2010年5月16日日曜日

いまさら『電子書籍の衝撃』について書いてみる


もう発売からだいぶ経っているのに、今更ブログに書くのはいささか気が引けるが、『電子書籍の衝撃』について。

この本に書かれている内容は、大筋では同意である。電子書籍が普及するために必要な3つの要素については異論がない。少し違う意見があるとすれば、佐々木氏はソーシャルメディアの価値を高く評価しているようだが、自分はそうは思わないと言うところか。

はやり廃りの多いネットサービスにあって、著者が自分を表現するソーシャルメディアが長続きするかは、自分には疑問だ。メディアが違えばそこで必要とされる自己プレゼン能力は微妙に異なると思うし、その差違を著者たちは本当にうまく使いこなせるか、という問題もある。佐々木氏自身も「ソーシャルデバイド」という言葉を書いている通り、ハードルは低くはないと思う。それに、本来的には著者の活動や作品の質とはあまり関係ない話ではないか。

ただ、もし佐々木氏が想像するようなソーシャルデバイドが存在する未来がやってくるなら、プロモーションを代行する人が介在する余地も以前として残り続ける事になるような気がする。

多少の異論はあっても、大筋では同意させられたのだが……以下は些末な指摘として受け止められる可能性も多いことを承知で書くが、編集としてはがっかりさせられる点が多かった。著者の佐々木氏が悪いと言うことではない。編集側が対処すべき問題なのだ。箇条書きにして書くと、

1)事実確認の問題
2)引用の問題
3)用語や表記の問題、日本語の問題

が存在する。これらの点はさらっと読み流しても感じられるのだから、編集も本当は気になっていたはずではないか? 文芸書ではないのだから、これらの点は編集が著者に確認すべきではないだろうか。それをしていないことが編集を軽んじているように感じられて、悲しくなった。電子書籍時代にはこういう本が増えて行くのだろうか……。以下、具体的に見て行こう。


1)事実確認の問題

この本に書かれているいくつかの事項は、私には事実かどうか疑わしく感じられる。また、説明が不足しているために、疑問を捨て去ることが出来ない。

たとえば、iTunes Music Storeの成功がメジャーレーベルの凋落を招いたとあるが、これを裏付ける証拠は本文中には出てこない。もちろん、話の本筋から見れば傍流である。しかし、大多数の合意を形成できるほど知られた事実でもないなら、その証拠をきちんと提示するのが筋ではないか。特に、その事実を元にして出版界の未来を語るというのならば。

同様の問題が電子書籍コンソーシアムの失敗について書いた部分にもある。どの出版社も著者に電子化の許諾を取っていなかった、ということは分かるが、許諾交渉をコンソーシアムが薦めようとしても、各出版社で事情が違いすぎて頓挫した、と言うあたりが分からない。どういう事情があって、統一的にできなかったのか、具体的な例がなければ、客観的に不可能だったということを読む側としては納得できない。端折られたように感じてしまった部分である。

また、アマゾンは電子ブックの売り上げでは損をして、キンドルで売上を上げているとあるが、本当にそうだろうか? アマゾンはキンドルの売上でも損をしているように感じる。3G通信代などがそうだ。もし本当に損をしているというのなら、事業モデルとして端末の売上で儲けるように見えるが、そうなのだろうか?? 何らかの客観的なデータが欲しい。


2)引用の問題

数々の引用をつなぎ合わせて、1つのストーリーを作っていく様が、この本を読んでいてワクワクさせられる点であるのだが、牽強付会な引用が散見されるように自分には感じられた。

たとえば、原雅明というジャズ評論家の文章を引用して、コンテンツの「アンビエント」化の意味を物語っているのだが、原氏の言葉「もっと大きなサウンド」の引用の前後が切り取られてしまい、意味が分からなくなってしまっている。結局このもっと大きなサウンドとは何だったのだろう? そしてそれは本当に佐々木氏のいう「アンビエント」を補強するものだったのだろうか。ついでに言うと、アンビエントというのも、あまりにも定義が曖昧すぎて、よく分からないのである。クラウドと何が違うのか?

そのほか、ブログなどの引用が多いが、まるでその意見が大多数であるかのように引用するが、ほんとうにそうかー?と言うのも多い。エディットミュージックマニアの話もそうだが、仲間内の符牒だけで話すマニアは昔からいたし、今も昔も少数派だ。あと、ブログのエントリーがいつのものかというのもきちんと書いて欲しい。


3)用語や表記の問題、日本語の問題

そのほか、妙な表現や用語・表記の問題もある。些末なので読む人にはどうでもいいかもしれないが、編集者的にはとても気になる。

たとえば、iPadの説明をするのに「伝説のデバイス」と形容しているのだが、発売していないのに伝説とはなんだろうか。伝説とは起こった出来事が後の世に語られるようになるという言葉であるからして、おかしく感じられないだろうか? 発売される前から伝説になることが予想された、といった言い方なら分かるのだが。

エコシステムという言葉も気になる。生態系と言いたいならば英語にしたらエコロジーではないか。そもそも、この言葉も比喩なのだから、こういう造語っぽい言葉を使う意味はあるのだろうか。

「『ボクノタメニナイテクレ』というブログは、こういうエントリーを書いている。」と文中にあるが、ブログがエントリーを書くのではなく、作者がエントリーを書くのだから、これは日本語としておかしい。普通の編集者ならこれを校正するはずなのだが……。

統一表記も妙だ。「ロキシー・ミュージック」なのに「ピンクフロイド」「キングクリムゾン」。中黒はどういう規則になっているのだろう?

ポップパンクグループ、と何かのバンドの紹介にあったが、ポップパンクというジャンルを初めて聞いた。エディットミュージックも同様。また、まつきあゆむ紹介のところにある、「エッジの効いたサウンド」というのは何を意味しているのか? なにかのエッジが効いているというのは、どういう意味か? 全体的に、佐々木氏は音楽に対して使っている形容詞・用語が微妙におかしい。自分は音楽雑誌の編集をしていたのでよく分かるが、こういう形容をミュージシャンは露骨にいやがるので、普通は使わないものである。

以上、些末だったのだが、異論を語るにも、同意を語るにも、読んで損はないと思う。ぜひ、佐野眞一あたりにも同様の書籍を書いてもらいたいものだ(かつてはデスクトップの概念すら理解できなかったと言うが……)。

2010年3月28日日曜日

電子書籍時代の印税契約



電子書籍のビジネスモデルについてエントリーを書こうと思ったら、すでにきちんとまとめられたエントリーがあったので、それを紹介しつつ、内容を補足したい。


http://satoshi.blogs.com/life/2010/03/books.html


Life is beautiful―iPadのインパクト:電子書籍のビジネスモデル


記事に関して、いくつかコメントすると、この記事にて引用されていた印刷の価格構成だが、「製版・写植代:12%」というのは少し古い情報だと思われる。DTPになって写植がいらなくなったからだ。あと、記事を読んで取り次ぎ不要を強調しすぎな気がした。というのも、そもそも取次が介在する余地がない、というよりAmazonやらAppleが取次兼書店となるからであり、そこに取次を敵視する表現を使う意義はないと思うからだ。


さて、私が補足したい内容だが、それは出版社と著者との関係である。上記ブログのエントリー末尾に「電子出版の時代に出版社が生き残るためには」として3つの項目が書かれているが、重要なのは支払いに関する部分だ。


紙の本では、これまで出版社が著者に払ってきた印税は、刷り部数×定価の10%である。これが、電子書籍になったらどうなるか。電子書籍には刷り部数というのが存在しない以上、売れた部数×定価のn%を一定期間ごとに支払いすることになるだろう。しかし、文筆業を経験した者であれば、これはちょっと……と思うのではないか。


著者にとって見れば、本を書くのはコストを先に負担している状態なので、できればすぐにマネタイズしたいと思うのが自然である。とすると、出版社と著者の契約形態として、あらかじめ想定部数分の印税を先渡しして、その部数を超えたあたりから部数あたりの印税を払う、というやり方もあり得るはずだ。最近は紙の本でも、刷りに対して極端に売れない場合があるので、保証部数(最低何部は売れるだろうという設定)で印税を払うケースもあるが、それに近い考え方だろう。電子書籍時代の出版社は、著者の収入を安定化するという機能も担うことになるのではないか。


印税を先渡しするリスクは当然あるわけで、その分、印税を低く設定したいという交渉もありえるはずだ。電子書籍時代には、これまでのように業界慣習の10%という横並びの価格設定は通用しない。部数を出せる著者は印税のパーセンテージが高くなり、知名度のない著者は低くなるということもあるだろう。同様に著者の側から見たら、あそこの出版社はパーセンテージが低いとか、向こうは高いとか、逆の評価もありえる。いずれにせよ、電子書籍が本格的にスタートすれば、しばらくは出版社と著者の双方で印税契約の模索が続くことになるだろう。





2010年3月8日月曜日

アゴラブックスはイノベーションか?



先週、経済学者の池田信夫氏が電子書籍ベンチャーを手がける会社「アゴラブックス」を立ち上げたことが、ネットで話題になった。以前から池田氏は、日本にも電子書籍の波が押し寄せていて、出版界の産業構造が変わろうとしているという主旨のことをブログ上で書いていたので、この展開は別に驚くに当たらない。


だが、「いったいどういうビジネスモデルなんだろう」ということが私には大きな疑問だった。池田氏は既刊本を電子書籍化する「著作権エージェントは出てこないだろうか」とブログで書いていたので、それがビジネスモデルと思ったのだが、「どこの馬の骨ともしれないベンチャーと組むよりも、自社でやってしまった方が利益率が良い」と出版社は考えるのが自然ではないだろうかと思っていた。そう思っていたら、J-castから興味深いニュースが出てきた。


http://www.j-cast.com/2010/03/07061675.html


まだ正式に事業展開を明らかにしたわけではないが、この記事をまっすぐに解釈するなら、彼らのビジネスモデルは「第3の電子書籍売り場を作る」ことだったわけだ。これは、既存出版社が抱える「アマゾンやアップルに流通を握られる」とか、「著者が出版社を通さずに直に本を売りだすのでは」という危機感に対応するものだろう。出版社の大同団結がうまくいかなそうだと言うこともあり、第三者の立場から冷静に状況を分析でき、且つ、技術的なノウハウを持っている、あるいはノウハウを持っている人たちを知っているアゴラブックスが入っていける余地がここにあったわけだ。


でも、これこそ池田先生が言う、ガラパゴス化のような気がする。既存の出版社の産業構造を維持させる方向に力を傾けているように、私には思えるからだ。出版界の流通構造を踏襲しない(=取り次ぎを通さない)ということは大きな意義だが、既存の本屋をそのままネット上に置き換えることを目指しているように見えて、そこにイノベーションは感じられない。


既刊本を本当に皆は電子書籍で読みたいのだろうか。たしかに、これはKindleで読めたら便利だよなという本は存在する。けれど、本当に電子書籍化の意義があるのは、電子書籍ならではの本なのではないだろうか。これまで紙では出てこなかったような本が電子書籍で出てくる、そしてそれが新しい需要を喚起する、それこそがイノベーションというものではないだろうか。


たとえばePub形式はスクリプトを仕込めないなど、インタラクティブな要素はあまり考慮していないので、フォーマット的には少しも新しくない。電子書籍はインターネットほどに新しくないのだ。よって、月並みだが、編集の力こそが著者と売り場の間に出版社が入りうる余地だと思うし、それは電子書籍時代になっても変わらないものじゃないかと思っている。編集が必要とされなくなれば、出版社は滅びるだけしかないだろう。


とはいえ、池田先生もまだおもしろいことを仕込んでいるかもしれない。今月の25日にアゴラブックスのビジネスモデルが発表されるという。月末にiPadも発売になると言うし、この3月は出版界にとって激動の1ヶ月になるのかもしれない。


P.S.ちなみに、アゴラブックスが提携を進めているという出版社は、魔法のiらんどを子会社化したアスキー・メディアワークスだと予想しているが、どうだろうか。池田先生もWebアスキーに連載を持ってるしね。


追記・5日にiPadは四月と発表が出ていたんですね。気がつきませんでした。





2010年2月10日水曜日

マスコミが騒ぐほど電子書籍の時代はすぐには来ない



今週頭、Kindle2がウチにやってきた。もともと「電子書籍なんてまだまだだろ」と思っていたのだが、アスキー.jpの記事に興味を持って、つい購入してしまったのだ。ネットにもつながる通話料無料のモバイルデバイス、というのが、非常に魅力的だったし、ちょうど電車の中などで外国書籍が読みたいと思っていたので、3万円以下なら高くはないと思った次第。さて、実際に使ってみた印象なのだが、これは確かに良くできた端末だが、電子書籍の時代はまだまだ来ないなという思いを強くすることになった。


まずKindleの長所・短所を挙げてみよう。


<長所>


  • 3G端末なので直に電子書籍が買える

  • E-inkで見やすい

  • バッテリー持続時間が長い

  • PCより軽い

  • Webも見られる

  • <短所>


  • 日本語が使えない(ハックで日本語表示はできても、入力はまだできない)

  • E-inkなので画面遷移が遅い

  • 文庫より重い

  • Webのようにキーワードで検索とかしにくい

  • 意外にKindle Storeの品揃えが少ない(もちろん日本語無し)

  • 上記のような端末の長短はすでにWebのあちこちで語られていることだと思う。だが、Kindleを端末本体だけで見ていてもユーザー体験や市場への影響度を理解することはできない。書籍の購入方法や、出版社にとっての著作権保護など、ビジネスモデルの観点から見て初めて解き明かせると思うのだ。Kindleというビジネスモデルの特徴は何か。一番大きな特徴は、文庫や単行本の代替品という思想で作られた製品だと言うことだと私は思っている。


    書籍というパッケージをそのまま電子的に置き換えた場合、そのビューアーというのがKindleの位置づけである。基本的に書籍を頭から終わりに向かって読み進めることを前提としてみれば良いデバイスであり、ユーザー体験も悪くない。しかし、たとえば音声や動画などマルチメディア化したユーザー体験を求めたり、文中の語句をネットで調べたり、好きなところだけ飛ばして読んだり、ということを考えたとき、現状のKindleはまだまだという印象を受ける。E-inkの仕様から、カラー化も難しいらしい。となると、ますます文庫の代替と言うことになる。


    逆にiPadはこういう問題点に対応した製品だろう。見つけた語句での検索やとばし読みなどもできる。音声や動画も問題ない。雑誌のような媒体を再現するにはうってつけだ。しかし、それなら何で電子書籍(ePub)なのか、Webでいいではないかとツッコミたくなる。WebならPCでもiPadでもよその端末でも読める。電子書籍というパッケージにするのは、ユーザーやメーカーの先入観と幻想、そしてDRMの問題でしかないのではないかと思ってしまう。そういう意味から、iPadは帯に短したすきに長しの隙間商品くさいなと思ってる。


    昨年末に友人とした会話を思い出す。アップルが電子書籍デバイスを出すと彼は言い張り、そんなもん作るのかという私と、ちょっとした言い合いになった。彼はiPadへの期待からか「電子書籍が流行ってる」と言いだすので、ついムキになって「どこで流行ってるんだ?そんな事実はないだろ」と言い返したのだ。ところが、今年に来て電子書籍元年みたいに言われ始めたので、これは自分の見込み違いだったと思っていたのだが、実際にはやはり私が思った通り、アメリカでもそれほど流行っていないようだ。たとえばKindle Storeを見てみると、ランキングの上位は名作系小説の詰め合わせばかりで、話題のベストセラーは乏しい。フランス語書籍はともかく、英語書籍も思ったほどはバリエーションが無い。点数はあっても同じ作品の別エディションばかりだ。おそらくは著作権フリーの書籍を売っているのだろう。商品が少ないのは、需要がない、つまりまだユーザーが少ないからだ。アマゾンも持ち出しでがんばっているようだが、まだそこまで市場が成熟していないようで、だからこそアップルも参入しようと思ったのだろう。


    たとえ日本でも電子書籍が販売されだしたとしても、結局、マスコミが言うほどiPadもKindleも日本の出版界へのインパクトは強くないと思う。iPadとKindleで日本の出版界が焦土になるなんて言ってる人がWebには結構いるけれど、電子書籍は常に「それならWebのほうがいいじゃん」というツッコミどころがつきまとっている。Webのほうが、検索もとばし読みも加工もしやすく利便性が高いからだ。パッケージであることを止めない限り、電子書籍は常に紙の書籍の代替でしかないが、パッケージを止めたらWebに近づくだけなのだ。単なる代替であるならば、今ある書籍から移行したいと思わせるだけのメリットを示さないと、わざわざお金を出して電子書籍端末を購入しようと思うのは、私のような電子書籍の未来に興味がある人か、ガジェット好きの人間にとどまるだろう。





    2010年1月18日月曜日

    Pマーク取得を楽にする3つの原則



    ここ1年ほど、仕事のほうでPマークの更新というものを手がけている。実は、昨年12月に自社の更新作業は終わったのだが、それとクロスフェードするかのごとく、親会社の更新作業を手伝うことになった。両方とも、身の丈に合っていない規定を作ってしまったせいで、うまく動かせていないことろが複数あった。これらを解消するために、何をどうするか頭を使うのが自分の主な仕事となった。


    さすがに2社もやればPマークにも詳しくなろうというもの。自分が1からPマークを取得するなら、絶対こうすると思ったことを書いてみようと思う。これからPマーク取得を検討したいという会社の参考になれば幸いだ。


    1)コンサルは使うな


    うちの会社・親会社はPマーク取得にコンサルを入れていたが、はっきり言ってとても対価に見合った効果を得られなかったという。


    自分としてはコンサルを全否定はしないが、Pマークは自社の規模感に合わせて、ある程度柔軟に社内規程を決められるので、自社の状況や実態を知っていることが大事だ。外部からコンサルを入れると言うだけで、自社のだらしない管理実態を恥部として隠そうという人間も出てくる。そうすると、見た目だけ立派なことを謳った、使えないPマーク体制ができてしまう。


    友人の会社も当初はコンサルを入れたけれども、同じ理由でコンサルを外したという。





    2)根本規程はJIS基準の丸写しをしろ


    Pマーク取得のために複数の規程を作る必要があるのだが、もっとも大事な根本規程(ここでは仮に個人情報保護管理規定と呼ぶ)は、変にアレンジなどせず、章番号を含めてJIS基準の丸写しをすることを勧める。JIS要求事項の何を実現するためにどの規程が作られたかがわかりやすくなるからだ。規程で求められた者を実現する手順書で、各社にあった施策を盛り込めばいい。


    実際の審査基準にも「~が規定に盛り込まれていること」というのが、いくつも出てくるが、丸写しのほうが絶対にこれらを確認しやすい。


    3)ガイドラインを見て対応する規定・手順書を作れ


    http://privacymark.jp/reference/pdf/guideline_V1.0_060905.pdf


    JIPDECではJIS基準のガイドラインを制作して配布しているが、これを元に手順書を作っていくと効率がいい(他で認定機関へ申請する場合は、そちらを参照)。ガイドラインに沿って審査が行われるので、むしろ、そこに書かれてないものは規定しなくてもいいぐらいだ。ガイドラインの1つ1つを見ていけば、自分の会社で実際できる施策は何か、考えていけるはずだ。


    以上、ものすごく単純な話だが、JIS規定や法律を難しく捉えようとするから、自社Pマーク規定も難しくなる。Pマーク取得のためだけではなく、セキュアな個人情報保護体制の構築のためにも、なるべくシンプルに仕立てた方がいい。





    2010年1月12日火曜日

    マグマの音楽はヒトラー崇拝?



    ここ数年、音楽と言えばジャズばかりを聴いてきたのだが、去年の前半ぐらいから、徐々にロックを再び聴くようになってきた。ジャズでは考えられないようなコードチェンジや、アレンジ・楽器の使用法がが改めて新鮮に聞こえたからである。特にこれまで手を出そうとしなかった、御三家以外のプログレに徐々に手を出し始めた。去年の前半はカンとマグマを、年末はゴングをよく聞いていた。


    で、そのマグマの創始者であるクリスチャン・ヴァンデがいま2chでちょっとした話題となっている。彼は実はナチと第三帝国の崇拝者であり、独自の想像言語コバイア語で歌われる歌詞も、ヒトラーの演説を音韻的に模倣したものであるというのである。たとえば、代表作の一つである、MDKの"Fuhl mehn Fuhl ehndoh litaah"が"für mein Führer Adolf Hitler"の音韻的模倣であるという具合に。


    http://jfk.2ch.net/test/read.cgi/progre/1243566397/250-450


    このスレでは海外のフォーラムも参照とされていて、海外ではかなり議論されているようだ。何でも近年のコンサートでは、コンサート後のバーでクリスチャンが酔った勢いで黒人差別発言を繰り返していたのを何人ものファンが目撃したのだという。


    かなり奇妙な話だ。マグマ結成のきっかけはコルトレーンの死だったと語り、オーティス・レディングに捧げる曲まで作り自ら歌っていたのは、他ならぬクリスチャンであったはずなのに。エルヴィン・ジョーンズを敬愛していたはずの彼が、本音では黒人差別主義者だったというのか。それとも、人種論から導き出された結論だというのだろうか。


    また、どうやら聴くところによれば妻であるステラ・ヴァンデ(近年はステラ・リノンと名乗っているらしい)はユダヤ人であるという。そのほかにも、歴代メンバーにはユダヤ人がいるそうだ。いったいこの論理的な矛盾は何か?


    しかし考えてみれば、マグマが題材としてきたような神話の世界は、本来的には論理で構築された世界とは一線を画すものだ。そこでは論理的な破綻や矛盾、背徳や理不尽が奇妙に同化して、スペクタクルを織りなしている。ヒトラーと第三帝国が持つ神秘主義や奇妙な理論に魅惑を感じる者はオカルト者には少なくないが、クリスチャン・ヴァンデのヒトラー崇拝の源泉もそこにあったのではないか。ゴングのデヴィッド・アレンも「Magick Brother」のMagicをMagickと綴ることでアレイスター・クロウリーへのリスペクトを見せたように。


    こうした目で見てみれば、論理一貫しないことで一貫しているという、ある種パラノイアとしか思えない、アクロバティックなまでの雑種性が、実はマグマの神話的音楽の源泉だったのではないかという気なでしてくる。しかしされとて、疑問は尽きない。


    ちなみに、大里俊晴氏はマグマのことを「クリスチャン・ヴァンデがファシストだから嫌いだ」と言っていたのを思い出した。彼がファシストであることは、かなり昔から言われていたことらしい。


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    2010年1月9日土曜日

    大里俊晴氏追悼イベントに行ってきた



    本日1月9日に、関内・馬車道にて大里俊晴氏追悼イベントがあったので行ってきた。


    イベントのメインはトークショーで、いろいろとエピソードが語られたのだが、会場が残響の強いところで、話の半分ぐらいしか聞こえなかったのが残念だった。生前、大里さんからちょくちょく話を聞いていた細川周平氏を初めて見かけた。師匠である塚原先生も少ししゃべっていた。トークショーでは大里さんが生前授業のネタによく使っていた、Alvin Lucierの「I'm sitting in the room」(文章の朗読を何度も空中ダビングしていくとどうなるかという現代音楽)も流していた。


    後半には2008年に新潟で行った大里さんの演奏のビデオを上映していた。以前、1度だけ大里さんの演奏を見かけたことがあるが、そのときはあそこまで激しい演奏ではなかった。やっていることは、ギターのフィードバックを利用したノイジーなインプロビゼーションで、結構同じようなことをやっている人もいるのだが、何か彼を突き動かしている衝動が感じられて、単純にかっこいい。「ガセネタの荒野」で、バンド時代の演奏を表現した詩のような一節に、「僕らは終わり続けていた」「終わり続けていたから終わることができなかった」というような文があったが、これじゃ終われなかったのだろうな、そんなことを思わせた。年を取って枯れた何かでも、深化した技術でもない、青臭さを感じさせる演奏だった。


    2次会は食事を囲みながらスピーチなどを聞きつつ、歓談、という内容。知人はいなかったので、なんとも話しかける気に何となくなれず、かといってさっさと帰る気にもなれず、ただその場の雰囲気を味わっていたという具合。大里さんの取ったという写真が置いてあったが、硬質な絵がとてもセンチメンタルで、存外に素晴らしい写真だった。生前試用していたギターやベースが売られていたが、フレットレスのプレシジョンベースやアコギなど、個性的な楽器だらけ。こういうところも、それらしいなと思う。


    横国で行われていたゲストを呼んでの講義で、大友良英氏の回が会場にて上映されていたのだ。大里さんと大友さんの競演の様子も見られたのだが、大里氏の客席に背を向けつつギターをフィードバックさせるその演奏スタイルを見ていたら、自分はたしかこの演奏を見たんじゃなかったかと思い始めてしまった。本当にそんなことがあったのかは、未だにハッキリと思い出せないのだが、あの背中を向けて演奏する姿には絶対に憶えがある。自分のハッキリした記憶としては山本直樹さんの回だけだったのだが(あのときは大里さんに依頼されて山本さんの送迎を担当したので覚えている)。当時、大友さんの演奏をよく見に行っていたので、可能性はある。


    追悼イベントはまだいくつか行われるらしいので、時間を作って行ってみようと思う。個人的には未見のAAを見てみたい。





    クリムゾンのニューアルバム?「The Reconstrukction of Light」

    クリムゾンが現行ラインナップでスタジオアルバムを作る予定はないと発言していることは有名だが、クリムゾンの最新スタジオアルバムと言えるかもしれない作品が登場した。それが6月発売されたばかりの「The Reconstrucktion of Light」だ。これは「The Constr...