2011年8月15日月曜日

硬水とビールの関係

最近、会社で沢山ボトルをため込んでいる人がいて、まぁ放射能対策なんだろうけれども、聞いてみたら自販機で買うよりもかなり安いらしい。なるほど、通販で水を買う発想はなかったと言うことで、いろいろ調べてみると、一時期、ナチュラルローソンで売っていた、クールマイヨールがアマゾンであったので早速購入してみた。

この水、いわゆる硬水で、源泉はイタリアとフランスの国境付近。味の系統はコントレックスに近いのだが、より飲みやすい。気のせいか、やや塩味が感じられる。しばらく飲んでいるうちに、薬を飲むために水道水を飲んだら、余りに味と臭いがひどいこと愕然とした。寝る前に冷やした水を飲むのを日課にしているのだが、水道水を飲んでもこれまで何も思っていなかったのに。一度分かってしまうと、とにかくすべてが気になりだした。


そんな折、アマゾンVineプログラムで水をもらえるらしいので、注文してみた。こちらフィジー・ウォーターと言い、は源泉はフィジーの地下水で、水圧を利用することで開封まで一切外気に触れていないという。クールマイヨール以上に根が張る高級水だ。味の系統は軟水に近い。最初飲んだときは「甘っ!」と感じたが、それはクセが全くないせいのようだ。ほのかな風味も感じられた。飲み続けるにつれ、すっきりとした味がとても気に入った。クールマイヨールとは全く違うが、これも美味しい水だ。

さて、前置きが長くなったが、ここからが本番。あるクラフトビール専門店にて、お客さんと会話下内容を紹介したい。ビールと水の関係についてだ。

クラフトビールというのは、いわゆる大メーカーによる大量生産品ではなく、職人による手作りビールのことだが、実は日本のクラフトビールのレベルは結構高い。香りが芳醇で、味も素晴らしい。ただし、生ビールのため鮮度が命と言うことで、複数種類を置いている店は少ない。自分の行きつけは、クラフトビール専門店の走りだった店で、常時10種類ぐらいのビールを置いているのだが、味にうるさいお客は「~の味、最近変わったね」ということを言っていたりする。そんな発言の中で気になったのが、水とビールの関係だ。

ヨーロッパの水は硬水が多いのに対し、基本的に日本の水は軟水である。というよりも、日本人の好みが軟水向きというか。軟水で造るビールは、基本的に甘くなるのだという。硬水で作ると逆に、きりっとした輪郭のハッキリした味になると言う。ここら辺記憶が曖昧だが(酔っていたので)、試しにと言うことで硬水で割った酒か、あるいは硬水で作ったビールか何かをごちそうになり、たしかに味のベースが全く違うことに気づいた。こういうのは一度気づいてしまうと、とにかく味が気になり出すのだ。あるビールを飲んでは、うーん味が柔らかい、とか、こっちは締まってるな、とかそういう風になってしまった。おそらく、水割り(トワイスアップも含む)も硬水と軟水で相当違ってくるのでは無かろうか。きっと氷も統一しないと……などなど。

自分は、広まってしまった放射能をことさら気にしていても、もはやどうしようもないと半ばあきらめ気味なのだが、一連の問題で水の味や質に目が向くようになったのは怪我の功名というか、一つの収穫だったと思う。



2011年8月13日土曜日

John Funkhauser Trio - Time



これまたピアノトリオものの紹介なのだが、おそらく日本でこのアーティストの名前を知っている人はほとんどいないと思う。自分も知らなかった。某南博氏に、バークリー時代の友人としてCDを聴かせてもらって知ったのだが、何とも言えないドリーミングな音が気になり、買って聴いてみたら、これが大当たり!

このアルバムタイトル、ジャズに詳しい人ならピンと来ると思う。そう、デイブ・ブルーベックの「Time Out」と同じく、変拍子ものの曲が多くを占めているのだ。

たとえば1曲目。"On Green Dolphine Street"はジャズ好きなら誰でも知っているスタンダード。これを5拍子でやっている。といっても、いわゆるプログレ的な(=クラシック的な)3/4+2/4*1を余り感じさせないように、ピアノのメロディーがルバートっぽくフレーズを奏で、ドラムはビートをかっちり刻むのでなく、優しく寄り添うようにアクセントを付けている。一聴してこれを5/4と分かる人はなかなかいないんじゃないかな。

同じ事は8曲目の"Come Rain Or Come Shine"にも言えて、こちらは3拍子。サスティンペダルを多用して、流れるようなサウンドを実現させている。ECM的にエコーを深くかけたものはあっても、こういうサスティンペダルを多用した演奏って、有りそうでなかなか無い。

そのほか、自作曲の2曲目"Ellipse"は、ピアノの左手が5/8で右手が7/8で、35小節ごとに周期が合うという、まるでキング・クリムゾンの"Discipline"のようなことをやっているのだ。ちなみにベースは6/8×5+5/8で35小節目で一周、ドラムは35ビート。さすがにソロの部分は5/8になるが、これもまたジャズでは珍しい試み。

などなど、複雑な変拍子を多用した作品なのだが、プログレにありがちなガチガチなキメがなく、どの楽器もアクセントの置き場所を自由自在に操り、隙間を作ることで、聴き手に変拍子を意識させず、たゆたうようなサウンドを実現させているのだ。私も散々ジャズは聴いたけれど、類似の作品を知らない。

しかも、ググって知ったのだが、この人、なんとベーシストでもあるそう。世の中才能のある人というのはいるものだ。

これだけ良いのに、なんと販売はCD Baby(アメリカの自主製作ものの流通業者)。う~~~ん、惜しい。日本のジャズ関係者はもっとこの人に注目して、CDを作らせてはどうか。こういうピアノトリオこそ、世に知られるべきだ。

*1 たとえば"Lark's Tangue In Aspic Part2"は3/8+2/8で5拍子




2011年8月12日金曜日

【翻訳】 ジョン・アンダーソン インタビュー 2011.6.29

このインタビューはGeek of DoomのObi-Danによって行われ、2011年6月29日に公開されたものである。クリエイティブ・コモンズライセンスによって公開されているので、ライセンスを継承しつつ、翻訳をここに掲載する。インタビュー内容は、イエス脱退の話よりも最新ソロアルバムの話が中心となっている。



60年代末、ジョン・アンダーソンは世界で最も注目されたロック・ミュージシャンの一人となった。彼の印象的な声によって、革新的なプログレッシヴ・ロック・バンド、イエスのリードシンガーとなり、彼らは30年以上にわたって何百万枚ものセールスを上げている。


現在、アンダーソンはイエスを脱退し、世界中の人々とコラボレートしてソロアルバムを作ることに力を入れている。彼は今なお健康で、幸せで、ファンタスティックな音楽を作り続けている。「Geeks of Doom? 大好きだよ!」




ジョン、調子はどうですか?

ジョン・アンダーソン(以下、JA):とても良いよ。今はとてもエキサイティングな時を過ごしている。今日、ソロアルバムが発売されたからね! 昨晩、3フィートもあるようなキングスネークが僕の家の玄関に居たんだけれど、これは再生を意味する。キングスネークを見るのは珍しいことだし、それが玄関の前にいたんだからね。これはネイティブ・アメリカンのトーテムで、再生を意味するんだ。だから、僕はいま順調なんだよ。

新しいジョンになったんですね!

JA:そう、新しい僕だよ!(笑)

「Survival & Other stories」がどういうアルバムになったのか教えて下さい。

JA:いいとも。君はもう聴いたかい?

ええ、"New New World"と"Understanding Truth"を聴きました。

JA:"Understanding Truth"は、オランダの北に住んでる若い男性から送られてきたものなんだ。彼は美しいギター曲を送ってきてくれてね、僕はすぐ歌ってみたんだ。歌というものは時にしてすぐにやってくるものなんだ。分かるかい? ヴァンゲリスとやっているときのような感じだった。ジョン&ヴァンゲリスの音楽は聴いたことあるかい?

もちろんです。

JA:僕たちは曲を即席で作ったんだ。3日間、毎日曲を書いて最後には「やあ、これはクールだね!」となったもんさ。最近、どういう事が起きているかというと、誰かがMP3で音楽を送ってきてくれて、僕がメロディと詞を書いて曲に当てはめるのさ。そして1ヶ月後、12個ばかりの全然異なったシチュエーションのアイディアが手元にあるわけだよ。ある曲はミュージカルみたいだし、ある曲は土着の音楽だったりする。わかるかい? どの曲も、全く違う人たちから送られてきたもので、みんなとても才能がある人たちだから、今とてもエキサイティングなんだ。知ってるかもしれないけれど、僕はウェブサイトに広告を出してて、毎週、沢山の人たちからアイディアが送られてくるんだ。今でも送られてきているよ。音楽のパンドラの箱を開けたんだ。このアルバムはその中から選んだ一部に過ぎないんだよ。僕が世界中のいろいろな人と作業をして作ろうとしている3部作の1作目になるんだ。

ウェブサイトの募集に反応があったので、驚きませんでしたか?

JA:もちろん、驚いたよ。みんなが誰だか知っている人に連絡できるようなものがウェブサイトに上がっていたから、あんなに反響があったんだろうと思うよ。彼らは僕と仕事をすることに興味があって、送られてきたものは僕が本当に欲しいものだった(笑)。1曲目の"New New World"はサウスパークの音楽をいくつかやったことがある人から送られてきたんだよ。

本当ですか?

JA:そうだよ。ジェイミー・ダンラップが僕に音楽を送ってきてくれたんだ。彼は去年の夏、パリにいて、アメリカとヨーロッパでいくつかショーをやってて、僕に曲を送ってきて、彼のアパートで僕が歌ってみたんだ。素晴らしい贈り物だよ。今でも素晴らしい歌が送られてきてるんだ。わかるかい?

もちろん。2つとも素晴らしい曲ですが、全然違う曲調ですね。

JA:そりゃそうさ、2人とも違う人だからね(笑)どの曲も、新しいエネルギーのようなものなんだ。

ところで、さっきも言っていたように、あと2枚のアルバムが出るんですか?

JA:そのとおり。たぶん、1年ごとに出すことになると思うよ。実際どうなるかは分からないけれど、どれぐらいみんなが曲を送ってきてくれるかによるね。今朝ちょうど、傷痍軍人会のための曲を書いて、歌ってたんだ。2週間後にケネディセンターで歌うことになるよ。これはフルオーケストラみたいな曲なんだ。

彼らは、ケネディセンターで歌ってもらえませんか?と聞いてきたんだ。僕は「チケットをお願い!」って言ったんだ(笑)「ロイヤルアルバートホールで歌いませんか?」「よろしくお願いします!」というようなものさ。

そうですね! あなたはソロアーティストとして楽しくやっていますが、バンドであるよりも合っていると感じていますか?

JA:ええとね、僕は今年で67歳になるんだ。だから、僕には全然違う世界なんだよ。ソロショーをやると2時間はステージにいることになるから、前よりも大変なんだ。イエスよりも沢山歌ったり、しゃべったりしないといけないんだ。だから、バンドをやる余裕はないし、バンドとマネージメントの問題もあるからね。そういうわけさ。僕は自分の国によく仕えていると思うよ(笑)

まさにそうですね!(笑)

JA:音楽に興味がない人たちとつきあわなければならない、でも、彼らはバンドをやることを強制してくる。だから、だから僕は病気になったんだと思ってる。病気になって、拍手に疲れたんだ。わかるかい? 音楽は簡単なんだけれど、ビジネスは大変と言うことなんだ。

過去はすべて捨てたと言うことなんですか?

JA:ええと、僕と妻のジェーン、2本のギターにウクレレ、そしてステージで弾くピアノだけ。ある意味、休暇中のようなものなんだ。旅行は少しきつかったりするけど、それも僕と妻だけだし、僕たちは愛し合ってる。他に何が必要なんだい? 僕は今でもイエスのファンが好きなものを出し続けていると信じているし、彼らだけを狙って作っているのでもないんだ。僕は沢山のオーディエンスに届けたいと思っている。僕も昨日知ったんだけれど、アルバムのある曲がポーランドでなんとナンバーワンになったんだよ。

ええ!?どの曲ですか

JA:"Unbroken Spirit"という曲だよ。

すごいですね!

JA:曲はポーランドの作曲家が書いたんだよ。僕がメロディと詞を書いて……書いたのは2年前で、ちょうど僕が病気だった2008年だよ。正しくは、2年半前だね。とにかく、それを書いたのは僕が本当に病気だったときだ。みんな本当に信じられないくらいいい音楽を送ってくれたんだ。いやきっと、音楽の神が僕に癒しを送ってくれたんだ。あと、僕の歌が入った「Prayer Cycle 2: Path To Zero」というジョナサン・エライアスのアルバムがもうすぐ出るんだ。スティングも歌ってて、他にも2人ほど有名なシンガーが参加してるんだけれど、僕はラハト・アリ・ハーンと一緒に歌ってるよ。彼はパキスタンの美しい声のシンガーなんだ。この曲は、僕が最初の手術を受けた後に送られてきたんだ……ちょうど新しい癒しの力のようなものだった。アルバムは今週出るよ。


「フライ・フロム・ヒア」はイエスじゃない

あなたが言ったように2008年は具合が良くなったそうですが、そのためあなたはイエスとツアーができませんでしたね。彼らと仕事が続けられなくて残念ではなかったんですか?

JA:それはドラッグだったんだよ。僕はバカじゃない!(笑) それはドラッグだ。いったい彼らは何をやってるんだい? もしそれが友情からしたことだとしたら、忘れるよ。人は病気になったときに、自分の友達が誰か分かるものだよ。彼らは面倒でも僕に連絡してこなかったんだ。アランは僕に1回電話をくれたよ。でも、リックはずっと連絡してきてくれたんだ。だから僕らは今でも友達なんだ。今年の後半、僕たちはデュエットでツアーをやるんだ。

いいですね。あなたは、あなたが歌っていない2つのイエスのアルバム、「ドラマ」と「フライ・フロム・ヒア」についてどう思いますか?

JA:僕がイエスのアルバムと呼んでいるものじゃないよ。つまり、僕はイエスのアルバムとは考えてない。とても才能のある奴らがやりたいことををやって、たまたまイエスという名前を使えたというだけのことだよ。でもそれも人生さ。みんな、「オーケー、やらせておこう」というだけさ。

もちろん、みんなあなたがいた頃のイエスが一番で、本当にプログレッシヴ・ロックと呼べる数少ないバンドの一つだったと知っていますよ。当時、このジャンルができあがっていくことに自覚はありましたか?

JA:僕はフランク・ザッパがプログレッシヴ・ロックを始めたんだと思ってる。他にも、ヴァニラ・ファッジ、バッファロー・スプリングフィールドなど、いろんなバンドがあった。ビートルズも、プログレッシヴミュージックをやっていたんだ。信じられないくらい商業的に成り立ってたんだ。「リボルバー」や、もちろん「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」を聴いてごらんよ。とても美しくて、プログレッシヴだ。でも、70年代頭には誰がそんなことをやっていると分かっただろう? ピンク・フロイドはずいぶん先に行っていた。だから僕は、始めたのは僕らじゃなくって、他の多くのミュージシャンがやっていたことのあとを追っていっただけだと思うんだ。それは、クリフ・リチャードよりもインスパイアされるものだったからね!

こうして僕たちは成長していったんだ。クリフやアルマ・コーガンといった人たちのことはたぶんあまり知らないだろうね。彼らはみんなポップだった。皆がポップと呼んでいるもので、着飾ってヘアクリームを塗って、テレビに出るようなポップスターだったんだ。ところが、ビートルズが登場したら、「あれ? 君たちはいつもの連中で、まだ有名だったの?」という感じになったんだ。だからみんな、60年代にビートルズやローリング・ストーンズになりたかったんだ。

70年代が来ると、僕はもう音楽をやるしかないと思った。だって、僕は26歳でイエスを始めたから、もうポップスターになるには歳を取りすぎているからね。僕がポップスターに見えたとは思わない。だから、僕がしたかったことは、みんなとは違う音楽をすることだったんだ。僕はあらゆる種類のクラシックを聴いていた。もちろんストラヴィンスキーとかね。『ロード・オブ・ザ・リング』を読んでいたし、ジャズやフランク・ザッパやウェザー・リポートといった音楽を聴いていた。こういった体験が、新しい音楽へのエネルギーへとつながっていったんだ。だから、みんなが「君はプログ・ロックだね」と言うと、僕はふざけるなって思うんだ。わかるかい? 本当にそう思ってるんだ。プログレッシヴな音楽は常に存在するし、今も聴くことができる。君はNeroとDubstep Symphonyを聴いたことある?

いいえ、知らないです。

JA:そうだろうね。BBC Radio1 Xtraでチェックしてみると良いよ。ちょうど先週サルフォードでやったばかりだし、インターネットで見ることもできる。これがまったく驚かされるんだ。とても冒険的なことをやっている。素晴らしいミュージシャンが冒険的なことをやっていても、レコード会社はいつも興味を持とうとしないんだ。でも、インターネットのおかげで、ミュージシャンは自分で発表ができるようになって、音楽で金を稼ぐこともできるようになった。神の祝福だよ。


僕らはみんな、ビートルズになりたかった

あなたはもともとアクリントン(Accrington)の……

JA:アクリントン・スタンリー[訳注:地元のフットボールクラブの名前]だね!僕らはファースト・ディビジョンまで行きそうだったんだ。

よく知っていますよ。ファイナル・スポットで落ちてしまったんですよね。

JA:いつも流血騒ぎがあったもんさ(笑)。9歳の時には僕はマスコットだったものさ。ショーツに赤いシャツを着てボールを蹴って、レフリーからハーフ・クラウン[原注:1970年に廃止されたイギリスのコイン]を得ていたんだ。僕はサッカー少年だったんだ。なにしろ、競技場が家から200ヤードも離れてなかったからね。本当にサッカー少年で、よく靴を磨いていたよ。

当時、何人か良いプレイヤーが周りにいたに違いないですね。

JA:そうさ、でもリーグを抜けると、僕らは文無しだったんだ! 僕の人生話だね!(笑)

アクリントンで育ったときの音楽の想い出は? 私は、町の最初の12弦ギターはあなたが持っていると聞きました。

JA:いいや? だれがそんなこと言ってたんだい?

実を言いますと、私とあなたはアクリントンでつながりがあるんですよ。同じ学校に行ってて、ブルコ旋盤工場で曾祖父のレスと働いていたんです。

JA:(笑)その名前を覚えてる! なんてこったい! こりゃすごい。そうだよ、僕はセント・クリストファーズ・スクールに行ってたんだ。旅行の神様よ(笑)それは僕だよ!

僕は20歳までギターを弾けなかったんだ。僕は弾けるようになるまでやらなきゃと思っていたんだ。弾いても血だらけになるから、24歳か25歳になるまで再びギターを手にしようとは思わなかった。そして、ロンドンに行って、ギターを手にいれて、また練習を始めたんだ。曲も書き始めたんだけれど、どれもひどいものだった。でも、突然、僕は"Time And A Word"や"Starship Trooper"や"Long Distance Run Around"を書いた。僕はうまくスタートできたよ。

あなたの姉弟のトニーとThe Warriorsに所属していた頃のことですか?

JA:いや、1969のころで、クリスとイエスをスタートした時のことだよ。63年にThe Worriorsにいて、僕らはCabernで演奏した。僕らはみんな有名になる前のビートルズを見に行ったよ。あれは素晴らしい時間だった。彼らは本当に素晴らしくて、僕らはみんなビートルズになりたかった。リバプールのアクセントで話したりしてたんだ! 母から頭をはたかれたよ。ランカシャーのアクセントで話すのを止めたんだ。スコース(Scouse)に戻るとビートルズになりたくて、ランカシャーに戻るとつまみ出されるんだ(笑)

(笑)あなたがThe Worriorsにいたころ、あなたは初期のビートルズに似た格好をしていました。

JA:そうだね。みんなビートルズになりたかったからね。僕は髪を黒く染めて、すごい格好だったよ! でもそれも人生さ。何かを試して、進み続けるんだよ。いま、僕は新しい音楽を作り続けている。今朝もいくつか曲を書いてる。自分のしていることに興奮しているよ。自分のしたことに感謝しているし、祝福を受けている。僕は健康だし、妻のジェーンを愛している。

あなたとお話しできて嬉しかったです。

JA:どうも、ありがとう。

時間を取っていただきありがとうございます。

JA:こちらこそ。


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2011年8月11日木曜日

Otomo Yoshihide New Jazz Orchestra - Out To Lunch



もう6年ぐらいの作品だが、CDを売りに行ったところで思わず見つけてしまったので、購入してみた。これは大友良英ニュージャズクインテットをオーケストラにまで拡大して、エリック・ドルフィーの「Out To Lunch」をカバーするという趣向のもの。

聴いてみて、ちょうどアレクサンダー・フォン・シュリッペンバッハの「Monks Casino」との近似性を感じた。


シェリッペンバッハは70年代ヨーロッパフリーの騎手で、現代音楽を出自に持つピアニストである。その彼が、アクセル・ドゥナー(奇しくも大友のOut To Lunchにも参加)などのメンバーを集めて、コンボ形式でモンクの全オリジナル曲を演奏したのが「Monks Casino」だ。これを以前購入して聴いていたのだが、シェリッペンバッハの個性である、アメリカのフリーのような過激さとは少し違う、ヨーロッパならではの知的でクールなフリーさが余り感じられず、サウンドは普通のバップに近かった。コンセプトはあったのかもしれないが、モンクの作品が持つ個性をどう扱うか、手に余っているという印象を受けた。

大友の「Out To Lunch」にもそれは当てはまる。

ドルフィーの「Out To Lunch」は、いわばフリーとフリーに興味がありつつもまだ調性の中にとどまっている新主流派の会合であり、両者の拮抗が面白い作品だった。大友のバージョンでは、中村としまるや宇波拓といったジャズとは距離のあるいわゆる「音響派」ミュージシャンと、津上健太や水谷浩章や芳垣安洋といったオーソドックスなジャズのフィールドで活躍するミュージシャンとの共演が、当初のコンセプトであったのだろう。ところが実際には、中村達の存在はほぼ効果音的な程度にしか認められず、全体として聴くと単なるフリージャズにしか聞こえないのである。つまり、オリジナルの面白いところを換骨奪胎するわけでも、新しい解釈を提示してみせるわけでもないのだ。フリージャズが好きな人たちにとっては中村達の存在は邪魔で、音響派に興味がある人たちにとっては津上たちの存在は凡庸になってしまっているのである。つまりこちらもドルフィーの個性をどう扱うか、手に余っている感じがするのだ。

ミュージシャンが音楽を作るのに「やりたかったから」以外の理由はいらないかもしれない、でも、やるからには、聴く方に「そうか、これがしたかったのか!」と言わせるだけのものを提示して見せて欲しい。大友は、もっとジャズから遊離するような方向を模索してみても良かったんじゃないだろうか。




2011年8月9日火曜日

イエス「結晶」製作の真実(2)ジミー・ホーン インタビュー

長らく謎に包まれていた、イエス「結晶」の製作過程に関するインタビューの2つめを掲載する。今回は、スティーヴ・ハウの代わりにABWH側のほとんどのギターを弾いたジミー・ホーンのインタビューだ。ジミーは、元イエスのメンバーが中心となって結成されたサーカ(Circa)の初代ギタリストで、現在はCMや映画音楽の製作を中心に手がけている。インタビュー末尾で語られている、ジョナサン・エライアスやビリー・シャーウッドとのThe Unknownというバンドは結局、恒久的な活動に至らなかったようだ。

インタビューはイエス関連のニュースサイトで有名なYes Newsの管理人、Henry Pottsによって行われた。

なお、1つめのジョナサン・エライアスのインタビューはこちら。






(原文へのリンク:http://www.bondegezou.co.uk/iv/jhinterview.htm)

ほとんどのイエスのファンは、ジミー・ホーンのことを聞いたことがないと思う。しかし、おそらく彼の演奏は耳にしているはずだ。なぜなら、ホーンは「結晶」でギターを沢山弾いているからだ。どの部分で、そしてどうしてハウではなくホーンがアルバムのかなりの箇所でギターを弾いたのか、その答えは以下に述べられている通りである。ホーンのイエスメンバーとの関わりはこのアルバムだけにとどまらない。彼はビリー・シャーウッドとこの20年ばかり活動を共にしており、80年代の終わりにはLodgicというバンドを結成している。また、ホーンはクリス・スクワイア・エクスペメリメントでも仕事をしており、さらにジョン・アンダーソンのアルバムでも演奏している。

このインタビューを企画した時点で、ホーンはジョナサン・エライアスとの仕事を続けていた(アメリカン・リバーも含まれる)。そして、現在、彼はビリーとアラン・ホワイトとトニー・ケイのバンド、Circaに加入している[訳注:現在は脱退]。

このインタビューは2000年の終わりから、2001年の初めにかけて、Eメールで行われた。ジミーには協力に感謝の意を表したい。


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ヘンリー・ポッツ:まず最初に、あなたは最初に音楽を始めたのはどのようにしてですか? また、どのようにLodgicは始まったんですか?

ジミー・ホーン(以下、JH):僕の父はとっても有名なオペラ歌手だったんだ(ジミーの父、Roucaunは、エド・サリバンショーにも出たことがある)。4歳の時、夜遅くまで起きて、父がいろんなジャズやクラシックや映画のテーマをかけてくれたことを覚えてる……彼はヘンリー・マンシーニが好きだったんだ。それらの音楽は常に僕の原点にあるね。最初に聴いたロック・アルバムは「Meet The Beatles」だった。そのとき、僕らはネヴァダ州にある、ラス・ヴェガスに引っ越したんだ。父がDunesで大きな仕事を得たからね。そこで、僕は3年生の時、マイケル・シャーウッドと知り合った。彼の父もショービズの世界の人で、僕らは大の親友になった。マイケルはドラムセットのあるでっかい部屋を持っていて、エレクトリック・ギターも持っていた(ギブソンの175だったんだよ!)。僕らはいろんなグループのまねをしたもんさ。モンキーズやビートルズ……。ビリー・シャーウッドはまだほんの子供だった。

最初にギターを手にしたのは11歳の時で、グランド・ファンクの曲を練習した(なぜなら彼らの曲は簡単だったからね!)。そして、トムとマーク・フラッチャーと共に、バンドを始めた。"Roundabout"をラジオで聴いて、音楽の見方がまるで変わってしまったことを今でも覚えてる。僕はレコードを買って、何回も何回も聴いたもんさ。次に「危機」を買って、もちろん"And You And I"を練習した。でも、僕がギタリストとして本当にスタートしたのは、部屋にこもってイエスのバージョンの"America"を1音1音練習したことだった。友人は僕の演奏が変わったと言ってたよ。そして、更にいろいろチャレンジしてみたんだ。ジョン・マクラフリン、ジェフ・ベックとかね。リハーサルルームを借りて、"Close To The Edge"を僕のボーカルで録音してみたこともあったんだよ。うまくいって、ヴェガスのパーティーで演奏し始めたんだ。発電機を持ってきて、砂漠の真ん中で無数のバンドを呼んだパーティをやってたね。そうしたことが終わったら、Lodgicが結成され、そのときにしては実にプログレッシヴな音楽をやっていたよ。そして、LAのマネージャー(バリー・モーガン)が僕らの地元のクラブでの演奏を聴いて、LAに移るお金を出してくれたんだ。ビリー・シャーウッドはそのときドラマーに戻ってて、近所の苦情に悩まされてた。そこで、僕は彼にベースを弾いてみないかって言ったんだ。ヘッドフォンをいつでも使えるからね。そしたら、彼は美しいミッドナイトブルーのTAMAのセットとそれよりもずっと安いKramerベースを交換してきたんだ。でも、2年の内に彼はバンドに十分やっていけるまでになった! ある時、ギグの後にTOTOのメンバー(デヴィッド・ペイチ、スティーヴ・ポーカロ)がやってきて、A&Mにサインさせてくれたんだ。さらに、彼らはアルバム「Nomadic Sands」もプロデュースしてくれた。

「Nomadic Sands」を再リリースする予定はありますか?

JH:それは疑わしいな。とにかく、もっと注目が集まらないとね。いつか実現できたらいいね。

それからLodgicの後にどういうことがありましたか? その次のあなたのキャリアは? ビリー・シャーウッドとギー・アリソンは一緒にWorld Tradeを結成しましたが、あなたは誘われなかったんですか?

JH:実際、ビリーと僕とで新しいグループをすぐにでも始めようという予定はあって、リハーサルもしたし、いくつか曲も録音した。彼はブルース・ゴウディを手伝っていて、そっち側で別のプロジェクトが始まってしまい、それがWorld Tradeになってしまったんだ。僕はスタジオ仕事を続け、マイケル・ラフのような他のバンドとも仕事をした。そのころ、シェリル・クロウと出会った。僕がロブ・ロウのために作ったデモを耳にして「誰がギターを弾いているの?」と聴いてきて、それで彼女のグループに参加することになった。グレッグ・フィリアンゲインズがキーボードを弾いてて、ジェリー・ウェイツがベース、アルマンド・グリマルディがドラムス。僕らはいくつかギグもしたよ。クリス・スクワイアがエリック・クラプトンと一緒に見に来てくれたこともある。

どのようにして、「結晶」に係わるようになったんですか?

JH:ええと、ある日、友人のスティーブ・ポーカロから電話があったんだ。彼は僕がイエスを大好きだって事を知ってた。そして、彼はアリスタがスティーヴ・ハウのようなサウンドが出せるギター・プレーヤーを捜していると言った。アリスタはスティーブ・ポーカロに、スティーブ・ルカサーにやってもらえないかと尋ねたらしいんだが、スティーブは適任者が居ると言ってくれたんだ。それで僕は、ジョナサン・エライアスに会いに、ハリウッドのA&Mスタジオに行ったんだ。彼は僕に新しいABWHのアルバムのラフトラックを聴かせてくれた。スティーヴはほぼ全編にわたってギターソロを繰り広げていて、アリスタはギターパートは受け入れがたいと感じていると、教えてくれた。それは部分的には真実だった。アリスタが求めていたのは、クラシックなスティーヴ・ハウのサウンドにトレヴァー・ラビンのサウンドが混ざったものだったんだ! 彼らはその方がレコードがより多く売れると思っていたんだと思う。そして、ジョナサンは3曲のギターが入っていないミックス("Without Hope"と "Dangerous"と"Silent Talking")を僕に渡して、ハウとラビンがやりそうなプレイをやってみてくれと言ったんだ。僕は自宅スタジオで1つ1つ録音しては、ニューヨークのジョナサンのところにテープを送ったんだ。他にも2人の著名ギタリストが居て(誰だか話せればいいんだけれども)、彼らも同じ事をやってた。でも、彼らは僕のテープを一番気に入ってくれた。それで、僕はニューヨークに飛び、大体3ヶ月居て、僕の大好きなバンドのためにギターを録音したんだ(夢が叶ったよ!)。同時に、ビリー・シャーウッドはクリスやアランと合流し、僕らとは全く別に作業をしていたんだ。

ギターパートを弾くためにやってきたとき、誰があなたと一緒にスタジオで仕事をしていたんですか?

JH:作業は午後5時から朝の5時まで続いたもんさ。1ヶ月半、全く休み無しでやっていたよ。基本的に、彼らは24トラックのスレーブテープにジョンの歌が入ったラフミックスを作って、僕が20以上のトラックにアイディアを乗せていった。大抵はバズ(エンジニア)と僕が一緒に作業をしていて、時々、ジョナサン・エライアスとアレックス・ラサレンコが立ち寄って、アイディアをいくつか出してきた。各セッションの後、ジョナサンはジョン・アンダーソンに聞かせては、フィードバックをもらっていた。アルバムのファイナル・ミックスは、3台の24トラックレコーダーを同期して行なわれた。ジョン・アンダーソンとジョナサン・エライアス、そしてもう一人(口外しないでくれと言われてるんだ)が最終的にどのパートをアルバムに収録するか決めたんだ。

それでは、「結晶」の詳細について話して下さい。

JH:アリスタ[訳注:「結晶」をリリースしたレコード会社の名称]が欲しがっていたのは、昔のスティーブ・ハウのようなプレイで、たぶん彼らはそのときの録音には満足していなかったんだと思う。だから、僕はベストを尽くして、だいぶうまくいったと思うよ。バンド・メンバーの何人かはハウのプレイだと信じていたみたいだからね。アリスタは元々は僕のことをクレジットするつもりは全く無かったけれど、ラッキーなことにクレジットしてもらえることになった。だから後のために、どれがスティーブでどれが僕か話そう(もしユニオン・ライブ・ブートレグを聞いたら、僕が何を思いついたのか、スティーブのオリジナルパートがどれか分かるかもしれないね)。

  • トラック 1:I Would Have Waited Forever
    オープニングのリフは僕だよ。アリスタは"Starship Trooper"みたいなのを欲しがってたんだ。そして、スティーヴは0'24''~0'49''の間にある、繰り返しのシングルトーンフレーズと、ソロの終わりを弾いている。それ以外は全部僕だ。エレクトリックもアコースティックも、いくつかの効果音を重ねたのもね。

  • トラック 2:Shock to the System
    これはスティーヴのシステムへのショックだったろうね。スティーヴは全く弾いてないんだから! もちろんオープニングのリフはスティーヴが書いたけれど、音質の問題で差し替えられたんだ。これは僕のお気に入りで、なぜかというとほとんどのリフを書いたのと、僕らが考え出した新しいセクションがあること、そして4'10''からのリフが"The Gates of Delirium"にそっくりだからね。さらに、僕はいくつかベースも差し替えたんだ! トニー・レヴィンが彼のベースをスタジオに置いていったから、全く同じ音でセクションを加えることができた。僕の予想だけど、スティーヴはこのセクションをライブで弾くことを拒否したと思う。ユニオンツアーの途中、飛行機でラビンがスティーヴに弾いて見せたら、開いた口がふさがらなかったそうだよ。

  • トラック 5:Without Hope You Cannot Start the Day
    これもまた、スティーヴが全く演奏してない。たぶんスティーヴはこの曲を聴いてないんじゃないかな。ジョンとジョナサンが書いた曲だよ。

  • トラック 8:Silent Talking
    メインリフのタイミングがずれていたんで、僕が差し替えたんだ。できるだけスティーヴの音に似せるようにがんばったよ。2つほどスティーヴの弾いたリフが残ってる。よく聴くと他と少し音が違うよ。0'46''~1'03''のところだ。

  • トラック11:Dangerous
    スティーヴは弾いてない。アルバムで余り好きじゃない曲だ。でも、僕が"フィーチャー"された曲だね。

  • トラック12:Holding On
    スティーヴが最初のメインリフを0'31''~0'47''まで弾いている。沢山リフが、特に終わりに向かってあるけれど、全部僕が弾いてる。実にスティーヴらしく聞こえるんじゃないかな。

  • トラック14:Take the Water to the Mountain
    スティーヴは全く弾いてない。でも、実にスティーヴらしく聞こえる。

  • トラック15:Give and Take
    スティーヴのメインメロディから始まってて、僕はハーモニーを加えてる。コーラスと同じように、ヴァースも全部僕が弾いた。スティーヴのサウンドは歪んだ細い音で通していた。彼のトラックは全部そうだったんだけれど、僕はここではもっと多彩なカラーが必要だと思ったので、発展させてみたんだ。

振り返ってみて、「結晶」は今ではどう思いますか? 大半のイエスファンの反応は悪いことについては? また、今では自分自身はどう思っていますか?

JH:このレコードはとても楽しいと思うし、音楽的にも興味深いんだけれど、ファンの反応もよく分かるよ。でも、それは音楽的な視点とは余り関係がないと思う。むしろ、政治的な事情とイエスらしさが無いと言うことなんだろうね。もし、自分がスティーヴ・ハウだとしたら、誰かがやってきて自分のパートを差し替えたら怒ると思うよ。でも、僕は彼のサウンドとスタイルに沿うように注意していたし、ギブソンES-175を使ったりとかしたんだ。

もし誰かが、「この曲のスティーヴのギターは好きだな」と言って、本当はあなたの演奏だったと知ったら、あなたはどう思いますか?

JH:そうだね、嬉しいね。だって、彼らにそれがスティーヴの演奏だと思い込ませられたんだし、アルバムにクレジットされてないことが不満だったから。でも、それもオーケーだよ。

あなた自身がイエスのファンになった事について話しましょう。あなたはどのようにしてバンドに入ったんですか? あなたの好きなイエスの曲やアルバムは? ユニオン以降の最近のイエスのアルバムについてどう思いますか?

JH:"Roundabout"を聴いたのが、1971年のパーティの時だったんだ。天国のように響いたよ。だって、ラジオで流れてくるような曲と全く違ったんだからね。そして、僕は"Long Distance Runaround"がカップリングされたシングルを買った。イエスのアルバムは全部買ったよ。そして、次のアルバムをワクワクしながら待っていたもんさ。好きなアルバムを挙げるとしたら、「危機」とそして「リレイヤー」だね。"To be over"のスティーヴのソロは傑作だよ。その次は「海洋地形学の物語」だね。僕にとって、90125以降のイエスは別物になってしまった。楽しめなかった訳じゃないよ。ラビンの作品は素晴らしかったけれど、ポップマシーンになったように見えたから、新しいスタートに興味があった。僕は「海洋地形学」や「危機」に戻ろうとしたんだ。ビリー・シャーウッドがイエスに係わるようになったのは、とても重要なことだった。彼はバンドのために沢山のことをしたかったし、やったけれど、ラビンが言うようにそれはとても大変な立場だったんだ。

「結晶」と同じ頃、あなたとLodgicのメンバーの何人かは、エア・サプライに係わるようになりましたね。それはどういうきっかけだったんですか、そしてどのようなものだったのでしょうか?

JH:エア・サプライのメンバーとはセッション活動の中で出会ったんだ。彼らは、僕がツアーをしたいなら、やらないかと言ってきた。5年ほどやったけれど、楽しかったね。少ししたら、マイケル・シャーウッドとギー・アリソンも呼んできて、最後にはマーク・T・ウィリアムスも加わったよ。

そして、The Keyをビリー・シャーウッドとマーク・T・ウィリアムスとでスタートさせました。あなたたちは、Delta Sierra Julietというアルバムをレコーディングしましたが、リリースはされませんでした。背景にはどういういきさつがあったんでしょうか。また、私たちはそれを聴けないんでしょうか?

JH:僕らは基本的にこのアルバムの曲をビリーのところで書いて、それは本当に良かったんだ。レコード会社に送ってみて、インパクトレコード(MCA)とサインすることができたんだけれど、最後のところで彼らは降りちゃったんだ。ビリーと僕とで、復刻できないか話し合ってるよ。World Tradeよりもギター指向の音楽になってるよ。World Tradeのセカンドアルバムにも収録されている"Dark Sky"(作曲:ホーン、シャーウッド、ウィリアムス)という曲は、もっとキーボード寄りになってるね。

The Keyはクリス・スクワイア・エクスペリメントとツアーして回っていて、あなたは両方のバンドで演奏していますね。一方ではイエスの「結晶」で演奏していて、他方ではクリス・スクワイア・エクスペリメントで演奏するというのは、どういうものでしょうか?

JH:うん、とっても素晴らしい経験だったね。ライブで演奏した音楽は大好きだったよ。"I've Seen All Good People"や"Long Distance Runaround"という曲を演奏できて、そのときはなんだか現実じゃない気持ちだった。それにスティーヴ・ポーカロと演奏できたのは素晴らしかった。ビリーやマークといった僕の相棒と演奏できたのも良かったしね。アランも素晴らしかったし、クリスはすごい奴さ。有る夜、彼は夜遅くまで僕に、初期のイエスがそのときはまだ無名だったジミ・ヘンドリクスと共演したときの話をしてくれたんだ。イエスの番が来ると、クラプトンやタウンゼント、エントウィッスルといったビッグネームが聴きに来ていて、クリスは自分に「よし、俺たちは奴らを魅了する素晴らしい演奏をやってみせるぞ」と言い聞かせた。最後の曲が終わった時、オーディエンスが熱狂していて、イエスはすごく興奮していたけれど、実はそれはジミ・ヘンドリクスに対してだったんだ。

ジミ・ヘンドリクスの名前が出ましたが、あなたもまた左利きのギタリストでしたよね? そしてジミも名字がHから始まります。少しヘンドリクスと共通点がありますね! 同じ左利きとして、彼はあなたの作品に影響を与えましたか?

JH:もちろんそうだし、今でもさ。彼のエレクトリックギタープレイはすべてのギタリストに影響を与えてるよ。もちろん、スティーヴ・ハウも("Yours is No Disgrace"のギターブレイクなど)。また、僕も右手用の弦を使って左手で弾いたりしたもんさ。ジミは逆にしてるよと教えてくれるまでね。名前の綴りに従って、彼に敬意を払い、後にそのやり方を止めたよ。

イエスつながりで、喜多郎のアルバムにジョン・アンダーソンと参加していますね。また、ジョン&ヴァンゲリスの「Page of Life」にも一曲参加しています。これらのアルバムについても話を聞かせていただけますか?

JH:「結晶」の仕事をニューヨークで終えると、ロサンゼルスに戻ったんだけれど、ジョン・アンダーソンから電話があって、彼の家でデモテープに演奏をしてくれないかといわれたんだ。彼は"Change We Must"をかけて、ソロを入れてほしいと言ったんだ。彼は僕のソロを気に入ってくれて、ハリウッドのスタジオに行き、アルバムの曲を何曲かやったよ。1曲目と6曲目だ(USバージョンの「Page of Life」)。ジョンは一緒に仕事をしてすばらしい人間だし、いろいろと喚起されたし、サポートしてくれた。僕が1曲やると、彼は目をつぶって聞き直して、もう少し違ったものがほしいときはコメントをしてた。

喜多郎はジョンを通しての仕事だったけれど、ちょっと変わった感じだったね。なぜなら、彼は英語がしゃべれなくて、アイディアを話すときは通訳を通していたから。また、セッションの前に彼らは僕に電話してきて、ディストーション・ペダルを持っているかと聞かれたので、いくつか持ってると答えたんだ。そうしたら、セッションに行ってみると、彼らは僕が見たことのあるありとあらゆるペダルとアンプヘッドを用意していたんだ! でも、全体としてはすばらしい経験だったね。


ジョン・アンダーソンと共にジミーホーンが参加した喜多郎の92年発表作。映画『十五少女漂流記』のサントラ盤を全世界向けに編集し直したアルバム、グラミー賞にノミネートされた。ジョンのヴォーカルは3曲で聴ける。



上記アルバムに収録されている、映画『十五少女漂流記』の主題歌。日本の歌番組に出演時の映像。ホーンは映っていない。

ほかにもシェールと仕事をしていますね。これはどうでしたか?

JH:僕は彼女やセリーヌ・ディオンのために、作曲家たち(ダイアン・ウォーレンやガイ・ロッチ)とデモを作ってて、彼女とアルバムに収録するあるダイアンが書いた曲で一緒に仕事したんだけれど、それは収録されなかったんだ。

あなたは「結晶」でジョナサン・エライアスと初めて会いましたが、その後いろいろな共同作業を始めましたね。ジョナサンと一緒に仕事をするのはどういうものでしょうか? また、あなたはElias Associates(映画やコマーシャル音楽を製作するプロダクション)に入らなかったんですか?

JH:ジョナサンと僕はうまが合ったよ。僕たちの作曲やプロデュースの仕方がとてもよく似てて、相互補完的なことに気づいたんだ。彼はまた僕の大の親友だ。彼はニューヨークに住んでいたけれど、「結晶」のあとに、いろいろなアルバムプロジェクトに呼んでくれた。彼はニューヨークに引っ越してくれば、いつでも一緒に仕事が出来るのにといってくれたけれど、僕は娘のためにとどまることを選んだんだ。結局、彼がロサンゼルスに引っ越してきて、僕らはすぐに仕事を始めた。ジョン・アンダーソンがそこに住んでいたとき、僕らは何度も彼と会ってたよ。実際、ジョンはフォードのコマーシャルの曲をエライアスと書いてたし、それはとてもうまくいったんだ。ジョナサンはとっても気前が良くて、面倒見のいい人なんだ。マイクとビリーもそれに同意すると思うよ。

コマーシャルのための音楽を作るのは、ロックバンドをやるのとはまったく違う経歴だと思います。あなたは2つを相互補完的なものと思いますか?

JH:うん、そうだと思う。コマーシャルでは音とスタイルを操るカメレオンになれるんだ。それは、いろんなアイディアをもたらしてくれて、バンドにも生きてくるんだ。僕は今では本当に少しのシンガーとしかプレイしていない。僕の娘はジョナサンと僕が仕事をするシンガーの一人だよ。彼女は立派な女優、歌手、作曲家なんだ。彼女はたくさんの映画をやってるし、Movie Surfersというディズニーチャンネルのマンスリーショーのホストをしているんだ。バンドもやってて、Vitalというんだ。ファンが彼女のためにウェブサイトを作ってくれてるんだよ。君もチェックしてみるといいよ![訳注:2011年現在、サイトはMySpaceに置き換えられている様子] 彼女は僕の誇りなんだ。

エライアス・アソシエイツでの仕事と、あなた自身のバンドをやったり、セッションでプレイするのはどう違いますか?

JH:2つはまったく違う世界だよ。バンドは結婚みたいなもので、プラスとマイナスの面がある。セッションは、常に誰かを満足させようとしなければならないから、実に挑戦しがいがある。僕はこう弾いてくれとか言われるのは好きじゃないんだ。それは創造性に反するものだからね。

コマーシャルの仕事についてはどう考えていますか? コマーシャルは独立した芸術的価値があると思いますか、それとも単にテクニック上のチャレンジでしょうか?

JH:両方だね。僕はあらゆる種類の音楽から学んできた。17世紀のバロック風音楽を書いたら、次はトリップ・ホップの曲に変えるなんて事が同じ日にあったりするんだ。ロックバンドをやっているのと同じぐらい多くの聴衆に音楽を届けられる。すごい生活さ。

映画音楽はどうですか?

JH:映画音楽はもっと微妙で、引き出しが必要なんだ。原則的に、テーマは映画を通して違う形で再提示される。もっとゆっくり考えて、スコアリングだけを追うようなことをしてはならないんだ。すべての動きにアクセントを付けようとしちゃだめなんだ。70年代の刑事ドラマのような感じになっちゃうからね。

好きなコマーシャルはありますか? あなたはいくつか賞を取っていますよね。

JH:選ぶのは難しいね。でも、バドワイザーの"Lobster"のスポットは良いね。大オーケストラがドラマティックに盛り上げる。しっかりスコアリングしてある。アウディ"Lives"が自分が最も誇りに思っているものだね。AICPアワードを受賞して、いまニューヨーク近代美術館で常設展示されているんだ。クアーズのコマーシャルでは、レス・ポールたちが出演しているんだけれど、彼らの演奏から正しいサウンドが得られてないと思ったので、ギターを差し替えることにして、彼の手を見ながら彼が弾いているようにしたんだ。素晴らしい仕上がりになり、後でレスと会ったときも「あれは好きだよ、実にクールだね」と言ってくれたんだ。また、僕は最近のプロジェクトでBBキングと共演したんだ。あれは素晴らしい経験だったね。彼は偉大で謙虚な魂の持ち主だよ。


ジミー・ホーンが手の動きをまねて演奏したという、レス・ポール出演のクアーズCM。

ビリー・シャーウッドの次のソロアルバム「No Comment」には、あなたのボーカルデビュー曲が収録されていますが、どういういきさつで実現したんですか?

JH:それがおかしな話なんだよ。ビリーはヴォーカル・サンプルをライブラリから探して、僕が何年か前にやったやつを見つけて、それがぴったり合ったんだ。それがどんなものかはまだ言わないけれど、きっと驚くと思うよ。ビリーはすごいアルバムを完成させて、もうすぐリリースされるんだ[原注:結局、ホーンのヴォーカルはアルバムには使われなかった]

ビリーはThe Unknownという新しいバンドの予告をしましたが、LodgicやWorld Trade、エライアス・アソシエイツのメンバーの名前が沢山含まれています。プロジェクトについて詳しく教えていただけませんか? また、いつデビューアルバムが聴けそうでしょうか? 主にあなたとビリーのプロジェクトになるのでしょうか、それとももっと幅広いコラボレーションになるのでしょうか?

JH:今はビリーと、ジェイ・シェレン(Jay Schellen)[訳注:後にアラン・ホワイトに代わってCircaに加入するドラマー]と僕がメンバーだけど、ジョナサン・エライアスとマイケル・シャーウッドももうすぐ加わるよ。アルバムはすごくプログレッシブなものになるだろうし、ギブソン175を沢山使っているんだ。僕は最近、左利き用のギブソン175をもう一つ手に入れたんだけれど、スティーヴ・ハウのメインギターのライバルになると思うよ。とにかく、アルバムはすごいものになるけれど、TLCから多くをとっているんだ[訳注:TLCが何を意味するか不明。分かる方教えて下さい。]。

他に将来の予定はありますか? 自分自身のバンドや、他のサウンドトラックなど、特にしたいことは?

JH:The Unknownのほかに、ジョナサンと僕はNoella Huttonというシンガーのレコードをプロデュースしているんだ。彼女はアイルランドから来て、リリス・フェア[訳注:アメリカの音楽フェアの名称]にも出たことがある。今年の夏にリリス・フェアの映画が出るから、それで彼女を見られるよ。この子は本当に素晴らしいんだ。すごく興奮しているよ。


トニー・ケイ、アラン・ホワイト、ビリー・シャーウッドと結成した、Circaのライブ映像。イエスの代表曲を年代順にメドレーで聴けるという趣向。90125イエスで存在感の薄かったトニーが活躍していることと、ジミー・ホーンがスティーヴ・ハウのサウンドをいともたやすく再現していることに驚く。なおホーンは現在はバンドを脱退している。CircaのCDは現在ではアマゾン等大手では扱いがないようだ。興味を持たれた方はディスクユニオンあたりを探してみることをおすすめする。

<参考リンク>
ジミー・ホーン公式サイト:http://www.jimmyhaun.com/
リンジー・ホーンのMySpace:http://www.myspace.com/lindseyhaunmusic


2011年8月5日金曜日

ガセネタ - ガセネタ In the Box ちらかしっぱなし




結局なんだかんだ言って、ガセネタ In the boxを購入してしまった。10枚組。なんてことだ、聴くだけでもちょっとした拷問だ。自分で言うのも何だが酔狂としか言い様がない。まだ半分しか聴き終えていないが、この時点で言えることはオススメだと言うことだ。ただし留保点がいくつも付くので、詳しく読むように。行くぞ。

まず、この音源に音質を求めてはいけない。

ほとんどがオーディエンス録音である上、スタジオ録音ですらワンマイクで録っている。ベースが聞こえるときはボーカルは聞こえず、ボーカルが聞こえるときはベースが聞こえず、両方がハッキリ聞こえるときは音はスカスカという、音質としてはブートレッグと大差ないどころかサウンドボード録音やエアチェックのブートのほうがまだマシだ。まぁ、世にはキングクリムゾンの「Earthbound」すらネタにするDJもいるぐらいなので、音質が悪くても気にしないという人間は居るだろう。ましてや、音質が悪いからこそ荒々しいガレージサウンドが表現されているとも言える。

そして、曲のバラエティなどを求めてはいけない。

ガセネタのレパートリーはたったの4曲だけだ。「宇宙人の春」「父ちゃんのポーが聞こえる」「雨上がりのバラード」「社会復帰」のみ。

それだけでCD10枚が埋められるのかって? 埋めてるんだこれが。

Disc 1、2は「雨上がりのバラード」のみ全21曲、Disc 3、4は「父ちゃんのポーが聞こえる」のみ全20曲、Disc5は良心的だぞ、「宇宙人の春」が8曲だけと「社会復帰」が3曲だけ。Disc 6はアウトテイクと称して今まで挙げた4曲が何曲かずつか計16曲。Disc 7は未聴だが初期セッションが3テイク、Disc 8はガセネタのメンツに誰かが加わったりしたような変則編成の9曲(今挙げた4曲以外も入ってるけど、これらはガセネタの演奏と言っていいのか?)、Disc 9ではハイライズによるガセネタ曲演奏(一部で山崎晴美や大里俊晴も参加している)、最後、Disc 10はMOODMANによるノンストップミックスが3つ。

さあどう? 買う気でた? 俺ぜんぜんわかんないんだけど。

結局、ガセネタとは、山崎、浜野、大里という3人が、何も知らないまま突き進んで、とんでもない方向に皆で行こうとして、そして終わるしか無かったバンドだったんだと思う。誰もが子供のままでいられないように、彼らもガセネタで活動し続けるほどの純粋さ(純粋さとは無垢とは限らないぜ)を保つことはできなかったと思う。10代の終わりから20代頭にかけての微妙な季節は、無残にも終わりが来る。大里は「いつも同じ事はしなかった」と言うけれど、一方で「終わり続け」ていたとも書いている。冷静にこの10枚組を聞けば、たしかに彼らは同じ音は弾かなかったかもしれないけど、同じ事の繰り返しにも聞こえる。そう、彼らは最初っから終わりにたどり着いていたから、先には行けなかったんだ。

大里にできたことは、そこから降りることだった。事実はどうであれ、彼は降りたんだと自分で思っていたんだと思う。そして、その後ろめたさが、その総括たる書籍「ガセネタの荒野」になったんじゃないかな、と思うのは、彼の隠れたロマンティストぶりを垣間見たから言えるのだろうか。

結局、この原稿も先に行けそうにない。終わり続けるしかなさそうだ。彼らが残した、もうこの機会を逃したら2度と手に入らないだろう10枚のCDを聴きながら。

<追記>
なんと、10月にはグレイテスト・ヒッツなるCDが出るらしい。未発表テイク収録だそうだ。なんだそりゃ。




2011年8月2日火曜日

イエス「結晶」製作の真実(1)ジョナサン・エライアス インタビュー



それは90年代頭のこと、プログレファンならずとも、ロックファンにも前代未聞のことが起こった。バンド名称所有権で法廷闘争にまで発展していた、イエスとそのスピンアウトバンドであるアンダーソン・ブルフォード・ウェイクマン・ハウという2つのバンドが合体、8人編成となってアルバムを製作するというのだ。このアルバム「結晶」は発売前から大きな評判を呼び、海外ツアーは軒並みソールドアウトになったという。筆者も当時CNNのニュースでツアーが好評であることを見た記憶がある。

だが、アルバムの実際の出来は賛否両論だった。90125チームの曲のポップさは旧来のイエスファンから糾弾され、ABWHチームの曲はそのクオリティに多くの不満が噴出した。一番の不満は、"UNION"というアルバムタイトルながら、8人が一緒に演奏している曲が1つもなかったことだ。

なぜそのようなことになったのか? 西新宿あたりのブート屋を徘徊するような人々を除けば、その裏事情はまったくの闇の中だった。

しかし、これから紹介するインタビューが、「結晶」がいかなる事情の下で作られたか、バンド内にはどのような人間関係があったのかを明らかしてくれる。このインタビューがまだ日本語圏であまり知られていないことを知り、ここに原著者の許可を得て翻訳したものを発表する。翻訳に意味不明な点があるとすれば、それは翻訳者である私の責任である。誤訳等が有る場合、指摘をいただけると幸いだ。また、翻訳を許可してくれた、Henry Pottsに感謝の意を述べたい。Thank you, Henry. Without your effort, we can't know what's happened in the UNION session.

全二回のうち、第一回はアルバムのプロデューサーのジョナサン・エライアスへのインタビューである。ABWH側の曲のほとんどに名前を連ねる彼はいかなる役割を果たしたのか、そしてスタジオでは何が起こっていたのか。忌憚のない意見がそこには綴られていた。




(原文へのリンク:http://www.bondegezou.co.uk/iv/jeinterview.htm)

ジョナサン・エライアスはイエスのファンには「結晶」のプロデューサーとして知られている。当時、エライアスは評判を呼んだ「The Prayer Cycle」をリリースしたばかりで、映画やコマーシャル音楽のプロデュースに係わりながら、ビリー・シャーウッドや兄のマイケル・シャーウッドやジミー・ホーンを雇っていた。ジョナサン・エライアスとはいったいどういう人物なのか、「結晶」の裏に隠された真実はいかなるものだったのだろうか?

このインタビューの質問内容は私、Henry Pottsが考えたが、質問は私の代わりにジミー・ホーンが2001年3月に行った。ジョナサンにはインタビューを受けてくれたことを、ジミーにはインタビューが実現できたことを感謝したい。


***

最初にありきたりな質問ですが、どのようにしてあなたは音楽を始め、音楽ビジネスの世界に入っていったんですか? あなたは演奏者になりたかったのでしょうか、それとも作曲家やプロデューサーになりたかったんでしょうか?

ジョナサン・エライアス(以下JE):最初、僕は指揮者とクラシックの作曲家になりたかったんだよ。イーストマン・スクール・オブ・ミュージックに入って、そこでクラシックを重点的に身につけた。ロックミュージシャンになりたいとは思っていなかったんだ。漠然と、音楽を教えたりすることになるんだろうなと思っていたよ。大学の一年目でもう、作曲と指揮で博士号を取り音楽教師になるつもりでいたんだ。

実際のキャリアはずいぶんと変わりましたね。映画音楽は1979年の「エイリアン」の宣伝用の音楽から始めたということで合っていますか?(Elias Artsのウェブサイトでこれまでの仕事を見ることができる)

JE:そのとおり。そういう仕事から始めて、最初の数年間は映画プロモーション用の予告編の音楽をたくさん手がけたよ。「ブレードランナー」や「狼男アメリカン」や「バック・トゥ・ザ・フューチャー」や「遊星からの物体X」などね。さまざまな映画の予告編をやったな。そこで経験を積み始めたんだ。

80年代の終わりから90年代の初めまで、あなたは映画サウンドトラックに仕事を移しましたね。そして、ロックバンドのプロデュースも始めましたた。そしていま、あなたはエライアス・アソシエイツを設立しています。こうした様々な変遷をしてきたのにはどういう背景があったのでしょうか? あなたが選んでそうしてきたのでしょうか、それとも周囲の状況によるものでしょうか?

JE:その両方が少しずつかな。僕はエライアス・アソシエイツを1980年から始めた。そのとき、僕らは映画の予告編を手がけるようになって、MTVにも係わり始めた。僕はオリジナルのMTVプロモ用アイデント*1を書いたんだ、月に降り立った宇宙飛行士の映像を使って。優秀な作曲家のスタッフを集め始めて、いろんな種類のコマーシャルをたくさん作ったよ。ジェームズ・ボンドや「愛と悲しみの果て」で有名なジョン・バリーと知り合いになったのも、80年代の頭だった。ジョンは、僕を映画音楽の世界に引き込んでくれたし、コマーシャル音楽をやっている間でも、「白と黒のナイフ」や「007 /美しき獲物たち」のような映画で一緒に仕事をした。その映画で偶然、メジャーなポップバンドと初めて仕事をすることになったんだ。それがデュラン・デュランだったんだ。その後、デュラン・デュランとアルバムも作ったよ。


エライアスが手がけたMTVのアイデント

ソニークラシカルのウェブサイトでは、あなたはコマーシャル音楽に"フィルムスコアリングとサウンドデザインテクニックを導入した"と紹介されています。映画音楽からコマーシャル音楽に進んだことは、あなたのキャリアパスにとって過去の業績と言うことでしょうか? 今でもあなたのキャリアとして記憶されたいものなのでしょうか、それともあなたの2つのアルバムがあなたの誇りであり喜びなのでしょうか?

JE:まぁ、イエスとやった仕事はそうじゃないね、あれは死んだ馬を馬場に連れ出すようなものだったから(笑)。僕は、子供達のいい父親として記憶されたいね。音楽については、いろいろと素晴らしいことをやったと思ってる。正直にいうと、イエスは過去の業績を持とうとはしていないし、僕も過去の業績を持とうとはしていないんだ(笑)。僕たちが仕事をしてきた人たちで過去の業績を持とうとしている人はそんなに多くない。でも、僕が一緒に仕事をしてきた人たちが、僕が誇れる楽しい共同作業者だと思ってくれたら、それは僕の過去の業績になるだろうね。そして、一緒に仕事をしてきた大抵の人たちがそれを証言してくれるだろうと思っている。

あなたの最初のアルバムプロジェクトは「Requiem for the Americas」でした。あなた自身のロックアルバムを作ろうと思ったのは何がきっかけだったんですか? また、ミュージシャンをどのようにして選んだんですか?

JE:最初にロックの仕事をしたのは「美しき獣たち」の挿入歌を歌ったデュラン・デュランだったけど、多くは僕の手によるものだった。後に彼らと作ったアルバム、「Big Thing」も僕が多くの部分を手がけたんだ。同じ頃、僕はネイティブ・アメリカンの窮状に関心があった。僕はちょっとした寓話を、オペレッタのようなものになりそうなものを作り始めた。でも次第に、それがロックになるんじゃないかと考え始めた。なぜなら、どう見てもクラシック音楽になりそうな感じじゃなかったからね。で、それをちょっと発展させて、当時一緒に仕事をしていたようなミュージシャンのために演奏するつもりだった。ところが彼らが興味を持つと、友達を呼んできてくれて、雪だるま式に増えて行ったよ。意図的に彼らに参加してもらおうとしたんじゃなくって、気がつけば彼らがアルバムに参加していたんだ。


デュラン・デュランの「a view to a kill」

どのようにしてジョン・アンダーソンと知り合ったんでしょうか? 共通の関心事であるネイティブ・アメリカンの文化を通じてでしょうか?

JE:ある共通の興味を通じてであり、ジョンと仕事をしていたある友人を通してだったよ。僕は彼に「Requiem」のテープを送ったんだ。ジョンは僕に電話してきて、僕が送ったものに歌詞と歌を付けてみた、気に入ってくれるといい、と言ってくれたんだ。それがジョン・アンダーソンと知り合ったきっかけだった。それまで彼に会ったことはなかったんだ。彼は電話してきてこう言ったんだよ「気に入ってくれるといいな!」って。

「結晶」の制作過程は謎に包まれています。あなたならひょっとしたら、その過程に明かりを照らせるかもしれません。あなたはジョン・アンダーソンと一緒にスタジオでいくつもの曲を書いたようですが、それは十分な素材が少なかったり、共同作業が足らなかったからでしょうか?

JE:素材は無かったよ。元々、スティーヴ・ハウがソロアルバム用に作った素材があって、いくつかそれを送ってきた。ジョンは1つ2つのちょっとしたアイディアを持ってきた。問題は、その時点では2人とも互いにいがみ合っていたことなんだ。ジョンとスティーヴを、僕抜きでスタジオにいさせておくことなんてできなかった。スティーヴがしたことと言えば、朝起きて、ハイになると*2それ以降は何もできなかった。だから、僕らは座っていくつかコードを書いてみようとしたんだ。僕の子供時代のポップアイドルがいるというのに、彼らは喧嘩せずには3つのコードすらも並べることができなかったんだ。そして、ジョンとスティーヴを一緒にすると、スティーヴは僕に、彼がどれだけジョンの歌詞を嫌っているか、どれだけジョンがアイディアがないかを常に言って来るんだ。そして、ジョンはジョンで僕にこう言うんだ、「ああ、スティーヴは本当に才能が無くなった、エイジアはなんてひどい代物だ――彼がしたことを見てみろよ」とね。

それにリック・ウェイクマンときたら……彼のしたかったことは、ミックス中に出て行くことだけだね。リックが3つか4つのパートを弾いたけれど、それは全部同じものだったよ。僕はハモンドオルガンをスタジオに入れさせたんだけれど、彼は触ろうともしなかった。「時代遅れだ」ってね。そう、何も実現してないし、彼は何も触れてないんだ。何か彼は良いプレイをしたかい? 誰か他にいなかったら、彼らを一緒に座らせて素材を書かせることはできなかった。人間関係上の問題でね。彼らは、とても長い間ツアーを共にしていたし、たぶんお互いに様々なエピソードがあったんだろう。彼らの半分は、本当に何も弾けなかったんだ。私が言いたいのは、とても悲しかったと言うことだ。彼らはずさんで、疲れていて、歳を取ってた。

時間のプレッシャーはどのぐらいありましたか?

JE:実際、時間のプレッシャーはすごくあったよ。彼らは金のためにしかやっていなかった。なぜなら、他に何もしようがなかったからね。彼らは全員、ソロ活動を行っていたけれど、ほとんど何も起こらなかった。だから、彼らは一緒になるしかないと気づいたんだ。金を稼ぐ唯一の方法はツアーに出ることだったんだ。彼らはポップな感覚を持っていたとしてもアルバムで金を稼ぐことはできなかったし、ポップな感覚というものから遠く離れていた。トレヴァー・ラビン無しにはね。一緒にやらせようとする時間はあったけれど、彼らはトレヴァーの悪口を言ってた。特にスティーヴがね。ああ、彼と来たら、本当にトレヴァーを憎んでいたんだ! 僕はトレヴァーがやったことは実に斬新だと思っていたけれど、その時点ではリック*3もスティーヴも、僕を引き留めていた。彼らはトレヴァーと係わりたくなかったんだ。

だから、起こったことは、曲を書き始めてそれを止めてしまったということなんだ。スティーヴはリックのパートを聴かないし、リックもスティーヴのパート聴こうとしなかった。ビル・ブルフォードが知りたがったことは「いつ金が入るんだ?」ということだけ。彼らは音楽について考えてなかった。彼ら全員が、ジョンが金を盗もうとしていると思い込んでいた。推測だけど、彼らは金を盗んだマネージャーを雇っていたことがあるんだろうね。彼らがかつてはお互いクリエイティブな分配をしてきたかどうかはわからない。でも、彼らはもはやお互いを信用していなかった。

最後に、あなたはほとんどすべてのABWH側の曲に共作者として名前を連ねています。あなたは他のABWHのメンバーと共作していたのでしょうか。それとも、あなたのその後の作業が彼らの最初のアイディアに反映されているのでしょうか?

JE:彼らには最初のアイディアなんてなかったよ。言った通り、スティーヴが2つばかりで、リックは何も無かった。

あなたは、スティーヴのソロアルバムから素材を持ってきたんですよね?

JE:そうさ、スティーヴのソロアルバム[訳注:タービュランスのこと]から2つほどリフを取ってきた。そして、ジョンにそれを発展させるように言ったんだ。すると彼はこういった。「こんなのクズだよ」って。僕は彼に、「ジョン、これが僕らの持ってるすべてなんだから、ベストを尽くしてくれ」って言ったんだ。そう、私が期待していたようなイエスという言葉がもっている、マジカルで素晴らしくて寛容な雰囲気は少しもなかった。最初はうちひしがれたよ。理解するのに2週間はかかった。僕はデュラン・デュランと仕事をしたばかりで、いくつもナンバーワンヒットを出していた。彼らは楽器が素晴らしくうまい訳じゃないけれど、良いテイストがあった。でもそのときのイエスは、テクニックはあったけれど、テイストがなかった。

彼らは誰かが緩衝材にならないと曲を書けなかった。僕がその緩衝材の役をしたんだと思う。生まれてきたコードやメロディの中には、誇りに思えないものもあるけど、それでも録音できたのは奇跡だ。

ウェイクマンとハウのパートの大部分が差し替えられたのは,どういう状況があったのですか? あなたが決めたことですか、それとも上からの指示だったのでしょうか。

JE:もし他の誰かがバンドについて何でも知ってたとしても、ジョンがまるで鉄の手のようにすべてを取り仕切っていた。だから、ジョンがカルフォルニアに行って、そこの誰かと仕事しようと言ったんだよ。

リックとパリで経験したことなんだが、彼からテレビを取り上げることができず、大失敗だったんだよ……彼が僕を嫌っているのは、テレビを見るのを止めさせようとしたからだと、今でも思ってる。彼のパートの大部分が差し替えられようとしていても、彼はプロジェクトのことを全く気にしていなかった。彼は次のソロアルバムが出るまでのつなぎにこのアルバムをやってたんだ。たぶん、彼はファンが離れていっていることに気づいて、少しばかり気にし始めたからだと思う。

それで、何が起こったかというと、ジョンと僕はギタープレーヤーを捜し、幾人かの中からジミー・ホーンの名が上がってきたんだ。僕たちは、ジミーに会うことにした。ジミーは、このアルバムで起こった最高の出来事だよ。僕たちは最高の友人となったし、これほど素晴らしいことはなかったね。ジョンは、ジミーがその時やっていたことを、ソロ活動で使う事にしたんだ。もし、ジョンが本当に本当のことを気に入っていなかったら、アルバムには使ってなかっただろうね。

キーボードプレーヤーは、ジョンが呼んだんだ。ジョンはスティーヴ・ポーカロとやろうと言った。だから、僕たちはスティーヴ・ポーカロと仕事をした。もし僕がキーボードプレーヤーを連れてきたんだと思っている人がいるなら、本当のことを教えてあげてくれ。さっきも言った通り、ジョンがバンドを仕切ってたんだよ。

ABWHの曲であなたが弾いているのはどの部分ですか? また、他にメインで雇ったキーボード・プレーヤーはいますか?

JE:僕はそれほど多くはキーボード・パートを弾いていない。いくつかは弾いたけれど、それはジョンとスティーヴと曲を書く途中で弾いたもので、残っているのはジョンがそこにあるべきだと思ったものだけだよ。彼はリックが弾いたパートとそれらを混ぜたいと思わなかった。理由は明白だけれど、リックはスティーヴのパートを聴かずに録音したものを戻してきたからね。僕らはスティーヴと仕事を始め、リックと仕事をしにパリに行ったけど、リックはスティーヴのパートを聴きたがらなかった。それで、このバンドがもはやバンドじゃないんだということがあからさまになったよ。彼らはツアーができるように何か出すためだけにそこにいたんだ。雇ったプレーヤーのほうが、バンドのプレーヤーよりも音楽のことを考えていた。トニー・レヴィンは僕にとって命の恩人だったよ。彼だけがこのプロジェクト全体を理性的に分かっていた唯一の人物だったんだ。

セッションパーカッショニストは、どういう仕事をしたんですか?

JE:セッションパーカッショニストは、いわゆるエキストラミュージシャンのすることをやったよ。プロジェクトのことは気にしていなかった。他のバンドの誰も……ジョンとスティーヴを除いて……それもある程度までだけど。それはジョンのヴィジョンであって、スティーヴのヴィジョンは全く異なるものだったということだよ。個人的な衝突がいくつもあった。スティーヴとリックは本当にいつも悪口を言い合っていたよ。彼らとジョンの間に立って、居丈高にならいように、「これがやりたいことなんだ」と彼らに伝えるのは、本当に大変だった。トレヴァーとクリス・スクワイアのほうが、遙かに素晴らしい仕事をしたと思うよ。

そして、ビリー・シャーウッドも?

JE:ビリー・シャーウッドは別の例だよ。誰かがバンドのことを心配して、復活させようとして、そしてバンド全体から責められてしまったんだ。

悲しいかな、かつては彼らは素晴らしいプレーヤーだったと思うけれど、今はかろうじて楽器を演奏できるだけでしかなくて、彼らは音を弾きすぎるんだよ(笑)。ごらん、10年後、12年後にはそうなっているから。僕は本当に多くの仕事を、非常によくやってきたと思ってる。アラニス・モリセット、ジェームス・テイラー、ヌスラット・ファテ・アリ・ハーンたちと仕事したし、他にも素晴らしいコラボレーションをしてきた。だから、全体的な経験としては、ちょっと悲しかったね。ベビーシッター実験のようなものだったから。君も知っての通り、トレヴァー・ラビンが80年代半ばにいなかったら、彼らは長い間解散したままだったろう。

ほとんどのイエスのファンは「結晶」に対して否定的で、あなたもそれに同意するでしょう。でも、沢山のファンが、プロジェクトに起こったことの責任を、あなたやセッションプレイヤーに負わせようとしています。そのことについて,どう思いますか?

JE:イエスのファンが、僕のことを嫌っていても気にしないよ。橋の下を水が流れてるようなもんさ。それより僕が気にしているのは、エキストラミュージシャンのせいで「結晶」がダメになったと捉えられることだ。真実は、エキストラミュージシャンがいなかったらアルバムはなかったと言うことなんだ。スティーヴとジョンとリックの間の不仲は相当なレベルに達していて、一緒に仕事をすることができなかった。だから僕らは、スティーヴが弾いたギターパートを取って、エキストラミュージシャンにこれに沿って弾かせたんだ。こういうことがずっと続いた。彼らが弾いたパートは互いに何の関連もなかったから、プロジェクトを物理的に終わらせるために、エキストラを投入するしかなかったんだ。

「結晶」に収録されている他の曲はどう思いますか? また、その後のイエスのアルバムについては?

JE:僕は、ビリー・シャーウッドとトレヴァー・ラビンには大いに敬意を払っているよ。常に、これからも。トレヴァーがどうやってやっていたかは知らない。トレヴァーは少しばかり独断で、曲とプロデュースを自分でやり、それから他の人たちを呼んできたんだろうと思う。なぜなら、そういう風に音楽が聞こえるからね。僕にはそうとしか考えられないんだけれど、それがビリーにも当てはまるかどうかは分からない。ビリーは素晴らしいミュージシャンだし、彼らがどれだけビリーを頼りにしてきたか、見てきたけどね。

もう僕は、イエスのことは考えてないんだ。彼らの音楽も聴かない。もう考えたくないんだ、正直なところね。僕は次に移って、アラニス・モリセットやジェームス・テイラーのような人と仕事をしているし、もっと2000年代にインパクトを与えられるような、意義のある人たちと仕事をしている。イエスは1980年にエイジアと被ってるからね……スティーヴはエイジアから閉め出されて、もうギターを弾けないから(訳注:インタビュー時点の2001年、まだスティーヴはエイジアに復帰していない)。

分かりました。「結晶」に関してはもう十分です。エライアス・アソシエイツについてどうでしょうか? 映画全体の音楽やアルバムを作るのから、たった数分のコマーシャルの音楽まで手がけていますね。

JE:コマーシャルは楽しいよ、本当にね。最高の音楽、最高の映画を手がけるディレクターと仕事をすると、最高のコマーシャルができる。僕らの会社は、最も受賞暦のある会社なんだ。僕らの分野ではもっと受賞しているから、本当にすばらしいディレクターと仕事をしている。彼らの中には、デヴィッド・フィンチャーやリドリー・スコットなどがいるよ。僕らは本当に数少ない最高のディレクターと仕事をしてきた。だから、僕らのコマーシャルはとっても良い仕上がりになるんだ。フィルハーモニック・オーケストラと仕事もするし、すばらしいミュージシャンとも仕事をする。ジミー・ホーンは最近BBキングとデュエットしたし、僕らはデヴィッド・ボウイとも短期間だけど仕事をした。とってもすばらしいことだし、とても楽しいよ。映画から自分のアルバムプロジェクトまで、とても楽しいさ。

音楽は楽しみだよ。仕事は大変でもあるし、面白くもあるし、グレース・ジョーンズとやろうとイエスだろうとデュラン・デュランだろうと、僕にとって常に楽しみなのさ。「結晶」も楽しかったけれど、イエスにあった政治的な事情や彼らがお互い憎み合っていたのは楽しくなかった。彼らは実は今でもいがみ合っていることを僕は知っている。それは、ジョンを信用しないレベルまで来ている。彼らはジョンが金を盗もうとしていると考えている。そして、彼らはみな彼を恐れているんだ。だから、彼らはマネージャーやプロデューサーやエキストラのギタープレーヤーに責任をなすりつけようとしているんだ。でも真実は、彼らはお互いのことを好きじゃないということなんだ。恥ずべきことだと思うけれど、真実だ。僕自身は今でもジョンのことが好きだよ。彼はいいやつさ。

あなたは自分が手がけた広告の仕事を芸術的価値があるものと考えていますか? それとも「The Prayer Cycle」のようなあなたの「本当にやりたいこと」から出たものを技術的に挑戦する場と考えていますか?

JE:いや、僕はその両方だと思っているね。僕は確かに広告は芸術的なものだと思っているし、僕らが手がけたものは芸術性があると思っている。そうだと思ってない人がいるとしたら、彼はうまくやれていないんだと思う。技術的な挑戦ということに関しては、確かにそういう部分はあるね。思うに、僕の仕事にはどれも僕の「本当にやりたいこと」から出たものだと思うよ。「結晶」を除いてね(笑)

「The Prayer Cycle」はどのようにしてできたものなのですか?

JE:「Requiem」をやっていたときのように、自然にできていったんだ。あるオーケストラ作品を手がけていた。ちょうど最初の子供ができる頃で、自分自身のことを、世界を見つめ始めた。すると僕は、暗い世界に住んでいるような気がして、アーティストとしてそれを反映した作品を作りたいと思ったんだ。「Prayer Cycle(祈りの周期)」は、ヌスラット・ファテ・アリ・ハーンやアラニス、その他の様々な社会の様々なシンガーが一緒に織りなす、祈りの集大成なんだ。また、オフラ・ハザ(Ofra Haza)のような――彼女は最近死んでしまったけれど――イスラエルのシンガーもいる。ピーター・ガブリエルのレーベルにいる、ヤンチェン・ラモ(Yungchen Lhamo)はチベットのシンガーなんだけれど、彼女も素晴らしいね。

「The Pryaer Cycle」は「Requiem for the Americas」よりも良い評価を得ているように見えます。「Requiem」を見返してみてどうですか?

JE:「Requiem」は15年前のことだから、あまり批評のことは覚えていないな。もし良い評価を得ていなかったんだとしたら、参加者の組み合わせが気に入られなかったんじゃないかと思う。「Prayer Cycle」は素晴らしい評価を受けたし、最近のイエスのアルバム*4の2倍近く売れた。良い評価を得たのは、それが本物だったからだと思う。僕は初期のイエスも本物だったと思っているよ。

私はあなたがカール・ジェンキンスと知り合いではないかと思っているのですが、どうでしょうか? 広告分野で仕事をし、クラシック的なアルバムをアディエマスとして発表しています。あなたの作品や「The Prayer Cycle」と並ぶ部分が見られます。

JE:僕は、カール・ジェンキンスのことは知らないんだ。でも、ある人が最近、彼らが一緒にやりたがっているらしいと教えてくれた。なぜなら、彼らが言うには、僕らは共通点がいっぱいあるし、お互いのことが好きだろうからって。だから、僕は彼らに是非会ってみたいし、いずれ僕らの道が交差することが有ると思ってるよ。

これからのプロジェクトを教えて下さい。

JE:今のところ、ジミー・ホーンとアイルランドのNoella Huttonというアーティストと仕事をしてて、彼女のアルバムを仕上げようとしている。その後は僕らは、ジミーの娘のリンジー・ホーンと仕事をしようとしてる。彼女は本当に本当に才能のある歌手で、彼女から素晴らしいもの引き出せると期待しているよ。そしてその後、次の「Prayer Cycle」をやっているだろう。ソニークラシカルから2つのアルバムを出すことになっているんだ。おかしな事なんだけれど、僕はジョン・ウィリアムスとこの「Prayer Cycle」の仕事を一緒にやっている。彼は確かスティーヴ・ハウに関して面白い話の2つのうちの1つを知ってるよ。

ビリー・シャーウッドとやっているUnknownのことも忘れないで下さい。

JE:Unknownはジミーとビリーとでやるプロジェクトになる。これまで僕らが聴いたもの、やったものは、この数年のイエスよりもずっといいものになるよ。


<追記>
インタビュー最後に触れていた、次の「The Prayer Cycle」は「Prayer Cycle 2: Path to Zero」として、2011年に発売された。ジョン・アンダーソンほか、ジャズベーシストのリチャード・ボナ、スティング、Kornのヴォーカルであるジョナサン・デイヴィス、そしてなんとジム・モリソン(!)も参加している。

Path to Zero: The Prayer Cycle 2


  1. Atomic Mother (feat. Sting, Trudie Styler, Rahat Fateh Ali Khan)
  2. Trinity (feat. Jonathan Davis, Salif Keita, Hakim)
  3. Deliverance (feat. Angelique Kidjo, Richard Bona, Yunghen Lhamo)
  4. Devotion (feat. Jon Anderson, Richard Bona, Rahat Fateh Ali Khan, Dadawa)
  5. Fallout (feat. Serji Tankian, Sinead O’Connor, Robert Downey, Jr., Jim Morrison)
  6. Awakening (feat. the American Boys Choir)
  7. Many Suns (featt. Alex Ebert, Joanne Shenandoah, Lilli Elias)

【訳注】
*1 Ident、つまりIdentityに由来する言葉で、番組の途中に挿入される、そのチャンネルのトレードマークとなるような映像。挿入したYouTube映像を見ていただくのが早いと思う。
*2 この表現の意味するところは興味深い。get stonedは、マリファナを服用するという意味も持つからだ。実際にハウがドラッグを服用していたかは定かではない。
*3 リックは後にトレヴァーと意気投合し、次のアルバムは90125イエス+リックでの作成がレコード会社より提案されるが、リックのスケジュールの都合で実現しなかった。なお最近、リックとジョンとトレヴァーでアルバムを作成するという噂がある。
*4 「ラダー」のことを指していると思われる。インタビュー時点で「マグニフィケイション」はまだ録音途中。




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