)』をセンター北まで行って見てきた。



上の予告編では普通の伝記映画のように見えるが、監督がバンド・デシネ(日本でいうマンガ)の作家出身と言うこともあり、実際にはゲンスブールをデフォルメしたような奇妙な人形が登場してきて、合間合間でいろいろと茶々を入れてくる演出がある。最初は、何を余計な演出してるんだ、と思ったが、歳の割にませてながらもどこかはにかみ屋のリュシヤン(ゲンスブールの本名だ)と、挑発者であり女たらしであるセルジュの間に立ち、このマンガ的なキャラクターが表向きの彼の言動では表現しきれない複雑な内面を代弁しており、演出として成功しているように思った。おそらく、予告編はこうしたマンガ的な演出を見て観客が敬遠しないように、意図的に普通の伝記映画のようにしたのだろう(欧米でははマンガやアニメは子供のものという意識がまだ強いのだ)。

ストーリーは年代順に彼の足跡を追るもので、ボリス・ヴィアンとの出会いや、ブリジット・バルドーやジェーン・バーキンらとの恋愛遍歴、ナチスネタのナチロックのリリース(ゲンスブールはユダヤ人)、フランス国歌のレゲエ化にまつわる国粋主義者からの反発とその歌詞の手稿のオークションでの落札など、有名なエピソードはだいたい散りばめられている。おそらく、その多くは伝記か何かをベースにしたものであろう。しかし、それらのエピソードを知っている人でないと、展開が分かりにくい部分もある(たとえば、ブリジット・バルドーのために作曲したはずの「Je t'aime...moi, non plus」が、特に説明がないままジェーン・バーキンとリリースするに至っている、など)。その意味では、展開のテンポの良さを確保するために、細部の描写が端折られている感じはあった。

さて、ゲンスブールと言えば、その歌詞が強烈な個性であるわけだが、一点、その翻訳に疑問を抱いた部分が有った。件の「Je t'aime...moi, non plus」での"moi, non plus"という言い回しなのだが、これは否定疑問文に対する同意なので、本来は「愛してる」という呼びかけに対して「俺も愛してないぜ」と言っているように訳されるべきであるにも係わらず、「そうかもね」みたいな風に(実際になんと翻訳しているか忘れた)辻褄を合わせようとした訳になっていた。フランス語としても変な言い回しなのは事実なのだが、この唐突さが逆に詞に強烈なインパクトを与え、肉体的な愛を歌った詞の中にどこか精神的な齟齬を感じさせる、ゲンスブールの天才業だというのに、それが上手く訳出されていないことが残念だった。

歌詞と言えば、もう一つ。前述した、ゲンスブールの分身たる人形が、あれやこれやと語りを入れるのだが、これがものすごく良い具合にテンポ良く曲に合っている。それはジャズ的なオブリガードとも、ラップ的なライムの入れ方とも違う、シャンソン独自のリズムなのだ。南博氏はアメリカで、黒人の会話が自然にスイングしていることに驚いたと書いていたが、この映画では会話がシャンソンのリズムを作っているのである。日本ではシャンソンはほとんど一部のマニアに限られた人気しかないが、ここから発展させた新しい音楽もありうるのではないか、と思わせられた。

キャストであるが、ゲンスブールを始め、バルドーやバーキンなど、よく見てみればそんなににて無いのにもかかわらず、彼らの持つ特徴をよく捉えた俳優を使っており、実際のゲンスブールの映像(DVDでリリースされているが、マスターテープの保管状態が悪いのか画質はそれなり)よりもこの映画で見た方が、臨場感を持って見ることができた。それにしても、ゲンスブール役は声もよく似ていたが、これは地声なのだろうか? R15指定だけあり、おっぱい満載(大抵巨乳だ)な上に、ゲンスブール役のペニスまでチラ見できるお得(?)さ満点。この作品をモザイクをかけずに上映したことに拍手したい。

関東地方での上映は9月16日まで。10月にはDVDとBlu-rayも発売される。だが、音楽も重要な要素なので、劇場で見ることをオススメしたい。
http://www.gainsbourg-movie.jp/theaters.html









2011年9月11日日曜日

【リリース情報】 John Coltrane - Original Impulse Albums Vol.5




約1ヶ月前にVol.4の発売を書いたばかりだが、なんとすぐにVol.5も出るという。あわわ、Impulse!でのコルトレーン流ドフリーが満載……で、どのアルバムが収録されるのかという情報を早くも入手したので、ここに記そう。

内容であるが、まず5枚目がLive In Japanというのが気になる(4枚組のはずなので)ため、ひょっとしたら日本でのSHM-CDに合わせたリマスターが一挙に進められていて、それに合わせてVol.6も出てくる……なんて言うこともあるかもしれない。また、Disc 1のLive In Seattleであるが、元々は2枚組で出ていたはずなので、1枚のみと言うのは?(追記:2011/09/12 Live In Seattleはオリジナルリリース時には1枚組だった。2曲の追加トラックを聞きたい場合は、再発のSHM-CDを買いましょう)


Disc 1: Live in Seattle feat. Pharoah Sanders
  1. Cosmos 10:49
  2. Out of This World 24:20
  3. Evolution 36:10
  4. Tapestry In Sound 6:07

Disc 2: Sun Ship
  1. Sun Ship 6:12
  2. Dearly Beloved 6:27
  3. Amen 8:16
  4. Attaining 11:26
  5. Ascent 10:10

Disc 3: Transition
  1. Transition 15:29
  2. Dear Lord 5:34
  3. Suite: A. Prayer and Meditiation: Day B. Peace and After C. Prayer and 21:19

Disc 4: Infinity
  1. Peace On Earth 9:03
  2. Living Space 10:40
  3. Joy 8:01
  4. Leo 10:08

Disc 5: Coltrane In Japan
  1. Spoken Introduction (Japanese) 1:39
  2. Meditations / Leo 45:31
  3. Peace On Earth 18:06
Live in Seattle」「Live in Japan」に関しては、日本版のSHM-CDが完全版である(ただし、Live In Japanに関しては、CD化に際し収録時間の制限から、日本人解説者による紹介のイントロが省かれている、はず)。なお、残りのインパルスのコルトレーンのアルバムは次の通り。「First Meditations」「Living Space」「Stellar Regions」「Interstellar Space」「Jupiter Variation」「The Oratunji Concert」。2000年代になってからのリリースも数点あるので、Vol.6以降にも期待したい。



2011年8月28日日曜日

【映画】 黄色い星の子供たち [原題:Le Rafle]

もう1ヶ月ほど前に見た映画だが、改めてレビューを書こう。

題名だけ見ると、まるでSF映画のように感じられるが、舞台は第2次世界大戦中のナチスドイツ占領下のフランス。そこで起こったユダヤ人の大量検挙が主題である。

1940年、ヒトラーの電撃作戦の前にもろくも敗れ去ったフランスは、第1次世界大戦の英雄であるフィリップ・ペタンを首相に据えた傀儡政権をヴィシーに樹立させられ、4年にわたるドイツ占領を経験した。占領はたったの4年だったが、この間のドイツによる占領政策は、実質的な略奪行為と言っても過言ではなく、町という町からありとあらゆる物資が戦時徴収され、食料は言うに及ばず、ガソリンや鉄鋼などの資源、ひいては軍靴に使う皮革までもが不足し、庶民は木靴をはかなければならなかったという。このあたり、『ナチ占領下のパリ』という本に詳しい。

そして、占領政策の悲惨を極めたのが、ユダヤ人政策である。ユダヤ人はすべて胸に黄色いダビデの星を縫い付けた服を着用することを義務づけられ、少しでも星を隠そうものなら、容赦なく検挙された。ユダヤ人商店にもダビデの星が描かれ、フランス人達は隣人にこれほどまでユダヤ人がいたことに驚いたという。やがてユダヤ人への仕打ちは公民権の停止へと至り、「ユダヤ人問題の最終解決(=民族浄化)」が決定されると、フランスでもユダヤ人の検挙が始まった。その頂点が、映画で描かれる1942年7月16日の早朝に行われたヴェル・ディヴの大量検挙である。

ユダヤ人達は胸に黄色いダビデの星を付けさせられ、公共施設への
入場を制限された。しかし、それでも検挙まではまだ無邪気でいられた。
この際、検挙に当たったのはなんとフランス憲兵だった。ユダヤ人1万3000人は老若男女の区別無く、冬期競輪場(ヴェル・ディヴ)に押し込まれ、食物も水も与えられることなく、やがて強制収容所へと送られ、最後にはアウシュビッツやダッハウのガス室へと送られるのだった。

この映画は、その顛末を子供達の視点から描いている。戦時下の厳しい状況にあっても、家族や友人との幸せな毎日を送る子供達に、なぜ自分たちが差別されなくてはならないのか、家族はどうなるのかという辛苦が押し寄せる。幼い子供達から見る差別の理不尽と対置されるのは、フランスの政治家達の打算である。ドイツ側が当初、子供は強制収容の対象としないと言ってきたにもかかわらず、孤児の面倒を見ることは不可能という政治的判断のため、子供までもがガス室送りになった。しかも、政治家達は東欧難民のユダヤ人を減らす好機としてこの機会を利用し、さらにフランス警察の権益確保の交換条件まで交わしたのだ。

命令を破りヴェル・ディヴで放水を行い、水を供給する消防団たち。
この事実は、大量検挙事件と合わせて、フランスの最大のタブーとされ、1995年までその責任を認めず、世間一般からも覆い隠されたという。事実、私は別の占領下フランスを描いた映画『パリの灯は遠く』(主演:アラン・ドロン)のラストで、ユダヤ人達が競技場のようなところに押し込められた末に、列車に乗せられるシーンを見て、その場所は一体何なのか、説明が一切無く分からなかったが、この『黄色い星の子供たち』を見て、それがヴェル・ディヴのことだったとを知った。つまり、当時の人間は知っている歴史的事実であるにもかかわらず、それを積極的に語ることをフランス人達は避けていたのだ。事実、1995年のジャック・シラクによる声明で初めて事件を知り、ショックを受けたフランス人も多かったという。

子供たちも大人と同様の強制収容の対象となった。真ん中が
主人公のジョセフ・ヴァイスマン。
同時期に『サラの鍵』[原題:Elle s'appelait Sarah]という映画も製作されている(こちらは原作付き)ように、この映画はそういうフランスのタブーをようやく克服しようとする過程で生まれた映画なのだろう。上に描いたような政治家達の打算的な駆け引きは、きわめて淡々と描かれ、ユダヤ人の子供とその家族に降りかかる不幸は隠すことなく描かれる。衝撃だったのは、追い詰められ窓から飛び降りて死ぬ妊婦と、その残された幼い子供が母親の死を知らずにいるところだ。追い詰められ死を選んだユダヤ人は少なくないと言われ、かのヴァルター・ベンヤミンも亡命目前に追い詰められて自殺をしている。また、強制収容所で金品をすべて提出するように強制され、隠し持っていた品を見つけられた少女が、ドイツ人将校に殴る蹴るの容赦ない暴行を受けるシーンも衝撃的だった。我々日本人から見たら、容貌のさほど変わらない西洋人同志が、どうしてそれほどまでに冷酷になれるのだろう?

一方で、ユダヤ人差別に抗するがごとく、強制収容所にまで付き添ってユダヤ人医師(ジャン・レノ)と共に病人の看護に当たる、非ユダヤ人看護婦アネット(メラニー・ロラン)も描かれる。ヴェル・ディヴで命令を破ってまで放水で水を与える消防隊員や、検挙の前に警告を発する女性など、人間の尊厳を軽んじなかった人々も、少ないながら登場する。しかし、私たちの視点は彼らと同じだとしても、同じ境遇にいて、同じ事が出来るだろうか? 映画を見ながら、組織的の命令が個人の良心に何ら抵触することなく、暴力を実行させることの恐ろしさを考えた。

強制収容所に送られたはずのノノと再会する看護婦アネット。
あれほど無邪気だったノノの顔にはもはや笑顔はない。
映画のラストは、戦後に数少ない生存者と看護婦が再会するシーンで終わる。子供達の顔には、以前のような屈託のない笑顔はない。彼らの胸から黄色い星は無くなっても、戦争は彼らの心に二度と消えることのない烙印を押したのだ。他の地域のホロコーストに比べても極めて生存者が少なかったため、ヴェル・ディヴの強制収容に関する証言は少ないという。主人公の少年ジョセフ・ヴァイスマンは実在の人物で、この事実を風化してはならないととある政治家に言われ、思い出したくない記憶に向かい合い、その体験を話すべく日本にも来日したという。

映画では非ユダヤ人にもかかわらず献身的な介護活動を続ける看護婦アネット役が光る。彼女はこの歴史的事実のあまりの重さに倒れてしまったこともあったそうだが、この歴史的事実を後世に伝えなければならないと、必死で演じきったという。

実を言うと、このサイトの名称、Les Zazousもこの占領下のフランスと関係があるのだが、その話はまた別の機会に。




クリムゾンのニューアルバム?「The Reconstrukction of Light」

クリムゾンが現行ラインナップでスタジオアルバムを作る予定はないと発言していることは有名だが、クリムゾンの最新スタジオアルバムと言えるかもしれない作品が登場した。それが6月発売されたばかりの「The Reconstrucktion of Light」だ。これは「The Constr...