2010年3月28日日曜日

電子書籍時代の印税契約



電子書籍のビジネスモデルについてエントリーを書こうと思ったら、すでにきちんとまとめられたエントリーがあったので、それを紹介しつつ、内容を補足したい。


http://satoshi.blogs.com/life/2010/03/books.html


Life is beautiful―iPadのインパクト:電子書籍のビジネスモデル


記事に関して、いくつかコメントすると、この記事にて引用されていた印刷の価格構成だが、「製版・写植代:12%」というのは少し古い情報だと思われる。DTPになって写植がいらなくなったからだ。あと、記事を読んで取り次ぎ不要を強調しすぎな気がした。というのも、そもそも取次が介在する余地がない、というよりAmazonやらAppleが取次兼書店となるからであり、そこに取次を敵視する表現を使う意義はないと思うからだ。


さて、私が補足したい内容だが、それは出版社と著者との関係である。上記ブログのエントリー末尾に「電子出版の時代に出版社が生き残るためには」として3つの項目が書かれているが、重要なのは支払いに関する部分だ。


紙の本では、これまで出版社が著者に払ってきた印税は、刷り部数×定価の10%である。これが、電子書籍になったらどうなるか。電子書籍には刷り部数というのが存在しない以上、売れた部数×定価のn%を一定期間ごとに支払いすることになるだろう。しかし、文筆業を経験した者であれば、これはちょっと……と思うのではないか。


著者にとって見れば、本を書くのはコストを先に負担している状態なので、できればすぐにマネタイズしたいと思うのが自然である。とすると、出版社と著者の契約形態として、あらかじめ想定部数分の印税を先渡しして、その部数を超えたあたりから部数あたりの印税を払う、というやり方もあり得るはずだ。最近は紙の本でも、刷りに対して極端に売れない場合があるので、保証部数(最低何部は売れるだろうという設定)で印税を払うケースもあるが、それに近い考え方だろう。電子書籍時代の出版社は、著者の収入を安定化するという機能も担うことになるのではないか。


印税を先渡しするリスクは当然あるわけで、その分、印税を低く設定したいという交渉もありえるはずだ。電子書籍時代には、これまでのように業界慣習の10%という横並びの価格設定は通用しない。部数を出せる著者は印税のパーセンテージが高くなり、知名度のない著者は低くなるということもあるだろう。同様に著者の側から見たら、あそこの出版社はパーセンテージが低いとか、向こうは高いとか、逆の評価もありえる。いずれにせよ、電子書籍が本格的にスタートすれば、しばらくは出版社と著者の双方で印税契約の模索が続くことになるだろう。





2010年3月8日月曜日

アゴラブックスはイノベーションか?



先週、経済学者の池田信夫氏が電子書籍ベンチャーを手がける会社「アゴラブックス」を立ち上げたことが、ネットで話題になった。以前から池田氏は、日本にも電子書籍の波が押し寄せていて、出版界の産業構造が変わろうとしているという主旨のことをブログ上で書いていたので、この展開は別に驚くに当たらない。


だが、「いったいどういうビジネスモデルなんだろう」ということが私には大きな疑問だった。池田氏は既刊本を電子書籍化する「著作権エージェントは出てこないだろうか」とブログで書いていたので、それがビジネスモデルと思ったのだが、「どこの馬の骨ともしれないベンチャーと組むよりも、自社でやってしまった方が利益率が良い」と出版社は考えるのが自然ではないだろうかと思っていた。そう思っていたら、J-castから興味深いニュースが出てきた。


http://www.j-cast.com/2010/03/07061675.html


まだ正式に事業展開を明らかにしたわけではないが、この記事をまっすぐに解釈するなら、彼らのビジネスモデルは「第3の電子書籍売り場を作る」ことだったわけだ。これは、既存出版社が抱える「アマゾンやアップルに流通を握られる」とか、「著者が出版社を通さずに直に本を売りだすのでは」という危機感に対応するものだろう。出版社の大同団結がうまくいかなそうだと言うこともあり、第三者の立場から冷静に状況を分析でき、且つ、技術的なノウハウを持っている、あるいはノウハウを持っている人たちを知っているアゴラブックスが入っていける余地がここにあったわけだ。


でも、これこそ池田先生が言う、ガラパゴス化のような気がする。既存の出版社の産業構造を維持させる方向に力を傾けているように、私には思えるからだ。出版界の流通構造を踏襲しない(=取り次ぎを通さない)ということは大きな意義だが、既存の本屋をそのままネット上に置き換えることを目指しているように見えて、そこにイノベーションは感じられない。


既刊本を本当に皆は電子書籍で読みたいのだろうか。たしかに、これはKindleで読めたら便利だよなという本は存在する。けれど、本当に電子書籍化の意義があるのは、電子書籍ならではの本なのではないだろうか。これまで紙では出てこなかったような本が電子書籍で出てくる、そしてそれが新しい需要を喚起する、それこそがイノベーションというものではないだろうか。


たとえばePub形式はスクリプトを仕込めないなど、インタラクティブな要素はあまり考慮していないので、フォーマット的には少しも新しくない。電子書籍はインターネットほどに新しくないのだ。よって、月並みだが、編集の力こそが著者と売り場の間に出版社が入りうる余地だと思うし、それは電子書籍時代になっても変わらないものじゃないかと思っている。編集が必要とされなくなれば、出版社は滅びるだけしかないだろう。


とはいえ、池田先生もまだおもしろいことを仕込んでいるかもしれない。今月の25日にアゴラブックスのビジネスモデルが発表されるという。月末にiPadも発売になると言うし、この3月は出版界にとって激動の1ヶ月になるのかもしれない。


P.S.ちなみに、アゴラブックスが提携を進めているという出版社は、魔法のiらんどを子会社化したアスキー・メディアワークスだと予想しているが、どうだろうか。池田先生もWebアスキーに連載を持ってるしね。


追記・5日にiPadは四月と発表が出ていたんですね。気がつきませんでした。





2010年2月10日水曜日

マスコミが騒ぐほど電子書籍の時代はすぐには来ない



今週頭、Kindle2がウチにやってきた。もともと「電子書籍なんてまだまだだろ」と思っていたのだが、アスキー.jpの記事に興味を持って、つい購入してしまったのだ。ネットにもつながる通話料無料のモバイルデバイス、というのが、非常に魅力的だったし、ちょうど電車の中などで外国書籍が読みたいと思っていたので、3万円以下なら高くはないと思った次第。さて、実際に使ってみた印象なのだが、これは確かに良くできた端末だが、電子書籍の時代はまだまだ来ないなという思いを強くすることになった。


まずKindleの長所・短所を挙げてみよう。


<長所>


  • 3G端末なので直に電子書籍が買える

  • E-inkで見やすい

  • バッテリー持続時間が長い

  • PCより軽い

  • Webも見られる

  • <短所>


  • 日本語が使えない(ハックで日本語表示はできても、入力はまだできない)

  • E-inkなので画面遷移が遅い

  • 文庫より重い

  • Webのようにキーワードで検索とかしにくい

  • 意外にKindle Storeの品揃えが少ない(もちろん日本語無し)

  • 上記のような端末の長短はすでにWebのあちこちで語られていることだと思う。だが、Kindleを端末本体だけで見ていてもユーザー体験や市場への影響度を理解することはできない。書籍の購入方法や、出版社にとっての著作権保護など、ビジネスモデルの観点から見て初めて解き明かせると思うのだ。Kindleというビジネスモデルの特徴は何か。一番大きな特徴は、文庫や単行本の代替品という思想で作られた製品だと言うことだと私は思っている。


    書籍というパッケージをそのまま電子的に置き換えた場合、そのビューアーというのがKindleの位置づけである。基本的に書籍を頭から終わりに向かって読み進めることを前提としてみれば良いデバイスであり、ユーザー体験も悪くない。しかし、たとえば音声や動画などマルチメディア化したユーザー体験を求めたり、文中の語句をネットで調べたり、好きなところだけ飛ばして読んだり、ということを考えたとき、現状のKindleはまだまだという印象を受ける。E-inkの仕様から、カラー化も難しいらしい。となると、ますます文庫の代替と言うことになる。


    逆にiPadはこういう問題点に対応した製品だろう。見つけた語句での検索やとばし読みなどもできる。音声や動画も問題ない。雑誌のような媒体を再現するにはうってつけだ。しかし、それなら何で電子書籍(ePub)なのか、Webでいいではないかとツッコミたくなる。WebならPCでもiPadでもよその端末でも読める。電子書籍というパッケージにするのは、ユーザーやメーカーの先入観と幻想、そしてDRMの問題でしかないのではないかと思ってしまう。そういう意味から、iPadは帯に短したすきに長しの隙間商品くさいなと思ってる。


    昨年末に友人とした会話を思い出す。アップルが電子書籍デバイスを出すと彼は言い張り、そんなもん作るのかという私と、ちょっとした言い合いになった。彼はiPadへの期待からか「電子書籍が流行ってる」と言いだすので、ついムキになって「どこで流行ってるんだ?そんな事実はないだろ」と言い返したのだ。ところが、今年に来て電子書籍元年みたいに言われ始めたので、これは自分の見込み違いだったと思っていたのだが、実際にはやはり私が思った通り、アメリカでもそれほど流行っていないようだ。たとえばKindle Storeを見てみると、ランキングの上位は名作系小説の詰め合わせばかりで、話題のベストセラーは乏しい。フランス語書籍はともかく、英語書籍も思ったほどはバリエーションが無い。点数はあっても同じ作品の別エディションばかりだ。おそらくは著作権フリーの書籍を売っているのだろう。商品が少ないのは、需要がない、つまりまだユーザーが少ないからだ。アマゾンも持ち出しでがんばっているようだが、まだそこまで市場が成熟していないようで、だからこそアップルも参入しようと思ったのだろう。


    たとえ日本でも電子書籍が販売されだしたとしても、結局、マスコミが言うほどiPadもKindleも日本の出版界へのインパクトは強くないと思う。iPadとKindleで日本の出版界が焦土になるなんて言ってる人がWebには結構いるけれど、電子書籍は常に「それならWebのほうがいいじゃん」というツッコミどころがつきまとっている。Webのほうが、検索もとばし読みも加工もしやすく利便性が高いからだ。パッケージであることを止めない限り、電子書籍は常に紙の書籍の代替でしかないが、パッケージを止めたらWebに近づくだけなのだ。単なる代替であるならば、今ある書籍から移行したいと思わせるだけのメリットを示さないと、わざわざお金を出して電子書籍端末を購入しようと思うのは、私のような電子書籍の未来に興味がある人か、ガジェット好きの人間にとどまるだろう。





    2010年1月18日月曜日

    Pマーク取得を楽にする3つの原則



    ここ1年ほど、仕事のほうでPマークの更新というものを手がけている。実は、昨年12月に自社の更新作業は終わったのだが、それとクロスフェードするかのごとく、親会社の更新作業を手伝うことになった。両方とも、身の丈に合っていない規定を作ってしまったせいで、うまく動かせていないことろが複数あった。これらを解消するために、何をどうするか頭を使うのが自分の主な仕事となった。


    さすがに2社もやればPマークにも詳しくなろうというもの。自分が1からPマークを取得するなら、絶対こうすると思ったことを書いてみようと思う。これからPマーク取得を検討したいという会社の参考になれば幸いだ。


    1)コンサルは使うな


    うちの会社・親会社はPマーク取得にコンサルを入れていたが、はっきり言ってとても対価に見合った効果を得られなかったという。


    自分としてはコンサルを全否定はしないが、Pマークは自社の規模感に合わせて、ある程度柔軟に社内規程を決められるので、自社の状況や実態を知っていることが大事だ。外部からコンサルを入れると言うだけで、自社のだらしない管理実態を恥部として隠そうという人間も出てくる。そうすると、見た目だけ立派なことを謳った、使えないPマーク体制ができてしまう。


    友人の会社も当初はコンサルを入れたけれども、同じ理由でコンサルを外したという。





    2)根本規程はJIS基準の丸写しをしろ


    Pマーク取得のために複数の規程を作る必要があるのだが、もっとも大事な根本規程(ここでは仮に個人情報保護管理規定と呼ぶ)は、変にアレンジなどせず、章番号を含めてJIS基準の丸写しをすることを勧める。JIS要求事項の何を実現するためにどの規程が作られたかがわかりやすくなるからだ。規程で求められた者を実現する手順書で、各社にあった施策を盛り込めばいい。


    実際の審査基準にも「~が規定に盛り込まれていること」というのが、いくつも出てくるが、丸写しのほうが絶対にこれらを確認しやすい。


    3)ガイドラインを見て対応する規定・手順書を作れ


    http://privacymark.jp/reference/pdf/guideline_V1.0_060905.pdf


    JIPDECではJIS基準のガイドラインを制作して配布しているが、これを元に手順書を作っていくと効率がいい(他で認定機関へ申請する場合は、そちらを参照)。ガイドラインに沿って審査が行われるので、むしろ、そこに書かれてないものは規定しなくてもいいぐらいだ。ガイドラインの1つ1つを見ていけば、自分の会社で実際できる施策は何か、考えていけるはずだ。


    以上、ものすごく単純な話だが、JIS規定や法律を難しく捉えようとするから、自社Pマーク規定も難しくなる。Pマーク取得のためだけではなく、セキュアな個人情報保護体制の構築のためにも、なるべくシンプルに仕立てた方がいい。





    2010年1月12日火曜日

    マグマの音楽はヒトラー崇拝?



    ここ数年、音楽と言えばジャズばかりを聴いてきたのだが、去年の前半ぐらいから、徐々にロックを再び聴くようになってきた。ジャズでは考えられないようなコードチェンジや、アレンジ・楽器の使用法がが改めて新鮮に聞こえたからである。特にこれまで手を出そうとしなかった、御三家以外のプログレに徐々に手を出し始めた。去年の前半はカンとマグマを、年末はゴングをよく聞いていた。


    で、そのマグマの創始者であるクリスチャン・ヴァンデがいま2chでちょっとした話題となっている。彼は実はナチと第三帝国の崇拝者であり、独自の想像言語コバイア語で歌われる歌詞も、ヒトラーの演説を音韻的に模倣したものであるというのである。たとえば、代表作の一つである、MDKの"Fuhl mehn Fuhl ehndoh litaah"が"für mein Führer Adolf Hitler"の音韻的模倣であるという具合に。


    http://jfk.2ch.net/test/read.cgi/progre/1243566397/250-450


    このスレでは海外のフォーラムも参照とされていて、海外ではかなり議論されているようだ。何でも近年のコンサートでは、コンサート後のバーでクリスチャンが酔った勢いで黒人差別発言を繰り返していたのを何人ものファンが目撃したのだという。


    かなり奇妙な話だ。マグマ結成のきっかけはコルトレーンの死だったと語り、オーティス・レディングに捧げる曲まで作り自ら歌っていたのは、他ならぬクリスチャンであったはずなのに。エルヴィン・ジョーンズを敬愛していたはずの彼が、本音では黒人差別主義者だったというのか。それとも、人種論から導き出された結論だというのだろうか。


    また、どうやら聴くところによれば妻であるステラ・ヴァンデ(近年はステラ・リノンと名乗っているらしい)はユダヤ人であるという。そのほかにも、歴代メンバーにはユダヤ人がいるそうだ。いったいこの論理的な矛盾は何か?


    しかし考えてみれば、マグマが題材としてきたような神話の世界は、本来的には論理で構築された世界とは一線を画すものだ。そこでは論理的な破綻や矛盾、背徳や理不尽が奇妙に同化して、スペクタクルを織りなしている。ヒトラーと第三帝国が持つ神秘主義や奇妙な理論に魅惑を感じる者はオカルト者には少なくないが、クリスチャン・ヴァンデのヒトラー崇拝の源泉もそこにあったのではないか。ゴングのデヴィッド・アレンも「Magick Brother」のMagicをMagickと綴ることでアレイスター・クロウリーへのリスペクトを見せたように。


    こうした目で見てみれば、論理一貫しないことで一貫しているという、ある種パラノイアとしか思えない、アクロバティックなまでの雑種性が、実はマグマの神話的音楽の源泉だったのではないかという気なでしてくる。しかしされとて、疑問は尽きない。


    ちなみに、大里俊晴氏はマグマのことを「クリスチャン・ヴァンデがファシストだから嫌いだ」と言っていたのを思い出した。彼がファシストであることは、かなり昔から言われていたことらしい。


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    2010年1月9日土曜日

    大里俊晴氏追悼イベントに行ってきた



    本日1月9日に、関内・馬車道にて大里俊晴氏追悼イベントがあったので行ってきた。


    イベントのメインはトークショーで、いろいろとエピソードが語られたのだが、会場が残響の強いところで、話の半分ぐらいしか聞こえなかったのが残念だった。生前、大里さんからちょくちょく話を聞いていた細川周平氏を初めて見かけた。師匠である塚原先生も少ししゃべっていた。トークショーでは大里さんが生前授業のネタによく使っていた、Alvin Lucierの「I'm sitting in the room」(文章の朗読を何度も空中ダビングしていくとどうなるかという現代音楽)も流していた。


    後半には2008年に新潟で行った大里さんの演奏のビデオを上映していた。以前、1度だけ大里さんの演奏を見かけたことがあるが、そのときはあそこまで激しい演奏ではなかった。やっていることは、ギターのフィードバックを利用したノイジーなインプロビゼーションで、結構同じようなことをやっている人もいるのだが、何か彼を突き動かしている衝動が感じられて、単純にかっこいい。「ガセネタの荒野」で、バンド時代の演奏を表現した詩のような一節に、「僕らは終わり続けていた」「終わり続けていたから終わることができなかった」というような文があったが、これじゃ終われなかったのだろうな、そんなことを思わせた。年を取って枯れた何かでも、深化した技術でもない、青臭さを感じさせる演奏だった。


    2次会は食事を囲みながらスピーチなどを聞きつつ、歓談、という内容。知人はいなかったので、なんとも話しかける気に何となくなれず、かといってさっさと帰る気にもなれず、ただその場の雰囲気を味わっていたという具合。大里さんの取ったという写真が置いてあったが、硬質な絵がとてもセンチメンタルで、存外に素晴らしい写真だった。生前試用していたギターやベースが売られていたが、フレットレスのプレシジョンベースやアコギなど、個性的な楽器だらけ。こういうところも、それらしいなと思う。


    横国で行われていたゲストを呼んでの講義で、大友良英氏の回が会場にて上映されていたのだ。大里さんと大友さんの競演の様子も見られたのだが、大里氏の客席に背を向けつつギターをフィードバックさせるその演奏スタイルを見ていたら、自分はたしかこの演奏を見たんじゃなかったかと思い始めてしまった。本当にそんなことがあったのかは、未だにハッキリと思い出せないのだが、あの背中を向けて演奏する姿には絶対に憶えがある。自分のハッキリした記憶としては山本直樹さんの回だけだったのだが(あのときは大里さんに依頼されて山本さんの送迎を担当したので覚えている)。当時、大友さんの演奏をよく見に行っていたので、可能性はある。


    追悼イベントはまだいくつか行われるらしいので、時間を作って行ってみようと思う。個人的には未見のAAを見てみたい。





    2009年11月27日金曜日

    大里俊晴氏の事



    17日に、兄弟子であり、師でもあった大里俊晴さんが亡くなった。


    私と大里さんの出会いは約10年前にさかのぼる。司法試験という道を目指して早稲田の法学部に入学したものの、退屈きわまりない法律の授業に辟易としていた私は、サークルでの音楽活動に耽溺し、あっという間に授業に出なくなった。


    それが3年目の春、いわゆる大学生の間で言うところの4月病という奴だろうか、ふとこれではいかんとふと法学部にいながらにして、文学部のような授業を受講することを思いついて、人文系の授業(つまり一般教養だ)にたくさん登録した。


    その中の一つにフランス語上級というものがあった。この授業は、広告でフランス語を習った者のみが必修となる科目で、実質的には早稲田学院の生徒のみが受講する授業で、私のような公立高校出身の人間は誰も受講していなかった。それを担当していたのが、私と大里さんの共通の師匠である、塚原史先生である。


    その塚原先生からあるとき「僕の弟子みたいな奴がいるんだけどさ、法学部で音楽を教えてて、坂上(桂子)先生から聞いたんだけれど、君は結構音楽もやるんだろう? だったら出てみたらどうかな。変わった奴でなかなかおもしろいと思うよ」と言われた。そのときの私は、クラシックの中でも近現代の異端的な音楽に耽溺していて、そんなすごい先生でもないだろうと思い、その年の科目登録では登録をしなかった。


    その翌年、私のおぼろげな記憶では科目登録の開始日を間違えたため、残った授業が余りなく、何かいい物はないかと探してみたところ、その音楽の授業でまだ定員が空いていることを掲示板で見つけた。掲示板にはこう書いていたはずだ。


    「音楽美学 大里俊晴」


    とりあえず、残っている中で一番おもしろそうだと思った私は、その授業を受講することにした。それは、まだできたばかりだった教育学部の新教棟の視聴覚室だったと思う。真新しい建物に広い教室と音響設備。どのような授業が始まるのかと思い、そこに出てきたのは、黒の皮ジャンとサングラスの、黒ずくめの、お世辞にも講師とは見えない、ディスクユニオンか西新宿でブート漁りしてきた帰りとしか思えないような人だった。


    今となっては授業の内容はおぼろげにしか覚えていない。それは人によっては、授業と呼べるようなものではなかったのかもしれない。様々な珍しい音楽や映像を流して、それがどうしてこんな事をしているのか、なんでそういうことをするのか、ということをあの饒舌な、でもどこか照れたような口調で話し始めた。


    最初の授業が終ったとき、私は大里さんのファンになっていた。その内容は、下手をしたら単なる知識披露に陥る可能性もあったのかもしれないけれど、そうは感じなかったのは、きっと今を支配する何かに対する批判が底にあったと思うのだ。今思い出せと言われてもぱっとは出てこないが、覚えているのは、「ジャンプが一時500万部以上も売れていた世界というのは今考えれば異常なことだと思わないか?」「DVDのリージョンという考え方が気にくわない」といった話だ。個が収束して集団となったとき、それが一つの権力として作用する、そのにおいに敏感だったのだろうと、今となっては思う。


    そういう批判精神、それも誰もが普通で当たり前だと受け入れるような者に対する、ひるむことのない言葉に、これこそが自分の行く道だと深く思ったのだ。それからは、大里さんについて回って、いろいろなことを聞いて回ったりした。



    あるとき、大里さんがフランスからミュージシャンを呼ぶと授業で予告したことがある。フランスのプログレバンド、カタログのギタリストだったジャン・フランソワ・ポーブロスと、フリーのサックス奏者であるミッシェル・ドネダが来るという。場所は西荻窪だ。私は当然出かけた。


    ハッキリとは覚えていないのだが、大里さんに頼まれたか、あるいはたまたまだったか、開演より少し早い時間に会場近くの古本喫茶で大里さんと会った。そこで言われたのが、「楽器を家から取ってくるので、ちょっとここにいてポーブロスが来たら大里はもう少し後で来ると言っといてくれないか」と言われたのであった。当時の私は全然フランス語なんてしゃべれないので、「フランス語しゃべれないんですけれど、どうしたらいいのですか」と聞いたら、たしか、どうにかなるとか英語でいいとか言われたはずだ。そして実際に、ポーブロスはやってきて、たどたどしい英語で「大里はもう少ししたら来る」と言ったと記憶している。


    ライブは驚くほど狭い会場で、しかし拍子抜けするほど人がいなかった記憶がある。同じ授業に出ていた奴らはおそらくいなかったのではないか(後に『Choice & Place』という本を一緒に作った吉田大助君―今は演劇評論家らしい―はいたかもしれない)。ライブの内容はフリーインプロヴィゼーションそのものだった。大里さんはエレキベースと口琴を演奏していた。ベースの演奏は当然ジャズでもロックでもない、ハードコアな演奏だったような気がするが、それだけではなかったように記憶している。今では、ちょうどデレク・ベイリーのような演奏だった気がする。ドネダはフランス人2~3人と共に、ものすごく遅れてやってきたので、3人のアンサンブル(?)はほんの数曲だった気がする。



    あるとき、大里さんが授業を休講するという。それは、フランスに関する本を書いてくれと言われているが、締め切りが間近だか過ぎているかだか、最近のフランス事情を知らないので、仕方がないからフランスに行くということだった。


    ところが帰ってきて最初の授業で顛末を聞いたら、「レコード屋に行ったら、頭が真っ白になって、ついレコードを買いまくって、原稿は1文字も書かなかった。買いすぎたので来月カード破産する予定」ということだった。これには笑ったが、無事に本が出たところを見ると、おそらくは冗談も入っていたのだろうか。ともかく、大里さんは遅筆で有名で、原稿が遅いという話をちらほら聞いた。


    だが、その遅筆というのも、ただ単に自己管理がなっていないというだけが理由ではないと、今にしてみれば思うのだ。大里さんは、集団の暴力というものに恐ろしく敏感な感性を持っていた。あくまで少数者であることを望み、誰もが当たり前だと思う陰でマイノリティを虐げる、多数者による善の暴力(透き通った悪、あるいは悪の透明性とでも言えようか)を糾弾する声を止めることはなかった。あくまで私の考えでしかないが、もしかすると大里さんからすると、メディアを使った批評というのも、ある種の暴力に感じられたのではなかったのでは無いだろうか。権力を批判する言葉がいつしか権力になってしまう瞬間。メディアにはそういう恐ろしいところがある。この私の殴り書きのような文章では、今はうまく説明出来ないが、どうもそういう居心地の悪さを大里さんはずっと感じていたような気がしている。


    ネットにいくつか書かれた大里さんの同僚の方々の話では、とてもシャイな人だったという。なるほど、そうだったのかもしれないが、私にはなぜかとても気さくだった。会うといつもあの口調で、「ひさしぶりじゃ~ん、最近なにやってんの?」と言って、最近の近況を報告したりするのだった。


    そういえば、フレデリク・ジェフスキのコンサートを一緒に見に行った記憶がある。待ち合わせたのかたまたま会場で会ったのか。オペラシティの入り口で、「前にいるの、一柳慧だぜ!」と大里さんがささやいたのを覚えている。ジェフスキと高橋悠治のエピソードなどを聞いた気がする。ジェフスキは歯を磨かないので、エスキモーの音遊び(互いの口に息を吹きかけるらしい)をするとくさくてたまらない、とか。私も、マルク=アンドレ・アムランが、ジェフスキと会ったときお互い英語が話せることを知ってるのにずっと下手なフランス語で話しかけられたと言ってた、とか話したと思う。


    横浜国立大学の大里さんの授業で、クリエイターを呼んでインタビューなどを行う授業を行っていたが(なんでも予算数回分でやっとインタビュイーへのギャラになるから数ヶ月に1回だとか言ってた)、それに漫画家の山本直樹さんを呼ぶというので、山本さんと親しくしていたので(今でも月1で飲んでるが)、横国までエスコートしてくれと言われたことがある。


    エスコートして横国の大里研究室に入ってみると、それは果たしてCDと楽器の山だった。研究室と言うよりは、趣味が高じたオタクの倉庫のようだった。知らないCDも山のようにあったが、マイルスのアガパンみたいなメジャーなのもいくつかあったような記憶がある。そのときのインタビューの様子はネットでも読むことができる。


    http://www.yamamotonaoki.com/report/ynu/index.html


    考えてみれば、着るモノにこだわらず、冬でもサンダルと言う点で、大里さんと山本さんは非常によく似ていたような気がする。シャイなところもよく似ている。


    大里さんと最後に会ったのは、もう2年前の12月になるだろうか。昔、私が潜ってでも出ていた一般教養に、教養演習だかというゼミ形式の授業ができて、そこで法学部のフランス系の講師が合同で忘年会をやるというので、塚原先生に誘われたのだった。在学中は面識の無かった谷昌親先生、塚原先生、それに大里さんがいた。他にもフランス人の人がいたが、卒業生の私には当時のカリキュラムは分からないので、それが誰だったかは分からない。他にも講師はいたと思う(坂上先生がいなくて、塚原先生が携帯で電話していた記憶がある)。


    例によって、大里さんは「ひさしぶりじゃん~今なにやってんの?」と、あの笑顔で迎えてくれた。ところが、ふと見ると大里さんがスパスパとタバコを吸っていたので、あれ?喫煙者だったっけと思い聞いて見ると


    「ちがうんだよ、大学の教授会でさ、『研究室は国が君たちに貸し与えたものだから、喫煙なんてもってのほかだ』なんて権力に笠に着たような言い方をするからさ、頭に来て、その場で手を挙げて『俺、ずっとタバコ吸ってなかったんですけど、今日から喫煙者に戻ります』と言って、また吸い始めたんだよ。久々だから、ニコチンXXグラムから始めてんの(笑)」


    素晴らしい。こんな事ができる助教授が、いや、こんな事が堂々とできる人間いったい世に何人いる?



    その席で、「実は例の横国の授業で、藤井郷子を呼びたいと思っててさ、細谷君知らない?」と聞かれたので、師匠の南博さんが同じく宅孝二門下だったことを思い出し、南さんに聞いて見ると答えた。しかし、南さんは連絡先を知らなくて「ピットインで教えてくれんじゃない?」というのでピットインに聞いて見たら、迷ったあげく「個人情報だから」と言われて、住所でもいいからと言っても教えてもらえなかった。個人情報保護法なんて悪法だなと思った自分が、今は会社でPマーク更新を担当しているのだから、何とも皮肉なものである。


    大里さんの具合が悪いことを知ったのは、Mixiでの野々村氏の日記からである。常々気にかけていたが、それからしばらく何も知らせを聞かなかったので、癌の様子は相当悪いらしいとは聞いていても、どうにかなったのではと思っていた。会いに行きたいとは思っていたが、体に負担になるのは避けようと、何もせずにいたある2009年11月の第1週のこと、ふとネットであれこれ検索してみると、大里さんの横国の授業の宣伝が出ているではないか。


    ゲストは藤井郷子と田村夏樹。そう、私が連絡先を調べきれなかった、あの藤井郷子ではないか。これはいい機会だ、大里さんと会って話はできなくても、挨拶ぐらいはできるだろうと思った。日時は11月8日(土)とある。私はその日の日仏の授業を休んで、それに行くことに決めた。


    ところが、出発前に、何号館でやるのかなと思い、再度ネットにあった告知を確認して見ると、なにか違和感を覚えた……そう、11月8日は土曜日ではなく日曜日ではないか。ハッと気がついた。これは2009年の話ではなく、2008年の話だったのだ。


    大里さんが亡くなったのはそれから10日後のことだ。



    文中で、「大里先生」ではなく「大里さん」として書いているが、これは、自分は生徒ではなく後輩でありたいからであって、決して悪意や馴れ馴れしい思いはないことを理解いただきたい。生前も度々大里さんと呼んでいた。兄弟子というのは、塚原先生が大里さんのことを弟子と呼び、また私のことも、「僕をしたってくれる奴が何人かいて、その人たちを弟子とか呼んでるんだけれど、君も僕の弟子になるね」と言われたことによるものだ。だが、まだ私は彼ら2人と比べられるような事を何一つ成し遂げていない。


    語ることはまだまだあって、きっとそれは今はまとめきれないだろう。モノを書いたり編集をすることを生業としていたくせに、仕事以外で文章を書けない状態がずっと続いている。だから、書くのは後とさせて欲しい。だが、大里さんの書いたものをまとめることをやりたいと思っている。自分は出版社に所属していないので、それが可能かどうかはわかならないが、誰かが動き出さないと。通夜で出会った生徒たち(PILの帽子をかぶった彼と、新卒1年目の彼と)にもそう話した。それは私でなくてもいいのかもしれないが、ひょっとしたら、この世の関節が外れた音でも聞いてしまったのかもしれない。





    クリムゾンのニューアルバム?「The Reconstrukction of Light」

    クリムゾンが現行ラインナップでスタジオアルバムを作る予定はないと発言していることは有名だが、クリムゾンの最新スタジオアルバムと言えるかもしれない作品が登場した。それが6月発売されたばかりの「The Reconstrucktion of Light」だ。これは「The Constr...